ハチドリのブラジル・サンパウロ日記

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2015年 08月 24日

平野植民地100周年祝賀行事参加①プロローグ

1997年から女性ばかりが所属する自主勉強グループの「ブラジルを知る会」に所属するようになって、今までにラテンアメリカ史、ラテンアメリカの宗教史、ブラジル史、移民史、ブラジルの産業、コーヒーの歴史、宝石などの勉強会に参加してきましたが、取り分け強く興味を惹かれたのが、日本人のブラジル移民に関しての勉強でした。夫の両親も家族で福岡からブラジルに渡ってきた移民だったからです。何故明治時代から日本人はそんなに多くの人が海外渡航を夢見て祖国を後にしたのか、そのプロセスはどうだったのか、そして移住した後はどうやって苦難の道を歩きながら現在の「Japones Garantido(日本人は保証付き)」の称号を勝ち得たのか、移民についての勉強をすればするほど疑問点も沸き上がると同時に、明治時代から引き継がれる日本人の持つ誇りや勤勉さ、それに類まれなる辛抱強さ、賢さなどが垣間見えてきます。それを知るほどに、自身も日本人で良かった!と再認識することができました。そんな中で、移民の107年に渡る歴史の中でも特筆すべき人が「悲劇の主人公」と今に語り継がれる平野運平(ひらのうんぺい)さんでした。1886年に静岡県で出生し、1919年自らが開拓に携わった平野植民地で僅か34歳という若さで亡くなります。
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今回お友達のお誘いを受けて、カフェランジアという地にある平野植民地100周年の記念式典に参加する機会を得ましたので、この機会に平野運平さんの人生と足跡を辿るところからゆっくりとお話を進めてまいりたいと思います。尚、平野運平さんに関する資料は、あちこちに現存していますので、このブログ上に書き残すものは、私自身が独自に資料を纏めたものであることをご了承くださいませ。またあまり楽しいお話ではありませんので、読み進めるのも大変かもしれません。「移民」は「棄民」と言われて祖国日本を後にした戦前16万人、戦後7万人の移住者の最初はこうだった、と言う話を明日から続けさせて頂こうと思います。


by beijaflorspbr | 2015-08-24 23:19 | 移民&日系人


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