ハチドリのブラジル・サンパウロ日記

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2008年 11月 28日

日本人ブラジル移住名簿「あしあとプロジェクト」について

もうどれぐらいの月日が経ったことだろう。ブラジル・サンパウロと日本(大阪)の往復を一年のうちに何度も繰り返す私でも、このサンパウロでの一貫したライフワークがこの「あしあとプロジェクト」なのだ。今年は日本でも随分騒がれた「日本ブラジル交流年」として、日本ブラジル移民百周年記念行事があちこちで開催されたのは記憶に新しいところ。特に、今年は我々ボランティアが寝る間を惜しんで入力した戦前移民の方々16万人の名簿が形になった記念すべき年ともなった。BANCO REALにて常設展示が長い間行われ、そこに名前と移民した船、年号などを入力すると、祖先の家族構成や配耕地、雇用形態などが即座に分かるシステムを誰もが閲覧することができるようになった。銀行のロビーにできた長蛇の列を見て、私たちが取り組んできたこのプロジェクトの意義を再確認でき今後もますます頑張ろうと思った次第。その後もずっと地道な作業は続けられている。

次の段階として、戦後移住者(戦前は「移民」戦後は移民が差別語ということで「移住者」と名前が変わる)の名簿入力作業が続けられているのは、あまり知られていないかもしれない。移民100周年事業としてこのプロジェクトが認められて以来コーディネーター(ボランティア)の方々の涙ぐましい努力は特筆に値する。ほとんどの方が日系二世で、日本語の読み書きに不自由のない方々が資料の整理や、ブラスの移民博物館側との相互リンクの交渉などの全てを引きうけておられる。優しい彼女たちに接すると、本当に無償の働きというのは美しい心や計り知れない大きな成果を生み出すものなのだと思わされる。とまあ、今回もサンパウロに戻ってきているということを言いそびれたのだが、突然送別会のお誘いの電話を頂いた「ついでに」1,000名分の資料を頂いてきた。
日本人ブラジル移住名簿「あしあとプロジェクト」について_f0146587_7245785.jpg
この資料は、リトアニアで日本語の先生をしている方(非日系)が入力されたものを添削する仕事だ。相変わらず細かい字で目がチカチカするので、そんなに長時間はできない。戦前の移民名簿はすでに、移民博物館にある乗船名簿(ローマ字)との照合作業が始まっている。戦後移住者も同じく乗船名簿を添付してあるので、少しは作業がやりやすくなった分、いちいち照会しているととてつもなく時間がかかる。日本の名前は本当に難しい。音読み、訓読みなど色々に理解できるのだ。ほんの一部を紹介してみる。予めフリガナ(ローマ字)がふってあるのだが…。
(例)
徳雄→とくおのりお
賀仁→かに(笑)よしひと
憲正→けんせいのりまさ
真孝→しんこ(またまた笑)まさたか
徳子→とくこのりこ
工→たくみつかさ
俊一→しゅんいちこういち
互→たがいわたる
小椋→こもく!?おぐら
駿→はやめはやお(宮崎 駿さんのお陰で読めるようになった名前)
英子→えいこひでこ
金城→きんじょうかねしろ
とまあ例を挙げたらきりがない。社会保険庁の年金記録問題もこういった勘違いや名前の読み間違いで起こったのだと正しく理解できる。日本人の名前の読みは本当に難しいものだ、年代を追うごとに読み方の流行もあるのだと思わされた。
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色々大変だったが、何とか600名分の添削が終わったが、あと7枚(350名分)!今週中に終わらせたい…がまた後がどさっと来るんだろうな~(;一_一)目がもう少し良ければ簡単なのに、近老眼、しかも乱視なので辛い。
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「辛い辛い」と言っても、遣り甲斐のある歴史にのこる資料作りのお手伝いをさせて頂けることに誇りを感じているからこそ続けられるんだろうな~。あ~お腹が空いたっというとこで夕飯を摂りに行ってきます。ボランティアも人間だ!お腹も空くし、眠たくもなる。無理は禁物だ。今は1959年、ボイスヴェン号、アルゼンチナ丸辺りの移住者名簿をやっている。この頃になると、神戸からの出航ばかりではなく、横浜港からも出航されたのだな、となかなか勉強になった。「よこはまの はとばから ふ~ねにの~って~~♪」横浜を離れる時の移住者は何を思ったのだろう?現存される方が多くいらっしゃるので、急がないとね!ガンバロウっと!!(^◇^)/

by beijaflorspbr | 2008-11-28 07:48 | 移民&日系人 | Trackback


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