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2015年 08月 28日
平野植民地のお話の続きです。マラリアによって、数多くの同士を喪った平野植民地に更なる試練が次々と襲います。 《災害の連続》 1917年(大正6年)前年の分も合わせてコーヒーやミーリョ(とうもろこし)、フェイジョン豆も良く実り、豊作が予想された11月13日、一面に空を襲ったガファニョット(イナゴ)の大群が一瞬にして大切に育てた農作物を食い荒らしてしまいました。その時の蝗害(こうがい)は、線路に群がった蝗の脂で列車が動かなかったほど酷いものだったそうです。この年、平野植民地に住む80家族は僅か30家族に減っていました。 《自然災害との闘い》 蝗の被害で大きな損害を被った同植民地は、1918年(大正7年)、今年こそはと意気込み、前年以上の出来栄えと言う喜びも束の間、肝心の収穫時に雨が全く降らず、干ばつに見舞われ収穫量は半減してしまいました。その上追い打ちをかけるように、6月の大霜で伸びかけていたコーヒーが全滅しました。コーヒーの木は霜には特に弱いのです。折角大切に育てたコーヒーの樹がたった一晩で枯渇してしまいました。しかしながら、この尊い経験から、霜害に遭った場所の地図に印を付け、二度と同じ場所に植え付けはしなかったことで、それ以降霜害に遭うことは二度とありませんでした。 《平野を救った松村貞雄初代総領事の威徳》 当時平野には、地主に払う8コントスがどうしても不足していました。土地代として支払うお金を、全てマラリアの薬代キニーネや、医者代や入植者のための食料品購入に全てを使ってしまいました。平野は狂ったように金策に走り回っていましたが、それを知った松村総領事が、不足分8コントスを工面して平野を助けました。その貴重な8コントスは、松村夫人の臍繰りだったとも言われています。それから10数年の歳月が流れた入植20周年のおり、植民地に残る人たちが、日本に住む松村未亡人(松村総領事は既に死去)に、借りた8コントスに加え10コントスを返済しようとしたが、夫人は「平野植民地の今日の発展を遂げたことに、故人は無上の満足を感じていることでしょう。そのお金をお返し頂くのならば、何なりと平野植民地の公共事業にお使いくださいますよう」と返済を固辞しました。平野植民地の入植者は、松村総領事の美徳を永遠に顕彰することにし、『松村奨学金』と名付けその後の運営に生かしました。 続きます。
by beijaflorspbr
| 2015-08-28 21:09
| 移民&日系人
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Comments(4)
ハチドリさん こんにちは。
今、ブラジル社会に貢献されている日系人の方々には、このような歴史があったのですね。 疫病、天災、なにがあってもそれを嘆くより糧にして進む、その姿に胸を打たれます。 8コントという額がどのくらいの価値なのかわかりませんが、それを忘れずお返ししようと思った皆様の心意気、本当に尊敬します。 平野植民地、そして平野さんの歴史がどのように展開していくのか、読み続けてまいります。 日本は猛暑がやっと収まり、関東地方は気温20度を下回ることもあります。 夏の疲れが出てくる頃なので気をつけようと思います。 そちらは、これから春、夏でしょうか。 ハチドリさんも、お忙しいことと思いますが、お体ご自愛くださいね。
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こんにちわ!
私も、平野植民地の歴史、運平さんのことを初めて知りました! 移民の方々のご苦労は聞いていましたが、マラリアや虫害や干ばつなどとの戦いの歴史でもあったのですね。 移民70周年の際に、サンパウロに赴任して、日本から皇太子ご夫妻を記念式典にお迎えしましたが、 日系人の方のあまりのご苦労の話に、美智子様が体調を崩されたほどでした。 運平さんは、外大を中退して通訳として渡り、34歳の若さで亡くなって…痛ましい最期でしたね。 ハチドリさん、すごい!! こういう歴史は、ぜひぜひ書き残して多くの人に知ってもらいたいです。 がんばって~
★よもぎさん、コメントをありがとうございます。
この記事を続けながら、全く手ごたえがなく、どんどん減って行くページビューに 大丈夫かな?と自信を失っておりましたので、コメントを頂けて本当に嬉しいです。 平野植民地の悲劇はかなり有名で文献もたくさんあるのですが、独自に纏めて 何度か発表させて頂いているので、取り分け愛着がありました。 実際に平野植民地を見ることが出来て感無量でした。 これからもしばらく書き続けてまいりますので、宜しくお願いいたします。 はい、こちらはまもなく「春」を迎えます。 気温は徐々に高くなってきましたが、朝晩は冷え込むことが多いです。 私が帰国する10月には、日本も涼しくなっているでしょうか。 今からとても楽しみです。 いつも応援をありがとうございます。
★ぴっちさん、コメントをありがとうございます。
こちらで移民のお話を聞く際に必ず出てくる名前が 「水野龍」「平野運平」「上塚周平」の3氏なのです。 民間で最初に自作農に目覚めた先駆者が平野さんで この勇気と開拓精神には心打たれていました。 悲惨な歴史と共に、今に繋がる美徳を広く知って頂けたら と思い、長々と続けさせて頂いています。 読みにくいかもしれませんが、これからも応援をお願いいたします。 1978年の移民70周年の時、我が家もこちらにおりまして、 州知事主催のパーティーにも参列しました。 あの時、美智子さまがご体調を崩されていましたよね。 自身の歴史と共に、思い出が色々蘇ってまります。 |
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![]() ブラジル・サンパウロ生活49年のハチドリです。ごく普通の日々を元気いっぱい綴ります。記事内容や、ご質問・お問合せは、連絡用メールアドレス…【beijaflorspbr●gmail.com(●を@に)】まで。※なお、本文に必ず氏名(本名)をお書きください。 by ハチドリ カレンダー
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