ハチドリのブラジル・サンパウロ(時々日本)日記

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カテゴリ:命( 136 )


2018年 10月 16日

17人目の訃報

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今からちょうど8年前、こんな美しい海の見える広島のホテルで、高校時代の同窓会が行われました。私が卒業した高校は、当時でも珍しい全寮制の私立高校でした。あるスポーツ界でもかなり有名な学校で、当時は全国大会で準優勝したため、ちょっぴり鼻が高かったものです。とにかく同級生の中で際立って目立つ人はいなかったものの、皆穏やかで良い性格の人ばかり。卒業してからもずっと定期的に同窓会を催しており、全国区の強みを生かして、その地方出身者が持ち回りで企画。このブログにも何度も記事を書き残しましたが、昨年は東北(宮城・山形)3年前は関東(東京・横浜)5年前は九州(福岡・大分)と全国を舞台に、旧交を温めてまいりました。もちろん来年も同窓会イヤーなので、開催されます。2010年の秋に開催した広島・山陰同窓会の際に参加してくれた同級生は、既に4人も他界したのに、最近もう一人の訃報が入ってきました。まだ70歳前ですし、こんなに平均寿命が延びている現代社会の中で、どんどん櫛の歯が欠けるように同級生を喪っている我々。。。これをどう捉えたら良いのか分からず、適切な言葉を見つけることが出来ません。亡くなったTくんは、我々同級生のホープでした。リーダー性もあり、生徒会の役員活動を通して、際立ってピカピカしていました。8年前の同窓会の時は、お酒に酔って面白いことばかり言って、皆を笑わせていましたっけ。彼を思い出す時は笑顔しかありません。Tくんのご冥福を心よりお祈りいたします。今年は訃報に次ぐ訃報で、ちょっと戸惑っていますが、こうしたことからやはり「会える時には会っておく!」というのをこれからも忘れずにいたいと思います。少し無理してでも、次の帰国時にはたくさんの友人に会っておきたいと願っています。

by beijaflorspbr | 2018-10-16 20:28 |
2018年 10月 04日

親が子のためにできることは・・・

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親が子どものためにできることは
長生きすることだ
子どもを授かった時に
親は子どもに誓うはずだ
お前を全身全霊で守ると・・・
命に代えてでも守ると
でも命を繋がないと子どもは守れない
それなのに何故生き急いだ?
あなたは本当に素敵な人だった
意欲的な人だった
その前に一人の夫として
私の大親友の夫して
親友を最期まで守り切った
親友がまだ51歳の若さで旅立った時も
子どもたちをしっかり抱いて立っていた
私はその姿を心から尊いと思った
美しいと思った
それが何故
あなたは長生きしなくてはいけなかった
親友の分も
これからも愛する子どもたちを守る仕事がたくさんあったはず
悲しくてやりきれない
夜は長い。。。
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高校時代の親友のご主人が今日亡くなられたとご連絡を頂きました。お互いの親が同じ職場で働いていた関係でMちゃんは、幼馴染で気の合う大親友でした。Mちゃんと私は幼い頃からコロコロと無邪気に遊び、お互いを必要としていました。ところが、彼女が高校1年生の時、突然ご両親に付いてブラジルに渡ることになりました。私は泣きながらMちゃんを送り出しました。遠いブラジルに行くならきっと一生会えないんだろうな?と諦めていたら、今度はご縁あって私がブラジルに来ることになってしまい、久しぶりにMちゃんと再会出来た時は、抱き合って喜びました。それからは、ブラジル生活の大先輩でもあるMちゃんは、いつも私を励ましてくれ、一緒にコーヒーを飲みながら生活の知恵を授けてくれました。16歳で現地校に入ったMちゃんは言葉では本当に苦労をしたそうです。我が家にも子どもたちを連れて、良く遊びにきてくれました。ずっとこの交流は一生続くかと思ったのに、Mちゃんは突然不治の病に罹ってしまいました。病気の発見が遅れたために、どんどん状態が悪くなって行き、最期はご両親のおられる日本で…と治療を受けていた病院で14年前の11月に静かに息を引き取りました。その時父の看病でたまたま日本にいた私は、病室に駆け付け、まだ温かいMちゃんを抱いて号泣しました。何でこうなるの?何で?ブラジルの子どもたちもまだ揃っていないのに…。子どもたちの日本到着を待って葬儀が行われました。私はずっと家族に寄り添って共に哀しみ励まし続けていました。Mちゃん、子どもたちのことは任せて、私がちゃんと見守るから!偉そうにそう誓いました。Mちゃんの夫は、Mちゃん亡き後も色々なことに立ち向かい、耐えていました。折に触れ、現状報告代わりのメールをくださいました。その後何年かして、最高の伴侶を得て再婚された時も、「(亡き妻)Mは納得してくれるだろうか?」と言った内容のメールを頂いたので「堂々と幸せになってください、それこそがMちゃんの大きな望みだと思いますよ。どうかどうかお幸せに!」と返信しました。それからお会いする機会がめっきり減り、今日の突然の訃報です。。。もう何と言って良いのか適切な言葉が見つかりませんが、この40年間ずっと頭の片隅に引っかかっていた思いが一気に沸き出して、Mちゃんのご家族との思い出が走馬灯のようにぐるぐる頭を駆け巡りました。ブログのコメント欄に第一報をくださった鍵コメさま、本当にありがとうございました。Yさんには心の中できっちりお別れを申し上げたいと思います。今ごろは14年ぶりに天国でMちゃんと会っているのでしょうか?Mちゃんの大きな目と真っ白い歯が目に浮かびます。「パパイ、随分老けたわねえ、でもちょっとこっちに来るの早すぎたんじゃない?」なんて微笑みながら言っているのかな?子どもたちの近況を報告しているのかな?子どもたちが幸せでいること、孫も出来たこと…。Mちゃんが若い頃は、お給料日にはいつも天ぷらを奮発していたっけ、今頃久々に会ったご主人に美味しい天ぷらを揚げてあげているのかな?そう思うと、少しだけ心が安らぎました。与えられた命を生き切ったYさん、本当にお疲れさまでした。心からご冥福をお祈り申し上げます(合掌)


by beijaflorspbr | 2018-10-04 10:52 |
2018年 09月 17日

悲しい朝

唯一無二の大女優・樹木希林さんが75歳で亡くなられました。5年前から全身がんを患いながらも女優業を最後まで続け「生涯現役」を貫いたお姿は本当にご立派でした。私が樹木希林さんの映画の中で、何と言っても一番印象的なのは「東京タワー、オカンとボクと、時々、オトン」でした。
この前に原作本を買って読んだ母が「この本は本当に良かった、感動したわ」と言っていたものの、当時時間がなくて読めなかったのですが、母が亡くなった後、ゆっくりじっくり味わうように読みました。もう涙また涙でした。。。。。。
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何故胃がん末期だった母にこの本を読ませてしまったんだろう?自問自答をし、自分を責めました。母は読了した時に、何を考えたのでしょう?もちろん体調不良の自身の体を案じ、不安になったのではないか?今考えると申し訳なくてたまらない気持ちになります。樹木希林さんの生きざま、そして残された言葉の数々はこれからの人生を生きていくうえでの学びになりました。
『今は仕事のブッキングも全部、自分でやっています。そうじゃないと、人の人生までブッキングしちゃうからさ。がんを持病として持っているし、そういう身体であることがすごく歯止めになっている』
この言葉は、同じ癌を経験した者にとっては頷ける言葉でした。歯止め、と言う言葉を樹木希林さんは使われていますが、手かせ足かせのようになり、自制できるようになるのも事実だと思います。自分の限界を超えるような無理ばかりを重ねた病気前、自分の限界を知るようになり、見極められるようになった病後。退院して娘に付き添われながら車椅子で帰ってきたサンパウロの自宅で家族に言われた一言…

「ママ、これからはゆっくり生きようね」

自分を必要とし、神様に生かされているうちは精一杯人生を生き抜こう。改めてそんなことを決意した少し悲しい朝。実は昨晩から突然の眩暈で気分が悪く、最悪の体調になってしまいました。こんな時は絶対に無理をせず、ひたすら休養に努めたいと思っています。どうか明日までには回復しますように!

改めて偉大な女優、樹木希林さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。たくさんの素敵な演技を見せて頂き、本当にありがとうございました。


by beijaflorspbr | 2018-09-17 23:05 |
2018年 08月 25日

2つの訃報

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この夏の終わりに哀しいお知らせが2件続けて届く
一つは教え子KTさんの訃報
私より7歳年下のはず
病を得て2年を越し、その病気は
全身で悪さをしながら彼女の体を蝕んだ
もう一つは
大恩あるSM先生の訃報
家族皆が大変お世話になった方
日本の家族から齎されたお知らせに驚く
高齢とはいえSM先生といえば
お元気な姿しか思い浮かべることが出来ない
だからこそ
訃報がまるで絵空事のように思えた
夏の終わりに息絶えてしまう方は実に多い
私の実母もこんな時期に懸命の闘病生活を送っていた
暑い空気と抜けるような青空を見ると
今でも心の奥が傷む
夏の終わりは哀しい季節だ
そして私の嫌いな季節でもある
たくさんの方が黄泉の国に旅立たれてしまう
そんなトラウマから逃げ出したい
でも誰にでも平等に命はひとつしかない
そんなことを教えてくれるのが知人の訃報
今生かされていることに感謝し
残された命をちゃんと生き抜くことこそが
先に旅立たれた方々からのメッセージと受け止めたい

KTさん
SM先生
心からのご冥福をおいのりしております
苦しい病から解放された今
どうかごゆっくりとお休みください(合掌)


by beijaflorspbr | 2018-08-25 23:24 |
2018年 08月 23日

UBERおじさんたちの呟き

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UBER(ウーバー、ブラジルではウーベルと発音)は、スマホの配車アプリで、ブラジルではタクシーと並んで良く使われている移動ツール。アプリをダウンロードし、予めクレジットカードをPayPalに登録しておくので、いちいちカードを提示することもカード番号や暗証番号も必要がなく乗り捨てが出来るのでとても便利。但し、タクシーはバス優先レーンを走れるのに対し、UBERは一般車両なので混雑するラッシュ時にはタクシーの方が便利かもしれません。私は以前自身で運転をしていたため、タクシーなどにはあまりお世話になっていませんでしたが、毬ちゃんの子守りに週2日ー3日娘宅に通うようになって、ラッシュ時のピークということもあり、バスやメトロなどの公共交通機関を使うようになりました。例えばたった15キロ足らずの距離を、普通車で運転した場合はヘタすると1時間以上かかります。バスで移動をするとその半分くらいの時間で確実に着くことが出来ます。大都会サンパウロあるあるです。十分に交通網も整備されていないため、どうしてもバスに頼らざるを得ませんが、自宅付近(と言っても2キロ圏内)の路線バスは、行き先に合わせて縦横無尽に走っており、とても便利。帰りは夜真っ暗なので、例え便利でも流石にバスは危なくて無理です。娘が毎回帰る時にUBERを呼んでくれるのですが、もちろん毎回違う車、違う運転手さんが来てくださいます。UBERの運転手さんは、自分の車を使って空いた時間に働くことが出来るので、まさに新しい働き方でとても良いと思います。サンパウロは、自家用車を運転するにも駐車場は高いし、車の維持費そのものもとても高額になります。我が娘でさえ、「私車手放そうかな~」なんて愚痴をこぼしたくらい、毎年かかる経費は莫大なものがあります。すっかりサンパウロ市民に定着したUBERは、生活になくてはならないものになりました。さて、そのUBERですが何度も乗るとその中にも小さな世界、それぞれに人生があって興味深いものがあります。私がおば(あ)さんだから、運転手さんは自身の人生を訥々と語ってくれます。
(おじさんAさん)40代半ば
自分はミナスからサンパウロに仕事で引っ越しして来たんだ。妻とは息子が1歳半の時に別れて、今は母のところに住んでいる。息子がサッカーで芽が出て、将来セレソンを目指している。ほら、写真見るかい?こんなに素敵な自慢の息子なんだ。(と写真を見せてくれる)今は仕事と息子の成長だけを楽しみにしている。これからどんな人生が彼に与えられるんだろう、それで仕事を頑張っているんだ…。
(おじさんBさん)30代後半
あなたは日本人かい?俺の友達にも日本人がいっぱいいるよ、幼い時の隣のおばちゃんが日系人で、自分に行儀作法を教えてくれ、美味しいケーキをたくさん食べさせてくれたんだ。そんなおばちゃんがいてくれたおかげで自分は正直に生きることが出来たんだ。感謝している。日本人は素敵だ、テクノロジーも人間性も含めての話だけど、いつかお金を貯めて日本に行くぞーー。
(おにいさんCさん)20代後半
自分は妻と一緒にオーストラリアに移住するのが夢なんだ、それで仕事の合間にUBERをしてお金を貯めているんだ。妻も2つ仕事を持って頑張っている。オーストラリアはゴールドコーストに行くのが夢で、既に色々調べているところ。オーストラリアに移住できたら家を買って車も持って、子どもを産んでなんて毎日妻と「夢」について語明かすのが喜びなんだ。

まだまだありますが、最終地点まで無言ということはなく、本当に良く語り合います。世間話がポルトガル語で出来るというレベルではないかもしれませんが、本当に運転手さんは色々なことをこのおばちゃん相手に良く語ってくれます。それぞれが大きな目的を持って、仕事の合間にUBERの運転手をされている姿には、本当に心打たれ勉強になります。因みにUBERには、いくつか段階があり(車の新しさエアコンの有無など)私はUBER SELECTというのをいつも呼んでもらっています。これからもおじさんたちとの世間話を楽しみにしています。今日もこれから出かけてきますが、今日は予め冷凍してあったコロッケを揚げて行きましょうかね。ではでは行ってまいります。


by beijaflorspbr | 2018-08-23 19:04 |
2018年 08月 21日

甲子園決勝戦

今日の午後2時、つまりブラジル時間では午前2時からプレー開始の全国高校野球選手権大会100回記念大会の決勝戦をNHKワールドで観ました。元々高3の時、同級生が甲子園で準優勝を果たした経験を持つ私なので、高校野球が始まると何だかワクワクしてしまいます。高校時代も含め、何度も何度も行った甲子園球場ですが、最後が2009年のことだったとは…。もうあれから9年も経ってしまったのですねえ。偶然とはいえ、金足農業高校は母校と34年前にご縁があったのですね。ちょうどあの頃はKKコンビが2年生で大活躍している頃で、桑田君がホームランを打ったのでしたっけ。あれから色々あり、母校の野球部は惜しまれながら消滅してしまった訳ですが。。。
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待ちに待ったプレーが始まり、きめ細やかな攻守をドキドキワクワクして観ていたのですが、大阪桐蔭が6点を一気に入れた5回裏で、もう秋田が可哀想で見ていられず、テレビを消してしまいました。その時既に私は金足農高ナインの父母の心境でした。
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次々に快音を鳴らしてヒットを打ち続ける大阪桐蔭の選手たち、テレビでは「プロ集団」と言っていましたが、まるでプロの試合でも観ているような気分でした。応援している方が負ける悔しさは、自身が高3で体験したことです。歩くのも難しいほど母校の敗退にショックを受け、その心の傷はかなり長い間引きずっていたように思います。それでも、金足農高の選手は立派でした。最後まで諦めず、ピッチャーである吉田選手を盛り上げ、笑顔を忘れず励まし合っていました。ネットニュースで泣く泣く降板せざるを得なかった彼の姿を見た時、こちらまでもらい泣きしてしまいました。リアルタイムで観ていたら大人の自分でもどれほど取り乱したことでしょうか。両校の選手に改めてありがとう!と言いたいと思います。今日は子守り日なのに、こんな寝不足で大丈夫かな?少し心配な快晴の朝です。今日のおかずは、鶏の唐揚げ、蓮根を出汁で煮たもの、茄子の揚げ浸しです。それに納豆も持って行こうっと。では張り切って行ってまいります~♪


by beijaflorspbr | 2018-08-21 20:29 |
2018年 08月 18日

週末の朝は充実

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土曜日の朝です。一昨日からずっと降り続いた雨も漸く上がり、時折晴れ間の見えるのんびりした週末です。お洗濯をした後、朝からNHK思い出のメロディーを観ていましたが、昭和の歌謡曲の大半は一緒に歌えることに気付きました。童謡・ポップス・演歌も含めて、良い歌が多くて楽しめました。孫の毬ちゃんの子守歌は「ゆりかごの歌」です。

これを歌うと、コトっと眠ってくれます。平日は、フルタイム子守りに出なくてならないので、かなりの緊張感や肉体的疲労を伴うのですが、週末だけは自分の時間を思い切り満喫することにしています。最近単行本を手に入れて、また少しずつ読書を愉しむようになりました。読書と言っても、以前のように一晩で読了なんてことはもう無理ですので、緩々とじっくり活字の意味を味わって読み進めています。天童荒太さん著の「悼む人」は、一風変わった主人公が全国をただただ「悼む」ために旅をするというお話です。家族や知人が亡くなると、言いようのない悲しみに襲われます。一言で「悼む」と言っても、この主人公のように決まった儀式があるわけではありませんが、手を合わせじっとその方のことを思う、その方との思い出を反芻するなど。。。人の死の重みを感じること、その方のことをしみじみ思うことこそが「悼む」ということに繋がるのかもしれません。どうしてもネットに頼りがちな現代社会ですが、PCやスマホを遠ざけて、しばし読書に没頭する時間は大変貴重だと気付かされています。今週末は「悼む人」の読了を目指します。お昼はトリオさんが焼き鳥?を作ってくれるそうですので、お任せしましょう。どんな焼き鳥かは疑問ですが、文句を言わず頂きますね。へへ…。良い週末をお過ごしくださいませ。


by beijaflorspbr | 2018-08-18 22:45 |
2018年 08月 15日

余生は人のために…という立派な生き方

山口県周防大島町で3日間行方不明だった2歳になったばかりの藤本理稀ちゃんを僅か30分で発見したボランティアの尾畠春夫さんの報道を、9時のNHKニュースで観て大変感銘を受けました。65歳で別府の魚屋さんをたたみ、「余生は人のために捧げたい」と、2004年の新潟県中越地震からボランティアを始め、2011年には東日本大震災、熊本地震、つい最近の西日本豪雨の際も、ボランティアに明け暮れていたということです。小柄ながら精力的に活動をされてきたその精悍なお姿に魅了されました。尾畠さんの目の優しさに、きっと瞬時に信頼を寄せたであろう幼い理稀ちゃん、本当に助かって良かった。長年の勘とスキルはこんな時に十二分に生かされたのでしょうね。普段は芸能人でもない限りスポットを浴びることはないボランティア活動ですが、こうした一市民の終始一貫のボランティア精神ほど尊いものはないのではないでしょうか。そして何より助けた子どもさんのご家族から「せめてお風呂と食事を…」と大雨の降る中、強く勧められているのにも関わらず、「自分はボランティアだから遠慮させてもらいます」と握手をしてさっさと身を翻していかれた姿が実にカッコ良くて、涙がじわーっと零れました。私も現場にいたら、お酒の一升瓶でも持って追いかけたい気持ちでいっぱいでした(笑)←尾畠さんはお酒は飲まれないそうです(/ _ ; )さて、自分の生き方はどうだろう?と振り返った時、目の前の生活に追われ、人のために何も出来ず、全く余裕のない状況が少し恥ずかしくなってしまいました。今自分に出来るボランティアは、被災地へお金で寄付をすることくらいなので、決して褒められたものではありませんが、私自身もこの尾畠さんを見習って、今自分に出来ることを心がけ実行して行こうと思いました。私の所属する「ブラジルを知る会」では、東日本大震災のあった2011年から5年連続で応援バザーを行いました。開催日前の不眠不休の準備の後、死ぬほど疲れて体力の限界を感じたものの、あの達成感はずっと頭の中に残り続けています。こんな方法だけではなく、ありとあらゆるお手伝いが今後できるよう、普段から体力を鍛えて「いつかお役に立てるであろう日」のために備えようと思いました。78歳の尾畠さんに追いつけ追い越せ(笑)今目の前の幼い命を見つめる日々の中、このような幼子が奇跡的に無傷で発見された日に考えを新たにした次第です。
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by beijaflorspbr | 2018-08-15 23:42 |
2018年 05月 23日

我々のアイドル爺よ、さようなら・・・

ネットという細い細い糸を手繰り寄せて知り合った我々、グループメンバーは少人数でも、絆はとても深かった。誰かの家族に不幸があると、皆で泣いた。誰かの家族が増えると、皆で喜び祝福の言葉が行き交った。昔は掲示板、今はグループラインやSNSでしっかり繋がっている。そのグループの長老である爺が5月17日に亡くなられていたことが今朝ご本人のfacebookを通して分かった。故人に代わり、息子さんが投稿されたものだった。これはかなりの衝撃だった。と言うのは、我々のグループのメンバーが今年の2月に、当の爺に会いに行っていたからだった。東京・大阪・和歌山・岡山・山口から集まった友達の写真を見て、中心にいる爺がちょっと痩せたな~とは思ったものの、頭もしっかりしていて、昔とちっとも変らずウィットに富んだ楽しい時間を過ごしたことを、仲間から聞いて安堵したものだった。かなり年上なのは意識してはいたが、70歳の古希を皆で盛大に祝った記憶はまだ新しい。それがもう79歳で、先に亡くなられた奥さまの後を追うように天国へと旅立ってしまわれた。何と人の命は儚いことか!!ブログ記事を通して過去ログを辿ってみると、2014年・京都2015年・大阪阿部野橋2016年・大阪梅田等々…何度も何度も会って旧交を温めてきた我々。もうかれこれ20年くらいのお付き合いになるのかな。「私には残された時間があまりない。。。」と書かれた言葉に涙した。爺よ、永遠に!
ありがとうございました。
心からのご冥福をお祈りいたします。
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by beijaflorspbr | 2018-05-23 22:53 |
2018年 04月 23日

日常のささやかな感動

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風邪引き4日目、まだ本調子とはいかず微熱が下がらなかったり、関節が痛むなどの症状は解決していませんが…。前の家の高い生け垣がなくなってから、毎日のようにこんな見事な夕日が見られるようになりました。東側で朝日、西側で夕陽と、何とも贅沢な自然の恵みに感謝する日々です。一日も早く風邪を治して、世のため人のために役立てるよう頑張ります!

by beijaflorspbr | 2018-04-23 21:44 |