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2017年 04月 21日

おおシャンゼリゼ~

【パリ=共同】パリ中心部のシャンゼリゼ通りで20日夜(日本時間21日未明)、何者かが自動小銃で警察官を襲撃、2人が死傷した。警察は襲撃犯を射殺した。襲撃犯の動機や背景は不明。地元メディアによると、警察は共犯がいる可能性もあるとみて、付近を捜索している。 
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パリは見どころが多く、この真っ直ぐ凱旋門へと続くシャンゼリゼ大通りは、パリっ子の誇りと言っても過言ではありません。そんな大切な場所でテロ事件が起こってしまったと聞いた時は、衝撃を受けました。
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歩きやすいゆったりした遊歩道には、地元の方々だけではなく、多くの観光客も犇めいています。その顔を見ると、皆とっても楽しそうに歩いておられ、こちらまで幸せな気持ちになったものです。私もシャンゼリゼは大好きな通り、特に用事がなくてもお散歩に行ったこともありました。兄がパリに居る時は、良く遊びに行かせてもらったこともあり、今でもパリに行きたいという気持ちは強くあるものの、言葉の問題やこういったテロの脅威から、次第に足が遠のいていくのは残念で仕方がありません。いつかテロも絶滅し、心穏やかに美しいパリの街を歩くことが出来る日がくることを心から願っています。

ついでに言えば、もう一か所行きたい地はドイツの保養地バーデンバーデンです。
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昔の想い出が忘れられないなんて、私も年を取ったものです。。。(笑)そろそろ欧州に行きたいなあ~♪夢があると言うのは良いことなのかもしれません。
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(バーデンバーデンのカラカラテルメ、再訪したい地ナンバーワン)


by beijaflorspbr | 2017-04-21 21:37 | 美しいもの | Trackback
2017年 04月 10日

癌という病について…

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こんな夕暮れを眺めていると、どうしてもこの時期に経験した自身の大きな病と向き合う時間が訪れる。13年前の今頃、私はある総合病院の外科病棟のベッドに力なく横たわっていた。その時に眺めていた夕日とリンクするからだ。その2週間前に突然宣告された「直腸癌」という聞きなれない病名。何度かくじけそうになったり絶望的になったりもしたが、周りの方々の力強いサポートにより、ちゃんと正しく闘って行こう!と前向きに受け止められるようになった。お蔭で今私はちゃんと立ち直り、13年経った今も元気で生きている。生きているのではなく、神さまがお許しくださり、生かされていることを実感している。私の愛する教え子が、今日無事に還暦を迎えた。「無事に」という言葉に違和感を感じる方も多いかと思うが、4年前、彼女に告げられた病名は「癌」だった。定期健診を受ける段階で、既に癌が転移しており、抗がん剤と放射線治療が必要なことを担当医に告げられた。そんな経緯でも、彼女は常に前向きに戦い続けている。地方都市でちょっと有名な彼女は、多くの仕事仲間や友人を得て盛大に誕生祝をしてもらったようだ。はち切れそうな彼女の笑顔が溢れた写真に涙した。誰もが彼女を必要とし、温かく優しく包み込むように寄り添ってくれている。こんなにも遠く離れているけれど、私もずっと見守っている。病気を得て、初めてそんな当たり前のことに気が付く。Mちゃん、お誕生日おめでとう、近日中に会えますように!人はその漢字の通り、お互いに支え合って行かないと生きていけないのだと思ったMの誕生日。しみじみ日本に思いを馳せた時間だった。命を大切に守ろう、それは周りの人たちをたくさんの幸せで包み込むことになるのだから…。

by beijaflorspbr | 2017-04-10 21:48 | 癌と闘う | Trackback
2017年 03月 30日

永遠の学園・・・

昨夏以降、休部状態だったPL学園高(大阪)野球部が29日、大阪府高校野球連盟を脱退した。22日に脱退届を提出し、この日に受理された(毎日新聞ウェブ版より抜粋)。
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(写真は昨年の春、専用球場で懸命に練習する最後の野球部員たち)
遂に母校野球部の復活は望めなくなったようで、残念で残念でたまりません。私にとっては、8年前に甲子園球場に応援に行ったのが最後になってしまいました。母校が甲子園に出場する(した)時は、いつも異様な熱気に包まれていたような気がします。それだけ母校のファンは多く、廃部を惜しむ声はたくさんあったように思います。今は楽しかった思い出を宝物として大切に胸にしまっておきましょう。母校野球部員OBの皆さん、たくさんの感動をありがとう&お疲れさまでした。


by beijaflorspbr | 2017-03-30 20:00 | 人生 | Trackback
2017年 03月 17日

14年前のドラマ「GOOD LUCK!!」の名台詞

私がANAの国際線に初めて搭乗したのは2011年1月16日のことでした。2010年にJALがサンパウロ線直行便の運航を止めてしまったため、他の移動方法を模索する第一候補として、TAM(現LATAM)/ANA(パリ・ロンドン・フランクフルト経由)を選びました。その後、ANAを含むスターアライアンスは、私が購入するチケットのマイル付与率が悪く、どんなに頑張ってもマイルが思うように貯まらず、上級会員への道は閉ざされたも同然なので、南米と日本を2往復した後断念しました。以降、エミレーツ・ルフトハンザ・カタールなどを渡り歩いた後、これまた困難な場面の多い米国経由のAA(アメリカン)/JALでここしばらく飛んでいます。昔のJALサンパウロ直行便で楽をした付けが回ってきているのかもしれませんが、年々ロングフライトや荷物のピックアップが辛くなっているのも事実。そんな中で、昔のドラマをたまたま観る機会があり、熱心に見始めてみると、まあ珠玉の言葉があちこちに散りばめられていて改めて驚きました。それは、2003年1月ー3月にTBSで放送された木村拓哉さん主演の人気ドラマ「GOOD LUCK」です。これはANAの全面協力により撮影されたもので、今はもう見られなくなったBoeing747-400(ジャンボ機)が元気に世界の空を駆け回っている懐かしい映像が中心になっているのも魅力です。元々飛行機好きということもあり、飛行機関係の映画やドラマは欠かさず観てきました。映画で一番好きなのが「エアフォースワン」これでハリソン・フォードに一目惚れしてしまいました。これまで何回も観ましたが、同じ場面で起こる事件が予想され、ハラハラするのに、見飽きるということがありません。飛行機を舞台にすると、そこにはドラマが生まれるのですね。この「グッドラック」も、1話1話にテーマがあり、様々な人間模様が事細かに描き出されていて、14年前のドラマだと言うのに全く古さを感じさせません。今日も上の部屋の大掃除日だったので、台所に陣取って朝から熱心に見ていると、第3話の中の台詞が心に残りました。舞台は香港行きの機内で、ビジネスクラス最前列の偉い政治家が、脂汗を流して体調を崩しました。ベテラン客室乗務員二人に意見を聞いた機長が、成田へ引き返すことを即断し、無事に政治家は病院に搬送され、命が助かりました。以下が成田着陸後の機長と副操縦士の会話です。

『香田一樹(堤真一)・・・機長 ・ 新海元(木村拓哉)・・・副操縦士

香田・・・乗客は等しく乗客だ。ファーストもビジネスもエコノミーも関係ない。
新海・・・そんなこと言われなくたって分かっていますよ。
香田・・・しかし君はさっき相手がビジネスクラスの政治家だからと言って逆に偏見を持った。
     我儘な政治家だから大したことがないのに大げさに言っているに違いないという。
     もしあれがエコノミーに乗っているおばあさんだったらどうした。
     熱くなって真っ先に緊急着陸しましょうと叫んでいたのではないか。
     飛行機が好きな客もいれば嫌いな客もいる。
     俺たちはその全てをひっくるめた何百人もの命を預かる責任者だということを忘れるな。
     まずは乗客のコンディションを考えろ。
     そこに座っているだけならゴミ箱も同様だよ。
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思わず唸ってしまいました。このドラマが放映されていた頃、私自身は「おばあさん」というほどでもなかったものの、14年経った今、確かに着実に「おばあさん」の領域に足を突っ込もうとしています。最近飛行機に乗ると、昔は全く感じなかった不調がたまにあります。それはかすかに頭が痛くなったり、動悸が激しくなったり、緊張や冷えからか、肩が張ってズキズキ痛むという現象がたまに起こります。お腹が不調の時もあるので、薬は常備しています。確かに飛行機が大好きなのは昔とちっとも変っていないものの、年を取ると普段の生活環境とは違う場所に居るだけでストレスの原因になるのかもしれません。いつも当たり前のように安全運航をしてくださっている航空会社のスタッフの皆さまには、感謝しかありません。細部に渡り、随分気を配っておられることが良く分かる興味深いドラマでした。次のフライトが楽しみです。そんな熱い思いも感じながら今後のフライトを楽しもうと思っています・・・いえ、残念ながらまだまだですが・・・。
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(NH206便パリー成田便に搭乗した際に撮った一枚)


by beijaflorspbr | 2017-03-17 20:00 | 飛行機 | Trackback
2017年 01月 17日

2016年秋日本日記@堀江泰子先生のお宅へ

もう一度日本日記に戻ります。この日は、東京のお友達のお宅から成城の堀江先生のお宅に向かいました。先生とは18歳の時にご縁を頂き、現在まで変わらず気にかけて頂いており、ずっとお付き合いが続いています。もし日本にずっといられるのであれば、堀江家の年中行事である旦那さまや先生のお誕生日のお祝いや、ひな祭り、餅つきやお節料理などを頂く機会があったのにと思うと残念でなりません。それ故、帰国した時は必ず何を置いてでも訪問するように心がけています。堀江先生とのご縁を書いた「スタートは18歳から」で詳しくいきさつを書いたように、先生とのご縁は既に45年前から始まっていました。旦那さま101歳、泰子先生94歳の冬…。成城の街並みは昔とちっとも変わりません。
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先生宅に近付くと、とっても賑やかな声が聞こえてきました。この日はお稽古日で、特別にクリスマスメニューの日でした。たくさんの生徒さんが一生懸命メモを取りながらお料理をされていましたが、私は久しぶりにお目にかかる旦那さまや先生と積もり積もったお話をするのに夢中になっていました。先生は私のことが良く分かって、「良く来てくれたわねえ~」とか「いつまでも頭しっかり元気でいなくちゃ」と自分自身に気合を入れておられる姿に、ちょっと安心しました。ご高齢のお二人を拝見していると、しんどいとか年取ったなあ~なんて決して弱音を吐けません。お料理が出来上がって、旦那様、先生と共に食卓に着かせて頂きました。生徒さんも、「ああ、ブラジルのハチドリさんですね!」なんて、結構知名度が上がっているのには驚きました。クリスマスのメニューだけあって、ビックリするくらい豪華な一品一品、もちろん肝心なレシピも頂きました。後でおさらいをしなくてはいけませんね。
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泰子先生の食事介助をするのに、「口に入っているのに入れない!」なんて叱られながら(笑)楽しく試食を終えました。いつも感心するのは盛り付けの美しさと味の良さ、家庭料理は日常的に口に入るものなので美味しくなくては…という泰子先生のお考えを、ひろ子先生、さわちゃんがしっかりと引き継いでいます。
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皆が試食している横で、さわちゃん(料理研究家・ほりえさわこさん)がケーキの仕上げを黙々としていました。
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最終的にお星さまの形に仕上がって、真ん中はヨーグルトにフルーツ
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しっとりしていて本当に美味しいケーキでした。泰子先生もたくさん召し上がられて、ホッとしました。午前の部の生徒さんがお帰りになるのと入れ替わりに、午後からの生徒さんが来られて益々賑やかに…。何度もお邪魔しているので、何度もお目にかかったことのあるベテラン生徒さんもおられました。続きます。

by beijaflorspbr | 2017-01-17 23:11 | 人生 | Trackback
2016年 10月 02日

雲の汽車

今日は日曜日、子育て中は日曜日が待ち遠しかったなあ~♪でも今は毎日が日曜日~という中でも、最近は特に忙しい日々が続いています。移民のお話のための準備、移民で辛酸をなめ、苦労をした義両親が遺してくださった不動産関係の諸手続き、来週の所属する会の半期総会では、担当である会計のまとめと準備、そしてフェイジョアーダの会に備えた買い物と掃除、翌週の飲食店向けフードイベントの手伝いと下準備などなど…。ずっと慌ただしい日々が続いております。下のサロンの掃除はジュラシーくんがほぼやってくれましたが、細かいツメはまだまだ。元々人さまをおもてなしするのが大好きな私、我が家まで来てくださるお客さまに喜んで頂けるよう精一杯頑張ります。今日の予定は、トリオさんがサンパウロ市長・市議会議員選挙に投票後(ブラジルの選挙は義務で、欠席をすると罰金が発生)、義姉の家に用事があって寄った後、二人でフェイラ(朝市)&スーパーの梯子をしに行く予定です。お昼はエルがご飯を食べにくるので、リクエストのお好み焼き&昨日60個拵えておいた餃子を出してあげましょうかねぇ。どうしても大家族時代の癖が抜けず、今でも大量に作ってしまう癖が未だ残っています。誰か餃子要りませんか~?(^◇^)
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昨晩風邪気味のトリオさんに放った言葉。
「今は絶対に風邪を引いたらダメ、葛根湯とプロポリスでちゃんと治して!( `ー´)ノ」
「分かったよぅ~ママはいつも厳しいねえ~(-"-)」
私は悪妻かい!!ま、色々ありますが、順調に「こと」は運んでいるので、後は着実にスケジュールをこなすだけだな、よし頑張ろう!!
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我が家から見るこんな夕方の光景を見ていると、当然のようにこの嵐の名曲「ふるさと」が頭に浮かびます。2011年の紅白歌合戦で、被災地で発見され、見事修復されたピアノで櫻井翔くんが奏で、皆で歌った「ふるさと」を聴いた時、何とも言われぬ感動を覚えて、それ以来彼らの大ファンになってしまいました。
「夕暮れせまる空に 雲の汽車見つけた 懐かしいにおいのまちに帰りたくなる~♪」
残念ながら今年の秋~冬の嵐のライブは落選して行けませんが、これからも嵐くんたちをブラジルから精一杯応援していますよ~♪頑張ってね!!


by beijaflorspbr | 2016-10-02 21:49 | 音楽・映画の世界 | Trackback
2016年 07月 31日

ニュース速報に接して

今日のサンパウロは良いお天気ながら、底冷えする我が家です。朝はいつものようにミソくんの鳴き声で目覚めました。時計を見ると午前7時過ぎ。いつものようにWi-Fiを繋いでみると、次々にニュース速報が入ってきました。驚いたのは、昭和の大横綱千代の富士関(九重親方)の訃報、何とまだ61歳だったそうで、ご遺族のお気持ちを思うと言葉がありません。大相撲の一番の想い出は、1990年6月にこのサンパウロの地で行われた「大相撲ブラジル公演」です。もちろん私もチケットを頂いて、イビラプエラ体育館に観に行かせてもらいました。立派な土俵は本格的なもので、当時のブラジルの新聞でも大きく取り上げられていました。印象に残ったのは、大勢の重たい力士を運ぶのに、JALと当時元気に飛行機を飛ばしていたVARIGの2機に分けてブラジルまで飛んできたこと。当時JALの客室乗務員のインタビューで「お水や食糧品は十分に搭載し、ありとあらゆる場面に備えております」と言う言葉が印象的でした。機内で当時の千代の富士が、楽しそうにイヤホンで音楽を聴いていた姿も良く覚えています。肝心の相撲大会は、98名の現役力士がトーナメント制で戦ったのですが、当時最強だった横綱・千代の富士が優勝しました。誇らしげに土俵に上がって満面の笑みを浮かべた千代の富士の顔を、今でもはっきり思い浮かべることができます。その公演時に、父の知り合いだった佐渡ヶ嶽親方(元横綱・琴櫻関)もブラジルに来られたので、お食事やお買い物にもご一緒させて頂き、色々と親しくお話をさせて頂いたのを覚えています。当時相撲界のスターだった貴乃花さんにも、ヒルトンホテルでのレセプションパーティー時にお願いしてツーショットを撮って頂きました。長年その写真を大切にして色々な人に見せていたのに、現在行方不明です(*_*)大相撲の大切な一時代を築かれてきた、偉大なる九重親方(元千代の富士関)のご冥福をお祈りいたします。
午前8時になり、下のキッチンに朝食のために降りると、東京都知事に無党派で立候補された小池百合子さんが当選したという速報がNHKで流れました。初の女性東京都知事は現在64歳と言うことで、「ふーん・・・私より1歳お姉さんなんだ・・・」などとのんびり構えていると、彼女は7月生まれでよく考えたら私と学年が一緒、つまり同い年なのでした。同じ時代を生きてきた人と知った時から、妙な親近感が沸きました。ふと「あ~あ、あんなに輝いていいなあ~笑顔が素敵、いかにも達成感に満ち溢れているよね、今から大きな仕事をバリバリやるんだろうね。それに比べて私はこれから先、縮んでいくだけ・・・」と思わず呟いてしまいました。トリオさんが「いやいや、そうでもないよ・・・」と微妙に的外れな励まし方をしてくれました。意欲はあるのに、何をすればよいのか分からない微妙かつ難しい年ごろではあります。同年輩の小池百合子さんのご活躍を心よりお祈りしております。それにしても、リオ五輪の開会式はキャンセルしなくても良かったのでは!?と思うのですが、個人のブログに政治色や宗教色を持ち込むのは良くないことですので、この辺で止めましょう。
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フェイラ(朝市)にはポンカンが山積み、安くて栄養満点で美味しいポンカンは私の栄養源。これからも与えられた立場や運命に逆らわず素直に生きて行けたらいいなあ~と思っています。


by beijaflorspbr | 2016-07-31 23:10 | ニュース | Trackback
2016年 05月 17日

2016年春日本日記@43年ぶりの学び舎へ

この日、私は青春時代のある時期を過ごした出身校へ何と43年ぶりに用事があって足を運びました。昔と変わらない広大な緑多き学び舎。すっかり新緑になってしまった桜並木を歩いてまいりましょう。学生時代には、良く遅刻しそうになって頻繁にここを走り抜けた(辛い)想い出もありますが、今は受け付けを通り、カードを首からぶら下げないといけません(笑)
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私が学んでいた頃は、この辺りはキノコのような可愛らしい幼稚部があり、ここで教育実習を受けたこともありましたっけ。
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この学園から、何とリオオリンピックのマラソンに出場が決まった田中さん。応援幕が誇らしげに掲げられていました。実はこの件についての打ち合わせをするためにこの日母校へ足を運んだ訳です。
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私が歩いていた10代の頃からタイムスリップした今、この緩やかな坂は結構ハードルが高いです。ややヒーヒー言いながら坂を上りました。
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今はこのように美しい遊歩道が出来ていますが、当時はただの道路だったような記憶があります。
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あちこち点在する校舎が見えてきました。
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こちらは健康院、在学中は幸い一度もお世話になったことはありませんでした。健康だけが取り柄でしたもんね。
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創立者小原国芳先生が創られた松下村塾・咸宜園を見事に修復した建物があります。
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大学有志の手によって、2012年7月に咸宜園と共に現代の建築法の基準を満たす形で修復工事を終えました。
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この校舎こそが43年前に私自身が学んでいた校舎です。現在この短期大学は総合大学に統合されましたが、あの頃の社会情勢や環境や常識では女子は短期大学に行くのが精一杯と言う時代でした。特に我が家の場合は、兄が私の2年前にW大学に入ったため、我が家の家計はまさに火の車でした。親のことを考え、自身の将来のことも熟考した結果、入れて頂いたのがこの学園でした。
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この学校は、キリスト教の教えに基づいた教育を施してくださるので、礼拝の授業は必須でした。礼拝を休むと、進級が難しいと言ったこともあり、礼拝の時間は万難を排して参列したものでした。私自身がクリスチャンと言う訳ではないものの、当時の学長である小原国芳先生の説話が毎回とても楽しくて勉強になるので、いつも楽しみにしていました。必ず歌う讃美歌も大好きでした。この日は遠くから眺めるだけでしたが、いつかは想い出多き礼拝堂の中にも入ってみたいです。
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あちこちキョロキョロしてしまいましたが、私の目的地はこの「学友会館」でした。ここで事務局長さんと、いつも窓口になってくださっているTさん、元理事のHさんとブラジルのことについての情報交換をすることが目的でした。約1時間ほど、現地の事情を説明し、情報交換をさせて頂きました。いつもメールでやり取りしているものの、どうしてもメールだけでは説明できない部分や、現地の事情をお話しすることが出来たのは大きな収穫でした。何より、長い間母校訪問が果たせないままだったのが、このような機会を頂き、有意義な時間でした。
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多感な青春時代、しかもかなりの苦学生だった私は、学校は学びの場であるとともに、休息の場でもありました。お友達と無邪気に話したり笑ったり学んだ日は、キラキラ輝いていたはずです。何より、ここでの学びがこの後の人生へ大きな影響を及ぼしたのは間違いないことです。
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学友会の方々との会議を終えて、3人でゆっくりと坂を下りて行きました。
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この校舎は、旧短大校舎ですよ。と説明を受けました。40年以上経っているのに修復を繰り返し立派な姿を保っていることに、ある意味感動しました。
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町全体が学園の敷地という恵まれた環境の大学で、2年だけではありましたが、伸び伸び専門分野である幼児教育について学ぶことが出来て幸せでした。
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大グランドが見えてきました。ここで運動会もあったなあ~などとうっすらとした記憶の中で思い起こしていました。
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玉川学園前駅から直ぐ近くにあるお蕎麦屋さんで、美味しい新蕎麦をご馳走になりました。サクサクとした天ぷらが香り高い新蕎麦と良く合って、なんとも言えない贅沢な時間を過ごさせて頂きました。今後ブラジル支部も、母校とのやり取りがスムーズになることでしょう。来て良かった、としみじみ思いました。
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ほんの2時間の母校訪問でしたが、青春時代を少しだけ取り戻したような有意義ま時間でした。苦学生と前に書きましたが、私がこの大学に通っていた頃は、何足もの草鞋を履いていたからです。1年目は、知人の家に下宿をして、バトントワーリングの道を究めるために、バトンスタジオに通い、時にはアルバイトもして生活費を稼ぎながら学生生活を送っていました。2年目からは成城のお料理の先生のお宅に内弟子扱いで入り、学生生活やバトン活動を続けながらも、家の中のお手伝いもするという、なんとも多忙な学生時代を送っていました。昼食はいつも50円の素うどんを食べ、お腹が空いてもひたすら耐えた時代でした。身も細るような忙しい日々の中で、人生に必要なことを懸命に学んだ時代でもありました。まさに人生の原点がここにはありました。色々なことがあっても、耐えられるだけの強靭な体力と、強い精神力を養えたことはその後の大きな財産となったのは言うまでもありません。おっと!今日は自分のことを話し過ぎてしまいました・・・。

by beijaflorspbr | 2016-05-17 20:00 | 日本国内旅行 | Trackback | Comments(2)
2015年 08月 12日

日本航空123便墜落事故から30年に想う

TAM航空機博物館の記事の途中ですが、8月12日は私にとっても決して忘れられない日ですので、想うことを書かせて頂きたいと思います。今から遡ること30年前の今日8月12日は、羽田空港を発って大阪・伊丹空港に向かっていた日本航空123便が御巣鷹山に墜落・炎上した日です。今から30年前の8月12日の直前、私と子どもたちは約1か月に渡る日本での滞在を終え、サンパウロに到着したばかりでした。皮肉なことに、その時使った飛行機はVARIGブラジル航空でした。当時日本航空は、辛うじてサンパウロと成田間の直行便を飛ばしていたものの、小型機のDC-10での運航だったため、4人分の座席予約が取れず、VARIGにしたのではなかったかな、という記憶があります。事故の第一報は、当地の全国ニュースで何度も流れましたので、色々な方から心配する電話が掛かってきました。8月初旬、私は乳飲み子を当時住んでいた仙台の実家に預け、一人である全国大会の審査員を務めるために大阪に旅立ちました。大阪滞在中に、ブラジルで交流のあった某社の社長さんとお目にかかり、お食事をご馳走になる機会がありました。先方の会社で、一人の大柄の男性Yさんとお会いし、その方は社長さんの娘婿であるとご紹介を受けました。「これからは何度かブラジルにも出張することになると思いますので、宜しくお願いします」とそのYさんは笑顔で仰いました。お目にかかってから僅か10日後に、そのYさんが墜落した日航機に乗っていたことを知りました。ブラジルに関係の深い会社の役員でもあったYさんは、成田からブラジルに出発する取引先の役員のお見送りに行った帰りに、JAL123便に乗って被害に遭われました。羽田ー大阪の航路は、現在まで私自身も何度も使っているコースであり、ある人が言った「タクシーを捕まえるほどの確率」で誰が被害に遭ってもおかしくなかったのかもしれません。人間の運命はそれほど儚く脆いものなのかもしれない、とその時にしみじみ思いました。海外に在住する限り、これまでもこれからもずっと飛行機に乗ることは避けられません。何度か流れる飛行機事故のニュースを見聞きする度に背筋が凍りつくような思いをしますが、いつまでも怖がっていたら飛行機など乗れません。これからもある程度の覚悟と勇気を持って飛行機に乗り続けます。人間は自分一人で生きているのではなく、何かの力によって「生かされている」のかもしれません。それは自身が大病を患った時にも感じたことです。運命に逆らわず、生かされていることに感謝しつつ自然に生き続けられることを望むばかりです。
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今朝目にした、Facebook上の日本航空・植木社長のお言葉は、大変心打たれるものでした。以下FacebookのJAL公式ページから一部のみ引用をさせて頂きます。
『「安全を守り抜く」とはどういうことなのか。機長はフライトの安全の最終責任者です。私は立派な機長になることを目標に日々努力を重ねていたものの、機長はいかにしてすべての安全の責任を取るべきなのか、自分は果たしてその責任を取ることができるのか、機長昇格審査を受けるまで、ずっと、ずっと考え続けていました。そして、機長になる最終審査の前日に出た結論が、「命を懸けるという覚悟を持つ」ということでした。パイロットが命を懸けるのは当たり前だと思われるかもしれませんが、自分自身が考え抜いた中で改めてこの結論に達したことで、気持ちの整理をつけることができました。この覚悟を持つことが私の責任であり、「安全を守り抜く」ことにつながるのだ、そう思い、業務にあたってきました。社長になった今も、その気持ちに少しも揺るぎはありません。』
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「命を懸けるという覚悟を持つ」その言葉に植木社長の誠実さと強い決意を知ることが出来ました。植木社長が「命を懸ける」というのであれば、我々乗客はまさに「命を預ける」ということになります。これからも私は安心して日本航空を積極的に選んで乗り続けることが出来るでしょう。これからも空の安全をずっと守り続け、世界一安全と言われる航空会社となって頂きたいと願います。最後になりますが、犠牲になられた520人の方々のご冥福をお祈りさせて頂きます。

*JAL123便を操縦されていた高濱機長のお嬢様は今も現役の客室乗務員としてお仕事をされているそうです。いつかJALの機内でお目にかかることがあるでしょうか。お父さまのボロボロになった写真とパイロット肩章をお持ちになって今も毎日空を飛んでいらっしゃるのですね。大変な30年をご家族と共に過ごし、その変わらぬ信念と強い志に心から拍手を贈らせて頂きます!


by beijaflorspbr | 2015-08-12 22:36 | 飛行機 | Trackback
2015年 06月 16日

2015年5月鉄道旅日記②東京で結婚式に参列

今回上京した一番の目的は、娘エルの幼馴染Rちゃんの結婚式に参列することでした。Rちゃんのお母さまとは既に30年来のお友達です。エルの代理と言うよりは、新婦ご家族と親交が深いということで、ご招待を頂きました。エルは残念ながらこの時期は仕事や新たな勉強会でブラジルを留守にできず、泣く泣く断念しました。さて、ホテルを出発して電車とタクシーで会場にやってまいりました。立派な門構えの挙式会場にちょっと気が引けましたが勇気を出して!!
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車寄せで降りると、係りの方によって立派な建物の中に招じ入れられました。結婚式はRちゃんカップルのみのようです。
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ウェルカムボードの横にはステキなお花、その横に受付がありました。午後3時半の挙式でしたが、早めに出たので3時には受付を済ませました。
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立派な待合室でウーロン茶を頂きながら式が始まるのを待ちました。知っている人が誰も居ない中、一人の若い男性が声を掛けてくれました。新郎の幼馴染で、ブラジルにご縁がある方でした。「サンパウロからわざわざいらしたのですか?」と訊かれましたので「いいえ、サンパウロに帰る日を延ばして参列したんですよ」なんて話をしながら待ち時間を過ごしました。
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受付で座席表をもらって自分の席を確認したり、回りをキョロキョロ観察しているうちに、記念撮影を終えた家族が来られました。あちこちに生花が美しく活けられていて華やかな会場に気分も高揚しました。ここで漸くお友達のEさんご夫妻とお会いできホッとしました。
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階段の上から静かに新郎新婦が下りてきました。おお、まるで映画の主役のようでした。
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結婚式は、広いお庭で行われました。真っ白いバージンロードを静かに歩くお父さまと新婦の姿にグッときて涙ぐんでしまいました。ところが目の前を通過した時、Rちゃんの小さな声が聞こえました。「パパ、(歩くの)早い、パパ、私の裾踏んでる」アハハ…これこれ、やっぱり家族だなとクスッと笑ってしまいました。私の良く知る◯◯家の日常会話から緊張感が解れました。でも新郎にバトンタッチした時のお父さんの寂しそうな後ろ姿を見ていると、もう一度泣けてきました。
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人前結婚式のセレモニーの後は、ご来賓の挨拶が続きました。ビックリするような偉い方が来られていました。新婦家族とも親しい間柄とのことでしたが、久々に生のポルトガル語を聞くことが出来ました。スピーチを聞いて同時に笑っているのは、周りには誰も居なくて、私だけだということに気付きました。40分ほどでお式を終え、披露宴会場の席に着きました。同じテーブルには、ブラジル繋がりの皆さまがおられ、終始リラックスできました。お皿の上には、Rちゃんからの心のこもった手書きメッセージが添えられており、大感激!このメッセージは、参列者全員へ添えられてありました。忙しい中、こんな気配りができる優しいRちゃんに感心しきり。
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さあ、全員が着席し、宴の始まりです。
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ひたすら可愛かったRちゃんの幼いの頃の姿がすーっと走馬灯のように頭を駆け巡りました。エルと二人でママデイラ(哺乳瓶)を咥えていた赤ちゃん時代のあの頃、一緒に遊園地に行って乗り物が怖くて二人で泣いていたこと、お別れの時に「帰りたくない!」と駄々を捏ねたこと、主に小さかった頃の記憶が鮮明で、何故か二人とも姉妹のように性格も考え方も良く似ていたことなどをしきりに思い出していました。と同時に、エルがこの場に居られないことが残念でたまりませんでした。やはり地球の端と端ではあまりにも遠すぎます。。。


by beijaflorspbr | 2015-06-16 10:58 | 友達 | Trackback