ハチドリのブラジル・サンパウロ(時々日本)日記

beijaflors.exblog.jp
ブログトップ | ログイン

タグ:奇跡 ( 1 ) タグの人気記事


2011年 11月 04日

同級生BBQと奇跡の再会

昨日は少し蒸し暑かったものの、秋らしい良いお天気に恵まれました。関西地方に住む高校時代の同級生が久々に集まるというので仲間に入れてもらいました。確か…昨年の今頃も広島で同窓会をやっていたのでは?春にも集まりがあったので、意外に頻繁に集まっている計算に…(笑)でも今回ばかりは、特別な意味を持つ集まりでした。今年3月11日の東日本大震災当時、陸前高田市に住み、娘さんと一緒に車ごと津波に流されながらも奇跡の生還を果たした同級生Hを迎えての大切な会でした。春に集まった時に、彼女の行っているボランティア活動を支援しようと同級生が立ちあがりました。ある同級生は、まだ道路もちゃんと通じていない状態の東北に2トントラックで乗り込み、Hに支援物資を届けてくれました。今回はH自身が同級生へのお礼と元気な姿を見せるための会でした。会場は神戸にある同級生宅。
f0146587_14193115.jpg
前夜から何人かの女子が泊まり込んでいたため、久々の再会。でも主役のHは前夜の飲み会が祟ってまだお休みとのこと…。早く会いたいな~♪皆で仲良くBBQの準備~私はサボってミカンを食べたり、お饅頭を食べたりで案外忙しい・・・(●^o^●)
f0146587_1422266.jpg
そのうち、コーヒーがお酒にとって代わってきた!朝のお酒は効くわ~~(@_@;)でも美味しい~♪
f0146587_1423251.jpg
お酒をグビグビ飲んでいると、主役のHが目をこすりこすり2階から降りてきました。皆で久々のというより奇跡の抱擁!!今回ばかりは胸にぐっときました。優しいSちゃんはほとんど涙ぐんでいます。。。「H良く助かってくれたね、良く頑張ったねえ」私たち同級生は3月11日のニュースで陸前高田市が壊滅状態…という報道にどれほど動揺し、哀しみ憂いたことでしょう。Google Parson Findを毎日チェックしてはドキドキ…。私などただただ悲しくてグスグス泣いていました。。。どう考えても絶望的な中、助かる可能性に賭けろ、という方が難しい状況でした。もう諦めかけた頃、「どうやらHがお嬢さんと奇跡的に助かって避難所で炊き出しのボランティアをしているらしい」という嬉しいニュースが入ってきました。まさか、まさか…でも本当に良かった。同級生で心から喜びあいました。あれから8か月、Hはやっと私たちに会いにきてくれました。さて、男子がバーベキューを焼いているうちに・・・
f0146587_14245960.jpg
私たち女子はたこ焼きを焼きます。私もあまり慣れていないものの焼き方を務めたものの、「ハチドリのたこ焼きって固~~~~い」とブーイング(--〆)まだまだ修行が足りませぬ。。。
f0146587_14262896.jpg
どんどんバーベキューも焼き上がってきます。中には同級生が自ら釣って干物にした鯵の干物やSくん特製の肉吸い(肉の吸い物)も。
f0146587_1442138.jpg
そんなに食べていないようで結構食べたのかしらん?知らず知らずのうちにお腹がいっぱいに…。そうなれば次はデザートです。鳥取で梨を栽培している同級生から梨のプレゼント。瑞々しくて美味しい~♪
f0146587_14435517.jpg
パティシェNくんも恒例の絶品スィーツを差し入れてくれました。
f0146587_14443481.jpg
最後の最後にダメだしの神戸名物「そばめし」これがまた入るんですわ。
f0146587_1445859.jpg
お腹がはちきれそうなくらいたっぷり食べて、楽しい一日を過ごしました。この日の参加者は京阪神と岡山・佐賀から18名。盛況だったのはHの人徳でしょう。何だか一皮むけた感のあるHの顔はステキ、カッコイイとう陳腐な言葉ではなくてただただ「神々しい」という表現が相応しいような気がしました。改めてHの証言を纏めるとこうでした。

私と娘は大震災があった後、家の方づけをしていました。あちこちから物が落ち、壊れたものもあったため、それらを片付けることが急務のように思われたからです。地震と津波がどうしても結びつかず、まさかその後に大津波がくるなどとは夢にも思いませんでした。災害緊急放送は家の中に篭っていたせいか、全く聞こえませんでした。ただ周りが妙に静かだったことは良く覚えています。そうこうしているうちに、川の向こうから真黒い壁が迫って来るのが見えました。「もしかしたら津波かな?」慌てて娘と車に乗りました。その瞬間に大津波に流されてしまいました。流されつつもふと気が付くと車が一瞬ふわっと浮き上がりました。その頃車の中に水が入り込んできたため、常備している非常用のハンマー(彼女はもしものことがあった場合にと常に携帯していたそうです)でガラスを割り、二人で車から脱出した時に、導かれるように1本の電信柱が目に入り、それに飛び移りました。電信柱を上ったところに、大きな工場の屋根があり、そこに乗り移ってただただ津波が引くのを待ちました。一番辛かったのが厳しい寒さと車から出た時に負った傷の痛みでした。寒いのになかなか血が止まらないのには参りました。その後津波が引き、救助隊の方たちが助けに来てくれた時は、安堵のあまり足も体も硬直して動かず、なかなか梯子で下に降りることが出来ませんでした。その夜は、被災を逃れた方の家に避難し、暖かい部屋で一晩過ごしました。一連のことから、自分はいかに運が良かったかということを思い知らされました。まず津波が来た時に、自宅裏の山の裾野に沿って流されたこと(もし海側に連れていかれたら絶望的だったかも)、車内にハンマーを常備していたこと、流され車から脱出した先に電信柱があったこと、その先にも大きな工場の屋根があったこと、いち早く助け出されたこと。

それらの体験を淡々と語ってくれました。「妙に静かだったんだよね・・・」パニックになると騒ぎ立てるものと思っていたけれど、そうではなかったのが意外だったと。本当のトラウマは震災の3ヶ月後にきたそうですが、随分元気になったHを見て本当に安心しました。今でも水たまりが怖いの、というH。早く元気になってね。一連のHの体験談を聞き、命の重さ、尊さを考えました。そしてどんなに過酷な状況に遭っても絶対に諦めたらいけないんだということをHから学ばせていただきました。失われた多くの命にも思いを馳せました。今改めて静かにご冥福をお祈りさせて頂きましょう。Hの身内や知人の方も未だ見つからない方がいらっしゃるそうです。大きな大きな悲しみを乗り越えたHの顔は本当にピカピカに輝いていました。色々な意味で有意義で長く思い出に残る秋の一日を過ごすことが出来ました。何度でも言うよ、H生きててくれてありがとう。私たちはこれからずっと一緒に年を取るんだからね。再会を楽しみにしているよ!「いつかサンパウロにおいでよ」と言ったら「遠いからイヤ!」ですって(>_<)

by beijaflorspbr | 2011-11-04 15:08 | 同窓会 | Trackback | Comments(4)