ハチドリのブラジル・サンパウロ日記

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2018年 09月 24日

12年目の母の命日

ドキュメンタリー「情熱大陸」の中で、幼い時に母と死に分かれたスーパーボランティアの尾畠春夫さん、今望むことは?の質問に「おふくろに思い切り抱きしめてもらいたい」78歳の尾畠さんもそう思うのだから、65歳の私も然り。母の存在は特別で、何にも代えがたいものだと思います。母とお別れをしてもう12年の歳月が経ってしまいました。それでも、「あの日」のことははっきり覚えています。先日亡くなられた樹木希林さんが、いまわの際に夫の内田裕也さんの声を電話で聴かせた、とありましたが、私の母も当時パリに住んでいた一人息子(私の兄)の声をSkypeを通してイヤホンで聞かせていました。兄貴が何を思ったか「おかあさん、ありがとう。今までありがとう」と言ったその直後、母の心臓は停まりました。その一部始終を見守っていた看護師さんが思わず涙しておられた光景が今も忘れられません。兄を愛し、可愛がっていた母なので、最期は遠く離れた兄の声が聞けて満足だったかもしれません。どんなに容体が悪くても、耳は最後まで聞こえると言います。「たくさん話しかけてあげてください、手を握ってあげてください」と言われるまでもなく、色々話しかけました。でも・・・・あの日の記憶は悲しみに彩られ、今も思い出したくないくらいですが、母は自分の寿命を全うして父のところに旅立ったと信じています。でもやっぱり、もう一度あの温かい手に触れたい、母と何気ないお喋りを愉しみたい、美味しいものをちょこっと食べさせてあげたい。欲を言えばきりがないのが両親との想い出です。おかあさん、ありがとう。私も子どもたちも孫も皆元気だよーー。
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今でも時々母の元気な頃の夢を見ます。夢の中の母はいつも笑っていて朗らかで楽しそうです。悪かった足も何故かちゃんと歩けるようになり、「次はあそこに行きたいね」なんて言います。最後の願望は父との思い出の詰まった仙台でしたが、今思うと多少無理してでも叶えてあげたら良かった…。お母さまがご健在の皆さま、今のうちに感謝の気持ちをちゃんと伝えてくださいね。母を失くした娘からのささやかなお願いです。


by beijaflorspbr | 2018-09-24 22:10 | 両親を想う


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