ハチドリのブラジル・サンパウロ日記

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2016年 07月 27日

かなちゃんのこと…

かなちゃんは、Kくん(実母の腹違いの弟)Nちゃんの第一子として1982年に誕生した。
かなちゃんは、生まれつき重い障害を持って生まれてきた。
かなちゃんは、自分では起きることも歩くことも喋ることもできなかった。
両親はかなちゃんの世話に付きっ切りで当たることになった。
父親であるKくんは、仕事をしながら精一杯かなちゃんの面倒をみた。
母親であるNちゃんは、2歳違いで生まれた妹Mちゃんを育てながら懸命にかなちゃんを可愛がった。
その献身に応えるように、かなちゃんはいつも無邪気にニコニコ笑っていた。

かなちゃんは施設に通い、時にはショートステイをして両親に束の間の休息の時間をプレゼントした。
かなちゃんが4歳になったばかりの頃、高熱を出し突然意識を失った。
生死の境を彷徨っていた時、たまたま帰国中の私も両親の看病を精一杯手伝った。
医療の現場にいて、主治医の懸命さや看護師さんの温かさにたくさん触れることができた。
ひとつの命を懸命に守ろうとしている真摯な姿は今でもはっきり私の心の中に残っている。

かなちゃんは、たくさんの人の祈りを全身に受けながら深夜に息を引き取った。
その死はとても静かなものだった。
Kくんは男泣きに泣き、Nちゃんは自分の体を支えられないくらい取り乱していた。
周囲の慟哭の中、如何にかなちゃんがたくさんの幸せを運んできたことを思い知らされた。
通夜の前、綺麗な振袖を着せられた可愛いかなちゃんを布団から棺に移す時、父親であるKくんの肩が震えていた姿に皆泣いた。
何とも崇高で悲しく尊い光景だった。
葬儀には、かなちゃんが所属していた施設の先生や、お友達がたくさんたくさん来てくれた。
その誰もが号泣していて、ちょっとした修羅場だった。

そう・・・かなちゃんは、しゃべらなくても起き上がることができなくても
いつもニコニコ笑っていて、周りをたくさん幸せにしてくれていたんだな、と。
かなちゃんの笑顔がもう見られないということに、周囲の人たちは愕然としたに違いない。

無くなっていい命なんてない。
だから最近起こった悲しく救いようのない事件が許せない思いでいっぱいだ。
今回の事件を知り、一番に頭に浮かんだのはかなちゃんの無垢な笑顔だった。
亡くなられた19名の大切な命に心からのご冥福をお祈り申しあげます。
怪我をされた方々の一日も早い回復を願います。

(合掌)


by beijaflorspbr | 2016-07-27 21:45 | 人生


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