ハチドリのブラジル・サンパウロ日記

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2009年 04月 11日

スタートは18歳から…①

高校を卒業後、私は東京のある短期大学の保育科に入りました。特に進路を「幼稚園の先生になる」と決めたわけではなく、ただ東京にあった「高山アイコバトンスタジオ」でバトン・トワーリングの道を究めたかったからです。短大卒業後は、後進の指導者になるのが私の目的でした。大学入学はバトン習得のための手段でした。動機がちょっと不純ですね。一年目は知り合いの家が早稲田・喜久井町にあったので、そこの一室に下宿してバトンを学びながら学校に通いました。週に1回は高田馬場のスタジオへ、週2回は渋谷教室と四谷教室に教えに行き、週末はパレードやイベントの出演、たまには映画のワンシーン、TVのCFにも出演して結構アルバイト代を稼いでいました。アルバイト代は当時としては破格の1回2,000円という金額でした。学校の入学金と授業料がべらぼうに高くて親に負担をかけていたので、生活費は自分で稼ぐように努力していました。バトンの他にはレストランのバイトも同時にやっていました。こちらは日給1,600円でしたので、バトンの方が格段に実入りが良かったのです。
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短大2年目には、毎月頂いていた奨学金が先方の事情で出なくなったため、自力で生きていく必要がありました。そんな時、知り合いの方から成城に堀江泰子先生という有名なお料理の先生がいらっしゃって、人手不足なのでハチドリちゃんを引き受けても良いと仰っているということでした。ちょうどその頃の堀江先生は50代前半で、「NHKのきょうの料理」「3分クッキング」などの他、エレックと言われた「電子レンジ」料理の第一人者として日本中を仕事で駆け回っておられました。「猫の手」も借りたいような忙しさの中で、猫の手になるべく堀江先生のお宅で「学業最優先、バトンは続け、余暇をお手伝いする」代わりに、「下宿代、食費ともダタ、小遣いなし」という条件で堀江家に入りました。
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憧れるのと実際に入ってみるのでは全く違う世界でした。早朝からの撮影は深夜まで続き、その仕事の厳しさを間近で見させて頂き、大変勉強になりました。あの頃は住み込みのお手伝いさんと一緒になって汗だくで何百枚ものお皿を必死で洗ったものでした。立ち仕事が辛くて辛くてトイレの便座に座ったまま休憩を取ったことなどが懐かしく思い出されます。ある日の撮影の時は、ジャガイモ10キロを剥くように言われ、手が痛くて泣きながら剥いたものでした。玉ねぎのみじん切り10個、ゆで卵(もちろん撮影用なので黄身を真ん中にしなくてはいけないので、12分鍋に付きっきり)20個などという下ごしらえはもう日常茶飯事でした。娘のひろ子さんも次第に名前が売れだしてその巧みな話術で若い主婦を魅了していました。泰子先生の仕事に続き、ひろ子さんの仕事もあった日には、もうパニック状態でした。
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堀江家にいた時は、朝6時に起床し、お布団を畳んで階下に行き、まずは台所からリビングのふき掃除、そして洗濯、お風呂掃除を済ませます。その間におばあちゃま(泰子先生のお母様)が美味しい美味しい朝食を用意してくださるのです。これが励みでした。滋養のあるおふくろの味は今でも忘れたことはありません。その美味しい朝食を頂いた後にいよいよ登校しました。学校もカリキュラムが詰まっている他、出欠管理も厳しくて、さぼったり休んだりできないシステムでした。土曜日にはいつもバトン出演のアルバイトがあるので、究極の代返技を駆使して何とか切り抜けました。どちらかというと泰子先生は当時厳しくビシビシしごかれていましたが、その分をおばあちゃまが優しくフォローしてくださいました。銀座で「大銀座祭」というパレードがあった時は、ひろ子さんやひろ子さんの旦那様、長男さんご夫妻もわざわざ見にきてくださいました。紅白歌合戦に出演した時は、堀江家全員で応援してくださいました。

厳しい中にもたくさんの教えを受け、この一年は私にとって最大の試練でもあり最高の学びの場でもありました。40年ほど経った今、私の原点はこの堀江家だったと断言できます。家族全員が忙しく働き、はっきりと役割分担を決めてそれに向かって一生懸命なのです。こんな家族はあまりいないと思います。堀江先生のご主人さまはとても偉い方でしたので、働かなくても優雅な主婦として悠々と生きていかれる方なのに、なんでこんなに忙しい思いをして働くのかな?と不思議に思いました。しかし、その答えは私が大人になって結婚をし、子どもを育て、色々な経験をするうちにだんだん分かってきました。

人間はこうあるべきなのだ、女性としてこのように生きていくべきなのだ、ということを堀江先生は身をもって教えてくださいました。卒業後、私は約束通り堀江家を出て大阪で就職をしました。卒業後も何度も何度もお訪ねしてはお料理の本を頂いたり、先生お手づからお料理をしえて頂いたりとささやかな交流は続いていました。サンパウロにも2回来られ、再会の喜びを満喫しました。ここ3年くらい、ご無沙汰してしまいましたが、やっと時間がとれたので今回ご挨拶に行かせて頂きました。待ちに待った再会、嬉しくて嬉しくてもう駅から走って行きたいくらいでした…。季節も良く桜並木が目に眩しい春の一日…。
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さあ、どのような再会になったのでしょうか。先生はお元気なのかしら?旦那様は?明日に続きます…。

by beijaflorspbr | 2009-04-11 23:56 | 人生 | Comments(16)
Commented by ロビン at 2009-04-12 01:57 x
いつもいつも前向きで、一所懸命なハチドリさんの魅力の
原点が堀江先生宅での下宿生活だったのですね♪ 
ハチドリさんが若くして、ご自分が情熱をかたむけ、やりたいことが
あったというのも素晴らしいことだとつくづく思いました。
昭和62年11月号の「NHKきょうの料理」が今手元にあるんですが
堀江先生が載っていますよ♪ これも随分昔に定期購読していたもので
大分処分して数冊残しておいたものの1冊です。
ハチドリさんのおこわの作り方は、堀江先生から伝授されたもの
なんですね。ページをめくってみると堀江先生の「赤飯とおこわ」と
題して作り方が載っていてハチドリさんのと同じでした!
今、ここにこの「きょうの料理」が手元にあることとハチドリさんとの
繋がりが何とも不思議ですてき。嬉しいです。
Commented by すずめ at 2009-04-12 02:04 x
まさに、ハチドリさんの青春時代のお話ですね!! ハチドリさんのそのパワフルな行動力は、どこからくるのかと思っていましたが、これがハチドリさんの原点だったのですね!! この桜並木道も、思い出の場所のようですから、心弾んで堀江先生のお宅へ向かわれたことでしょうね。
続きを楽しみしております!!
Commented by maikojazz at 2009-04-12 07:50
なんだか、上手く言えないけど心がぐっとくる記事ですね。

新しい命を授かった今、家族への概念が変わって来ています。
そういう中でこの記事を拝見して、なんと言うべきか迷いますが
とてもあったかい気持ちです。ありがとうございます^^
Commented by のんちゃん at 2009-04-12 08:08 x
はちどりさん、素晴らしい経験をされたのですね。
私も早速手持ちの「NHKきょうの料理」をみました。
ロビンさん、残念ながらおこわの作り方の載っているのはありませんでした。
平成3年1月号には堀江泰子さんの写真入ではちどりさんお得意の「ばらずし」が載っています。
62年2月号には、堀江ひろ子さんの「今、おすすめの牛肉料理」という特集の中に牛肉のいため物というのがあって、いつかブログで拝見したことがあります。
うちごはんでご馳走するのが大好きなはちどりさんの原点はここにあるのかも知れませんね。

今日の日曜日、どうぞ日本の春を満喫してくださいね。

Commented by Lucy at 2009-04-12 10:32 x
こんにちは、Lucyです。お久しぶりです。ハチドリさんの青春日記すごくおもしろいです。早く続き読みたい(笑)いろいろな経験をされてきたハチドリさんの半生はきっと波乱万丈だったのでしょうね。青春時代ではなくサンパウロに行かれてからのお話もお聞きしたいです。本になりそうですね。
Commented by cookery-world at 2009-04-12 19:33
ハチドリさんの飛び回る忙しい生活は学生の頃からなんですね! 大変な学生時代でしたけれど、とっても充実した日々をお過ごしだったのだなと思って読ませていただきました。 ワタシの学生時代などはのんきなものでしたので、ハチドリさんの半分、いや三分の一でも頑張っていたら、人生違ったのかも?とか思ったりします。 今やもう遅しですけれど。(笑) ハチドリさんのお料理上手はこの経験から来ているのですね! このあとに続く再会編も楽しみです。 
Commented by yoxiwoo at 2009-04-12 20:13
食い入るように拝読いたしました。こちらも素晴らしいシリーズになる事、間違いなしですね!!!これまでブログで拝見させていただいた色んな事の原点がまさにここなのですね。
続編も楽しみにしております。勉強させて頂きます。
Commented by ひさ@山口 at 2009-04-12 20:58 x
やけに料理に関する記事が多いのは原点がここにあったのですか
それにしても若いときの苦労が今のハチドリさんの人生を支えているのですね
回顧録の本でも出版されたらいかがでしょうか。
Commented by beijaflorspbr at 2009-04-15 06:11
★ロビンさん、続けておはようございます。
恥ずかしい物語でした。堀江家に行くといつも昔の自分を思い出してしま
います。辛い修行でしたけれど、あの一年間は何にも替えがたい貴重な
一年だったかと思います。若い頃は、どうしてもバトントワーリングの道を
究めたくてそれを選ぶと東京で研鑽するしか当時はなかったのです。親
に無理を言ってお願いして東京に出してもらいました。

ロビンさんも「きょうの料理」の愛読者でいらしたのですね!私もたくさん
自宅の書棚にあり、それらは決して捨てることなく堀江先生著作の本と
ともに大切にしまわれています。「赤飯」は泰子先生自らがご指導をして
くださいました。先生は、簡単で美味しいお料理の達人なのです。他にも
たくさん良いレシピがありますので、記憶を紐解きながらたまにはレシピ
を載せてみたいと思います。ロビンさんも日々のお料理頑張ってくださいね。
Commented by beijaflorspbr at 2009-04-15 06:16
★すずめちゃん、お返事が遅くなってすみません。
毎日早朝から深夜まで飛びまわっておりますがもうすぐゴールです。

青春時代は燃焼しきったので、こうして今動き続けられるのだと思います。
堀江家の方々には「暇」という文字は存在しません。このお宅で学んだこと
は私の一生の財産です。今もこうして交流し続けられることを感謝していま
す。人間は「出会いを大切にする」ことで、視野が広がりますよね。すずめ
ちゃんもこれから良い人間関係を築いていってくださいな。頑張って!!!
Commented by beijaflorspbr at 2009-04-15 06:23
★maikoさん、おはようございます。お返事が大変遅くなり申し訳ありません。

まずは新しい命におめでとうございます!
私自身も新しい命を授かった時の感動を忘れることがありません。
良かった良かった!!お会いしたこともないのに、嬉しくて嬉しくて…。

家族が一つの目標に向けて頑張る姿は美しく感動するものです。もちろん
生身の人間ですからぶつかることもしばしばありますが、堀江家はポン
ポン包み隠さずに言い合うことでお互いの存在や価値を認めている部分
がありました。なかなかありそうでない、現代の家族の絆を間近に見せて
頂き、勉強になりましたし、とても良い時間を過ごすことができましたよ。
maikoさん、ご無理をなさらずに、お体を大切にしてくださいね。
Commented by beijaflorspbr at 2009-04-15 06:44
★のんちゃん、おはようございます。お返事が大変遅くなり申し訳ありま
せんでした。カウントダウンがもうすぐで走り回っております(@_@;)

のんちゃんもきょうの料理を見てくださったのですね。「ばらずし」はそれ
こそ今は亡きおばあちゃまのお得意料理でした。あの味がもう未来永劫
に忘れられなくて、時々作るのですがどうしてもうまくいきません。真っ白
い割烹着を着けて野菜をじっくりと煮込んでいたおばあちゃまの後姿が忘
れられません。今は泰子先生がその味をしっかりと受け継いでおられます。

はい、「ご馳走」と言えるかどうかは分かりませんが、我が家に人をお招き
する原点はこの堀江家からです。堀江家は美味しいものを食べよう、とい
う時は必ず「うちごはん」でした。今はご高齢になられて、散歩も兼ねてお
昼はあちこちへお出かけのようですが、これもまたよし、時代の流れ、
家族構成で柔軟にに受け入れられているそのお姿もお手本になるもの
でした。 

春満喫中です(^^ゞ罰が当たりますよね!
Commented by beijaflorspbr at 2009-04-15 06:49
★Lucyさん、おはようございます。ご無沙汰しております。
お返事が遅くなり申し訳ありませんでした。

随分時間がかかりましたが、18歳からの物語、昨日で完結しました。
あはは、Lucyさんったら…褒めすぎですよ。文脈も乱れ、順序も定かで
はなく、文才もないので、本には絶対にできませんよ。次はもしかしたら
堀江家を出てからの人生物語も語ってしまうかもしれません(笑)。
堀江家は私の原点ですからもちろん通過点もあるわけですよね。
あまり煽てないでくださいな!(#^.^#)
今後ともよろしくお願いいたします。
Commented by beijaflorspbr at 2009-04-15 06:53
★cookeryさん、おはようございます。

学生時代全部が大変だったわけではなく、普通にお嬢さん学校に
通って、ただのんびり勉強だけをしているのが退屈になったので
しょうね。元々貧乏性だったのでしょうね。

いえいえ、cookeryさんの人生は私もいつも羨んでいます。
だって、自分が好きなお仕事に就いていらっしゃるし、いつも
美味しいものを食べ、飛行機に乗れるからです!(笑)
私も生まれ変わったら飛行機のお仕事をしたいと思っています。ふふふ。。
Commented by beijaflorspbr at 2009-04-15 06:59
★ヨッチーさん、おはようございます。
お返事が大変遅れ申し訳ありませんでした。

「お勉強」にはなりませんよ、だって私の失敗談も堀江家では語り継がれ
ていますからね。カレー粉とからしを間違ったり、野菜の名前を知らなか
ったというのは日常茶飯事でした。ホワイトソースなのに、焦がしてブラウ
ンソースになってしまったこともありましたけれど、先生は叱らずにひとつ
ひとつを丁寧に根気よく教えてくださったのです。

人間って愛情をかけられたら頑張れるものなのですね。辛い辛いとずっと
思っていましたが、今はあの一年があって良かったそしてあの頑張った
自分を褒めてあげたいような気持です。読んで頂き、ありがとうございます。
Commented by beijaflorspbr at 2009-04-15 07:03
★ひささん、お久しぶりです。
お返事が遅くなり申し訳ありませんでした。

そうなのです。食べ物の記事が多いのは単なる食いしん坊かもしれませ
んが(笑)、堀江家で培われた味の原点があったのでしょうね。…とこれは
言い訳ですね。しかしながら、先生のお宅にご挨拶に行かせて頂くと、必ず
新しく学ぶことがあるのです。何かを掴んで帰ってくるので、私の最高の
癒しになっています。このような人生の師に巡り合えたことに感謝します。
回顧録は無理で~す。文才ありませんもの。これからも宜しくお願い
いたしますね、ひささん。
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