ハチドリのブラジル・サンパウロ日記

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2012年 06月 27日

家族の思い出1995年

1995年3月、実父が前年に受けた胃がん摘出後の癒着から腸閉塞を起こし生死の境を彷徨った。
当時学校の春休みでたまたま帰国していた私と息子ボン、
父は即緊急手術を受け、閉塞している腸を1メートル20センチも切除し、繋ぐ手術を受けた。
元々弱っていた体力が持つか持たないかの逼迫した中、
私は看病のためどうしてもサンパウロに帰ることが出来ず
小学生だったボンをひとり予定通り国際線に乗せてサンパウロに返すことになった。

元々何度も日伯往復は慣れていた彼「ひとりでも大丈夫だよ!」とちょっと緊張した面持ちで
JALファミリーサービスのお姉さんに連れられてゲートに入っていった。
その手にはお菓子のたくさん詰まった紙袋と
背中のリュックの中にはゲームやおもちゃ類がいっぱい。
いよいよお別れの時、彼をしっかり抱きしめてあげた。
涙ひとつ見せずに気丈なちょっと緊張した顔のまま私の手元から旅立って行った。
一度も後ろを振り返らなかった息子の健気な姿に親が思わず泣いてしまう。。。
それは関西ー成田ーロスアンゼルスーサンパウロの気の遠くなるような長旅だった。
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ブラジルに無事着いた頃、電話で訊いてみた。
「どうだった?」
彼は一言「大丈夫だったよ、結構楽しかった。ごはんも美味しかった。皆に親切にしてもらった」
「そう・・・」
こうやって少しずつ親の心配をよそに自立していくんだ、とその時思った。

幸い生死の境を彷徨った父は、多くの医療関係者の方々のお蔭で奇跡的に生還した。
集中治療室を卒業し、一般病棟に移り症状が安定した父を見届けて私は一人サンパウロに旅立った。
久しぶりの一人ぽっちの旅に、大きな忘れ物をしてきたような不安な思いに包まれた旅だった。

あれから何十年、不思議なことに今この息子は私たちの手元にいる。
日々の癒しと賑やかさとほんの少しの憂いをプレゼントしてくれている。
今日はボンの誕生日、おめでとう。
久しぶりに一緒に迎えた誕生日、まずは彼の好物の鍋焼きうどんを作ってあげた。

by beijaflorspbr | 2012-06-27 22:23 | 家族


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