ハチドリのブラジル・サンパウロ日記

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2007年 11月 29日

あれから3年…父の命日

その日は日曜日でした。抜けるような青空のもと、小鳥が朝からチッチッっと、可愛い声を聴かせてくれました。「ああ、なんて良い日なんだろう、平和だなあ~」大きく深呼吸…。きっと今日は良いことがあるな、という予感がしました。家族で食事を済ませ、さあ、ひと休みしようかな?と思ったところに1本の電話が…。それは一番取りたくない兄からの電話でした。何故なら、兄からの電話は、いつも両親の急を知らせる嫌な連絡だからです。

「お父さんの血圧が下がって、危ないからお母さんに病院に来るようにと看護師さんから言われたそう」当時、父は長期入院をしており、1年以上療養生活を送っていました。母がほとんど毎日ヘルパーさんの力をお借りしてお見舞いに行っていました。日曜日だけは、そのお見舞いもお休みをしてたものの、土曜日に会った時は容体が急変するような兆候はひとつもなかったそうです。「○○○(私の名前)がもうすぐ帰ってくるからね」と言うと、嬉しそうにうなずいてくれたそうです。父は私だけを頼りに生きていました。

私は当時から看病をするために日本とブラジルを行ったり来たりする日々が続いていましたが、ずっと日本にいるわけにもいかず、ちょっとブラジルに戻って来ていた矢先の急変で、大変驚きました。その時ほど、ブラジルと日本が果てしなく遠く感じたことはありませんでした。結局、意識不明のまま、主治医が手を尽くして治療してくださったものの、午前3時35分に眠ったまま天国に召されました。享年79歳でした。

翌日、すぐにチケットの手配をし、いつものJAL047便にて12月2日に成田経由で大阪に帰りました。大阪に帰って、冷たくなった父と対面した時はさすがに号泣!会うまではとても信じることができませんでしたので。3日通夜、4日告別式と慌ただしく一連の行事を済ませました。悲しむ暇もないほど忙しく、無我夢中で雑用を片付けていたものの、ふと夜中にひとりになると、悲しくて悲しくてバスタオルを抱えてオイオイ泣いたものです。喪失感は救いようがないほどでした。私は父をとても愛していたのです。

父は、生前ありとあらゆる病気をしました。胃がん、肝硬変、腸閉塞、大腿骨骨折、急性肺炎、急性腸炎、血小板減少性紫斑病など、次々に降りかかる病に家族も共に闘っていました。私も年の半分以上は、父の看病のために帰国していました。私は小さい時から、父にとても可愛がられました。父は、仕事の関係上、旭川、札幌、新潟、米沢、仙台、銚子、千代田(東京)、藤沢、前橋、浜松、大阪、尼崎、岡山、鳥取、福岡、宮崎、鹿児島などを回った、典型的な転勤族でした。一生懸命働いて、人望もあり、周りの人から慕われる指導力のある人でした。私が小さい時は、何故家族4人なのに、こんなにたくさんの人がご飯を食べにくるんだろう?と疑問に思うほど、いつも多くの人が出入りしていました。

若い時からドライブが大好きで、前橋にいた時は、しょっちゅう軽井沢や赤城榛名浅間、草津温泉などに連れて行ってくれました。大変行動的な若々しい父でした。父の訃報を聞いて、もちろんとても悲しかったのですが、長い闘病生活だったので、痛みや苦しみから解放されることにほんの少しの安堵をおぼえたのも事実でした。家族を愛し、慈しんでくれた父には深く深く感謝しています。私の性格は父に似ていると言われます。竹を割ったようなさっぱりした男気のある父のDNAを受け継いでいるので、ちょっと男まさりなのかもしれません。

今頃、母との~んびりお茶を(いやもしかしたらお酒かも!?)飲んで下界を見下ろして微笑んでいるかもしれません。お父さん、お母さんをよろしくね。両親の仲の良さがいまでもはっきり目に浮かんできます。その後2年も経たないうちに、最愛の母も亡くしてしまいました。両親が生きているうちに親孝行ができたのだろうか、感謝の気持ちを表すことができたのだろうか?未だに自問自答しています。
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あの日の鳥の声は、きっと父の「さようなら」という声だったのかな?地球の裏側にいる娘に自分の旅立ちを知らせてくれたのでしょうね。最近になってそう思えるようになりました。

by beijaflorspbr | 2007-11-29 03:58 | 両親を想う | Comments(3)
Commented by ドラ爺 at 2007-11-30 07:59 x
他人のために祈りを捧げる人は、その人の不幸まで背負い込んでしまうことありません。があると聞いたことがあります。父上はきっとそのような人だったに違いありません。私の父は来年27回忌を迎えます。親不孝の限りをつくしましたので、今でも悔やまれてなりません。
Commented by ドラ爺 at 2007-11-30 08:02 x
すみません、推敲不足で間違ってました。「背負い込んでしまうことがある と聞いたことがあります」です。
Commented by beijaflorspbr at 2007-11-30 11:32
ドラ爺さま、温かいメッセージをありがとうございます。
私の父は確かに周りの人全てを受け入れ、
静かに祈ることの出来る人でした。
それゆえ、多くの人々から尊敬されていたのだと思います。
「悔い」は確かに残りますよね、例えどんなに尽くしたとしても…。
細かいことが思い出されてならない今日この頃です。
そういえば、父へのお見舞いに極上のちりめん山椒を頂きました。
父が美味しそうに頂いていた姿が懐かしく思い出されます。
その節はありがとうございました。
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