ハチドリのブラジル・サンパウロ(時々日本)日記

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2017年 03月 19日

想い出がギュッと詰まった堀江家の愛情弁当

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料理研究家・堀江ひろ子先生、さわこ先生、お弟子さんたちによる
「堀江家のお清め弁当」

≪メニュー≫

堀江家のレジェンドレシピ「お赤飯」
静江おばあちゃまから引き継がれた伝統の味「お煮しめ」
40年前から今も作り続けられている「チキンローフ」
ポリ袋とオーブントースターで作る「鶏の照り焼き」
泰子先生が旦那さまに作り続けた「長寿豆」
故郷宮崎の郷土料理「のた芋」
宮崎の郷土料理「飫肥の卵焼き」
卵焼きと長寿豆に関してはこの記事で頂いた記録が残っています。

≪先生方からのメッセージ≫

このお弁当は堀江泰子の愛弟子たちが力を合わせて作りました。
天国から『合格』がもらえますように。
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私にとってはどれもこれも懐かしい「堀江家の伝統の味」
その美味しさがしっかりと伝わってきました。
お弁当の写真を見ているだけで
堀江泰子先生に再会できたような気がしました。
お料理は、その家庭の味や伝統を子孫に継承していくもの、
堀江泰子先生の無言のメッセージがしっかり伝わってきて
心を強く揺すぶられました。

泰子先生がお亡くなりになられてから、幾晩も同じ夢を見ました。
それは「早く新幹線に乗らないと(泰子先生の)葬儀に間に合わないよ」
と家族にせっつかれている夢です。
実際には、地球1個を挟んでいるため、
移動には30時間が必要なのに…。
数時間で簡単に駆け付けられたら良かったのに…。
ああまた同じ夢を見てしまった。


by beijaflorspbr | 2017-03-19 23:02 | おうちごはん | Trackback
2017年 01月 11日

JALサンパウロ線直行便の再開を願って・・・プロローグ

最近あるグループに入れて頂きました。私が大好きなJALの飛行機やその他JALに関する情報を交換し合うグループで、非公開というのも気に入っています。まずは管理人さんに承認して頂き、挨拶がてら書き込みをさせて頂いているうちに、今は運休となったJALサンパウロ線に関して思い出したことがたくさんありましたので、これも備忘録として加えさせて頂こうかと思います。飛行機に興味のない方すみません。

①JALサンパウロ線の経路や使用機材について
1978年くらいから試験的にJALが南米と日本を結び始めたと記憶しているのですが、最初はDC10という小型機でした。座席は3-3の配列で、今のグァルーリョス国際空港ではなく、サンパウロ市からは100キロ離れたカンピーナス市のヴィラコッポス国際空港から発着していました。この飛行機に乗ろうと思うと、かなり早くから自宅を出発して夜中に帰宅すると言う大変な苦労を伴うものでした。1985年頃には、最新鋭のジャンボ機Boeing747-400が投入されるようになり、一気に大量輸送が実現しました。サンパウロ線が運休した2010年9月まではこのジャンボ機を変わらず飛ばし続けていました。途中リオのガレオン(=アントニオカルロスジョビン)国際空港を発着地としていた時期もあったように記憶しています。サンパウロからは市内専用のコンゴニャス空港から小型機でリオのガレオン空港まで飛び、JALの大型機に乗り換えて米国経由で帰国していました。最終的には、サンパウロ・グァルーリョス空港ーニューヨークJFK空港ー成田国際空港が定着していました。米国の経由地は、かなり長い間、ロスアンゼルス国際空港でしたので、私も2-3回はトランジットでロスに降り立ったこともありました。9.11事件からは、毎回米国への入国と通関義務が生じ、入国管理場の混雑の影響でしばしば出発便に遅延が発生したこともありました。9.11事件より随分前には、同じ飛行機で最終目的地まで向かうためか、貴重品以外は全部機内に置いていって良いことになっており、子連れの私にはとても楽でした。但し手荷物は全て棚へ収納しなくてはいけませんでしたが、今ではとても信じられない夢のようなお話です。トランジットカードを受け取って、専用の待合室で待つのも結構楽しかった記憶があります。小さな売店で子どもたちが欲しがるものを色々買ってあげたり、亀の置物で遊んだり、あまり広くないトランジットエリアを走り回ったりしているうちに、待ち時間はあっと言う間に過ぎました。空港の関係で、一時はサーカス小屋のようなトランジットスペースで待ったこともありました。あれはLAXだったかなあ?トランジットの際、一度息子が遊びに夢中でお漏らしをしてしまい、着替えを機内に置き忘れたため、大きなTシャツを買って着せた覚えがあります。

②JALサンパウロ線に乗る人たち
時代の流れとともに、搭乗客も変化を遂げたように思いますが、中心となったのは、日本企業の駐在員とその家族と出張者、移民や移住でブラジルに来られた方々と家族、そして私たちのような現地在住者とその家族、日系人とその家族で、それに加え少数のブラジル人や、アジア系の方々も乗っておられました。1989年の出入国管理法改正により、一気に出稼ぎの流れが勢いを増し、出稼ぎを目的として、片道チケットで乗る人たちが多くなったのも大変革でした。空港にスーツケースを持って行き、空席待ちをかけて待機している人も長い行列を作っていましたが、大体は満席で毎便飛び立っていた記憶があります。後に、米国の入国管理が義務付けられた後の日系人は、ビザ取得の難しい米国経由を避け、欧州や中東経由で日本へ移動することが多くなったようです。また在住者の日本在住の家族や親戚の呼び寄せも多く、我が家も呼び寄せチケットで両親にブラジルまで来てもらっていました。私が最高人数で乗った数は両親・私・子ども3人の6名でしたが、3人の子どもたちが二重国籍なので、パスポートが合計9冊という添乗員並みのボリュームで大変でした。この直行便には、ブラジル国内だけではなく、他の南米各国からの乗り継ぎ客も大変多く、いつかアルゼンチン在住の知人3人が真後ろの席に座っていた時は、お互いに笑ってしまいました。誰もが長い間故郷である日本を想い、日本に憧れて、「乗ったそこから日本」を体感したくて日本航空を選んで乗ったのだと思います。当時は、子どもたちの学校の関係もあり、今のように季節を選んで帰国すると言うことは許されませんでしたし、他にもVARIGブラジル航空など直行便を飛ばしている会社もありましたので、選択肢は色々でした。「今度は何で帰るの?」が我々の挨拶代わりでしたが、当時我が家もVARIGや旅行代理店に伝手があったため、たまには浮気をしてVARIGの格安航空券で帰国したこともありました。チェックインの際に、良く子どもの同級生や家族に会ったり、知り合いや友達にも会いました。さながら学校がそのまま移動してきたような騒ぎとなることもありました。当然春・夏・冬の休み前が大変混み合い、その時期に座席を抑えるのがとても難しくなってしまいました。ブラジルはサッカー大国ですから、たまにはブラジルの有名サッカー選手が団体で乗っていて、運が良ければそれに遭遇することもありました。当時サッカー少年だった息子が、選手の輪の中に入って喜んでいたので「なんていう名前の選手?」と訊くと「知らない、でもテレビでは観たことある」なんていい加減な答え方をしていましたっけ。トヨタカップに行くサンパウロFCの選手たちでしたが、名前を知らないとは!!本当にたまにですが、エコノミーからビジネスクラスにインボラアップグレードをしてくださることもありました。見送りの家族が「どうだった?」と訊かれるまでもなく、顔で分かろうと言うものです。その他、サンパウロ線は長距離のため、たくさんマイルも貯まるので、マイルやアップグレード券を使って、この最長路線では結構贅沢をさせてもらった想い出がありました。家族と過ごした貴重な時間を今目を瞑っても鮮明に思い出すことが出来ます。昔は喫煙席も設けられており、父が愛煙家だったため、それが嫌でたまらなかったものです。一つ思い出すともう一つ…想い出の引き出しがどれだけあるかはわかりませんが、しばらく語らせてくださいませ。
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・・・昔の思い出話をするとキリがありませんが、またこの続きは明日書かせて頂きます。年を取ったのかなあ?昔が懐かしい。。。


by beijaflorspbr | 2017-01-11 23:38 | 飛行機 | Trackback | Comments(14)
2014年 03月 17日

2013年神戸ルミナリエへ

また思い出のチャンネルをブラジルから日本にちょっとだけ戻しましょう。2013年12月6日、真冬にしては珍しく生暖かい日でした。大阪・なんばの行きつけの美容院に行った後、パトちゃんと合流をして神戸まで足を延ばしました。阪神淡路大震災の犠牲者への鎮魂の願いを込めた「神戸ルミナリエ 」は、1995年12月に初めて開催され、今回で19回目を迎えました。以前2回ほど行ったことがありますが、真冬のことで非常に寒くて辛い、という記憶が残っていて足が遠のいていました。少し早めに行ったのが功を奏し、点灯するところを見ることができました。真っ暗な空にぱっと光が点灯された時は、息を呑む美しさでした。一斉に「わぁ~キレイ」とあちこちから歓声が挙がります。
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ゆっくりゆっくり前に進みましょう。「立ち止まらないでください!」と言われても、前がちっとも進まないのでこちらも足止め状態でいくらでもゆっくりと写真を撮ることができました。
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美しゅうございます~♪
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例えどんなにゆっくり歩いたとしても、ものの15分くらいで光のトンネルを抜けてしまいます。後戻りは出来ないので、そのまま公園に押し出されるように進むしかありません。公園中央部は眩いばかりの光のページェント。
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中はシンデレラのお城のようにキラキラ輝いていて、それはもう美しいこと!
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そろそろ大阪に帰りましょうか。
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あー楽しかった。ブラジルに帰る一日前に思い切って行って良かった。来年も行けるかな?
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災害の記憶を人々の心に長く留めるこのような行事は、これからも長く続けて欲しいと思いました。ささやかながら募金もさせて頂きました。3か月半も経つのに、まるで昨日のことのように思い出されます。ここしばらくは帰れない日本、と思うと余計に祖国に対する愛しい思いが込み上げてきます。でもいいんです。もうすぐ愛娘のパトちゃんが7年ぶりにブラジルへ里帰りしてきます。待ちに待ったその日も明後日に迫って来たので、楽しみでなりません。無事に帰って来てね~、待ってるよ~♪母親の時のように、ストップオーバーしませんように~ (笑)いや、それはそれでなかなか面白いけど。。。!(^^)!


by beijaflorspbr | 2014-03-17 10:39 | 日本 | Trackback
2013年 02月 25日

Nordeste(東北伯)の手作りレース

我が家に何点かあるこんなレースのクロス。随分昔々に買ったものですが、また最近食器棚を整理している時に発見。最近良くテーブルにかけて使っています。
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目が詰まっているものほど高いそうですが、これはどうでしょう?実は、両親が1994年にこちらに遊びに来てくれた時に、母が気に入って購入したもの。いくらくらいしたのかも全然覚えていませんが、そんなに安くはなかったかも!?手作り1点ものに惹かれて、張り切って日本に持って帰ったものの、案の定「もったいなくて使えないからあんたにあげる!」って・・・(^_^)/やっぱり・・・。喜んで持って帰ったものの、母の血を引く娘の私、やっぱり勿体なくてずっとしまってありました。
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下にクロスを敷き、上にこのレースをかけると、何とも素敵に!先日見えたお客さまが「まあ、ステキどこで買ったの?」なんて聞かれるほどでした。宝の持ち腐れとはこのこと。このレースは、池田さんで求めたものでした。
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昔は大きなカバンに商品を入れてあちこちの家を回られていた池田さんは、娘同士が同級生というご縁で、随分色々なものを買わせて頂いておりました。特に、小さいレースは日本の家にも置けるので、何度もお土産にしたものでした。大体10ドル→上は果てしなく・・・ですが、予算に合わせて選べるのが利点です。池田さんも昔と変わらぬ優しさで接してくださいます。
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ちょっと高そうなこんなものも・・・。
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この時は、ある方への記念品を選びました。私が欲しくなっちゃいましたよん~♪
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ブラジルの国鳥トゥカーノや、北のバイアーナをモチーフにしたステッチを施した小物も多数揃っています。
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日本へのお土産候補に如何でしょうか?因みにこのお店、クレジットも使えます。場所は、日本食材店のMade in Japanの並び(入口から見て左手)にあります。

Artesanato IKEDA Avenida Brigadeiro Luís Antônio, 2344 Loja04 TEL: (11) 3283-0098

by beijaflorspbr | 2013-02-25 21:36 | サンパウロ生活情報 | Trackback