ハチドリのブラジル・サンパウロ日記

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2008年 07月 05日

広大な「東山(トザン)農場」

東山農場 (Fazenda Monte D´este)
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1927年三菱創始者である岩崎家3代目当主、故岩崎久弥氏により創業されたこの農場は、コーヒー栽培を主とし、80年の歴史があります。900haの総面積に120万本のコーヒーの他にトウモロコシ、栗、アセロラ、レイシを栽培しており、年間コーヒー生産量は約1万俵(1袋60キロ)で、世界中に輸出しています。コーヒーの栽培の説明を受けたり、収穫期(6月から8月)には収穫体験ができます。
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またこの農場はNHK80周年記念ドラマ「ハルとナツ 届かなかった手紙」のロケ地になり、ドラマの半分がここで撮影され、現在も撮影セットが見学できます。(Jetro サンパウロに暮らすより抜粋)
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娘が先日この東山農園に行って写真を撮ってきましたので掲載させて頂きます。上の説明にあるように、とてつもなく広大な敷地の中に、整然と作物が植えられています。
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コーヒーの木が今は機械で捥ぎ取るため低めですが、日本移民が入植した頃はもっと高くて、梯子に登りながら作業している写真が残っています。こちらはコーヒー豆を収穫する機械。
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今ブラジルの季節は冬ですが、たくさんの花が咲いています。
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NHK「ハルとナツ」の舞台ともなったコーヒーコロノの家を再現した小屋です。瓦は一枚一枚型を抜いて手作りされたものだそうです。
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食堂
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ドラム缶のお風呂(中には座るところもあります)
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移民の厳しい暮らしが偲ばれる家具や質素な室内。大きな瓶はピンガ=カシャッサ(サトウキビから抽出する酒)が入っていたのでしょうか。これらの写真を見ていると、このセットの中から主演の米倉 涼子さんが出てきそうな気がしてきました。
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東山農場、私も過去に数回行ったことがあります。そこで出されるシュラスコの美味しさが忘れられません。サンパウロにお住まいの方、一度どうぞ!見学は最低5名から、完全予約制だそうです。
Fazenda Monte D´este(東山農場)
Rod.Dr.Ademar P.da Barros Km 121,5 (SP340)  Campinas
電話  (019)3257-1236

by beijaflorspbr | 2008-07-05 02:09 | サンパウロ生活情報 | Comments(9)
Commented by のさ at 2008-07-05 09:42 x
開拓者の厳しい生活は今の渡したいには創造もできません。
少し前までは皆厳しい毎日を生き抜いてきたのに、楽をすると忘れてしまうんですよね。

札幌の郊外にも北海道に入植した明治の開拓者の町が再現されていました。
ここは寒さが大敵でしたがブラジルは暑さと病気や虫だったのですね
Commented by のさ at 2008-07-05 09:43 x
字まちがい

開拓者の厳しい生活は今の渡したいには

では無くて 開拓者の厳しい生活は今の私たちには

失礼しました
Commented at 2008-07-05 10:02 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by beijaflorspbr at 2008-07-05 19:48
★のささん、その通りだとおもいますよ。人間って楽な方へ楽な方へと
流されていってしまいますが、やはりこの国で要となった日本移民の
方々の功績は忘れてはならないと思うのです。

確かに…北海道の開拓当時も大変なご苦労をされたそうですね。
極寒と酷暑、どちらにも厳しい環境ですね。ただ、ブラジルには肥沃な
大地が広がっていたことと、温暖な気候、そして何より、ブラジル人の
心の温かさが移民の方々を助けたのでしょう。それが定住に繋がった
とも言われています。ブラジル移民と北海道開拓者、何となく共通した
ところがあるのですね。

鍵コメ部分の情報、ありがとうございました、今年はちょっと無理かも
しれません。あ~ガッカリ…。。
Commented by cookery-world at 2008-07-05 21:52
先日友人の置いていった日経新聞でブラジレイロになった日本移民の特集記事を読みました。 毎日違う方が登場するらしいのですが、その日はコーヒー豆を収穫する機械を作った方のお話でした。 みなさん何もないところから、本当に頑張ってきたんだなーと思って素直に感動していたところ、この記事の写真をみて、この機械もそうだったりしてと思い、なんだか嬉しくなりました。 本当に勤勉で真面目な日本人の典型のような方がいまも居るんだなと思うと誇らしく思う反面、現代の便利になりすぎた日本に住む日本人ももっと学ばせてもらうべきところがあるのではないかなと思います。 東山農園、行ってみたいところです。 シュラスコも食べたいなあ。 
Commented by のんちゃん at 2008-07-06 21:29 x
開拓者の厳しい生活が伝わってきます。恐らく 日の出から日没まで 肉体労働の後、やっと体を横に出来るのが、ただの板を並べたベット。
せめて、あのベットの上にお布団や、マットを敷かれたのでしょうか。

昨年、多治見に住む友人が、犬山市にある 明治村に連れて行ってくれました。
ブラジルの開拓団の人が住んでいた家を移築して、見学コースに入っていました。

でもなぁ・・。全然違うんですよ。寄付した方の名前も書いてありましたが、ブラジルで成功された方なのでしょう。立派な家でした。階段を上って2階にも上れます。
ああいう家を展示しては、当時の苦労が偲ばれません。
はちどりさんのブログは、まだ知らなかったように思いますが、それでも、ちょっと違うんじゃないか という気がしました。
Commented by のんちゃん at 2008-07-06 21:33 x
家森幸男「長寿食」世界探険記 を読みました。ブラジルは カンポグランデ の シュラスコ が紹介されていました。
最近ぱっとブラジルの文字に目がとまってしまうのですね。
カンポグランデ に住む日系人は短命でその原因が シュラスコ にあると記されています。彼らほぼ毎日 シュラスコ を食べているらしい。
はちどりさんが 美味しかったと思い出として書かれている分には 大丈夫でしょうね。
という私も昨日はお誕生日に呼ばれて、この時期は間違いなくどこでもバーべキューですが、200グラムくらいのお肉とソーセージ2本も食べてしまいました。食事の後 Cachaca もたくさん飲んでしまって 今日はダイエットですわ。             C
Commented by beijaflorspbr at 2008-07-07 07:26
★cookeryさん、「ブラジレイロ」(ブラジル人の意味)になりきらなければ
ここでは生き延びることは難しかったと思います。その大きなきっかけに
なったのが戦争でした。戦前~戦後の経験を通して、定住化していった
そうです。子どもたちの教育にも力を入れ、仕事にも身を入れて働いて
結果を出せたからこそ、多くの移民の方々の今の幸せがあるのだと思います。
それと同時に、後発の私たちにも大いなる恩恵が与えられているのも
先達の方々のお陰と感謝する次第です。

東山農場はなかなか楽しいですよ~いつか一緒にシュラスコ食べましょう!
おにぎり付きなんですよ!!いいでしょう?
Commented by beijaflorspbr at 2008-07-07 07:39
★のんちゃん、「エンシャーダ」という農業用の鍬の数で、働き手が何人という数え方をしたそうです。板の間にマットならぬ、藁を敷いたのでは?と思います。ブラジルには「奴隷制」が敷かれていましたので、移民は家畜並みの扱いを受けていたようです。ひどい話ですよね…。

明治村…ああそんなところがあるようですね。2階建ては当時の移民の家としてはありえないでしょうね、日本移民は、こちらに移住して数年で自作農が誕生していますので、才覚のある人がそのような家に住んでいたのでしょうか。
> 最近ぱっとブラジルの文字に目がとまってしまうのですね。
おおそれはそれは…嬉しいことです。カンポグランジは、マットグロッソ州にあり、牧場や農場の多いところで、有名なところでは小野田さんの農場もそこにあるはずです。

私のことを心配してくださってありがとう、昔はよく食べましたが、今は肉を食べるのは一年に数えるほどしかありません。胃にもたれるのです、魚や野菜ばかり食べています。Cachacaは頭をやられますよ、呑みすぎは要注意です。
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