ハチドリのブラジル・サンパウロ日記

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2015年 01月 22日

しずかさんのかき揚げうどんとお漬物(思い出)

昨日の地元新聞に出ていた訃報を見て、溢れるように懐かしい思い出が湧きあがってきた。
サンパウロ、東洋人街の一角Tomas Ginzaga通りにあった「スナックしずか」今、しずかさんの跡地には、「ラーメン和」が営業している。
ママさんの宿屋しずかさんは、スナックのママさんだったけれど、毎日お昼もお店を開けてくれていた。
メニューは至ってシンプルな「かき揚げうどん」お漬物付きというものだった。
かき揚げには海老などは入っておらず、野菜だけのシンプルなものだった。
暗いスナックの店内に入るのは大変勇気が必要だったが、うどん好きの血が騒ぎ、しばしば通ったものだった。
しずかママは必要なこと以外無駄なお喋りは一切しないが、淡々と与えられた業務をこなす、スーパーウーマン。
確か、時々息子も手伝っていた記憶がある。その息子が頼りないのか、客の前でも結構小言を言っていたっけ(まるで私みたい)。
肝心のかき揚げうどんだが、それがこれ以上ないほど丁寧に作られた絶品だったのだ。
こちら製の腰のないブヨブヨのおうどんを、良くぞあんなに美味しく作られたものだ。
彼女は、注文を受けてからその都度かき揚げを丁寧に揚げて仕上げる。
出汁が力強く、関東風でも関西風でもない「しずか風」の味を生み出していた。
うどんも美味しいのだが、それ以上の大きな楽しみが自家製のお漬物。
白菜、きゅうりは塩漬け、大根は甘酢漬けで山ほど出してくださるうえ、お替りもOK!
ある日、寡黙なしずかママに勇気を出して尋ねてみた。
「この大根のお漬物はどうやって作るのですか?」
「簡単よ、軽く塩で揉んでから驚くほどたくさんのお砂糖と酢を入れるの」
「へぇ~それだけですか」
「そう、それだけ」
早速自宅で試してみた。
こちらには日本のように瑞々しい大根は時期を選ばないといけないのだが、しずかママ風にまねっこしてみると、家族の評判は上々だった。
「私はね、お漬物くらいしか特技がないのよ」
ママの口癖だった。
「ママこのお漬物売れますよ!」
「そんなことないわよ~」
大根のお漬物の話から、ポツポツ話をするようになった、とはいえ相変わらず寡黙なママだったが。。。
そのうちに楽しみにしていたしずかママのかき揚げうどんとお漬物は閉店のため食べられなくなってしまう。
ほどなく、大々的に「ラーメン和」がオープンしたのは2008年6月のことだった。
しばらく会っていなかったママに会えたのは、ママがラーメン和のスタッフとしてバリバリ働いておられたからだった。
「ああ、ママお久しぶりです!お元気ですか?」
「ええ、何とかね。私もまだまだ頑張らなくちゃ。。。」
そんな会話をした憶えがある。
あれから6年の歳月が流れた。
しずかさんのかき揚げうどんとお漬物(思い出)_f0146587_20170459.gif
そんな時にママの訃報に接した。
お店を閉めた時点でもう二度とママの作った美味しいかき揚げうどんとお漬けものは食べられないのは分かっていたけれど、何だかとても悲しいお知らせだった。
何度も通った大好きなお店だったのに、もちろん写真は一枚もない。
ママの清楚な顔と優しい目、そして手慣れた手付きでうどんを作る美しい手を頭に思い浮かべるだけだ。
湯気の上がったカウンター、カウンターの後ろのお酒、そしてママのキビキビした美しい姿。。。
ママと過ごした静かな時間は私の胸の中にそっとしまっておこう。
人間の命は儚いんだなあ、、こんな時しみじみ思う。
自分は人さまに何かを与えられる人間なんだろうか?
一杯のおうどんで人を幸せにしていたしずかママのようになれるのだろうか?

しずかママ、美味しいかき揚げうどんとお漬物をありがとうございました!
どうぞ、安らかにお眠りください。。。。。。。

*サンパウロには、雨後の筍のように和食レストランがオープンしていますが、しずかさんのお店のように、街の片隅にひっそり建っているようなお店はもう一店もないのではないでしょうか。そんな意味では貴重な経験をさせてもらったと思っています。


by beijaflorspbr | 2015-01-22 20:29 | 思うこと


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