ハチドリのブラジル・サンパウロ日記

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2022年 08月 12日

37年目の8月12日

今日たまたま目にしたあるカメラマンによるYoutube動画が、37年前に起こった惨状を忠実に表していて、心を強く動かされました。当時のモノクロの写真と、現在のドローン撮影の映像とを比べてみても、事故でジャンボ機が墜落した御巣鷹山の尾根には今でもくっきり跡が残っています。あの事故が起こって以来、日本航空は安全啓発に並々ならぬ力を入れてこられたことは数々の報道で知られている通りです。飛行機を利用する時は、いつも安全運航を実現するためにたくさん縁の下の力持ちの方々のお陰で、安心して利用できることに感謝の気持ちを忘れてはいけないと思っています。
私は自他認める大の日本航空ファンの一人です。それは、もしかしたらある若い頃の「夢」がきっかけになったかもしれません。1975年8月に、所属していた団体からの派遣で、1か月間の米国出張を命じられました。ロスアンジェルスからシカゴ、そしてコロンバスオハイオ、サンフランシスコを次々に移動しながら、バトントワーリングの全米コンテスト見学と、3つのキャンプ(チェアリーダー・ドリル・メジャレッツ)で技術を学ばせて頂くチャンスに恵まれました。その時に利用したのは、格安航空券で往路が米国系のコンチネンタル&ユナイテッド航空で、復路は大韓航空だったものの、機材不具合のため24時間のディレイ。その時に、羽田空港で見かけた真っ白の機体に真っ赤な鶴の翼がキラキラ太陽に輝いていて眩しく、「いつかは絶対にあの鶴丸の飛行機に乗る!」と夢見たものでした。その後、ご縁がありサンパウロに嫁ぐことになりましたが、相変わらず日本航空は高値の花のままでした。当時の一時帰国の際には、VARIGブラジル航空や、パンアメリカン航空を利用していた記憶があります。その後日本航空がサンパウロと日本とを直行便で結ぶことになり、「夢」が「現実」になりました。それからは、一時帰国の際は、なるべく日本航空を利用し、数えきれないほど最長距離を往復しました。ブラジルと日本は距離が長いだけあり、マイルも面白いように貯まり、ふと気が付くと、JALグローバルクラブへの招待も頂き、(一応)上級会員になってからは30年以上の歳月が経ちました。残念ながら2010年9月にサンパウロと成田空港を繋いでいた空の架け橋は、本体の経営破綻のあおりを受け、運休し現在に至っています。あれからもう12年も経ちますが、直行便の夢は捨てていないものの、コロナ禍もあり私が生きている間は実現しないだろうと諦めています。一時ANAがBoeing787機を使用して直行便を飛ばすという噂も飛び交ってはいましたが、きっと採算が取れないのでしょう。まぁ、それはもう諦めましたが。一番大切なのは、最短距離でブラジルと日本を安全に往復できるということですので、これからも機会があったら、日本人の誇りでもあるJALの翼をたくさん利用したいと願っています。8月12日は、毎年御巣鷹の尾根で犠牲になられた520名の御霊に手を合わせております。今年も同じように手を合わせ、引き続き空の安全を願う一日としたいと思います。
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(子どもたちが幼い時に、元気にブラジルと日本の空を飛んでいたのがこの塗装機でした)


by beijaflorspbr | 2022-08-12 11:04 | 飛行機 | Comments(4)
Commented by 春近し at 2022-08-13 10:46
ハチドリさん、私の母とほぼ同じお年だったかと思いますが、お若い頃にアメリカに行き来されていたというのは、すごいです!まだ、1ドル300円台の時代じゃなかったですか?英語もすでに達者でいらしたのですね。私が高校時代に1年間お世話になったホストファミリーのシスターが、同じ高校でマーチングをしていて、ドリルだったかな、銃の模型を持って踊る役でした。懐かしいです。私は特に航空会社には思い入れのある会社はないのですが、JALには本当に熱烈なファンがいますよね。ちなみに私も、初めてアメリカに行ったときは成田からコンチネンタルでしたが。。。離陸中に機内が白煙で充満して急遽、成田に引き返し、結局エンジン故障が判明して、その日は深夜2時頃まで、私たち高校生数名は成田空港のロビーに放置されていました(その後、近くのホテルへ案内されましたが)。翌日には飛べたのですが、いったいどうなってしまうのかわからず、あのときは本当に不安でした。今はスマホがあるからそういうトラブルのときも安心ですよね。
Commented by beijaflorspbr at 2022-08-13 23:14
★春近しさま
独身の時に就いていた仕事柄、19歳の時に出張扱いで初めてハワイに行きました。今から半世紀前のことです。その2-3年後に夢だった米国本土に渡りましたが、今も忘れられない思い出です。当時一緒に米国に渡った職場の先輩は、数年前にお亡くなりになりました。出張扱いだったので、円ドル相場は全く気にしていませんでした。今は毎日熱心にウォッチしていますが…。

米国のマーチングバンドには、ドリルティームが存在しています。日本ではチェアリーダーとバトントワラーは同じような目で見られていますが、細分化されている本場の技術を目の当たりにし、とても勉強になりました。

春近しさまも、初めての米国渡航は恐ろしい思いをされましたね。私も初フライトの鹿児島→大阪で乗った搭乗機が、台風で急遽高知にダイバードをして、怖い思いをしたのが忘れられません。父と一緒だったのが幸いでしたが。昔の思い出を時々思い返すのも大切なことですね。
Commented by おろおろし at 2022-08-16 16:55
37年前この日、父とタクシーで自宅に帰る時に、
ラジオ放送でJALジャンボ機の消息不明と聞いたことを覚えています。

就職活動で会社訪問した先の一つに日本航空もありましたが、
雰囲気が少し馴染めそうになかった記憶があります。

その後、新婚旅行は成田空港からJALジャンボ機で、ハワイに行きました。

そして仕事でブラジル農業視察旅行でサンパウロ空港に行った時は、
まだJALカウンターも空港にあり、
ブラジル移民のドラマ「ハルとナツ」の放映があった後でした。

生き残られた4名の消息は知りませんが、無事であることを祈念いたします。
Commented by beijaflorspbr at 2022-08-17 22:13
★おろおろしさん。
お久しぶりです。
それぞれに思い出があり、事故を起点として色々な思い出が蘇ってきますよね。
私も幼子を抱えて、この事故の少し前にサンパウロに戻ってきていました。
夫の友人たちが、もし事故に巻き込まれていたらと、気の毒で電話できなかった、
と言っていたのが思い出されます。
その後もずっとJALにお世話になっていますが、この時の教訓が
しっかり生かされていると感じています。
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