ハチドリのブラジル・サンパウロ日記

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2026年 03月 11日

3.11検索はチカラになる(震災から15年)

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(震災翌日、羽田発伊丹行きのチケットを取っていました)

今年もYahoo,Lineがキャンペーンを行っています。
是非ご協力ください!

あの日…2011年3月11日(金)私は東京の御徒町にいました。尋常ではない激しい揺れに丁度その時居た上野・松坂屋1階の大理石の壁がギシギシ音を立てていたのをはっきり覚えています。従業員の皆さんは、揺れるショーケースと商品を守るため皆が両手を思い切り広げていました。
「危ないので建物の外に避難してください!!!」
再三再四の声掛けに言うことを聞かず、階段を昇ろうとする人もいました。人々は皆(多分)冷静だったと思います。私はお隣にいた杖を突いたおじいちゃん(80歳越え)の手をしっかり握り「お父さん、大丈夫ですよ、暫く私がこうしていますから」と言って、何故かおじいちゃんと手を繋いでいたことも思い出しています。そのおじいちゃん、奇跡的にタクシーが捕まってご自宅に帰りました。後で考えると、一番良い方法だったかもしれません。その後、職人さんとアポイントがあったので、工房に向かうと、大きな酸素ボンベが倒れていました。作業台の上もぐちゃぐちゃでした。「こんなことが起こるなんてねえ。。。」といつもお元気で穏やかな職人さん(今は故人)も落胆されていました。プレハブの建物は当然面白いくらいに揺れ、怖くて怖くて即退散、と思ったものの近くのセブンイレブンで、食パン・チーズ、飲み物カップ麺をたくさんたくさん買い、その全てを工房の職人さんに差し入れしました。ビニール袋に3つはあったかな!?後で聞いたところによると、職人さんの奥さんとお友達も工房で一晩明かしたとのことでした。救援物資は役に立って良かった。奥さんは、渋谷から歩いて御徒町まで苦労をして移動したそうです。動かない電車に途方に暮れた私も、直ぐに近所の知人が住む某ビルに緊急避難しました。旧知の友達を頼ってでしたが、何故か沢山の炊き込みご飯にお吸い物そして山盛りの大福があり、沢山食べさせて頂きました。着の身着のままでそのまま和室に泊まらせて頂きましたが、逃げてきた3人の女性の素性も何も分からないまま午前5時に動き出した電車でお友達宅に移動しました。15年前のことなのに、結構はっきり覚えています。その後流れてくるニュースは悲惨でした。何度も何度もこのブログ内で呟いたように、沢山の悲しい別れもありました。ニュースを観る度に涙する日々ですが、前を向いて歯を食いしばって頑張ってこられた被災地の皆さまに心からの敬意を表します。今日一日は、震災で亡くなられた方々に手を合わせる日としたいと思います(祈)


by beijaflorspbr | 2026-03-11 19:37 | 思うこと | Trackback


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