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2017年 03月 25日

旬の食材

ブラジルの季節は秋、毎日湿気もなく気持ちの良い日々が続いています。私の左肩の不具合(50肩)は全然良くならず、寝るたびに自分の肩が重たくて唸っております(-_-;)無理矢理動かして治すか、そのまま放置して自然に治すか・・・それが大問題ですが、空を見ると癒されます。
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お買い物に行くと、久しぶりに新鮮なイカがあり、小躍りしました。
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時間がたっぷりある時は、稲荷寿司を作っておくと、なーんもしなくて良いから楽。
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ごはんものは、お寿司の他炊き立てごはんをおにぎりにしておしまい!という時も…。毎日思い切り手抜きをしています。先日運転をしてトリオさんをバスポントまで送って行ったら、肩に負担がかかってしまいました。身体の一部に不具合があると、行動半径に支障をきたすので早く治さなくちゃ…。


by beijaflorspbr | 2017-03-25 21:42 | おうちごはん | Trackback
2017年 03月 19日

想い出がギュッと詰まった堀江家の愛情弁当

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料理研究家・堀江ひろ子先生、さわこ先生、お弟子さんたちによる
「堀江家のお清め弁当」

≪メニュー≫

堀江家のレジェンドレシピ「お赤飯」
静江おばあちゃまから引き継がれた伝統の味「お煮しめ」
40年前から今も作り続けられている「チキンローフ」
ポリ袋とオーブントースターで作る「鶏の照り焼き」
泰子先生が旦那さまに作り続けた「長寿豆」
故郷宮崎の郷土料理「のた芋」
宮崎の郷土料理「飫肥の卵焼き」
卵焼きと長寿豆に関してはこの記事で頂いた記録が残っています。

≪先生方からのメッセージ≫

このお弁当は堀江泰子の愛弟子たちが力を合わせて作りました。
天国から『合格』がもらえますように。
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私にとってはどれもこれも懐かしい「堀江家の伝統の味」
その美味しさがしっかりと伝わってきました。
お弁当の写真を見ているだけで
堀江泰子先生に再会できたような気がしました。
お料理は、その家庭の味や伝統を子孫に継承していくもの、
堀江泰子先生の無言のメッセージがしっかり伝わってきて
心を強く揺すぶられました。

泰子先生がお亡くなりになられてから、幾晩も同じ夢を見ました。
それは「早く新幹線に乗らないと(泰子先生の)葬儀に間に合わないよ」
と家族にせっつかれている夢です。
実際には、地球1個を挟んでいるため、
移動には30時間が必要なのに…。
数時間で簡単に駆け付けられたら良かったのに…。
ああまた同じ夢を見てしまった。


by beijaflorspbr | 2017-03-19 23:02 | おうちごはん | Trackback
2017年 02月 09日

気持ちの良い季節到来

最近あることに取り組んでおり、ちょっと忙しい日々が続いています。今日も朝8時半に自宅を出発し、満員バスに揺られて市内中心部へ。久しぶりに会ったお友達との会話も弾み、楽しい時間を過ごすことが出来ました。私より1時間遅く車で出たトリオさん、自宅からたった13キロの距離の場所への移動は困難を極め、1時間以上かかってしまったのだとか。昔は自宅に車が3台あり、3台とも出払うことも多かったものの、子どもたちもいなくなり、今や1台のみ。サンパウロ市内は万年渋滞なので、今の私は、車よりも公共交通機関の方が時間通り目的地に着くので気に入っていて、専ら愛用しています。今は便利なアプリもあり(そうそう、先週末漸くシムカードをiPhoneにセット出来ました!)バスのルートや番号や時間まで検索することが可能です。人前では操作できませんが、建物の中などでは大丈夫なので、大いに活用しています。
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最近起こった事件から、「サンパウロは大丈夫?」「エスピリット・サント州で起こっている無法地帯はどうなっているの?」などと訊かれますが、比較的安全な昼間のみ出かけるようにしているためか、公共交通機関と徒歩で快適なサンパウロライフを満喫しています。なので、こと私に関しては心配は要りません(と言っていると危ない目に遭うよ!ととなりのおっさん=トリオさんが言っていますが)安全なタクシーアプリも登録済みなので、いざというときは役立つことでしょう。
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雨も多い今日この頃ですが、今日は何とまあ奇跡的に一滴も降りませんでした。こんな日は少し埃っぽいけれど、湿気もなく快適そのもの…。
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サンパウロ生活もいいもんですよ、いやほんと。ところで、最近古いドラマを観まくっております。ムスコがBDに焼いてくれた松潤の「花男」や山ピーの「コード・ブルー」「私に恋したお坊さん」などの昔のドラマにド嵌りしています。クルクルと好きなタイプが変わって行く自分に少し嫌気がさしていますが(笑)地球の反対側に居ても自由にドラマやドキュメンタリーが見られる便利な世の中になったことに感謝。明日も早朝からお弁当を作って外出します。野菜類の下ごしらえは完了し、ご飯は午前6時半に炊き上がります。今週は日本からお客様が来られるため、週末までずーーっと忙しい。でも凄く楽しみ😊もしかしたらブログ記事が何項目か飛んでしまうかもしれませんが、ご容赦くださいませ。

それと、こうして日々駄文を綴っている中で、その内容についての個別のお問い合わせや励ましのお言葉をたくさん頂いていることに感謝しています。今年の6月でブログを書き始めて10年になりますが、これまで何とか困難を乗り切って続けて来られて良かったと思っています。拙い記事も多く、読みずらいかもしれませんが、これからもハチドリブログをどうぞ宜しくお願いいたします。


by beijaflorspbr | 2017-02-09 20:00 | 散歩 | Trackback
2017年 01月 31日

バスの中で感じたこと

日本人は概ね、公共交通機関で大声でプライベートなことを携帯を使って話す人は少ないと思うのですが、サンパウロでは、他人への迷惑は全く考えず、30分でも1時間でも声高に話している人が日常茶飯事。随分慣れたとはいえ、何故ここで話す必要があるの?そんなプライベートなことを大声で話す?電話中に夫婦喧嘩?妻が夫を一方的に責め立てる?週末の予定をバスの中で簡単に決めちゃって良いの?と???だらけ(笑)聞き耳を立てている訳でもないけれど、自然に耳に入るので、意に反して聞いてしまいます。そんな中で、昨日のバス車中では、若いお母さんが案の定長々と話している最中に、1歳にもならない幼い子どもがむずがりだし、最後は大声で泣き始めました。それでもお母さんは平気で話を続けています。どんな神経しているんだろ?と意地悪な中高年のおばさん(私のこと)は冷たい視線を浴びせかけてしまいました。そこは一旦電話を切って子どもの世話をするべきでしょ。子どもがあまりにも大声で泣き続けたので、諦めて「泣き止んだらもう一度電話するわ」と。。。その後持参していたヨーグルトを与え、少し落ち着きました。食べ物を与えている間、一生懸命子どもに話しかけています。「もうすぐお家に帰るわよ、帰ったらお風呂に入って気持ち良くしてあげるね、そしたらね夕飯よ。夕飯は何にしようかな?ごはん・フェイジョン(豆)・野菜の煮込みが良いわね。美味しい美味しいごはん作ってあげるからね…」優しく話しかけているうちにあれだけ泣きじゃくっていた赤んぼが寝始めました。ああそうか、お母さんの優しい声は子守歌なんだな、とそのお母さんを少しだけ見直しました。私もこんな風に優しく話しかけられる母親だったんだろうか?ちょっと反省しました。そのお母さん、子どもが寝入った後に約束通りもう一回電話…。元々話すことが好きな人なんだ、と割り切っているうちに、私の目的地に着いてしまいました。どっちにせよ、私だったら子どもの世話最優先にするけどな、その前にバスに乗らないか…。自分の子育て時代に、携帯電話が普及していなかったことに感謝。日本の電車内でも、スマホに夢中で子どもの世話を二の次にする人をたまに見かけます。時代の流れでそんなことも許容して行かないといけないのかしら?文明の利器に人間が操られないようにしなくては…、昨日観たBDで「考えることは脳を活性化させることだ」というのがありました。考える時間をこれからも大切にして行こうと思いました。
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by beijaflorspbr | 2017-01-31 21:34 | その他 | Trackback
2017年 01月 13日

JALサンパウロ線直行便の再開を願って・・・②

前の文章随分長いですねえ。でも書き始めてしまったので続けます。

④JALサンパウロ線の想い出 両親と
ある時は子どもを連れて、ある時は両親に付き添って日本とブラジルを往復したこともありました。今良く思い出すのが、亡き両親のことです。子どもや孫会いたさに約30時間もかけて来てくれた両親、家が変わるごとに見に来てくれました。若い頃はエコノミークラスで頑張って来てくれましたが、年老いた頃は流石に「しんどいから良いクラスにして…」と言って弱音を吐くようになりました。その頃から、私も両親に合わせてアップグレード券などを使ってお付き合いさせてもらいました。流石にビジネスクラスの乗り心地とサービスは抜群に良くて、「慣れたら怖いなあ~」などと自分を律していました。父はお酒が大好きな人だったので、乗ったらまずお酒、食事の時もお替り、そして…エンドレスに飲むので、しっかり見張っておく必要があり、疲れました。時には「お客さま、機内では酔いが回りやすいので、大丈夫ですか?」などとやんわり言われてしまい、ちょっとは反省するもののまた飲んで・・・の繰り返し。飲むと当然トイレに行く回数も増えますので、フラフラする父を支えながらトイレへ…という修行のような時間を過ごしているうちに目的地に到着しました。でも機内の父は本当に可愛くて、CAさんたちからも親切にしてもらっていました。人を惹きつける魅力のある父でした。母はというと、どこまでも父に従う従順な妻でしたが、あまり父がやんちゃをすると怖い顔で睨み「お父さん、良い加減にしないと。。。」と一喝していました。母は旅の前に、子どもや孫の喜びそうなものをたくさん買って、スーツケースをぎゅうぎゅうにするほど、家族思いでした。今となってはあのおおらかさ、懐の深さは並みの人ではなかったな、と思います。とにかく愛情深くて素晴らしい両親に恵まれました。一度、二人っきりで帰国しなくてはいけなくなった時、「ねえねえ、〇〇ちゃん(私の名前)日本でさあ、松茸ごはん食べたくない?」と秋の味覚に釣られ、結局付き添って帰国することにしました。二人での長旅に自信が持てなかったようで、その時の帰国ほど両親の愛を感じたことはありませんでした。日本滞在期間はたった1週間でしたが、毎日生活の立ち上げや買い物や家の整理整頓に没頭し、両親からとても感謝されました。もうあんな時間は二度とないと思うと、たまらなく愛しくて懐かしくて泣きそうな自分がいます。JALの旅と両親がリンクした時、そこにはいつも二人の笑顔が浮かんでくるのでした。ありがとう、おとうさん、おかあさん。
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by beijaflorspbr | 2017-01-13 23:56 | 飛行機 | Trackback
2017年 01月 12日

JALサンパウロ線直行便の再開を願って・・・①

前の項、独り言にしてはかなり長かったかなあ?と反省しきり。興味のない方にとっては苦痛な長文ですね。いつまで続くのかは分かりませんが、自分自身も体調が未だ思わしくなく、当分外出禁止ですので、もうちょっと呟きは続きそうです。では、2010年9月まで元気に成田とサンパウロの空を飛んでいたJALサンパウロ直行便についての思い出話を家族の想い出と共に語らせて頂きます。

③JALサンパウロ線 サンパウロ→ニューヨークまで
とにかく間にトランジットが入るとしても、合計28時間超えのロングフライトです。タイムテーブルとしては、深夜にサンパウロ・グァルーリョス空港を出発し、夜間飛行を経てニューヨークJFK空港に翌朝到着。約3時間のトランジットを経て同じ飛行機に再搭乗をしました。ニューヨークに到着した搭乗客が一斉に降機し、入国審査場を通り再出国手続きや買い物などをしている間に、サンパウロから一生懸命飛んできた飛行機は、給油や食事の搭載、機材メンテナンスや清掃を行います。サンパウロで預けた大きな手荷物は、もちろんピックアップせず、預けっぱなしですので、この点が一番利点だったように思います。乗客の把握や飛行機のメンテナンスは、次の搭乗時刻までにきっちりと完璧に行われました。この何十年もの間大きく遅れたのは燃料タンクの故障、ただ1回だけでした。今でも定時発着率の高い日本航空は、昔からかなり優秀で安心感がありました。特に親族の誰かの体調不良で緊急に日本に駆け付けなくてはいけない時などには、本当に助かりました。父の場合は、亡くなってから知らせが来たため、予めパリ在住だった兄が帰国をして葬儀の日程を決めました。それは私の帰国を待って通夜・告別式を行うと言うものだったため、時間が遅れると予定が全て狂ってしまいます。そんな点では、JALの直行便が大いに助けになってくれました。ついでに言うと、父の逝去の報に伴い、直ぐに旅行代理店に駆け付けると、即座に帰国のための座席を抑えてくださいました。1995年の阪神淡路大震災の際も、親族が被災されたご家族が飛び乗って帰国したのもこのJALの飛行機でした。緊急時には適切かつ誠実に対応してくださるのも、信頼の翼ならではと思いました。もちろん私の乗った便は、予定通り成田に到着し、大阪までもう一度飛んで迎えの車で無事に父との対面を果たすことが出来ました。私と同じような事情を抱えた人は山ほどおられ、「〇〇さんのお父様が急変されたらしい」とか「××さんのお母様が息を引き取られたそうよ」といって飛行機に飛び乗ったという話を良く聞きました。

さて、話が大きく逸れてしまいました。サンパウロ線に乗る時の話に戻ります。サンパウロ線は長旅でしたから、ある程度の「装備=手荷物」も必要ですので、ほとんどの人が大荷物を担いで乗り込んできます。ブラジル人や日系人は枕まで持ちこむ人がいるのは既に見慣れた光景ですが…。これに対しては、JALの職員が飛行機とロビーとを結ぶボーディングブリッジにたくさん待機していて、搭乗客の荷物に目を光らせて大量に荷物を持ち込もうとする人のチェックをしていました。今私自身が苦しんでいる、アメリカン航空などで、異常に手荷物の多い搭乗客が荷物収納棚を全て独占するという悲劇は、JAL直行便ではほぼ起こりませんでした。たまに常識外れの大きなキャリーを運び込もうとする人には、入り口で客室乗務員さんが「そのお荷物は棚に収納しきれませんので、こちらでお預かりさせて頂きます」と根気良く説明していました。また各座席にもちゃんと乗務員の方が待機して、必要とあらば荷物の収納もお手伝いしてくださいました。我が家は基本的に一人1個ずつ、私はハンドキャリー1個に小さめの肩掛けバッグ1個たまにお菓子の入った紙袋、子どもたちはそれぞれリュックサック1個ずつにお菓子やおもちゃを詰め放題にして…(笑)全ての搭乗客が座席に納まると、何度も何度も地上職員が搭乗客の数を数えに来ます。その間に、子ども連れの人にはおもちゃや絵本が配られます。機内には、日本の新聞や週刊誌の他、ブラジルのVejaなどの雑誌やO Estado de Sao Pauloなどのブラジルの新聞も搭載されていました。今はエコノミークラスに新聞サービスはありませんが、当時はエコノミークラスでも新聞や雑誌などを配ってくださいました。飛行機が飛び立つ頃には、子どもも親もくたびれ果てて、うっかりすると爆睡中に離陸してしまった、などということは何度もありました。ゴーゴーという煩いエンジン音と、食事の用意をするカチャカチャした音で目が覚める始末。案外子どもたちの方が元気でテーブルを出して食事を待っていた、なんていうこともありましたっけ。食事は子どもが小さいうちはチャイルドミールをお願いしていましたが、そのうち拘らなくなり大人と同じものを好き嫌いなく食べるようになりました。お腹が空いた時のために、必ず非常食は常備していました。子どもたちが大きくなってからも、その癖が抜けず、食べ物を荷物に入れる癖は長い間続いたように思います。あの頃が一番楽しいフライトでした。小さい子どもをただの一度も泣かせることなく、24時間を乗り切ったというのは、私のささやかな自慢です。そうこうしても、サンパウロからニューヨークは約9時間しかかからないので、あっという間です。ぐっすり眠って起きたらニューヨークだったといった感じでしょうか。JALでは到着2時間半前に機内の電気が一斉に点灯して、起こされた後、朝食が配られます。子どもたちは、この朝食も美味しそうに良く食べてくれました。大人の真似をしてトマトジュースをお願いしてはゴクゴク美味しそうに飲んでいました。着陸までにパジャマを洋服に着替えて、いつでも降機できるように用意します。トイレにはなるべく並ばないように、食事が終わったか終わらないかくらいで済ませるようにしていました。身体が小さいので、隙間を上手に抜けてトイレまで走って行っていました。大きなジャンボ機は、子どもたちの運動場のように感じることもありました。楽しそうに一回りして帰って来た子どの楽しそうな顔を今でもはっきりと思い出すことが出来ます。子どもたちも、何度も往復していううちに要領を掴み、上手に行動できるようになってきました。そんな姿を見て、次第に大人になっていくプロセスも見守ることが出来ました。一人で旅をするようになってからは、気が楽な分、大きな忘れ物をしたような気持ちになったものです。こんなことを書いていると、もう大きくなった子どもたちに無性に会いたくなって仕方がありません。私はそれだけ子どもに依存する母親だったのかもしれません。面倒を見ると言いながら、見られていたのかな?なんて今ではそう疑っています(笑)機内でCAさんたちに一番可愛がられ人気があったのは、末っ子のムスコでした。私がそろそろ休みたいなと思うと、スーッとCAさん来られて「しばらく〇〇くんをお預かりさせて頂いても宜しいですか?」と連れて行ってくださいました。30分でも随分熟睡できたものでした。たくさんの親切な方々に支えられたフライトこそ、このサンパウロ線だったのでした。
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今日も思い切り長くなってしまいましたので、また明日。


by beijaflorspbr | 2017-01-12 23:10 | 飛行機 | Trackback
2016年 11月 09日

日本での携帯電話環境について

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1日が過ぎるのは早いもので、もうすぐ日付が変わってしまいそうです。久しぶりに親しいお友達と長話をして、かなり楽しい時間を共有できました。さて、今日は時代遅れの私のお話です。もうすぐ「今日」が終わってしまいますが、聞いて頂けたら嬉しいです。私は16年前にD社の携帯電話を契約し、ずっと裏切ることなく同じ電話番号とメールアドレスで今日まできました。日本にいる期間も年間3ヶ月以内と限られているため、高い維持費を支払ってスマフォに換える気は更々なく、出来れば日本ではD社、ブラジルではV社のシムを入れ替えつつ、両方の国で不自由なく使いたかったのですが、D社の対応が余りに酷かったため、契約内容はそのままでガラケーに据え置くことにしました。それにしても、このD社でガラケーを新しく買うと4万円しますよ、という言葉は本当の話なのかな?そして予めA社で買っておいたシムフリーアイフォンに、今流行の格安SIMを新たに契約して、今日から漸く正常に使い始めることに成功。アイパッドやPCともデータ共有できるので、とても便利です。但し、最新の機器ではないし、モニターがかなり小さいので、少しだけ入力に時間がかかってしまいます。ブラジルに帰る時は、このSIMをここに置いて家族に使わせようと思っています。こうした時代に付いて行けるのかどうか…。63歳のおばちゃんの挑戦はまだまだ続きます。。。今日は餃子を100個拵えました。家事も頑張っていますよ~♪明日年に一度の健康診断で何も異常がありませんように!そのあとは、いよいよ大型冷蔵庫の買い替え準備にかかります!


by beijaflorspbr | 2016-11-09 23:50 | その他 | Trackback
2016年 09月 29日

久しぶりに頭を使った日々…

かなり久々にレポートをまとめる作業をしました。字は見えないは、タイピングは間違うは、肩がこるはで苦戦しましたが、終わりというものは来るものですね。あちこちを端折って(笑)何とか形に出来た時はホッと一息。この達成感が味わいたくて長年勉強会グループに所属してきたのかもしれません。ただ楽をしていても済むのに、遊んでいても時間は過ぎるのに、寝ていた方が楽なのに、楽しいことばかりしていても人生を送ることが出来るのに、時々立ち止まったように、こうして教材と睨めっこする時間もまた新鮮なものに感じました。女性ばかりの勉強会グループ「ブラジルを知る会」も来年で20周年、これまでたくさんのメンバーがこの場でふと立ち止まって「もっとブラジルを知ろうよ」「ブラジルを学ぼうよ」と集まってくださいました。例えそれが形にならなくても、成果があがらなくても、この時間この場にいたことが良い想い出になったらいいなあ~と思いながら後輩の方々と良い時間を共有させて頂きました。
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『移民』と一言でいっても色々なパターンがあり、なかなか簡単には言い表せません。それぞれの家族にはドラマよりもシリアスな真実があったのでしょうし、良い想い出のなかった方もおられたかもしれません。絶望感から見事に建ち上がった移民の方々の強い意志は、現代に生きる我々をも勇気づけてくれるものです。過去を振り返り現代に感謝する…これがどれほど大切なことなのか、ということを学ばせて頂きました。
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上品なお菓子&美味しいコーヒーをありがとうございました。良い一日に感謝!!


by beijaflorspbr | 2016-09-29 21:01 | ブラジルを知る会 | Trackback
2016年 09月 24日

苦戦中!!!

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錆び付いた頭に地図上の細かい字・・・聞き慣れない地名、モータリゼーションの影響で廃線したブラジルの鉄道を点で結ぶ作業は流石にひとりでは出来ないので、ジモティー(地元産まれ)のトリオさんの力を借りました。
「〇〇ってどこ?」(地名を読み上げる私)
「見えないよ」
「えっ?老眼鏡かけなよ」
「いや、ママの頭が邪魔で見えないんだよ…」
あ、そうか!(^◇^)失礼しました!!それにしてもブラジルは広い、その中のサンパウロ州もかなり広大です。さすがに人口4400万人を抱える巨大な州です。そんなこんなで久しぶりに頭の体操中。ま、広く浅くってことで勘弁して頂きましょう。日本人ブラジル移民の109年に渡る歴史に思いを馳せる日々が続いております。さ、もうちょっと頑張ろうっと。でも…ごはん作らなくちゃ。


by beijaflorspbr | 2016-09-24 22:39 | 移民&日系人 | Trackback | Comments(4)
2016年 09月 23日

母を天国に送って10年(母の命日)

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ちょうど10年前の2006年9月23日午前1時15分、私の最愛の母は厳しい闘病を経て眠ったまま旅立ちました。天国という私たちがどんな手段を使っても決して行くことのできない遠い場所へ…。いつか誰もが必ず行く場所だということは分かっているものの、なかなか現実を受け止めることが出来ず苦しい時間が流れました。あまりの悲しみの深さに愕然とし、どうしても母を送る勇気がなくて、未練がましく「お母さん~帰ってきて~寂しいよ~」と誰もいない霊安室で泣きじゃくった日からもう10年。後でゆっくり考えると、実に多くの方々が私たちのために気持ちを寄せ、動いてくださったと言うことに気付かされました。ふとした時にまだ思い出してメソメソする日もあるし、夢に出てきたらホワっと温かい空気が流れる日もありました。色々な感情が交錯しながらももう10年が経ちました。めっきり体力も衰え、白髪も激増中のおばあちゃんになった娘のことを、再会した母は何と言うでしょうか。「あんた、もうちょっと身嗜みには気を配ったらどうなの?」と顔を顰めて言われるのは確実。母は、誰も来ない日でもちゃんと身嗜みを整えてお化粧までしていたんですから。スッピンの普段着で近所のスーパーへと走る誰かさんは、母からしたらきっと宇宙人に見えちゃうかも。ああ、改めてもう一度母に会いたい!ちゃんと言えなかった感謝の気持ちと、ほんの少しの親孝行が出来たらなあ~、おかあさん、改めてありがとう!車椅子を押すから一緒にお買い物に行こうよ!!

加筆…こちらはまだ9月23日(金)です。毎週金曜日は、買い物日なのでリベルダージに行って来ました。肩にずっしりと食い込むくらいの買い物を済ませ、いつものように徒歩で入ることが出来るコンドミニアムの入口へ。いつもならここに夫が車で迎えに来てくれるのですが、今日は同時刻に歯医者に行ったため、徒歩で帰宅しました。ポルタリアから自宅は1キロの距離。急に暑くなり直射日光も容赦なく照り付ける中、3袋の重たい買い物袋を抱えて帰宅した時は、あまりの疲れのため、しばらく座り込んでしまいました。買って来た鰹の刺身と豆ごはんと貝汁で一息。さすがに疲れたのか、お腹が落ち着いた途端にベッドへ入って久しぶりのお昼寝をしました。すると、何と夢に母が出て来てくれました。私がいつまでも母のベッドで寝て起きないので、叱られている夢でした(笑)困ったような顔の母は、私がグースカ寝ている傍でひたすらウロウロしていました。起きてみたら「あーやっぱり夢だったか・・・」ちょっと脱力してしまいました。でも久しぶりに会えた気持がして無性に嬉しい午後のひとときでした。
(中島みゆき『時代』)


by beijaflorspbr | 2016-09-23 09:29 | 両親を想う | Trackback