ハチドリのブラジル・サンパウロ日記

beijaflors.exblog.jp
ブログトップ | ログイン
2017年 02月 08日

Kさんのおじいちゃん、さようなら

長らく闘病をしていたKさんのおじいちゃんが息を引き取った。享年101歳。Kおじいちゃんは、19歳の時、家族と一緒に愛知県からブラジルに移民をした。多くの日本人移民と同じように最初はコーヒー園で働き、農業に従事した。それまで日本で学生生活を送っており、農業は未経験だったそうだ。未経験のうえ、奥地での慣れない熱帯の地、ブラジルでの過酷な労働には大変ご苦労をされたそうだ。物がない、食べ物も合わない、きつい労働に低賃金。それでも歯を食いしばって未来を見つめ貯金に励んだという。契約農業を経て、家族と共に独立農へと新しい道を歩み始めた頃、同じ移住地で女性と知り合い結婚をした。Kさんは結婚を機に独立し、色々な事業を手掛けるようになったという。「色々やってみたけど、一番成功したのは不動産業だったよ」その頃、未開の地を二束三文で手に入れたKさんは、初期費用をかけて整地し、少しずつ土地を売り出してみたところ、面白いくらいに売れて纏まったお金を手にすることが出来たそうだ。その頃、次々と生まれた子どもたちの教育のために、サンパウロ近郊の街に住み着くようになった。経済的にも安定し、老後は蘭の栽培などをして余生を送った。そんな頃、ずっと人生を共にした妻を突然の病で失くしてしまう。失意の中、子どもに頼ることをせず、自らの意思で特別養護老人ホームに入居した。何年かは、そこで快適な生活を送っていたものの、病を得て入院してしまう。ずっと父親の面倒を看ると言って聞かなかった末の娘がKさんを自宅に引き取った。男ばかりの子どもの中での唯一の女性、それが義弟の妻であるJさんだ。Jは晩年のKさんの面倒を一生懸命看ている姿をちょこちょこ目にした。親を早く亡くしてしまった私は、そんな光景を羨ましく、微笑ましく見ていたものだった。Jの家に行くと、良くKさんとお話をしたものだった。日本人である私には、色々な苦労話を打ち明けてくださった。そのKさんが昨晩息を引き取られたという。葬儀と埋葬は我が家の近くの巨大な墓地。亡くなってから翌日には埋葬されてしまうという、この国の習慣に未だ馴染むことができない。ステキなスーツ姿のKおじいちゃんは、安らかなお顔をされていてちょっと安堵する。夫のトリオさんとともにまずはお悔やみに駆け付けた。家族が墓地に到着する前に色々二人で話をした。トリオさんは火葬は嫌だ、と突然言い出した。「ブラジルではね、火葬すると、骨が残らないで灰になってしまうんだよ、それはちょっと嫌だな・・・」私「私は火葬してその灰を撒いて欲しいな、それか土に還して欲しいと思っている」などという話をしているうちに、彼の弟家族が到着した。お香典をお渡しし、お悔やみを言ったら、父親を亡くしたばかりのJがずっとずっと号泣していた。今は余裕がなくて声のかけようもないけれど、いつか本当に頑張ったことを褒めてあげたいと思う。色々な旅立ちがあるけれど、101歳という天寿を全うされたKさんの人生は、お見事だったと思う。Kさんの希望通り「ブラジルの土に還られた」Kさんの101年の人生に心より敬意を表したい。
Kさんのおじいちゃん、さようなら_f0146587_16490643.jpg
Kさん、遠い親戚の私にまで数々の優しい言葉をかけてくださってありがとうございました。奥さまの待つ天国でゆっくりなさってくださいね。ご冥福を心よりお祈りしております。この墓地には、義両親と義兄が既に眠っています。いずれは分骨するにしても、私の将来ここに住むことになるかもしれません。墓地にいる時間は2時間ほどでしたが、ここだったら良いかな?とちょっと思った時間でした。残りの人生を精一杯生きなくては、と思うのはこうして身近な方の訃報に接した時です。


by beijaflorspbr | 2017-02-08 20:00 | 人生


<< 気持ちの良い季節到来      2016年冬日本日記@高岡を出発 >>