ハチドリのブラジル・サンパウロ日記

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2011年 06月 18日

日本人ブラジル移民103年そしてパト誕生日

遠く離れた家族パトの誕生日、一緒に祝ってあげられなくてごめんね。3日前に無事帰国した彼女、関空にはわざわざお友達がお迎えに来てくださったそうです。そしてそのまま所属する教会へ行き、久々の喜びの再会を果たしました。4年前に日本に行った時は、誰一人お友達がいなかった彼女には、今はたくさんお友達ができました。「帰ってきてホッとした・・・」アメリカでは集団生活をしていたので、それなりに苦労はしたようで「どれだけ自分が恵まれているのかが良く分かった」とのことでした。

そういえば私が一人暮らしを始めたのも18歳の春でした。知人の家に下宿をしたものの、個室でほとんど一人暮らしと一緒。3回電車に乗り換えて、東京の外れの学校に通いながらバトントワーリングやレストランでのアルバイト生活。週1回のバトンスタジオでのレッスンと週2回の渋谷・四谷教室でも教えていました。遊びもなにも無かった何だか忙しいばかりの学生生活を終え、そのまま就職しました。足掛け4年仕事に夢中になっていた頃、縁があってサンパウロへ。

パトちゃんの年にはもう3人も子どもがいました。ブラジルは治安が悪いので、学校の送り迎えは100%必要でした。2人と1人に分かれて別の学校に通っていたから本当に大変だった。。。でも今思うとあの時が一番充実していたかもしれませんね。

ところで今日は日本人ブラジル移民103周年の日。100周年の2008年6月18日に移民の背景について書いた記事はコチラです。印象深いのは移民70周年の時、天皇皇后両陛下が来られて、サンパウロ州知事公邸で大レセプションが行われたこと。真っ赤なロングドレスを着て張り切って参列しましたが、目の前1メートル先をすーーと通られただけで・・・。一番前には移民でご苦労されたお年寄りがずらーっと並んで親しく会話されていました。第1回目、笠戸丸移民の中川トミさん他何人かはご生存されていました。今こうして何不自由なく暮らせるのも日本人移民の方々のたゆまぬ努力のお陰です。

恩返しのつもりで、全日本人移民の足跡をデジタル化する「あしあとプロジェクト」にも足掛け4年ボランティアとして参加させて頂きました。戦前戦後の全移民23万人の入力がほとんど終わり、データを纏めることができたことは一生の誇りとなるでしょう。これからも自分ができることを発信していけたら良いなと思います。人生なんでも勉強、パトちゃんもこれからがまた大変。新しい人生の始まりですね。人や物や仕事に恵まれるよう、祈っています。お誕生日おめでとう!

by beijaflorspbr | 2011-06-18 10:53 | 家族 | Trackback


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