2009年 12月 17日
日伯両方の言葉で書かれた招待状、このプロジェクトに関わってきた中にはブラジル人、日系人、そして私たちのような日本人と国籍は様々です。漢字の分からない日系人の方はローマ字部分のみ入力、後は日本人がと分業したところもあったようです。私は日本語、ローマ字、ポルトガル語すべてを入力しました。発案者はひとりの日系人の女性でした。日本人ブラジル移民100周年を3年後に控えた2005年、私たちの先祖の足跡を何らかの形で残したい、それには何ができるのだろう?と数名の有志を募り、長い準備期間の後、このとてつもなく大変な作業に入りました。既に100周年を迎えたイタリア移民はこの乗船名簿のデジタル化を完成し、州立メモリアル移民博物館に寄贈していました。後に続く日本人移民のデジタル化を実現するための第一歩はシステムを作ることです。このシステムを無償で提供したのは、UBIK社。このシステムはとても入力しやすく、熟考されたものでした。ただ、作業をするうちに問題も出てきました。例えば続柄の欄、家長、長男、次男、三男、四男、長女、次女、三女、四女、孫、孫の嫁、両親、義両親…と続くのですが、いざ蓋を開けてみると、移民の方は子だくさんが多く、六男…十男という方もいて、その度に備考欄に書き入れるなど予想外のことも次々と出てきました。移民の形態も、最初の拓務省補助家族移民から自由移民まで様々だったため、最後は備考に次ぐ備考でした。配耕地も実に様々、それを探すのにかなりの時間を費やしました。初期の頃は家族移民に限られていたため、不自然な家族構成も多々あったようです。 作業をするうちに、色々出てくる漢字に対する疑問点や、矛盾点なども出てきました。特に最初の笠戸丸移民の乗船名簿は手書きされているため、読めない部分もありました。色々な資料を駆使して何とか名簿を完成したコーディネーターやボランティアの皆さまの努力と根性を感じました。「表彰式」は日伯文化協会3階の「貴賓室=サロン・ノーブレ」で行われました。赤絨毯の敷かれた舞台があります。ちょうど2時に到着しました。入口には山のような感謝状が積まれていました。いかにこのプロジェクトに関わった方が多かったか、ということが分かります。私も1枚頂きました! 正面のモニターに、2008年6月にレアル銀行で行われた特別展示の際に書かれた感謝のメッセージが次々と映し出されました。「ありがとう、私たち家族のルーツを残してくださって…」「おめでとう、素晴らしい作業に感謝します」「亡き両親や、主人の両親の名前を見つけ、懐かしさの余り涙が溢れてきました。ありがとうございます」「長い間残る貴重な記録を残してくださってありがとう」「おめでとう、素晴らしい作業に!」など感謝の言葉がたくさん綴られていました。中には家族の漢字の読み間違いを指摘するメッセージもありました。日本人の名前は難しい…。一生懸命入力作業をした私はとても嬉しく拝見しました。右にある機械を、サンパウロ州立メモリアル移民博物館と移民史料館に寄贈したそうです。将来的に、インターネットからも閲覧できるようにしたいとのことでした。色々な方のご挨拶が続き、それらの挨拶はほとんどがポルトガル語でした。右の方が上原幸啓ブラジル日本移民100周年記念協会会長です。上原幸啓さんはUSP州立サンパウロ大学の元名誉教授。この方の人となりについてはこちらを参照ください。子どもの時に両親とともにブラジルに来て、高等教育を受けた過程を語ってくれました。日本人移民として誇りを持っている方です。お隣はレアル銀行の中村ミルトンさん。今回のプロジェクトに28万レアル(約1400万円)の寄付をしてくださいました。とても流暢な日本語で挨拶をされました。レアル銀行の前身は日系人が作った南米銀行です。 プロジェクトの発案者であるレダさん、お世話係の頭脳明晰なリージア会長さん、エミコさんです。戦前の名簿の時はエミコさんにお世話になりました。とっても優しくて温かい方でした。お世話になりました!州立メモリアル移民博物館のミドリさん、サンパウロ大学大学院で獣医学を学ぶ方、この男性は前にお話ししたことがありますが、日本語は話せないけれど、ローマ字を漢字入力すると面白いくらい色々な漢字がでてくるのでこのボランティア活動にすっかり嵌ってしまったそうです。かなり多くのデータを入力した功労者です。最後はレダさんの伯父さんは後で歌唱指導をしてくださいました。 入力作業をして、名簿の中から色々なことを学びました。まさに生きた移民史を自ら勉強する機会を与えて頂きました。思い出に残るのは、第一回芥川賞作家の石川達三さんの入力をしたことでしょうか。「若気の至り」でブラジルへの移民船に乗ってしまった石川達三さんが経験した世界が、受賞作品の「蒼氓(そうぼう)」に描かれています。入力するうちに、涙したこともしばしばありました。「船内死亡」という文字でした。どういうわけか一家で何人もの死者が出た家族もありました。若い母親が亡くなったケースもあったようです。生まれた子どもはどうなったんだろう?と考えると、書類の上で涙をポロポロ…。まさに人生の縮図がその乗船名簿にはたくさん隠されていました。いくら本を読んで移民史を学んだとしても、実際のこういった事実には勝てないのだなと思いました。入力作業を終えた後は、コヘソンという「修正作業」が待ち受けていました。これはある程度なれた人たちに割り振られたものでしたが、これも結構地味な確認作業でとても疲れるものでした。却って入力の方が私には向いているなと思いました。戦後に入ると、「移民」から「移住者」と名前が変わり、交通手段も船から飛行機へと変わっていきました。こうした移民(移住)100年の歴史を紐解く鍵をこのボランティア作業でたくさん学べたこと、そしてこの歴史の1ページに参加できたことに感謝しています。このプロジェクトは500年後も残るのですよ、というご挨拶が心に響きました。2時間ほどこうしたセレモニーがあり、やっとお茶会です(笑)次はお茶会の模様をお伝えさせて頂きます。
by beijaflorspbr
| 2009-12-17 23:03
| 移民&日系人
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Comments(8)
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flyrobin at 2009-12-18 01:43
私がハチドリさんとご縁が出来た頃、入力作業のまさに真っ只中で、「今日で何人入力した。。」というのを何度も読んだ覚えがあります。
目も痛くなるし肩も凝りますよね。お疲れさまでした。 よくまあ、頑張られたなあと思います。 この経験を活かされて、後々Nちゃんのお手伝いにも大活躍なさったのでしたっけ。。 なかなか出来ないことをなさるハチドリさんは、読者の皆さんにとって、まさに励みだと思います。ハチドリさん、どうもありがとう!
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beijaflorspbr at 2009-12-18 07:23
★ロビンさん、久々の雪で風邪など引いていませんか?
そうでしたね。あの頃(2007年)私のブログを見つけて頂けたのでしたね。一時期は夢中になって1週間で何百人もの入力をこなしていました。1930年代の移民船の頃が活気があって楽しかったですねえ。やり始めると面白くて夜も寝ないで夢中になっていましたね。後の修正の時はちょっとだらけてしまいましたが・・・。 そういえば、Nちゃんの挨拶状作成の時に役立ちましたね。あまりこんな技は使いたくないものでしたが、仕方がありませんねえ。。。Nちゃんも未だにそのことを感謝してくれています。これからも私でできることは何でもさせてもらおうと思っています。 文章を書くことが好きなので、またその腕を生かす作業を別の場で発揮してみようかなと思います。もちろん懸賞論文や小説などというレベルではなく、もっともっと小さい世界で…。楽しみながら生きて行きたいと思っています。いつも温かい応援をありがとう
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syunomama at 2009-12-18 22:17
大変な作業だったのですね。
地球の裏側にいる私達は、普段はその移民史に触れることもなく 暮らしていますが、今の不景気な世の中でかっての移民の方達の 子孫が、日本で職をなくして困っていると言うことを知った時、 再びその人達から生きるすべを奪っているのではないか、との 自責の念を感じてしまいます。 日本を信頼して戻ってこられた方達が失望しないような国になることを 切望します。
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飛行機屋
at 2009-12-18 23:34
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以前より異国の地にて新天地を切り出された移民の方々のバイタリティに敬服しておりました。
こうしてその方々の歴史を残される事は、非常に意義がある事と思います。私たちそして後世の者がそれを知る事が出来る様にして下さって、 ありがとうございます。 最初に移民された方に負けない ハチドリさんのバイタリティに感謝致します。
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beijaflorspbr at 2009-12-19 22:45
★syunomamaさん、ご理解頂き、ありがとうございます。
私もこちらに来るまでは地球の反対側に渡った多くの移民の方々のことは知る由もなかったかと思いますが、ここでは身近に移民の方が生活されています。日本人や日系人の社会的地位が高いので、こうして快適に生活させて頂いていますが、逆ならどうなったことでしょう。 逆に日本に渡った移民の子孫の方々の生活が脅かされている現代の世の中には矛盾を感じます。ただ、この国で仕事がないからと安易な気持ちで日本に出稼ぎに行く人たちは厳しい現実に晒されるのは当たり前。どの国でも仕事は大変だということを実感してほしいです。もう少し日本が元気になってくれんことを祈るばかりです。反対にこちらはとっても元気です!不思議ですねえ。。。
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beijaflorspbr at 2009-12-19 22:50
★飛行機屋さん、移民(戦後は移住者)の方々のお陰で今の快適な暮らしがあると思っています。移民の中でも日系移民は大きな功績を残してきました。
今度の「あしあとプロジェクト」については、きっと大変な作業だろうけれど、大きな意義のあるものだと感じ、本気で取り組んできました。たくさんの日系人の方々に喜んで頂けて、頑張った甲斐がありました。 途中で日本に行ったり、だらけてしまったこともありましたが、何とか最後まで投げださずに取り組むことができて良かったと思っています。お褒めのお言葉、ありがとうございました。天にも昇る気持です~♪
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飛行機屋
at 2009-12-20 19:01
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すいません 私ごときの コメントで ありがとうございます。
今後もハチドリさんのページで移民の歴史の勉強?していきたいと思います。
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beijaflorspbr at 2009-12-20 22:53
★飛行機やさん、「私ごとき」なんておっしゃらずに、どんどんコメントをお願いしますね。私も未熟者です。移民の勉強も十分ではありませんが、これからも前向きに学んでいきたいと思っていますので宜しくお願いいたします。
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ブラジル・サンパウロ生活48年のハチドリです。ごく普通の日々を元気いっぱい綴ります。記事内容や、ご質問・お問合せは、連絡用メールアドレス…【beijaflorspbr●gmail.com(●を@に)】まで。※なお、本文に必ず氏名(本名)をお書きください。 by ハチドリ カレンダー
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