ハチドリのブラジル・サンパウロ(時々日本)日記

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2019年 07月 27日

我が家の「森」を本気でやっつける日…(スーパー草刈り)

我が家の愛犬兼門番の「みそ」おじいちゃん、もうすぐ13歳、我が家に来てもう13年になるのね。私たちがこの家に住み始めてもう直ぐ30年、どこを見ても歴史を感じる(つまりボロい)。何年も前からメンテナンスを怠ったツケはあちこちに回って来ている。ずっと庭師をしていたJくんが突然働きに来なくなり、家の中は何とかファッシネイラ(お掃除人さん)のBちゃんのお蔭でピカピカになっているけれど、外はもうお手上げ状態。
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そこで10歳若い私が立ち上がりました。ブラジルの季節は今冬なので、枯れているのも好機だ!「止めときなさいよ、疲れるよ、倒れるよ!」とトリオおじいちゃん(ドーノ=家主)は止めさせようとするけれど、昔取った杵柄をコツコツ発揮してみようと立ちあがったのは今から約3週間前のこと。先ずは小手始めに玄関の両サイドから手を付け始めたんだっけ。いや~~この日も暑くて、2時間の草刈り後、眩暈がして気分が悪くなったんだっけ。昼食がまともに作れず、素麺で簡単に済ませたんだった。それはそれで美味しかったけど…。
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更に奥に進むと大きな池がある。今や魚ではなくカエルが住み着いているけど…。石にも雑草がびっしりと弦を巻いている、ああ!取るのが大変。野生蘭や紫陽花の苗は守ってあげないとね。
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池の両側面の草刈りはここ2週間の間にボチボチやったんだよね。湿った雑草は異常に重たくて運ぶのに大変なので、しっかり乾かしてから捨てることにした。全部ウチの敷地だから気が楽。何を置いても全部禿山にしても誰も何も言わない。というか言わせないもん(笑)
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さあ、今日はこの山をやっつけますかね。無理をしないで出来る範囲でコツコツと…。一体何か月?いや1年以上はかかるかもね。それでもいいや、私のやりたいように草刈りを楽しもうっと。
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私は忙しくて厳しい週末になりそうですが、皆さまは楽しい週末をお過ごしくださいね。朝食後、この雑草のお山を思い切ってやっつけてまいります!エイエイオー!(^^)!


by beijaflorspbr | 2019-07-27 20:00 | Chacara Flora
2019年 07月 18日

寒い日のうちごはんは・・・

今のサンパウロの季節は冬、でも日中はかなり気温が上がりますが、せいぜい22℃くらいまで。高台にある一軒家の我が家は朝晩の冷えが特にひどくて、足腰の保温に四苦八苦…。夜中トイレに起きる時の寒いことったら!いえ、ベッドからトイレまでは徒歩15歩なんですが…(笑)それなのに朝までぐっすり寝られない高齢者。はぁ~どうすればいいんだ。先日家のなんちゃって果樹園で採れたみかんを使ってウォッカベースの「カイピロスカ」というカクテルを作ってもらいました。「みかんだとウォッカの味が濃いでしょう?」とトリオさん。実際に飲んでみると本当に濃い、濃くて喉に刺さりそうな強さだったので、皮を剥いて潰したレモンを足してもらうと、あらら不思議…飲みやすくなった。たま~~にですが、こんなお酒が飲みたくなっちゃう週末。草刈りも放り出して今日はゆっくりのんびりしますかね。
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でもアルコール度の高いお酒に合わせるのは、脂っこいお料理しかダメなので、スパゲティーミートソースをば。美味しかった、ご馳走さまでした。この時のソースには市販のトマト缶を使ったので、今度はトマトを20個くらい入れて2-3時間グツグツ煮込む本格的なミートソースが食べたいなあ。。。とお願いしておきました。トリオさん、ソースに必ず鷹の爪を半分入れるのでピリ辛なのですよ。椎茸が入っていると尚嬉しい。
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洋食も良いけれど、ずっと前にお友達が送って来たこの写真を見て涎が出ちゃいました。西日本で長年鰻屋さんを営んでいる彼女の鰻は絶品です。いいなあ、和食、しかも贅沢な鰻のかば焼き&肝吸い。ああ食べたいっ。変に日本の飲食店のアプリが複数スマホに入っているので、お腹が空いている時は、回るお寿司(くら)や湯掻き立てのおうどん(丸亀)などが食べたくなって困ります。
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根っからの食いしん坊なんでしょうねえ、あー恥ずかしい(/_;)


by beijaflorspbr | 2019-07-18 22:38 | おうちごはん
2019年 04月 29日

個人的に平成を振り返ると?

明日でいよいよ平成も終わるということから、テレビニュースでは専ら「あなたにとっての平成はどんな時代でしたか?これからの令和はどんな時代になると思われますか?」とのインタビューが頻繁にあります。こちらのウェブサイトには、写真付きでその年に起こったトピックが載っていてかなり分かりやすく纏まっていると思います。私の身に起こった個人的ニュースには誰も興味がないと思いますが、私自身のことを語ると、家事・子育てと学校の送り迎えに追われて、気が付くと年を取っておばあちゃんになっていた、という感じでしょうか。私の子どもたちは、全員昭和に産まれ(もちろん我々も昭和生まれですが)、平成のうちに育てて頂きました。そして私の人生の大事件は全部平成の時代に起こったように思います。2004年(平成16年)に私自身が直腸癌と宣告され、2009年(平成21年)に完治宣言をし、病気を克服したこと。平成で最も悲しかったことは、2004年(平成16年)に父を見送り、2006年(平成18年)に母をも見送ったことでしょうか。その悲しみを克服するよすがとして、このブログを始めたのが2007年(平成19年)でした。何かを残しておかないと、もし自身が死んでしまった時に、何も記録にも記憶にも残らないと危機感を感じたからでもあります。また平成時代には子どもたちも育ってしまい、一人二人と家を出て、残されたのは年寄り二人。毎日が日曜日でいかにも気楽なように思えるかもしれませんが、これからの老後に備えて不安なこともたくさんあります。一番の敵は加齢による認知症の心配や、それ以上に健康問題など、希望を感じさせるものはひとつもありません(笑)でも、個人的にはリニアモーターカーに乗るまでは…孫の毬ちゃんが成人するまでは…JALで貯めている生涯マイルがミリオンに達するまでは…なんて果てない夢を見続けて行くのではないかと思います。令和の時代も、皆さまにとって良いことがたくさん起こることをお祈りしております。私自身は、このブログを通して自分の闘病記なども書きましたが、もしご家族やご自身が深刻な病気を宣告されたとしても「ああ、その病気なら前向きに闘って、ちゃんと治した人を知っているよ」と言って励ましてあげてください。まさか自分が病気になるとは夢にも思いませんでしたが、私の知る友人たちで同じ病気を患った人たちは、皆ほとんど克服できています。医学も劇的な進歩を遂げているので、心配しないでくださいね。案ずるより産むがやすし、これからも何事にも前向きな自分であり続けたいと願っております。それと、視野が格段に広がったのがインターネットの普及でしょう。私が最初のPCを購入したのが、1999年(平成11年)のことでした。それからどれほど新しい方々と出会い、楽しい時間を共有できたことでしょうか。PCは真に魔法の小箱でした!こんな便利な時代に産まれたことに感謝をしつつ平成~令和への元号を跨ぎましょうかね!皆さまにとって平成はどんな時代でしたか?
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(いつまでもビールを美味しいと感じるくらい健康でいられますように←笑)


by beijaflorspbr | 2019-04-29 22:07 | 思うこと | Comments(2)
2019年 04月 25日

そろそろ「その日」の備えをしなくてはいけないのかな?

毎日くだらない独り言ですみません。何しろここは私の日記を書く場所なので、その時その時に思ったこと起こったことを記す場と心得ています。多分、若い世代の方には全くピンとこない話だと思いますので、また日を改めてお越し頂けたらと思います。
昨日のこと、朝9時から週に一度のお掃除人(faxineira)が来る日でした。9時少し前に来たBさんは、掃除が滞っている埃まみれの我が家の救世主。少しずつ分割して毎週徹底的にお掃除をしてくれています。我が家は3階建てて、居住空間は一番上の3階にあり、寝室5室とリビング、広いベランダがあります。一番最初に働きに来た日に、3部屋(全てバストイレ付き)を9時間もかかって徹底的に掃除してくれました。床だけではなく、壁のタイルガラスや本棚に至るまで徹底的にしてくれたお蔭で、埃っぽい感じも完全に消え、本当に気持ちの良い空間に生まれ変わりました。ベランダも水を撒いて洗剤で洗い、徹底的にお掃除してくれました。昨日で1か月になりましたが、少しずつ分割して大掃除を続けていますが、何故かファッシネイラが来る日に限って夫のトリオさんが車で外出しようとします。前回は犬の餌を買いに行きました。私は家に居て身動きが取れないので(いくらどんなに真面目な人でも、100%は信用できませんから)、付いて行くわけにも行かず、ただただ心配して見守っていました。昨日の外出目的は「インフルエンザの予防接種」だとのこと。身分証明書とカードだけを持って、ふら~っと車で出かけたのが午前10時半過ぎのこと。予防接種を受ける場所は、自宅から車で約10分のところなので、小1時間くらいで帰って来るだろうと楽観していると、正午になっても帰ってきません。だんだん心配になり、何度も何度も外へ見に行きました。どうしちゃったんだろう?そんなソワソワした中でも、塩鮭を出して小麦粉をまぶし、ジャガイモを下茹でし、玉ねぎ・椎茸を切ってスキレットにオリーブ油を敷いて順番に焼いたものをゆっくり作って待っていました。流石に午後1時近くなった時は、最悪のことを考えてしまいました。車を停めたところに戻れない?何かの事故に巻き込まれた?何かトラブルがあった?など想像をし始めるとキリがありません。実は数日前から夫の携帯が見当たらず、失くしてしまったようです。おまけに「タダだからママも(予防接種に)行かない?」なんて誘うほどですから、お財布もご丁寧に置いて行きました。こんなことなら付いて行けば良かった。携帯で連絡は取れない、お金は持って行かない、だったら何で自分を証明するのか?それがもし呆けた人なら自分の名前や住所すら言えないのでは?と思うのは、先日一緒に車で外出した時に、通い慣れた道を間違ったからでもあります。確実にじわじわと「そんな日」は我々にも近付いて来ているのかもしれません。すると、2時間半経った頃、ふと見ると帰って来たではありませんか!やや強めに
「どうしたの?心配したんだよ。もうちょっと帰って来なかったら娘に電話するところだったよ」
「なんで?だって、お掃除のおばちゃんがいるからゆっくり行ってきたんだよ。車を停めるところもないから遠くに停めたし、予防接種がすごく混み合っていたんだよ」
と。ホッとし過ぎて気分が悪くなってしまいました。情けないことですが、もし今夫に何かあったらこの国でどうやって次の行動を取ればよいのかまるで分かりません。そこで提案しました。(夫が)80歳までにこの家や車を始末し、メトロ近くの小さなアパートに引っ越して最期の準備に入りましょう、とお願いしました。もう我々もそんな年齢に達しているということを、切実に感じた出来事でした。次からは野放しにしないでどこまでも付いていくことにします(笑)誰にでも訪れる終活、そんな言葉が我が家にもそろそろ訪れようとしています。
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(ピカピカになった我が家のエントランスはもう客を迎えることはないかもしれません)


by beijaflorspbr | 2019-04-25 23:08 | 思うこと
2019年 04月 19日

老舗の散髪屋さんにて

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先日たまたま付いて行ったセントロにある1941年創業のレトロな散髪屋さん
夫のトリオさんが半世紀以上通うお気に入りの店
このお店で長い間働いてきたブラジル人のTさんは77歳
切ってもらうトリオさんも76歳(まもなく77歳)
会話をするが、二人とも耳が遠くて
「えっ?」と何度か訊き返す場面も…(笑)
横で静かに見ていて、それぞれ過ごしてきた長い人生を思った
そしてTさんの丁寧な職人技に
光るものを見た
ひとつのことを極めるというのはこういうことなんだ
職人さんは本当にすごい!!
昔に帰ったようなほっこりする時間だった
そして「また来るね!」
と笑顔でお別れした
Tさん、いつまでも同じ場所でお元気で!!


by beijaflorspbr | 2019-04-19 21:33 | 家族
2019年 03月 23日

嬉しい病児のお世話

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昨日はほぼ丸一日中インターネットが不通でした。でもあの素晴らしいイチローの引退インタビューを全て観ることが出来たのは本当にラッキーでした。人間として、野球人として素晴らしいイチローさんの野球人生に大きな拍手を!これからのご活躍を楽しみにしています。さて、ブログはスマホでも投稿が出来るのですが、それほど特別なトピックもないのと、今週は孫の毬ちゃんが風邪引きさんで保育園を丸1週間お休みしたため、何度も何度も毬ちゃんの子守りに行きました。行きましたではなく、行かせて頂いたというくらい充実した日々でした。風邪が治ったらまた保育園にカムバックしちゃうのかな?とにかくすること成すことが可愛くて、見ているだけでこちらがハッピーになれました。今週は病気ということもあり、ママの職場にも顔を出しました。白衣に帽子・マスク・メガネ・手袋で完全武装したママを最初に見た時の毬ちゃんの驚いた顔、忘れられません。大きな目を更に大きく見開いて…。でも声を聞いて安心したようで、直ぐに抱っこをせがんでいました。仕事をしながら小さい子どもを育てるのは大変です。私も歳には勝てず、珍しく腰痛に苦しみました。しかし連続で昨日も子守りに行ったところ、何度毬ちゃんを抱っこしても腰は痛くならなかったというより、むしろ自然に治っていました。本当に良かった。1歳1か月(もうすぐ2か月)の子どもの集中力には驚かされます。孫って自分の子ども以上に注意深く観察できるようになるものなのですね。たくさんの喜びをありがとう!と大きくなったら毬ちゃんに感謝を伝えたいものです。おっと…肝心な毬ちゃんの病状は、かなり改善されました。まだ咳き込むことはありますが、1週間のうちに3日も小児科医に通い、しっかりコントロールして頂いています。

by beijaflorspbr | 2019-03-23 22:23 |
2019年 03月 17日

魔の確定申告が始まる・・・(長い愚痴)

★お断り…事情により、しばらくコメント欄は閉めます。お問合せや記事についてのご意見がある方は、ブログトップページ右側に記載されているメールアドレス宛てにメッセージを直接送って頂けますようお願いいたします。

今日は日曜日、朝から大河ドラマ「いだてん」を観なくちゃ、、、と思ったところに日本の娘から電話。彼女と会話し始めると、最低30分はかかる。電話が嫌と言っている訳ではなく、NHKで観たいドラマはほんの少ししかなく、そんな時に限ってタイミング良く電話が掛かってくる。それぞれに人に言えない悩みがあるからねえ。。。それは十分理解出来ます。いえ、私はあまり悩みはありませんけど。そしてNHKニュースに続いて、嵐・櫻井翔くんが渾身のレポートをした「はやぶさ」のドキュメンタリーが始まったその時間に
「あの・・・例の確定申告の書類を(自分の所属する組織のHPから)取ってコピーしてくれない?」
まただ・・・PCを全く触ることが出来ない機械音痴トリオさんの無理強いの時期がやってきました。毎年同じことを繰り返しているのに、私が何か別のことをやろうとすると、長時間拘束してくる。せめてタブレットを操作して事前に調べてくれると良いのに、
「あ、もう一度(前ページに)戻って」
「いやこれじゃない」
「打ち間違えた。直したい」
「改行はどうするんだっけ?大文字と小文字の切り替えは?」
同じことを毎年のように繰り返す。。。自分だって最初からPCの達人になった訳じゃないけれど、毎年この確定申告の時期は本当に憂鬱でたまりません。マウスは触らない、文章入力時も最初から最後まで付いていないといけない…なんで?って思いますが、もう年なんだろうな、そして自分にも確実にそんな日が来るんだろうな。先に歩いている人の姿を見て、「私は絶対にああはなりたくない」と思っても、頭が付いていなかければ、どんどん硬くなってしまうのかもしれませんねえ。。怖い怖い。だから私の周りにいる年配の友人たちは、積極的にPCやタブレットやスマホを駆使して、SNSやグループラインなどを通して積極的に発信しているのかもしれません。直ぐ目の前の人をみると、積極的に覚えようとせず、人に頼ってばかりで本当にイライラはするけれど、私が手伝わないと確定申告が進まないのであれば、我慢するしかないのかな、と。何だか普段以上に苛立ってしまったのは、この安定しない気候のせいなのかしら?最近とっても蒸し暑いもんね。後4日でこちらは秋分の日、少し涼しくなったら気持ちも晴れるかな?確定申告は、毎年自分でそれぞれの項目に数字を書き出して、仕上げは専門の会計士さんに入力をお任せしています。目の前の人にもしものことがあったら、この先一体どうなるんだろう?少し不安です。文句を言いながらも、こうしてお互いに元気でいられるうちが華なのかしら?私がもっと協力しなくては…と、最後はちょっと反省。
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by beijaflorspbr | 2019-03-17 22:47 | 家族
2019年 03月 07日

インプラント手術終わる

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昨日はカーニバル休暇の最終日、本当は正午からの仕事開始なので、家族が午前中に予約枠を取り、長年出来なかったインプラント手術をしてくれました。インプラント手術と言っても、以前人口骨を埋めた場所に土台?を埋め込む手術。その前に歯全体のCTやパノラマ撮影などの精密検査を受け、今回GOサインが出ました。上1時間下1時間の合計2時間の大手術でした。診療室全体を滅菌室にし、宇宙服のような重装備をした先生(娘)と助手が丁寧に手術をしてくれました。手術は無事終わり、顔を少し腫らしたまま、UBERで帰宅しました。頬を冷やすのに、日本ではケーキ屋さんなどでたくさん付けてくれる保冷剤のお世話になるとは思いませんでした。暫くは休養モードで静かにしていようと思います。普段親に厳しい家族が飛び切り優しく声を掛けてくれたのが妙に嬉しくて、傷の痛みも何のその…。ゆっくり加療をし、一日も早く元気にならないと…。それはそうと、手術を受けている間、家族が長年取り組んでいたインプラントの勉強会のことに思いを馳せていました。インプラント専門医になるための勉強会は丸4年間、毎月1回。木・金・土の午前7時から午後10時くらいまで学問と実地訓練の繰り返しでかなりハードだったそうです。私も良く診療所に電話番に通ったものでした。同じチームで3年間した後、さらなる高みを目指して後1年勉強期間を増やしてもらったということでした。あの先生方、そして同じ仲間と勉強が出来て本当に良かった…としみじみ話してくれました。ひとつの専門分野を極めることの大切さや大変さを家族を通して学ばせてもらったような気持ちです。・・・とそんなことを考えていると、麻酔を打つ時の痛みも、ドライバー?で骨に穴を開ける時も気が紛れました。無事に手術が終わって良かった…後は傷口の回復を待つだけです。それにしても辛抱強いなあ~と我ながら思います。癌の大手術も受けたし、子どもも3人産んでいるので、人よりも痛みに強いのかもしれません。先ほどスーパーに買い物に行った夫にご褒美のアイスクリームをお願いしました。暫くは小さな楽しみで我慢しようっと!

by beijaflorspbr | 2019-03-07 23:07 | 家族
2019年 02月 24日

癌について(独り言)

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日本では桜の開花が待ち遠しい今日この頃、あちこちで『癌』を宣告し、闘病生活に入られる著名な方々の情報を目にすることが多くなりました。自分自身も何も隠すことなく、2004年に直腸癌と診断されたことを公表したのも、考えがあってのことでした。時系列に纏めてみようと思います。あまり楽しいお話ではありませんが、身近に「癌闘病」をしている方も多いので、自分の気持ちを顧みて、これからどう生きていくかという指針にもなるかと思い時系列にまとめてみます。それと同時に、もしこの記事が目に留まり、ご自身がまたはご家族やご友人が私と同じ経験をされるようなことがありましたら、少しでもご参考になればと思い書かせて頂こうと思いました。長文です…。

【①どうして癌が分かったのか】
2004年3月、毎年受けていた人間ドックが、子どもの受験で半年遅れていたことから、オプションも含む全ての検査を受けることにしました。検査の結果、便の潜血反応の数値だけが異常に高かったため、内臓のどこからかに出血がある可能性が高いため、胃内視鏡検査、注腸検査と大腸内視鏡検査を受けるよう指示されました。尚、ここに至るまで自覚症状はほとんどありませんでした。但し、疲れると少し眩暈し貧血かな?程度の軽い自覚症状はありました。当時父が長期入院中でしたので、その看病疲れかな?くらいの軽い気持ちでした。

【②検査結果から癌と告知される】
検査を受けた1週間後(いやもう少し早かったか)外科の主治医の診断は「あなたの病名は直腸癌です。初期~進行癌の間くらいで、手術をして腫瘍を含めた腸とリンパ節を切除しましょう」淡々と医師はこれからの治療計画を話しましたが、一人で聴いていた私はその時ひたすら「生きなくちゃ生きなくちゃ…」でした。私が51歳の時のことでした。何故か「術前の血液検査」を待つ廊下ですーっと一筋涙が出ましたが、それ以降は泣きませんでした。

【③検査結果を聞いてから1週間後に入院】
入院したのは、外科病棟の大部屋の一室。6人部屋のうち4人が癌闘病中の方で、お互い仲良しになって良く話をしました。ごく初期の乳がんを患っていたCさんは、私の2歳上。「早く見つけて頂いて本当に良かった」と明るかったものの、5年後に脳にまで転移して残念ながら亡くなられました。斜め前にいたUさんは、乳がんからあちこちに転移して、抗がん剤治療を受けたものの、再発をしたとのことでした。お孫さんもおられるUさんは「あなた、孫の顔を見るまで絶対に死んじゃダメよ」というのが口癖でした。メールアドレス交換もし、何度か親しく交流が続いていたものの、その2年後の七夕の日に天国に旅立たれてしまいました。もう一人年配のAさんは、咽頭癌を患っておられ、話すことも難しいようでした。真横のベッドで休まれていましたが、キューキューと機械音が一晩中響き、私もその音で良く目覚めていました。Uさんは、お住まいの地域の緩和ケア病棟のある病院に転院していかれました。Uさんはお話は出来ないものの、穏やかな方で、いつも二人で静かに沈む夕日を眺めて微笑んでいました。外科病棟は癌の患者さんばかりだけではなく、救急で運ばれてくる瀕死の重傷を負った方もいました。これだけ良く包帯が巻けるな?というくらいミイラのような重篤な方も入院していました。皆が目の前の深刻な病気を克服しようと懸命に病気と向き合っていました。たくさんの医師と看護師さんが走り回る光景はかなり壮観でもありました。

【④そして手術】
入院して4日後に全身麻酔で手術を受けました。悪性腫瘍を含む大腸を14センチと周囲のリンパ節を14か所採る大手術でした。当初手術に4-5時間くらいはかかるのではないか、と家族に言われていたようですが、実際には3時間半で終了しました。出血も最小限で済んだために輸血もしなくて済みました。ただ、ICUにいる時は体中が管だらけで、身動きが取れなくて一生で一番苦しい時間を過ごしたのは今でも覚えています。付き添ってくれていた娘が「大丈夫、絶対に大丈夫!」と繰り返し励ましてくれました。あんなに苦しかったのに、一晩ICUで過ごした後は、自身の足で歩いて病室に戻りました。痛くて苦しいのを乗り越えた先には何があるのかな?なんて漠然と不安でたまらなかったのを覚えています。

【⑤術後】
手術後も、何度も何度も主治医や他の医師が診察に来てくださいました。言われたことは「痛みを我慢しないこと。不快な症状や変わったことがあったら直ぐに言うこと。」そして「痛くて苦しいかもしれないけれど、なるべく歩くこと、動くこと」と言われました。まだ体力があったのか、その言葉を素直に受け止め、とにかく歩きました。傷が痛くて起き上がるのも辛い時も、「病気を治すために」歩きました。時には北病棟に入院していた父のところまで点滴棒を押しながら無理をしてでも長距離を歩きました。手術後5日目に主治医に呼ばれ、摘出後細胞診の結果、患部以外に癌の転移はなく、14箇所のリンパ節や他の臓器にも転移はなかったため、辛いと言われる抗がん剤治療も受けずに済みました。ごく初期の段階で見つかり、摘出したとはいえ、腫瘍の大きさは直径2、5センチとあまり小さくはありませんでした。その後は、ひたすら術後の傷跡が癒えるのを待つ日々が続きました。

【⑥傷の治りと共に退院】
1週間の辛い絶食も乗り越え、頑張って歩き、先生のいうことを素直に聞いたせいか、傷口が塞がり20日目に無事に退院できました。桜満開の時期に入院したのに、退院時には季節が変わり躑躅が街を彩っていました。しばらくはおとなしく自宅療養していましたが、ほどなく近所のスーパーや、車で30分くらいのデパートやショッピングモールなどにも自ら運転して出かけるようになりました。体力はないものの、意欲だけは旺盛で、娘のサポートを受けながら、どんどん元気になって行きました。娘は医療従事者だったことも幸いし、冷静に病気後からのサポートを淡々としてくれました。医師とのやり取りも、英語を駆使し自分が納得するまで説明を求めていたようでした。

【⑦そしてブラジル行き飛行機に乗る】
退院して3週間後に、娘に付き添われて当時元気に日本とブラジルの空を飛んでいたJALの直行便で、サンパウロに帰りました。念のため全行程車椅子をお願いし、念のため座席もビジネスクラスに変更しました。色々大変なこともあったかもしれませんが、概ね元気でフライトを愉しんだような気がします。但し、サンパウロの空港に飛行機が着いて機内の座席から車椅子に乗る際、眩暈がして気を失いそうになったことで、紛れもなく病人なんだと自覚した次第です。通関を終えて外に出ると、ものすごく心配そうな夫が待っていました。「顔色が悪いけど大丈夫?」「うん、だって病人なんだもん」帰宅後の家族の懸命なサポートもよく覚えています。3階の自室に上がらなくても住むように、2階だけで生活が出来るよう、ベッドと炬燵を用意してくれていました。それからは自宅で心身共に癒されたのか、見る見るうちに元気になって行きました。

【⑧3か月ごとの精密検査】
手術をして腫瘍を採ったとはいえ、3か月ごとに精密検査を受けるように病院からは指示を受けました。3か月ごとの検査内容はレントゲン・血液・胸部~腹部CT造影検査です。また手術から1年後と4年後には、もう一度大腸内視鏡検査を受ける必要がありました。それを5年間、何とかきちんと受け、「癌」という病気から無事卒業することが出来ました。

【⑨早期発見の大切さ】
大腸癌に罹る方は最近多くなっているようですが、癌を克服するのは早期発見に限ると信じています。そのためには、どんなに忙しくても一年に一度の健康診断をパスしないこと、ちょっとでも異常が認められたら病院に行くこと、これは担当医から口を酸っぱくして言われたことでした。いつか胃が猛烈に痛くなり、「今後は胃癌かしら?」と恐れ外科部長の診察を受けると「なるべく早く胃の内視鏡検査を受けてください」と指示され、その先生自身が胃カメラ検査をしてくださった結果、「一時的な急性胃腸炎」と分かり、ホッとしました。薄氷を踏むような5年が終わり、気が付いたら自分の病気は治っていた(既定の5年を過ぎたため)ことになり、現在に至ります。

【⑩癌と言われてどう思ったか?】
51歳の時に癌宣告を受け、手術をする…と言う時に思ったのは

1、とにかく前向きに闘病する
2、先生の仰ることを全面的に信頼する
3、どんな厳しい状況でも希望を捨てない
4、絶対生きる!!!家族のために生きる
5.「最悪」のことは考えない
6、どんな状況でも諦めない
7、命を頂いたら誰かのために役に立つことをする
8、みんなに祈ってもらう
9、感謝の気持ちを忘れない
でした。

【⑪あれから15年・・・】
大変だったあの手術から15年も経ってしまいました。今は人さまの役立つことなど何も出来ていませんが、とにかく大病をして命の尊さや、周りの方々の誠意や祈りのお蔭で今生かされているということが実感できるようになりました。癌友Uさんの「孫の顔だけは見なさいよ」も達成できました。今や癌は2人に1人が罹り、3人に1人は亡くなると言われています。今後は少しの症状も見逃さず、毎年定期検査を受け、早期発見をし、もし病気を宣告されても適切な治療が受けられたら治る時代だと信じています。現代医学の力を信じて、これからも健康に留意しようと決意しています。現在闘病中の池江さん、堀さん、再び笑顔が見られますことを遠いところからお祈りしています。

長々と…すみませんでした<(_ _)>


by beijaflorspbr | 2019-02-24 23:33 | 癌と闘う
2019年 02月 05日

海外で暮らすということ・・・(独り言)

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連日、とりとめもない記事ばかりですみません。今日も独り言です。外国にいるといはいえ、我々日本人は何処にいても日本人としてしか生きられないのか、刺激のない毎日の生活を支えてくれるものは、日本のテレビ番組やまだ読んでいない単行本をゆっくり読むことです。音楽はもちろん「嵐」のアルバムですが…。でも音楽を聴きながらPCで文章を書いたりできるほど器用でもないので、テレビを観るか、本を読むか、音楽を聴くかを選ばなければいけません。例えば、家族と電話で話している時も、他のことを並行して出来るほど私は器用ではありません。例えば買い物をするために外に出ようとすると、家とメトロ駅またはバスポントがかなり離れているため、前夜からトリオさんに「予約」を入れて車で送ってもらわないといけない不自由さもあり、だんだん楽しみなはずの買い物も億劫になってきました。今のところ、近所のスーパーとフェイラ(朝市)で何とか生活は成り立っているので、大きな喜びもない代わりに、それなりに安定した日々を送っています。自分の唯一の長所が「お料理好き」ということなのに、先週からガスが壊れて使えなくなってしまいました。我が家はプロパンガスなので、プロパンとガス台を繋ぐラインがどうやら故障したようです。この大型のプロパンガス4基で家中にガスを供給するシステムなので、1か所が壊れると全体が使えなくなってしまいます。何と我が家には4台のガス台(6口)があるのにも関わらず…。今のところ何とかポータブルIH調理器と電子レンジと魚用ロースターで調理をしていますが、何か物足りない。例えばじっくり餡子を煮たり、蒸かし鍋を使ってお赤飯を作ったり、揚げ物をしたりという作業も今は出来ません。今週漸く修理をする人が来てくれるので、ストレスが軽減されるかな?と期待しています。家も30年経つと、設備も外観も老朽化は免れません。一軒家は住むには気楽な反面、メンテナンスの大変さを嫌というほど味わっています。昨年は洗濯機・冷蔵庫・乾燥機の修理をし、今年はガスだけで済むのかな?酷い雨が降ると、雨漏りも心配になってきます。瓦が風で吹き飛ばされて、ちょっとずれても雨漏りします。それに怖いのが横風を受けて雨が家の中に入り込むことです。我が家の扉は全部職人さんの手作りなので、どうしても隙間が開いて来ています。でももうここまで来たら、何かを新しくするという気持ちも起こらないので、このままひっそり何も壊さずいじらず、静かに暮らそうねと誓い合いました。ブラジルの景気が回復して、私の住む大き目の家もポーンと簡単に売れる時代が来ると良いのですが…。今日は暗い話題てすみません。でも良いニュースが一つだけあります。それは、猛暑が続いていましたが、昨日から雨が降り出して、少し涼しくなりました。バンザイ~(^O^)/では「予約車」で行ってまいります(笑)今週から毬ちゃん誕生会プロジェクトがスタートしています~♪


by beijaflorspbr | 2019-02-05 20:28 | 思うこと