ハチドリのブラジル・サンパウロ(時々日本)日記

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タグ:堀江 泰子先生 ( 30 ) タグの人気記事


2018年 05月 19日

世のため人のためになっているのだろうか?

今日はいよいよ孫・毬ちゃんの100日のお祝いのお食い初めを我が家でやります。昨晩は夜中の0時半まで、仮眠をとったものの、もう5時には目が覚めてしまいました。きっとお料理のことが気になっているのでしょうね。買い物も約5日間かかって漸く終わりました。筋トレのような重たい荷物を持ち、段差のある階段を上ったり下りたりし、メトロやバスを駆使して買っては運び…しているうちに、不思議なもので、このお食い初めを絶対成功させよう、と意欲が沸いてきました。昨日は、コロッケ(定番ですなあ~)を胡椒・カレー粉なしの低刺激コロッケ、カレー入りの大人向け、それにスーパーで綺麗なひき肉を見つけたので、メンチカツも拵えました。実は…私は大のメンチカツ好き~♪今日食べられるのが楽しみです。それにお赤飯の下準備のもち米を洗って水に浸ける、小豆を柔らかくなるまで煮る、和風ローストビーフを作る、稲荷寿司の油揚げを煮る、お漬物を漬ける、鶏照り焼きをタレに漬け込む、おはぎ用のもち米を洗って炊飯器にセットする…とこの辺までやりました。作業のお供は『嵐』くんたちのBDです。すごく元気をもらえるのでありがたい。まだまだこれから鯛の尾頭付きを焼き、ケーキも焼かなくてはいけません。煮物もサイドメニューも…おおお!!やることいっぱいで大変と言うよりは楽しみです。昨年の1月から患っている左側50肩も、随分良くなりました。「もし肩が治ったら、世のため人のために精一杯尽くします・・・」とウチの神さまに誓いました。まだまだ重たい水のボトルを持ち上げたり、手を後ろに回してエプロンを結ぶ、という作業は出来ませんが、何とか一人前に荷物を持ったり左肩を上げて吊革に掴まったりすることも可能になったので、これだけでも有難く感じます。「お料理は自分のためじゃなく、人のため家族のためなのよ」は亡き料理研究家・堀江泰子先生のお言葉です。堀江先生ももちろんですが、堀江先生のお母さまの静江おばあちゃまは、いつも真っ白い割烹着を着て、ニコニコ笑ってお料理をされていました。あの崇高なお姿を10代で見させて頂いた私は、しあわせ者ということなのかもしれません。堀江先生から受け継いだおうちごはんのレシピを、今日も皆さまにお出しできることを誇りに思っています。何でも買うことができる世の中に逆行するようですが、コツコツ頑張るのも家族や回りへの愛のかたちなのかなぁ?などと思うのは自己満足なのかもしれませんね。体力的には多少しんどくても、毬ちゃんの大切な通過点を皆で笑ってお祝いできることに感謝します。今日はそんな日です。5時間くらいしか寝ていませんが、頭はスッキリサッパリ…何だかとても良い意味で昂揚しています。立派な文章も書けないし、美しい写真も撮ることはできない不器用な私ですが、こういったお料理分野ではちょっぴり活躍できるので、体力の限界を超えるまで老体に鞭打って頑張ってみますかね。ご招待したお客さま、お待ちしております~♪出来ればお料理の写真を撮りたいのですが、忙しくてどうなりますことやら。ではいざ我が家の戦場へ(台所ですが。。。なにか?😅
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by beijaflorspbr | 2018-05-19 17:52 | 思うこと | Comments(2)
2018年 03月 04日

あれから一年・・・堀江泰子先生の命日

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ちょうど一年前のひな祭りの日に天国へ旅立たれた大恩ある料理研究家の堀江泰子先生。訃報を頂いた時の衝撃は未だに忘れることは出来ません。19歳の学生時代からほぼ半世紀もお世話になった先生および、堀江家の皆さまには感謝の気持ちでいっぱいです。堀江家では、毎年豪華な雛人形を飾ってお祝いすることが恒例でした。お雛様を出す時は、大勢の人が一堂に会し、飾るのに何時間もかかるほど素晴らしいお雛様でした。大変な作業を終えた後のご馳走がまた大きな楽しみでもありました。美味しいものを食べて怒る人なんていません。お料理は人と人との和を繋ぐのよ、家庭料理こそ宝なんだから…と泰子先生が常々仰っておられました。今日はもう3月4日ですが、これから我が家で孫の毬ちゃんの生誕1か月のお祝いをすることになっています。病院に行けなかった親戚や、家族で私の手料理を囲んでお祝いします。また後日ご報告をさせて頂きますね。

by beijaflorspbr | 2018-03-04 19:27 | 思うこと
2017年 05月 13日

10人で頂く究極のおうちごはん

今回帰国するに当たって、ひろ子さん(料理研究家・堀江ひろ子先生)と調整する中で、私のような者にまで大きな愛情を注いでくださる堀江家の皆さまの優しさが身に染みて有難いと思ったことはありません。(当初予約を取っていたホテルに泊まらずに、)「成田から真っ直ぐ成城に来なさい、本宅でお参りをした後、家に来なさいね。我が家だと思って一晩泊まってゆっくりしていったらいいじゃない。」とのお言葉にすっぽり甘えることにしました。ブラジルからの旅行総時間約30時間の長旅を経て、ヘロヘロ状態で帰国した私が、小躍りするような滋味あふれる究極のおうちごはんの数々が食卓にずらーっと並びました。何しろ、ひろ子さん、さわちゃんと著名なお料理の先生がお二人も揃っているので、ここで生の勉強をしない手はありません。お二人を質問攻めにしながら楽しく10人で囲む夕食が始まりました。101歳の旦那さまから1歳の赤ちゃんまでがワイワイ。子どもたちも好き嫌いなく、旺盛な食欲で次々と美味しそうに平らげます。まさに、理想的な食育の現場を拝見させて頂きました。
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鰹の韓国風ピリ辛お刺身、周りのレタスはご主人さまが丹精した自家製野菜、今年は大豊作だそうです。
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ピリ辛苦手な旦那さまのための普通のお刺身。新鮮で美味しい!!
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茄子の肉詰め韓国風、とても優しいお味でした。
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自家栽培キュウリのナムル、ニンニクの良い香り。
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トマト・レタスのサラダ、なんか皆美味しい!
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絹ごし冷奴ゴマだれ(このゴマダレが絶品でした)
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ホクホクのカボチャは旦那様の大好物!
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食いしん坊の私は、全部盛りしてみました!うわー豪華です!!
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いや~~しみじみ美味しいお食事でした。海外から帰国して、こんなに美味く優しいお味のものばかりを口にできる贅沢はありません。もしホテル泊だったら、ラーメン1杯か、スーパーのお寿司程度の惨めな食事で済ませるしか術がありませんでした。ずっとご家族の皆さまと色々お話する中で、3月3日の泰子先生のご逝去以来、どれほど皆さんが大変お忙しい思いをされたかが分かり、大きな困難を乗り切って来た揺るぎない家族の団結をしっかりと間近で見せて頂きました。温かいご家族の輪の中にすっぽり嵌って、何とも心地良い時間でした・・・。泰子先生に関するご本や過去の「きょうの料理」などの出演DVDも頂き、これがあったらいつでも先生を思い出せるな、と思い嬉しくなって有り難く受け取ってきました。

追悼・堀江泰子さん 料理家のDNAは、脈々と受け継がれ

堀江家初代大ママは
桃の節句に旅立った
堀江ひろ子×ほりえさわこ

という記事が載っているので、すぐに買いに行こうと思います。
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75年の長きに渡り、妻・泰子先生を支えて来られた101歳の旦那さま、お元気そうで、安心いたしました。どうかこれからもお元気でお過ごしくださいね。またお会いしに参ります!!
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お食事後、しばらく皆さまと色々お話をした後、温かいお風呂にゆっくり入り、早めにベッドに入り熟睡させて頂きました。時差ボケで途中目が覚めたものの、疲れていたのか、また横になったらグッスリ…でした。翌日も美味しい美味しい朝食をたっぷりと頂き、いくつかのお料理のコツなどもさわちゃんからたっぷりお聞きし、午前10時過ぎに成城を後にしました。一晩のうちに、頭の中に色々な知識がどんどん流れ込んできて、何とも刺激的でステキな時間でした。家族同様に接してくださった堀江家のご家族の皆さまに心から感謝申し上げます。本当にありがとうございました。これからも頂いたご縁を大切にしてまいりたいと思います。


by beijaflorspbr | 2017-05-13 22:52 | おうちごはん
2017年 05月 12日

堀江泰子先生とのお別れ

5月9日の午後2時半過ぎに成田国際空港に到着し、大型スーツケースを送った後、真っ直ぐ堀江泰子先生のご自宅のある世田谷区成城に向かいました。予めお嬢さんのひろ子さんと打ち合わせをした通り、ご本宅で亡き泰子先生のお参りをさせて頂いた後、旦那さまと共にひろ子さん宅へ連れて行って頂くということになっていました。いつも弾んだ足取りで歩いてきたこの道も、何となく物足りなく寂しい思いでいっぱいでした。3枚のうち2枚がピンボケでした。
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堀江泰子先生の遺影を拝見し、静かに手を合わせました。その傍では101歳の旦那さまが静かに微笑んで見守ってくださっていました。
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お通夜・告別式併せて1,000人以上のご会葬があったとのことでした。ご家族も、想定していた以上でかなり慌てた・・・と仰っていました。それほど先生と関わりのある方や、恩義を受けた方、生徒さんたちの数が多かったということなのですね。家庭料理の分野で偉大な業績を残された堀江泰子先生の遺影に静かに手を合わせた時、心が落ち着き、だんだん心穏やかになって行くのが分かりました。これで、今回帰国の大きな目的をひとつ果たすことが出来ました。そのままひろ子さんご夫妻のご自宅へ移動しました。満面の笑みでひろ子さん、さわちゃんが迎え入れてくださいました。お嫁さんやお孫さん総勢10人で賑やかな食卓を囲みました。今日はもう遅いので、おうちごはん遍は明日に続けます。


by beijaflorspbr | 2017-05-12 22:16 | 人生
2017年 04月 18日

心を込めたお赤飯

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3月3日に尊敬する堀江泰子先生が亡くなられて1か月半が経ちました。その喪失感はずっと私の心の中で続いていますが、いつまでも悲しんだり残念がっていると、泰子先生に一喝されそうな気がします。最近立て続けに急にお友達に街でばったり会って後日会うことになったり、お友達の初孫ちゃんが無事に誕生した、というお知らせを受け、「そうだ!久しぶりにあれを作ろう」と思い立ち、前夜から準備をして早朝から心を込めて作りました。絶対に失敗せず、ほぼ100%の成功率のレシピを伝えてくださった亡き先生に感謝しつつ…。
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いつものようにふっくら美味しそうに出来上がりました。折角なので、娘のエルちゃんにも色々おかずを作ってお弁当を届けました。もちろん、お赤飯中心のお弁当です。娘はどちらかというとお赤飯より五目おこわの方が好き。でも残念ながら同時に2種類は作れないので、今回は我慢してね!
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娘の診療所に行くと、患者さまがたくさん待っておられたので、サッと届けて次の目的地に向かいました。ああ、でも秘書の女の子が美味しいコーヒーを淹れてくれました。ありがたや…。


by beijaflorspbr | 2017-04-18 22:29 | おうちごはん
2017年 03月 19日

想い出がギュッと詰まった堀江家の愛情弁当

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料理研究家・堀江ひろ子先生、さわこ先生、お弟子さんたちによる
「堀江家のお清め弁当」

≪メニュー≫

堀江家のレジェンドレシピ「お赤飯」
静江おばあちゃまから引き継がれた伝統の味「お煮しめ」
40年前から今も作り続けられている「チキンローフ」
ポリ袋とオーブントースターで作る「鶏の照り焼き」
泰子先生が旦那さまに作り続けた「長寿豆」
故郷宮崎の郷土料理「のた芋」
宮崎の郷土料理「飫肥の卵焼き」
卵焼きと長寿豆に関してはこの記事で頂いた記録が残っています。

≪先生方からのメッセージ≫

このお弁当は堀江泰子の愛弟子たちが力を合わせて作りました。
天国から『合格』がもらえますように。
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私にとってはどれもこれも懐かしい「堀江家の伝統の味」
その美味しさがしっかりと伝わってきました。
お弁当の写真を見ているだけで
堀江泰子先生に再会できたような気がしました。
お料理は、その家庭の味や伝統を子孫に継承していくもの、
堀江泰子先生の無言のメッセージがしっかり伝わってきて
心を強く揺すぶられました。

泰子先生がお亡くなりになられてから、幾晩も同じ夢を見ました。
それは「早く新幹線に乗らないと(泰子先生の)葬儀に間に合わないよ」
と家族にせっつかれている夢です。
実際には、地球1個を挟んでいるため、
移動には30時間が必要なのに…。
数時間で簡単に駆け付けられたら良かったのに…。
ああまた同じ夢を見てしまった。


by beijaflorspbr | 2017-03-19 23:02 | おうちごはん
2017年 03月 12日

堀江泰子先生を想う

暑い夏も漸く終わりを告げようとしています。この時期は、街歩きをするには暑く感じるものの、どうしても週1度のリベルダージ東洋人街へのお買い物は避けられません。重い腰をどっこらしょ、と挙げて買い物に出ようとすると…
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毎年この時期になると満開になる「ハナセンナ」(別名アンデスの乙女)が「見て行って~」と言いたげに華を誇っていました。亡き義父が愛情をこめて植えてくださったお花、これを見ると、優しかった義両親の姿を思い出します。人生は色々な方に愛情を頂きながら時が過ぎていくのだと思わされました。
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今頃東京では、堀江泰子先生のお通夜が行われている頃です。あまりにも落ち込み、悲しむ私の姿を見かねてか、夫が「予定を少し早めて帰国して告別式に参列したらどう?」と言ってくれましたが、急に帰って疲れた身体で会いに行っても、泰子先生に叱られるような気がして断念しました。何より、今ここにいて静かに手を合わせて供養することこそが先生が一番望まれていることなのではないか、と思いました。訃報を受けてすぐにお嬢さまのひろ子さん(料理研究家堀江ひろ子先生)と連絡を取りました。「たくさんの方が(お別れに)お見えになってくださると思うので、せめて煮物やちらし寿司、のた芋(宮崎地方の郷土料理)をお弁当箱に詰めてお持ち帰り頂こうかなと思っているの」とのお言葉に、いつも私を温かく包みこんでくださる、堀江家の皆さまの頑張りと深い愛を感じて感涙してしまいました。先生、ずっと離れた地に居ても、先生のことをずっと思っていますよ。


by beijaflorspbr | 2017-03-12 21:59 | 人生
2017年 03月 04日

追悼:料理研究家 堀江泰子先生

※昨日の午後、料理研究家の堀江泰子先生が亡くなられたことは、ご逝去直後に堀江家からお知らせを受けて知っておりました。ただ、堀江先生は料理界の草分け的存在で有名人でもあられるため、マスコミ発表を待ってからこの記事を書こうと決意していました。

昨日の午前中、一通の悲しいお知らせが移動中の私のスマフォに届きました。発信元は孫のさわちゃん(料理研究家ほりえさわこさん)でした。「ひな祭りの日に旅立つ紫姫(紫色が大好きな先生のニックネーム)なんてカッコイイよね~」の通り、誰もが決して忘れらない日に旅立たれてしまった堀江泰子先生。ずっと恐れていた、この日が遂に来てしまいました。94歳ですし、晩年はご病弱でいらしたのでこの日が来ることは誰もが覚悟の上だったことでしょう。しかし…何でしょうか、この言葉に出来ないほどのたまらない寂しさは…。先生の存在は、私にとっては恩人以上の重みがあったように思います。少しだけ泰子先生との思い出を語らせてください。
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(堀江家の珠玉のレシピばかりが掲載されている貴重な一冊)

堀江泰子先生とのご縁を頂いたのは、今から46年前の私がまだ18歳の時でした。東京の短期大学2年生の時、ある事情から突然下宿を出なくてはならなくなり、友人の紹介で学業の合間に家事を手伝ってくれるなら、という好条件で堀江家に1年間居候をさせて頂くことになりました。当時はまだ右も左も分からずに、ポンと堀江家に入り戸惑うことばかりでした。当時の堀江家は、旦那さまが地方に単身赴任中で、泰子先生やご家族は東京に住んでおられました。私の役割は先生の身の回りの世話係も兼ねていましたので、先生ご夫妻のお部屋で先生と一緒にお布団を並べて毎晩寝ていました。後で良く先生に言われたのは「旦那さま以外の人と布団を並べて寝たのはハチドリちゃんだけね」と。泰子先生は、年々テレビや雑誌や料理講習会などのお仕事が忙しくなってきて、早朝から深夜まで実に良く働かれていました。娘さんのひろ子さんもその頃から次第に名前が出て、助手として大活躍をされていましたが、何と言ってもこの時代に中心となって活躍されていたのは泰子先生でした。今思えば当時40代後半の働き盛りでいらしたのですね。先生はご家族やお弟子さんたちにも妥協せず、常に厳しく接しておられました。一番下っ端の気弱な私は、叱られて良く物陰で泣いていたものでした。それまでの甘く緩い生活からいきなり厳しい生活への変化を受け止められず、真剣に堀江家を出ようかと悩んだ時期もありました。そんな切迫した状況の私を変わらず優しく支えてくださったのが、泰子先生のお母さま、静江おばあちゃまでした。静江おばあちゃまは、毎朝6時に階下から「ハチドリちゃん、おはよう。起きている?」と優しく起こしてくださり、広い家中のお掃除が終わった頃、滋養ある朝食を整えて待っていてくださいました。今もその時の朝食の味は忘れたことがありません。堀江家においてのおばあちゃまの存在は実に大きいものでした。次々に孫が生まれると、80代を超えた静江おばあちゃまが面倒を見ていた時期もありました。「ぼやっとしていると、泰子に怒られるから。。。」と堀江家ではこのように、何歳になってもそれぞれの役割分担があり、「疲れたから」とか「もう年だから」などという甘えは一切許されませんでした。堀江家で実に刺激的な1年を終え、社会人になって初めて堀江家での一年間は何ものにも代えがたい貴重な日々だったのだということが分かりました。お料理の補助作業や下準備だけではなく、買い物の仕方、電話の応対、お客様のお接待、気配りや身の回りのこと、庭の手入れまで。若干20歳前の私が到底得られない貴重な基本知識を学ばせて頂いたのも堀江家でした。堀江家は、私にとっての原点といっても過言ではありません。堀江泰子先生ご自身も、厳しいだけではなく気配りを欠かさぬ優しい先生だと分かるまでに、そんなに時間を要しませんでした。堀江泰子先生は、人にも厳しい分、自分にも高い目標を常に課しておられました。
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(泰子先生直伝のお赤飯は今や十八番に)

私が縁あってブラジルに嫁いでからも、堀江家との深いご縁はずっと続きました。堀江先生の旦那様が国会議員になられてからの海外視察旅行で一度、プライベートで一度、ブラジルにも来てくださいました。大好物の「たねや」さんの最中を携えて、わざわざ会いに来てくださった時は、本当に嬉しかったです。私たちが気に入っていた高級ポルトガル料理のレストランにご案内すると、飲めないワインを少しだけ嗜んで、上機嫌で頬を赤くされた泰子先生の笑顔を今でもはっきり思い浮かべることが出来ます。その時、ほんの少しだけ親孝行の真似事ができたかな?と思った瞬間でした。私が帰国した時は、可能な限り成城のお宅に会いに行くようにしていました。
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(堀江先生に教えて頂いた我が家のおうちごはんの数々)

最後にお目にかかったのは、昨年の12月2日のことでした。ここ数年、会いに行ってもご入院中だったこともありましたが、そんな時は病院までひろ子さんに連れて行って頂き、無事にお会いすることが出来ました。12月2日はご自宅で旦那さまと二人揃って笑顔で迎えてくださいました。「ハチドリちゃん、私はね、死ぬことは怖くないけれど最期まで堀江泰子として立派に生きたいの」とびっくりするくらい力強く仰ったのは忘れることができません。「料理研究家1代目は堀江泰子、2代目は堀江ひろ子、3代目はほりえさわこ。そう決めたの」とも。4代目は?とお聞きすると「もえ(さわこちゃんの長女)かな?」と。料理研究家として有名な先生ですが、弟子の私から言わせると、「常に努力を惜しまない方」だったように思います。あれは80歳を悠に過ぎた頃だったか、机に本を置いて真剣なお顔をされていました。「先生、何をしていらっしゃるのですか?」と訊く私に「ハチドリちゃん、お料理というのはね、もうこれで良いということはないの。レシピもどんどん研究をして改良して行かないといけないのよ」と。既に完成されたように思っていた堀江家のレシピも、こうした日々の研鑽によって作りあげられていることを初めて知ったように思いました。とにかく当たり前のようですが、堀江家のお料理は全てが美味しいのです。そんな陰に、こうした先生やひろ子さんたちのたゆまぬご努力があったのだと知りました。晩年は、お料理教室をひろ子さん、さわちゃんに任せて奥におられることが多くなりましたが、お味見の時は旦那様と共に生徒さんの前に顔を出して、笑顔で見守っておられました。最後にお会いした昨年の12月2日も、しっかりクリスマス用のお料理を美味しそうに召し上がっておられました。家庭料理を人に教えるという世界では草分け的な堀江泰子先生ですが、元々娘時代はお料理が全く出来ずに、困り果ててお知り合いの料理研究家のところに通い詰めた、というご経歴の通り、元々秘めた才能とやる気のある方だったのだと思わされます。「家族のために、人のために美味しいお料理を作って喜んで頂くのは家庭料理から…」との揺るぎない方針で、多くの方々を指導された堀江泰子先生の94年の生涯に、心からの拍手を贈らせて頂きます。

天国に昇られた泰子先生へ
遂にお別れの日が来てしまいました。先生は「ハチドリちゃん、お葬式には来なくて良いけれど、生きているうちに私にたくさん会いに来て!」と仰いました。私はちゃんとそのお約束を守って、帰国時には最優先して何度も先生に会いに行きましたよね。これが最後になるかもしれない、なんていうことは一度も思ったことはありませんが、12月2日が本当に最後になってしまったのですね。でもね先生、私は先生の教えの通り、今もお料理が大好きで、得意で、たくさんの方に喜んで頂いていますよ。先生が広く伝えてこられた「家庭料理こそ一番の宝物」という精神は、これからもずっと私の心の中に生き続けると思うのです。堀江泰子という私が尊敬してやまない一人の偉大な女性とのご縁を頂けたことを誇りに思っています。泰子先生が、辛いご闘病生活から漸く開放されて、痛みや苦しみのない世界へと旅立たれたことに、ほんの少しだけの安らぎを感じています。残念ながら告別式には参列できませんが、次の帰国の際に真っ先にお参りに行かせて頂きます。今頃静江おばあちゃまや妹さんと久々の再会を果たされているのですね。静江おばあちゃまも喜んでおられるでしょう。どうか、安らかにお眠りください。遠くブラジル・サンパウロより、心からのご冥福をお祈りしております。
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(昨年12月2日最後に撮影した泰子先生のお写真です…涙)
泰子先生、46年間の長きに渡り、本当にお世話になりました。ありがとうございました!


by beijaflorspbr | 2017-03-04 21:18 | 人生
2017年 01月 18日

2016年秋日本日記@堀江泰子先生のお宅へ②

堀江泰子先生のお宅、午後の部です(はい、長居しております←笑)さわちゃんの専門分野である、韓国料理のお教室が始まりました。堀江先生のお料理教室の基本は、昔から下ごしらえを丁寧にすること、きっちり分量を測ることでした。もやしの髭も、面倒くさいけど丁寧に取ってね!とさわこ先生から指示が飛びます。
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予め味を染み込ませて置いたお肉なども揚げ、材料を合わせて…
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仕上げにかかります。スペアリブの唐揚げ、麻辣ナッツかけが完成!
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ちぢみはふわっと焼くのよ~♪
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春菊のチヂミの出来上がり!!美味しそうな香りがふわ~~っと広がります。
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コンナムクッパもさわちゃんが丁寧に仕上げてくださいました。
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おいしぃ~~~~~~~(^^)/
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デザートは何と、カルピスミントシャーベットでスッキリサッパリ。。。
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この後の楽しみもあるのに、またお腹いっぱい食べちゃった。。。まずいぞ。エルの診療所用に、さわちゃんの離乳食の本を頂きました。
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お稽古でバタバタしている中、101歳の旦那さまは、ひたすら書き物をされておられました。ひとつひとつ丁寧に辞書を引きながら。。。旦那さまは、喪中はがき一通一通にも必ずお悔やみのお返事を出されるそうです。こういったところからも、人生の勉強をさせて頂いています。
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「堀江家は私の原点」と胸を張って言えるのは、こうした旦那さまの変わらぬものに向き合う姿勢と、泰子先生が長年ご苦労をされて研究して来られた堀江家の味や、故郷宮崎の郷土食を子・孫に忠実に伝えて来られたお姿を間近に見せて頂いているからだと思います。既に両親は亡くなっているので、お二人から学ばせて頂くことが多い堀江家は、私にとっての宝物でもあります。これからも宜しくお願いいたします。

by beijaflorspbr | 2017-01-18 20:40 | 人生
2017年 01月 17日

2016年秋日本日記@堀江泰子先生のお宅へ

もう一度日本日記に戻ります。この日は、東京のお友達のお宅から成城の堀江先生のお宅に向かいました。先生とは18歳の時にご縁を頂き、現在まで変わらず気にかけて頂いており、ずっとお付き合いが続いています。もし日本にずっといられるのであれば、堀江家の年中行事である旦那さまや先生のお誕生日のお祝いや、ひな祭り、餅つきやお節料理などを頂く機会があったのにと思うと残念でなりません。それ故、帰国した時は必ず何を置いてでも訪問するように心がけています。堀江先生とのご縁を書いた「スタートは18歳から」で詳しくいきさつを書いたように、先生とのご縁は既に45年前から始まっていました。旦那さま101歳、泰子先生94歳の冬…。成城の街並みは昔とちっとも変わりません。
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先生宅に近付くと、とっても賑やかな声が聞こえてきました。この日はお稽古日で、特別にクリスマスメニューの日でした。たくさんの生徒さんが一生懸命メモを取りながらお料理をされていましたが、私は久しぶりにお目にかかる旦那さまや先生と積もり積もったお話をするのに夢中になっていました。先生は私のことが良く分かって、「良く来てくれたわねえ~」とか「いつまでも頭しっかり元気でいなくちゃ」と自分自身に気合を入れておられる姿に、ちょっと安心しました。ご高齢のお二人を拝見していると、しんどいとか年取ったなあ~なんて決して弱音を吐けません。お料理が出来上がって、旦那様、先生と共に食卓に着かせて頂きました。生徒さんも、「ああ、ブラジルのハチドリさんですね!」なんて、結構知名度が上がっているのには驚きました。クリスマスのメニューだけあって、ビックリするくらい豪華な一品一品、もちろん肝心なレシピも頂きました。後でおさらいをしなくてはいけませんね。
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泰子先生の食事介助をするのに、「口に入っているのに入れない!」なんて叱られながら(笑)楽しく試食を終えました。いつも感心するのは盛り付けの美しさと味の良さ、家庭料理は日常的に口に入るものなので美味しくなくては…という泰子先生のお考えを、ひろ子先生、さわちゃんがしっかりと引き継いでいます。
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皆が試食している横で、さわちゃん(料理研究家・ほりえさわこさん)がケーキの仕上げを黙々としていました。
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最終的にお星さまの形に仕上がって、真ん中はヨーグルトにフルーツ
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しっとりしていて本当に美味しいケーキでした。泰子先生もたくさん召し上がられて、ホッとしました。午前の部の生徒さんがお帰りになるのと入れ替わりに、午後からの生徒さんが来られて益々賑やかに…。何度もお邪魔しているので、何度もお目にかかったことのあるベテラン生徒さんもおられました。続きます。

by beijaflorspbr | 2017-01-17 23:11 | 人生