ハチドリのブラジル・サンパウロ(時々日本)日記

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2017年 07月 15日

2017年夏大阪→サンパウロ搭乗記③JAL4便NRT-JFK

さて、楽しみなJAL4便に搭乗しました。今回は久々のプレエコへアップグレードでどんな旅になるんだろう?と期待大でしたが…。座席はビジネスのすぐ後ろの非常口で、いくら足を延ばしても届きません(笑)すぐ前がトイレなのも安心!
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まずは食前酒にシャンパンを頂きました。
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席が一番前だったためか、一番最初に食事が運ばれて来ました。私は和食の梅酢鶏と菜飯というのを頂いてみました。
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鶏の味付けがが酸っぱくて結構美味しかった、完食しました。ラウンジで1回しか食事を摂らなかったのが良かったのか、良く食べられました。
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お馴染みハーゲンダッツアイス。
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この後、確かに映画も観たはずなのに、記憶が飛んでしまっています。12時間強のフライトのうち、8時間以上は眠ってしまったようです。このJAL4便は、そこそこロングフライトなので、サンドウィッチ程度のおやつも出るはずですが、それすら分からないくらい意識不明で爆睡していました。「うどんですかい」なんかもお願いすれば食べられたのかな?とにかく疲れが貯まり過ぎていたのか、よーく寝ました。但し、映画「チア☆ダン」は何とか最初から最後まで観られました。昔カリフォルニア州サンタ・バーバラでチアリーダーのサマーキャンプに参加した時のことを鮮明に思い出していました。後に自分自身が指導者として、構成や振り付け、その後の踊りを揃えることの難しさや高校生の心を一つにするのに苦心惨憺した想い出が鮮明に蘇って来ました。ただただ懐かしい青春の日々。今回の帰国はその時に指導していた何人かと再会が叶ったので、本当に良かった。ひとり大切な教え子を亡くしてしまいましたが、その他何人かの無事を確認できたので、安堵しました。さあ、ぐっすり眠っていて起きると、次の食事が配られるところでした。機内が明るくなったから起きたようなもので、そのままアメリカン航空のように、ずっと暗かったら食事も摂らずに眠り続けてしまったかもしれません。まあ、目が腐るほど寝ましたわ。
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モスでライスバーガーを食べたことがありますが、この牛ばら肉のライスバーガーは、筋の多いバラ肉が喉に引っかかりそうになって危なかったぁ!(笑)でも美味しく頂きました。個人的意見としては、この辺はおかゆで良いかも。
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JAL4便は順調に飛行を続け、ほぼ定刻通りにニューヨークJFK空港に着陸しました。ここからトランジットは約4時間。
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入国手続きと荷物のピックアップ→税関検査→荷物再預け入れ、ターミナル1からターミナル8へエアトレインで移動。そして再出国と、結構忙しいのです。先を急がなきゃ…。

by beijaflorspbr | 2017-07-15 12:00 | 飛行機 | Trackback | Comments(2)
2017年 07月 14日

2017年夏大阪→サンパウロ搭乗記②成田国際空港にて

国内線3002便で伊丹空港から成田空港までやってきました。時間が早いせいか、まだ閑散としています。早速JALのサクララウンジに入りましょう。
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丁度正午過ぎだったので、2階のダイニングに上がって・・・
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シャンパンとカレーなどを頂きました。流石にお腹が空いていたせいか、美味しかった!
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昼食後、マッサージを10分だけ受けて、シャワールームでゆっくりとシャワーを浴びました。気持ちが良かった!!
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このラウンジは、目の前で飛行機を見ることが出来るので、最高のロケーションです。
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時間的に早いため、この通りガラガラです。
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この辺で家族に頼まれたお買い物を免税店で済ませました。
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JALカードは10%割引なので、ちょっと得をした気分。
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もう一度ラウンジに戻り、約2時間ほど仮眠室で仮眠をとりました。
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長い一日のようでしたが、あっという間にJAL4便の搭乗時刻が迫ってきました。準備万端のJAL4便ニューヨーク行(Boeing 777-300機)
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エメラルド会員から順番に優先搭乗が始まり、ブルー(サファイア)の私も少し待って機内へと入りました。
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明るいうちの出発って、気持ちが良いですね。成田からニューヨークまでの飛行時間は12時間20分。寝ている間に着いてしまいそうです。
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では行ってまいります~♪

by beijaflorspbr | 2017-07-14 12:00 | 飛行機 | Trackback
2017年 07月 13日

2017年夏大阪→サンパウロ搭乗記①JAL3002便ITM-NRT

毎度おなじみの~なのですが、飽きもせず今回も日本→ブラジルまでの移動日記を書かせて頂きます。今回は色々自省も込めての記録になってしまうかもしれません。自分では分かり切っていることだったのに、失態を犯してしまいました。(;´д`)トホホ・・・まずは大阪南部の自宅を午前5時半に出発し、HK号にて伊丹空港まで…。幸い好天気で、HK号はスイスイ近畿道と阪神高速を制限速度ギリギリで疾走し、40分足らずで伊丹空港に到着してしまいました。いつもありがとう!!重たい荷物は全て息子が担いでくれました。おまけに言えば、荷造りも全て彼が引き受けてくれました。黄色のスーツケースが25キロ、黒の小型が21キロ、そして娘の診療所に飾るフォトパネルが5キロの合計51キロで出発です。何しろ左肩の不具合が半年以上続いているため、片手で持ちあげられるギリギリの重さで今回は調整しました。重たい液体類は、全て後便でパトちゃんが運ぶことになります。ごめんね!フォトパネルはJALの職員さんが緩衝材で丁寧に梱包してくださいました。ありがとうございます!ここ伊丹で預けた荷物は、自動的にニューヨークまで運んで下さるので有難い限り。
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荷物を預けて身軽になった後は朝食なのですが、午前6時半前なのでどこも開いていません。大衆食堂のような店に入って、簡単朝食をお願いしました。ムスコ大盛りカレー、味はまあまあだそうで…。お粗末でごめんね。今度は折角誕生日に日本に居たのにもかかわらず、私も息子も忙しすぎて、碌にお祝いも出来なかったことを後悔しています。
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食事後、仕事のあるHKとムスコとお別れし、私は展望台に行って写真を撮ることにしました。
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いくら見ていても飽きないけれど、この日は妙に蒸し暑くて5分くらいでギブアップしました。日本はこれから一番厳しい季節になるのだなあ~と実感しました。
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ラウンジでコーヒー1杯を頂き、時間調整をしました。ここはWi-Fiがあるので、メールチェックなどにとても便利。
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20分前に搭乗口に向かいました。ええ確かに向かいましたとも!でも私が向かったのは何と18番ゲート。成田行きの3002便は更に遠い一番奥の19番ゲートだったのでした。ここで大きな勘違いをしてしまいました。いつも乗る羽田行きは大体17番か18番ゲートなのです。だから安心してのんびり待ってしまいました。こんな↓飛行機の写真なんぞを撮りながら…。すると、放送が。「成田行き3002便にご搭乗のお客様、当機は最終ご案内中です」ひぇ!!!ここじゃないんだ・・・。改めて搭乗券を見ると、18ではなく19番ゲートと書かれていました。道理でワサワサしていないんだわ。ええ、それからもう全速力で走りましたとも。途中でJALの職員さんにお会いし、「すみませーん、成田です。置いて行かないでください(笑)」と言うと「ああ、大丈夫ですよ。お客様が最後ではありませんから」と変な慰め方をして頂きました。機内に入ろうとすると、客室乗務員の方が、「お疲れさまです!」とひたすら優しく声を掛けてくださいました。それでもまだ出発時刻前だったし、更に乗ってきた人もいたのですが、本当に焦りました。過信は禁物!!何がベテランだ、何が慣れているもんね~だと自分を叱咤激励しましたとも。何とか無事に搭乗し、座った5分後くらいにプッシュバックし、成田へ向けて出発しました。肝を冷やしました。。。いつか、グァルーリョス空港でも、TAMに乗る時に同じことをやっちゃったことがありましたっけ。これってもう6年半も前のことなのね。何も学んでいない自分、年を重ねてより頑固になってしまった自分を反省しました。

※ここでお礼を言わせて頂きます。
私が持っていたキャリーを(50肩のため)荷物台に載せることができないため、予めJALの職員さんに荷物を上げるお手伝いをして頂くようお願いしました。慌てて乗り込んだ私がキョロキョロしていると、直ぐ近くに座っておられた男性の方が、「お手伝いしますよ!」と気持ち良くひょいと上げてくださいました。後で慌てて客室乗務員の方が来られ、「お荷物は大丈夫でしたか?」と。男性のお客さまにお礼を言ってくださいました。肩をやられているのに、重たいキャリーを持ち込むなんて…と眉を顰められる方もおられるかもしれませんが、腕が右1本しか効かないので、この場合はキャリーに頼るしか方法がありませんでした。結果から言えば、全ての道中で何方かのお力をお借りし、何とか収納することができました。外見は何ともないので、肩の病は厄介なものですね。
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クラスJと普通席の少し広い席の窓側を予約していたので、美しい雲海をしばし楽しみました。富士山は撮るには撮ったものの、遠すぎてピンボケでした。やはり雪を被った富士山に勝るものはありませんね。
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JAL3002便は、1時間20分ほどで成田国際空港に到着しました。飛行機を降りてからターミナル移動が意外に長くてちょっとびっくり。空港ロビーは、いつも活気があって良いですね。UNIQLOで娘に頼まれた季節外れのウルトラライトダウンを購入しました。試しに訊いてみると、海外在住なので免税で買えるとのこと、助かりました。その後、夏らしい生け花に足を止めてしばし鑑賞しました。
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今日も世界中の空へと飛んで行くのですね。この掲示板を見ているのが大好き。最近は、LCCも随分混ざっていて、行き先や航空会社も増えました。それと、共同運航便が多岐に渡り、え?この会社とも提携しているの?と意外に思うことも多いです。私が乗るJAL4便ニューヨーク行は、アメリカン・ブリティッシュ・マレーシア・LATAMなどと提携しています。だから2週間後に日本を発つ私の娘もアメリカンの航空券でJALに乗ることが出来るのですね、ラッキー!
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真夏なのに、ホッカイロを買えと言う家族の要望を得て、ドラッグストアを探して10枚買いました。夏でもホッカイロを置いてあるのは成田だけなのかも!?サンパウロは真冬で、随分冷え込んでいるとの情報です。昔三省堂があった場所に伊東屋さんが入っていて、気の利いたパスポートケースが買えました。嬉しい!
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こうしてウロウロしていると、2時間強お買い物エリアに滞在してしまいました。そろそろ出国し制限エリアにまいりましょうか。後はラウンジで搭乗までの時間をゆっくり過ごすことにしましょう。行ってまいります、私の祖国日本!!

by beijaflorspbr | 2017-07-13 12:00 | 飛行機 | Trackback
2017年 07月 09日

お腹が空きすぎて。。。

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ちょっと取りすぎですかね?昨晩(今朝方?)は2時間の仮眠後、伊丹空港から成田空港にJAL3002便で移動しました。私がこれから乗る予定の3便は満席のようで、運良くプレエコにアップして頂きました。何年に一度のラッキーチャンス、精々楽しみますね。ご褒美は時々じゃないと、有り難みが薄れますものね。食べ過ぎ飲み過ぎに注意いたします。でも、ニューヨークからのアメリカン航空はほぼ食べられるものがないもんね(/ _ ; )今食べても良しとするか。。。なーんて。
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追記・・・成田空港を出発し、12時間25分でニューヨークJFK国際空港に到着しました。機内では食事時間以外は爆睡しました。8時間以上は寝てしまったようです。余程寝不足で疲れていたのでしょうね。今、ニューヨークのラウンジで生意気にシャンパンなんぞを呑んでいます。ラウンジがすっかりリニューアルされて、より広く開放的かつスタイリッシュに生まれ変わったのは喜ばしい限り。ちょっと戸惑うくらいです。ここから夜間飛行を経て、サンパウロには朝の9時過ぎに到着予定です。グァルーリョス空港に着いたら家族に電話して迎えに来てもらうようお願いしてあります。速くChacara Floraに帰りたい。。。この記事が載る頃、サンパウロに着いているのですね。やっぱり日本からブラジルは遠いなぁ〜。実感です。でも楽しい~♪


by beijaflorspbr | 2017-07-09 21:30 | 飛行機 | Trackback
2017年 05月 29日

2017年春サンパウロ→日本へ帰る旅⑤JAL133便 羽田→伊丹

いよいよ今回の最終行程です。有楽町駅から東京駅に戻り、預けていたキャリーをロッカーから出した後は、浜松町経由でモノレールに乗って羽田空港に向かいました。生憎の雨模様で大好きな飛行機も霞んでいます。。。
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ラウンジにちょこっとお邪魔し、生ビールを1杯頂いた後、時間がなかったので、搭乗ゲートに向かいました。ブラジルから帰国して東京に寄る際にはいつもこのJAL133便を選んでいるような気がしますが、当然のことながら満席!我先にと優先搭乗をしようとする客と、ほんの少しだけもめ事がありました。残念!
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ワクワクする搭乗口
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行ってまいります。
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座席は、クラスJとの境目の広めな普通席(^_^;)のA、珍しく窓側です。今は機内Wi-Fiが無料なので、航路をリアルタイムで追ってみました。これ面白くて全然眠たくなりませんでした。
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どんどん大阪に向けて飛行する様子が手に取るように分かります。飛行機って速いな~♪飛行機が高度を下げると懐かしい大阪市内が見えてきました。
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5か月ぶりの大阪、ただいま~~♪
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これで今回の搭乗記を終えます。たくさんの方にお読み頂き、ありがとうございました。次に飛行機に乗るのは、6月の予定です。待ち遠しくて仕方がないのですが、それまで体調を整えながらガマンします!子どもたちへのお土産は、羽田で買った崎陽軒の空弁「しゅうまい弁当」
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美味しかった!!!スーツケースは既に届いていて、パトちゃんが綺麗に片付けてくれていたので、私は留守中に届いた通信物をやっつけました。
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思ったより少なくて、あっという間に片付きました。その辺で集中力が切れたので、休みました。さすがに子どもたちに囲まれた途端、ホッとして急激に睡魔が襲ってきました。しばらくは日本にいるから、サポート宜しくね~♪


by beijaflorspbr | 2017-05-29 22:05 | 飛行機 | Trackback
2017年 05月 19日

2017年春サンパウロ→日本へ帰る旅④JAL003便で成田空港へ

いよいよ期待大のJAL003便に乗り込む時が来ました。トランジットが長すぎてくたびれてしまいました。右がジャマイカのキングストン行き、左が成田行きと、方角が見事に違います。
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綺麗に清掃されたJAL3便に乗り込みます。
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今回はエコノミーの後ろの席、連休明けでも一席の余地のない満席状態だったそうです。残念!lここで一つ嬉しいことがありました。左肩を酷く痛めていたため、キャリーを上の収納棚に上げるのを客室乗務員の方にお願いすると、快くやってくださいました。これは有難かったですね。全員が席に着き、本当に満席だということが分かりました。お隣のA席はアジア系の男性、B席は同じアジア系の若い女性でした。二人とも大人しくて感じの良い子たちでした。
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JAL機のお隣は見慣れないジャマイカ航空?
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JAL3便は、空港の混雑によりなかなか出発できず、ウトウトしたらまだ微動だにしていない、という状況が長い間続きました。一体いつの間に離陸をしたのか、眠ってしまったために記憶が定かではありません。食前のドリンクを配る賑やかな音で目が覚めました。いつものようにトマトジュース&赤ワインを頂きました。
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お食事は天丼、久しぶりにまともなご飯を食べた!といった感じの充実したお食事で、美味しく頂きました。白ごはんは落ち着きますねえ。
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食後は定番のハーゲンダッツ
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離陸後、8時間くらいしてサンドウィッチとジュース類が配られました。この後、温かいコーヒーを頂きました。
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とにかく、このフライト中も呆れるくらい良く寝ました。そんなに疲れていたという実感はないものの、ロングフライトの前はわざと睡眠不足気味にして、身体を良く動かし、機内で良く眠れるように調整するようにしています。食べたら寝る、寝ては食べるの繰り返し。あーフライト中に何キロも太っちゃったなあ。。。なんて心配になるくらいリラックスしていました。最後の食事は、着陸2時間半前にサービスされました。最近嬉しいのが、この最後の食事がおかゆだということ。胃に優しくて食べやすいので気に入っています。
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ヨーグルトと柑橘系フルーツは、一緒に摂ると後でお腹が恐ろしいことになるので、消化の良さそうなおかゆだけをしっかり食べました。ご馳走さまでした。その後順調な飛行を続け、3便は定刻より少し早めに成田国際空港に着陸しました。南米から乗り継ぐと、どうしても片方をアメリカンやLatamを選ばなくてはならず、両社のサービスに差があり過ぎて愕然としますが、今やもうすっかり慣れて「こんなもんか!」と思う諦めもつき、却って淡々としていられるようになってきました。逞しいな私…。何はともあれ、難なく無事に帰国出来たことを神様に感謝しました。成田に到着後、荷物を大阪に送った後は、10分おきに出ている1000円バスで東京駅へ向かいました。堀江家の皆さまの深い愛情で、日本上陸一晩めは幸せに満ちたものであったことは既に報告させて頂きました。日本での限られた日々を有意義なものとできるよう1日1日を大切にして行こうと思いました。

*そういえば、あのアナウンス初めて聞きました!
「機内で急病の方がいらっしゃいます。お客さまの中で、医師、看護師の方はいらしゃいませんか?」
まあ、医師や看護師じゃなくて残念!勇気付けられること、寄り添うことならできるのになぁ〜と残念に思いました。客席乗務員の方が逼迫した表情で通路を走り回っておられました。ご病気の方に大事ないようにと祈りました。


by beijaflorspbr | 2017-05-19 22:00 | 飛行機 | Trackback | Comments(2)
2017年 01月 27日

JALのウルトラ先得で予約してみた

LINEでお得情報が配信されるJALに登録をしてみました。普段めったにお知らせが来ないのに、一昨日「JALのウルトラ先得・スーパー先得(10月28日まで予約可)」という文字が躍っていて、実際に検索してみると・・・まあ何とも安いこと!!実はまだ春の帰国について日程も決めていないのに、先の高校の同窓会には参加することをほぼ決めている私。我々同級生は、不思議なほど物故者を多く出している学年で、冗談じゃなく「生きてて良かったね!」というのをお互いに確認し合う意味合いも込めて2年おきの同窓会を全国レベルで行っているのです。前回は東京・横浜、その前は福岡、その前が広島とほぼ全国区で実施されています。ずっと常連だったTくんが、昨年の5月に亡くなっていることが分かり、同級生一同深い悲しみに暮れたものでした。今しか会えない、この時にしか会えない人たちとの旧交を温める同窓会は、是非とも参加したい行事の一つです。そこで、JALからの貴重な情報に従って該当日の予約を試みてみると、まあ何と!!大阪ー東北の某都市往復が19,000円とな!!普通に予約すると、片道が3万円以上します!しかも、予約が完了してカード情報を入力しようとしたら「お支払いは後でいいよー」という優しさ。しかし、支払期限を過ぎてしまったら「自動的にキャンセル扱いになるよ!」とも釘を刺されています。しょぼん。。。何はともあれ、空路で東北地方の同窓会に参加できそうで嬉しい限りです。・・・いや、その前に同窓会への参加表明をしなくては。日程が決まっていさえすれば、便利なウルトラ先得とスーパー先得。今回は2泊とも宿泊するホテルは決まっているので、ホテル予約はしなくても良いのですが、レールパス亡き後の良い交通手段になること間違いなしです。マイルも貯まるし、フライオンポイントも稼げるしで、今年漸くGCのクリスタルに昇格した私には何とも嬉しいニュースでした。ずっと病気がちで臥せっている日が続いていましたが、これからの楽しみを糧に頑張ろうっと!!どんだけ飛行機が好きなの?と言われても、好きなものを嫌いになることは一生ないでしょうねえ。。。それと、蛇足ですが、いつか伊丹ー札幌行きで失敗した富士山がどっちに見えるか!?のウェブサイトもあるんですねえ~「富士山どっち?」こちらでバッチリ右側の座席(前の広い席)を抑えました!!あー便利。早くその日が来ないかな?その前に・・・ブラジルー日本のチケットの予約購入を済ませなくては…。今度は帰国早々、胆嚢摘出手術も控えているので、憂鬱と言えば憂鬱ですが、後の大きな愉しみを励みにもうひと踏ん張りしようかな?
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by beijaflorspbr | 2017-01-27 19:42 | 飛行機 | Trackback | Comments(4)
2017年 01月 15日

JALサンパウロ線直行便の再開を願って・・・④最後

JALサンパウロ線の想い出 激動の世界情勢、そしてJAL破たん~サンパウロ線運休までの流れ
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1989年、出入国改正法により、日系三世とその家族は合法的に日本で仕事が出来るようになりました。日本の労働力不足を補うために、たくさんの日系ブラジル人の方々が、海を渡られました。この頃からだったでしょうか。JALの直行便の予約が満席のため、なかなか取れなくなったのは。当時週3便をジャンボ機で飛ばしていたのにも関わらず、毎便満席で飛び立っていました。9.11事件前は、ブラジル人はパスポート番号を事前登録することで、米国のビザが要らないという特別措置が取られていました。ところが、あの2001年9月の同時多発テロ事件以降、ブラジル人にも米国ビザ取得が義務付けられると同時に、ハードルが高くなり、次第に米国ビザ取得が困難なブラジル人は、JALの米国経由を敬遠するようになってきました。その頃から、欧州経由、カナダ経由、中東経由にどんどん日系人が回ってしまい、一時不思議なほど空席が目立っていた時期もありました。2002年にはSARS(重症急性呼吸器症候群)の大流行、2003年イラク戦争勃発2008年には、世界中を揺るがしたリーマンショックで、出稼ぎの方々の大挙引き揚げという最大の逆風が吹き荒れました。中には、日本政府の資金援助で帰国する人たちも大勢いて、その頃のサンパウロ行き待合室の暗い雰囲気は今でもはっきり思い出すことが出来ます。2009年メキシコで新型インフルエンザの大流行もあり、航空機を使って移動すること自体が不安になるような激動の世界規模の事件が次々に勃発する度に、搭乗客が増えたり減ったりして不安定な時期もありました。そうこうしているうちに、母体の日本航空が2010年1月には会社更生法の適応を申請し、破たんに追い込まれました。JAL再生に向けて、金融機関による債権放棄、支援機構からの公的資金注入、採算の悪い大型機の売却、大幅なリストラに加え、不採算路線の切り捨ての中に、私たちが最も必要としていたサンパウロ線が含まれていました。その時の落胆ぶりはこちらに書かせて頂いております。この発表があった時、自分たちも一緒に切り捨てられているような気がして、何とも悲しくて無性に寂しかったことを覚えています。私たち、サンパウロ在住者はいったいどうしたら良いんだろう?途方に暮れました。私たちは黙って手をこまねいていたわけではありません。日系機関が多くの署名運動をしたり、色々な方面で働きかけましたが、現在に至るまで再開には至っておりません。長年当たり前のような存在だったJALの直行便が無くなってからは、良い機会だとあちこち経由して冒険してみました。
※コースをクリックして頂くと、それぞれの搭乗記にリンクできます!

こうして放浪を続けた結果、元の鞘のJAL・ワンワールドを繋ぐルートに返り咲きました。
〇サンパウロ~ニューヨーク(AA)~成田~伊丹(JAL)
〇サンパウロ~ロスアンゼルス(AA)~関西(JAL)

でも…なんか違う。いつもいつも感じる違和感は、昔の利便性にすっかり慣れきってしまったからかもしれませんし、長年親しんだJALとは何故か微妙な違和感を感じ続けてきました。JALの直行便時代の利点を挙げたらきりがありませんが
①荷物は最終目的地までスルー(※現在は違いますよ!)
②ずっと同じ飛行機に乗ることが出来る安心感
③地上・機内全てのスタッフがとても親切
④いざという時の対応に優れている点
⑤JLGCMとしてのステータスが使える
⑥マイルが良く貯まる
等々利点を挙げたらきりがありませんが、今も世界の航空ランキングの上位に挙げられるようなJALは、私たちにとってもどこまでも信頼できる翼に違いありません。
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(グァルーリョス国際空港に到着したばかりのJALのジャンボ機、これが最後の雄姿です)

こういった点から、出来れば再びJALの「鶴丸」の雄姿を、サンパウロ・グァルーリョス空港で観られたら、いつ死んでもいいかな?と思っています。そのうちに、このブログ内で声掛けがありました署名のためのウェブサイトを立ち上げるかもしれませんが、その際には是非ご協力をお願いいたします。サンパウロにお住いの方、そして周辺の都市や他の南米各国にお住いの方、日ー伯間のご出張の多い方、どうか署名にご協力をお願いいたします。長々と独り言ばかりで申し訳ございません。今更ですが、JALサンパウロ線の復活を強く願いつつ、長い長い独り言を終わらせて頂きます。

ずっとこうしたことを書いているうちに、風邪も良くなりつつあり、来週辺りからは外出も出来そうです。暗いトンネルから漸く抜け出せたような良い気分ですが、まだ咳が続いていますので、当分用心をしながら静かに暮らしたいと思っています。お読みいただき(お読みいただいていないかも!?)ありがとうございました。


by beijaflorspbr | 2017-01-15 22:08 | 飛行機 | Trackback | Comments(4)
2017年 01月 14日

JALサンパウロ線直行便の再開を願って・・・③

JALサンパウロ線の想い出 移民の方々と
日本人移民100周年記念行事の一環として実施された「あしあとプロジェクト」(1908年から100年間にブラジルに渡った方々の乗船名簿をデジタル化した)に4年間ボランティアとして参加させて頂いた際、分かりやすく判別するために、戦前を『移民』戦後を『移住者』としようと決まりましたので、この項に書くのは『移民』された方々です。戦前ブラジルに渡った移民の数は16万人と言われています。戦後移住者が約7万人なので、如何に戦前に一部国策とは言え、家族単位でブラジルに渡って来られた方々が多かったかが分かります。乗船名簿をPCに入力する段階で、如何にたくさんの家族が意を決してブラジルに来られたかがデータを通してはっきりと見えました。戦前の移民の方々のほとんどが奥地にある農村地帯へ入植し、農業に携わりました。そんな皆さまが、漸く日本に帰国することが出来るようになるまでには、どれほどのご苦労があったかと偲ばれました。そんな意味でも、JALの翼は、長年ご苦労された移民の方々にとっての「永遠の夢と憧れ」と言っても過言ではないと思います。何人かの老移民の方々に、インタビューしたと言うわけではありませんが、自然にお話させて頂くうちに、印象に残ったお話を思い出すままに書かせて頂きます。

《70代女性》
たまたまお隣の座席に座ったご年配の女性と、長いフライトの間に世間話をしました。彼女のお話によると、「移住したのは子どもの時、12歳か13歳で学校を止めてブラジルに一家を挙げて移民することになった。両親とたくさんの兄弟がいて、皆誰もが不安だった。実際に入った(入植)したのは、大きなコーヒー園。日本移民だけではなく、ガイジン(他国からの移民)もいた。パトロン(農場主)は、良い人で、私たち子どもには優しくて、良くバーラ(飴)をくれた。12歳以上になると、エンシャーダ(畑を耕すための鍬)を持って、鐘の音と共に大人と共に働きに出なくてはいけないのが辛かった。勉強はしたくても全然できなかったけれど、それだけが残念。苦労してやっと結婚した時に、子どもたちには十分に教育を施したいので、一家挙げて思い切ってサンパウロに出てきた。幸い子どもが成長して、私を故郷に送り出してくれた。移民して初めての訪日(日本人移民の方は良くこの言い方をした)だから、とても楽しみ。故郷には親戚がたくさんいる。ニッポンがどんなに変わっているか、楽しみで仕方がない」

《80代男性》
通路を挟んで話をするようになったおじいちゃんからは、衝撃的な話を聞きました。「戦争が終わったじゃろ、俺たちは日本が負けても、日本政府が船で俺たち日本人移民を迎えに来てくれるという話が奥地で広がって、持っていた土地や家財道具を全部処分してサントス港に集結したんだ。何千何万人がおったじゃろか。でもなあ、何日待ってもニッポンの船なんぞ迎えに来やせん。デマだと分かった時は、皆でオイオイ泣いたもんだ。農作業も辛かったけど、あんなに悲しかったことはなかった。これ本当の話なんだよ」・・・言葉もありませんでした。今のように極端に情報の少ない戦後、しかも情報統制から、日本はもちろん外国のニュースなど全く入らなかった時代に、誰が何故こんな出鱈目なデマを流して、多くの移民の方々を泣かせたのか・・・・。この時ばかりは絶句しました。しかしこの話には続きがあります。(前出のおじいちゃん)「でもなあ、あの時は家族全員で何日も悲嘆して泣いたけど、おsれでもブラジルで生きていかにゃならん。それからは一生懸命汗水流して働いたよ。辛かったけど、百姓は百姓しかでけん。その後畑も買い戻して何とか生きてきたんよ。今はブラジルに来て良かったと思うとる。」お話を聞いているうちに涙が溢れて困りました。

JAL直行便に乗る方々には長い人生がギュッと凝縮しているように思いました。話を伺っているうちに、こちらも一緒に涙したり考えさせられたりし、改めて自分が置かれた立場が如何に恵まれていたのかが分かりました。それと、移民の方々は、ご苦労が長かったせいか、椅子を倒したりひじ掛けに肘をかけたり姿勢を崩したりせず、ピンと背筋を伸ばして座っておられました。私がお節介で「椅子が倒れますよ、楽ですよ!」と言って倒してあげようと思ったのですが、「このままで大丈夫!」と仰っていました。成田空港に飛行機が近付くと、静かに涙を流す移民の方も多くおられました。いつもいつもこのようにドラマチックな旅が繰り広げられていました。今度はどんな方と出会えるのだろう?そんなことも楽しみなJALサンパウロ直行便でした。
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by beijaflorspbr | 2017-01-14 22:15 | 飛行機 | Trackback
2017年 01月 13日

JALサンパウロ線直行便の再開を願って・・・②

前の文章随分長いですねえ。でも書き始めてしまったので続けます。

④JALサンパウロ線の想い出 両親と
ある時は子どもを連れて、ある時は両親に付き添って日本とブラジルを往復したこともありました。今良く思い出すのが、亡き両親のことです。子どもや孫会いたさに約30時間もかけて来てくれた両親、家が変わるごとに見に来てくれました。若い頃はエコノミークラスで頑張って来てくれましたが、年老いた頃は流石に「しんどいから良いクラスにして…」と言って弱音を吐くようになりました。その頃から、私も両親に合わせてアップグレード券などを使ってお付き合いさせてもらいました。流石にビジネスクラスの乗り心地とサービスは抜群に良くて、「慣れたら怖いなあ~」などと自分を律していました。父はお酒が大好きな人だったので、乗ったらまずお酒、食事の時もお替り、そして…エンドレスに飲むので、しっかり見張っておく必要があり、疲れました。時には「お客さま、機内では酔いが回りやすいので、大丈夫ですか?」などとやんわり言われてしまい、ちょっとは反省するもののまた飲んで・・・の繰り返し。飲むと当然トイレに行く回数も増えますので、フラフラする父を支えながらトイレへ…という修行のような時間を過ごしているうちに目的地に到着しました。でも機内の父は本当に可愛くて、CAさんたちからも親切にしてもらっていました。人を惹きつける魅力のある父でした。母はというと、どこまでも父に従う従順な妻でしたが、あまり父がやんちゃをすると怖い顔で睨み「お父さん、良い加減にしないと。。。」と一喝していました。母は旅の前に、子どもや孫の喜びそうなものをたくさん買って、スーツケースをぎゅうぎゅうにするほど、家族思いでした。今となってはあのおおらかさ、懐の深さは並みの人ではなかったな、と思います。とにかく愛情深くて素晴らしい両親に恵まれました。一度、二人っきりで帰国しなくてはいけなくなった時、「ねえねえ、〇〇ちゃん(私の名前)日本でさあ、松茸ごはん食べたくない?」と秋の味覚に釣られ、結局付き添って帰国することにしました。二人での長旅に自信が持てなかったようで、その時の帰国ほど両親の愛を感じたことはありませんでした。日本滞在期間はたった1週間でしたが、毎日生活の立ち上げや買い物や家の整理整頓に没頭し、両親からとても感謝されました。もうあんな時間は二度とないと思うと、たまらなく愛しくて懐かしくて泣きそうな自分がいます。JALの旅と両親がリンクした時、そこにはいつも二人の笑顔が浮かんでくるのでした。ありがとう、おとうさん、おかあさん。
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by beijaflorspbr | 2017-01-13 23:56 | 飛行機 | Trackback