2017年 03月 13日

美味しいものが食べたくなったら…

久々に車に乗ってJardins地区にある高級スーパーのSanta Luziaに行って来ました。どうしても美味しいものが食べたくなった時や、お客さまをお迎えする前にはお世話になるスーパーです。昔Jardinsに住んでいた時は、毎週定期的に買い物に通っていたため、今も大好きなスーパーマーケットです。もう30年前にもなるのに、その頃が懐かしくなる時もあります。道路は案の定大渋滞。ブラジル人の仲にも、漢字ブームが起こっており、こんな漢字を良く見かけます。ブラジル人の好きな漢字は「愛=amor」「金=dinheiro」「幸=sorte」「力=força」「美=bonito ou lindo」等々…。言葉の意味もさることながら、漢字を絵として見たバランスの良い字が好まれるような気がします。
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漸くCasa Santa Luziaに到着しました。ゆっくり買い物をしました。
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ここで必ず買うのがお肉、1か月に1回くらいはお肉を食べるので、纏めて買って真空パックしてもらって冷凍しておきます。
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この日は早速鉄板にしてみました。ごはんはスーパーで仕入れてきたグリンピースで豆ごはん。このお店のフィレミニョンは、ジューシーでなかなか美味しい!
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デザートは西瓜、瑞々しくて甘くて外れがありませんので、必ず買います。
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外食も美味しいものがたくさんあるかもしれませんが、こうしてちょっと贅沢な食材を買ってきて、ゆっくり自宅で食べるのは至福の時間です。食材が豊富なサンパウロは、とても住みやすい街だと実感しています。


# by beijaflorspbr | 2017-03-13 20:00 | サンパウロ生活情報 | Trackback
2017年 03月 12日

堀江泰子先生を想う

暑い夏も漸く終わりを告げようとしています。この時期は、街歩きをするには暑く感じるものの、どうしても週1度のリベルダージ東洋人街へのお買い物は避けられません。重い腰をどっこらしょ、と挙げて買い物に出ようとすると…
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毎年この時期になると満開になる「ハナセンナ」(別名アンデスの乙女)が「見て行って~」と言いたげに華を誇っていました。亡き義父が愛情をこめて植えてくださったお花、これを見ると、優しかった義両親の姿を思い出します。人生は色々な方に愛情を頂きながら時が過ぎていくのだと思わされました。
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今頃東京では、堀江泰子先生のお通夜が行われている頃です。あまりにも落ち込み、悲しむ私の姿を見かねてか、夫が「予定を少し早めて帰国して告別式に参列したらどう?」と言ってくれましたが、急に帰って疲れた身体で会いに行っても、泰子先生に叱られるような気がして断念しました。何より、今ここにいて静かに手を合わせて供養することこそが先生が一番望まれていることなのではないか、と思いました。訃報を受けてすぐにお嬢さまのひろ子さん(料理研究家堀江ひろ子先生)と連絡を取りました。「たくさんの方が(お別れに)お見えになってくださると思うので、せめて煮物やちらし寿司、のた芋(宮崎地方の郷土料理)をお弁当箱に詰めてお持ち帰り頂こうかなと思っているの」とのお言葉に、いつも私を温かく包みこんでくださる、堀江家の皆さまの頑張りと深い愛を感じて感涙してしまいました。先生、ずっと離れた地に居ても、先生のことをずっと思っていますよ。


# by beijaflorspbr | 2017-03-12 21:59 | 人生 | Trackback
2017年 03月 11日

3.11、検索は応援になる

あの恐ろしかった東日本大震災の日から、今日で6年目です。Yahoo Japanでは、今年も『3.11、検索は応援になる』キャンペーンを行っています。一人1回検索すると、10円が東北復興に携わる団体へ寄付されます。あの日を忘れないためにも、東北の皆さまに心を寄せたいと思っています。
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震災当日、東京に居て帰宅難民になった私に、優しい救助の手を差し伸べてくださったSさんご夫妻に心からお礼を申し上げます。忘れた頃にやってくる災害に私たちはどう備えるのかを、教えてくれた震災でした。あの日の恐ろしかった経験や、不安だった気持ちをずっと忘れず、これからももしもの時に備えられたら、と思っています。サンパウロでは昨今の大雨による洪水や落雷で何人かの方が命を落としました。天災は人間の力ではどうしようもありませんが、どの地に居ても緊張感を持って暮らしたいと決意しているところです。
『最後だと分かっていたなら・・・』
今日を後悔しない生き方・・・大切だとしみじみ思いました。


# by beijaflorspbr | 2017-03-11 07:37 | その他 | Trackback
2017年 03月 10日

飼い犬について思うこと

9日午後4時35分ごろ、東京都八王子市の民家で、同市大塚に住む生後10カ月の女児が、飼い犬のゴールデンレトリバーにかまれた。女児は病院に搬送されたが、約2時間半後に死亡が確認された。(産経WEBより抜粋)
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犬を飼っている人全てに大きな衝撃を与えた悲しいニュースだった。日々家族のように接して懸命に世話をし、可愛がっていると、あたかも犬が本当の家族のように思えてくるほど情が移るのも事実。しかし当たり前のようだが、犬は所詮犬で動物だ。「〇〇ちゃん(犬の名前)は家族~♪」と家の中で溺愛しながらあたかも子どもを可愛がるように飼っている人も多いと思う。でも、犬は犬、時には恩義ある家族に牙を剥くこともある。そう思ったのは、我が家の飼い犬みそに手酷く咬まれた時だった。1回目2回目、そしてブログには書いていないが、息子も1回酷い咬まれ方をした。 いずれも、カレ(みそ)が極度に興奮したり苛立っている時にやられたものだった。この家庭内事故の後、私たちはみそに対して常に警戒心を持って接するようになった。それまで甘やかして入れていた家の中にも一切入れず、外でだけ飼うようにした。一見冷たいようだが、手痛い仕打ちを受けた結果決めたことなので、皆その決まり事に従っている。今年でみそも10歳、はっきり言って老犬だ。でもまだまだ元気で飛び回っている。いつまで生きられるか分からないが、上手に犬と共存し、最後まで幸せな環境を与えたいと思っている。二度とこんな悲しい事故が起こりませんように!!
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※この時受けた傷は今でもしっかり左手に残っています。この傷跡を見るたびに、みそとの正しい接し方を教えてもらっているような気がします。


# by beijaflorspbr | 2017-03-10 20:45 | ニュース | Trackback
2017年 03月 09日

従弟の子Aくん、初来伯

日本の自宅近くに住む従弟の次男のAくんが、ブラジルに来ることになりました。ただ遊びに来たわけではないので、時間がなかなか取れず、ようやく会えたのが何と日本への出発日という慌ただしさ。「何故そんなに急いで帰るの?」と訊くと、「卒業式があるんです!」ああそうか、Aは高校3年生でした。既に大学も決まっており、「暇だからブラジルに来てみた…」と。今時の若者らしい動機ですが、ブラジルのことはとても気に入って、アルバイトでお金を貯めて、絶対もう一度来る!と言っていました。ブラジルのどこが気に入ったかを訊くと、「人間がいい!皆親切!!」だそうです。確かにブラジルには良い人も悪い人も交じってはいますが、良い人、フレンドリーな人、親切な人が多いのも事実。彼に「何が食べたい?」と訊くとラーメンって言うかな?とも思ったのですが、「お肉、うん!絶対お肉が良いな」とのことでしたので、パウリスタ大通りにある「Shopping Cidade São Paulo」に連れて行きました。何しろこの時点で自由時間が1時間半しかない・・・(涙)
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ちょうどお昼だったため、フードコートはたくさんの人で賑わっていました。数ある中でお肉が美味しいと定評のある「Mania de Churrasco Prime Steak House」を選んでみました。
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15分以上待ってやっとお肉が焼けたようです。写真見本よりちょっとお肉が小さめで脱力した一皿、でも一枚一枚丁寧に炭火で焼いてくれるので、かなり香ばしくて美味しかったらしく完食!ホッとしました。
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私は鶏のソーセージと雑穀米&サラダをお願いし、1本は若いAに進呈。この時は、漸く風邪が治ったばかりで、久しぶりの外出日だったので、恐る恐る行動しましたが、お散歩も食事も恙なく出来て本当に良かった!
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食後、お店を少し見た結果「特に欲しいものがない」と言ったので、コペンハーゲンでチョコレートを買って日本の従弟夫婦へのお土産に持たせました。ショッピングセンターを出て、Parque Trianonもちょこっと見せて…
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Sweet Deliでケーキを・・・。たった1時間半の制限時間の中で、精一杯の案内が出来たのではないかと思います。
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甘いものを食べ終わった後、地下鉄に飛び乗り待ち合わせ場所へと急ぎました。ちょっと焦りましたが、約束の時間ピッタリに着いたので、ホッとしました。Aくんの初ブラジル訪問が良い印象で本当に良かった!赤ちゃんの時から良く知っているAくん、大きくなって感無量。また日本で会おうね!!!


# by beijaflorspbr | 2017-03-09 22:37 | その他 | Trackback
2017年 03月 08日

飲食店での喫煙について…(サンパウロの場合)

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日本では現在「健康増進法改正案」についての議論があちこちでなされています。飲食店で働く従業員やアルバイトの方々が「受動喫煙」に悩まされているとのことで、2020年までに受動喫煙による健康被害のない国に…と議論されている件ですが、私自身は嫌煙家ですので、健康増進法案には大賛成です。しかしながら、愛煙家にしてみると、とんでもない法案だと言うことになるのかもしれません。特に小規模の飲食店や居酒屋、バー、喫茶店などは「ゆっくり煙草を吸える場所」というので、人気を集めているお店もあると聞きます。今となっては信じられない話ですが、昔飛行機も煙草が吸えた時期がありました。私の父は煙草が手放せない人だったため、座席こそ禁煙席を選ぶものの、喫煙スペースに移動して、何度も煙草を吸いに行っていました。病院に入院していた時すら、ベランダに出ては煙草を吸って看護師さんにいつも叱られていたものでした。昔は病院でも、喫煙室が設けられており、一日に何回も歩いて通っていた父の姿をみてはため息をついたのも今では懐かしい想い出です。

さて、ここサンパウロ州では、2009年5月7日から、飲食店や公共の場では全てが禁煙ゾーンの法律が制定されました。それに伴い、どんどん愛煙家の方々の肩身が狭くなり、法律が制定された当時こそ煙草を手に右往左往する方々が店の前では見られましたが、今ではその制度もすっかり定着したように思います。日本の法律がどのように決まるかは興味ある点ですが、基本は両者が良いように向かえば良いのではないか、と思います。私自身は、煙草の匂いを嗅いだだけでくしゃみが止まらないという珍現象が出るので、きっと元々受け入れられない体質なのかもしれません。そういえば、今から8年前の某飲食店での辛かった経験は今でもはっきり覚えています。食べている時だけは、煙草を控えてくださると有難いのですが…。


# by beijaflorspbr | 2017-03-08 22:22 | サンパウロ生活情報 | Trackback
2017年 03月 07日

ゲリラ豪雨に注意!

ここのところ毎日のように大雨に見舞われているサンパウロですが、昨日はABC地区に甚大な洪水被害があったようです。この時期の雨は注意が必要です。というのは、あっという間に道路が冠水し、車に取り残されたり増水により歩けなくなったりする危険があるからです。
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この日はパウリスタ方面で用事があり、娘を誘ってお鮨屋さん「すし勘」へ。
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帰りは雨が酷くなり、この通りの川のような状態になってしまいました。雨水を掻き分け掻き分けして、なるべく高台を選び何とか無事に自宅に戻った時はホッとしました。サンパウロは坂の街なので、道路の高低差にも注意が必要です。
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昨年の水不足から打って変わってのサンパウロは雨続きのお天気、特にお昼からのゲリラ豪雨は酷くなる傾向があります。実際に低地の一部住宅では崖崩れの被害も出ているので、十分な注意が必要です。運転していて怖いのは、信号が壊れたり、停電してしまうことです。大都市サンパウロでは、慎重な行動が必要だと思うのは、こうした天候によるものも多いです。豪雨が始まる前には、早めのご帰宅をお勧めします。皆さま、この時期の豪雨にはくれぐれもお気を付けください。


# by beijaflorspbr | 2017-03-07 21:41 | サンパウロ生活情報 | Trackback
2017年 03月 06日

想い出の引き出し

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スマホで撮った一枚の写真を見ながら色々考えた
この写真の撮影日は、翌日日本とお別れをするという日だった
子どもたちを置いてまた彼の国に戻らなくてはならない
言葉に出来ない寂しさや物足りなさはいつものこと
人生ってこうして出会いと別れを繰り返すのかな
また会えたら良いけれど
もう二度と会えない人もいるんだね
色々考え始めると眠れなくなる日々・・・
それでも前に進まないと厳しめだったあの人に叱られてしまうかな
さあ、前だけを見て進もう!


# by beijaflorspbr | 2017-03-06 21:00 | 人生 | Trackback
2017年 03月 05日

弱小ブログのささやかな変化

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昨日の午後から検索ワードを辿ってか、当ブログへのアクセスが急増し戸惑っています。やはり堀江泰子先生は偉大でした!恐らくこの現象もすぐ落ち着くかと思いますが、ちょっとビックリしました。今後、もし私が社会的に影響のある固有名詞をうっかり出して記事にしてしまうと、戸惑うことが起こるかもしれないと感じました。それが情報発信の難しさでもあります。当ブログは、ブラジル・サンパウロの生活情報を発信する地域限定ブログです。今後大いに盛り上がることはないと思いますが、これからも自身のペースで、どなたかのお役に立てるよう淡々と身の回りで起こったことを書き続けていきたいと思っております。お気付きの方もおられるかもしれませんが、当ブログは既に105万アクセスを超えました!いつも応援ありがとうございます。


# by beijaflorspbr | 2017-03-05 22:38 | その他 | Trackback
2017年 03月 04日

追悼:料理研究家 堀江泰子先生

※昨日の午後、料理研究家の堀江泰子先生が亡くなられたことは、ご逝去直後に堀江家からお知らせを受けて知っておりました。ただ、堀江先生は料理界の草分け的存在で有名人でもあられるため、マスコミ発表を待ってからこの記事を書こうと決意していました。

昨日の午前中、一通の悲しいお知らせが移動中の私のスマフォに届きました。発信元は孫のさわちゃん(料理研究家ほりえさわこさん)でした。「ひな祭りの日に旅立つ紫姫(紫色が大好きな先生のニックネーム)なんてカッコイイよね~」の通り、誰もが決して忘れらない日に旅立たれてしまった堀江泰子先生。ずっと恐れていた、この日が遂に来てしまいました。94歳ですし、晩年はご病弱でいらしたのでこの日が来ることは誰もが覚悟の上だったことでしょう。しかし…何でしょうか、この言葉に出来ないほどのたまらない寂しさは…。先生の存在は、私にとっては恩人以上の重みがあったように思います。少しだけ泰子先生との思い出を語らせてください。
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(堀江家の珠玉のレシピばかりが掲載されている貴重な一冊)

堀江泰子先生とのご縁を頂いたのは、今から46年前の私がまだ18歳の時でした。東京の短期大学2年生の時、ある事情から突然下宿を出なくてはならなくなり、友人の紹介で学業の合間に家事を手伝ってくれるなら、という好条件で堀江家に1年間居候をさせて頂くことになりました。当時はまだ右も左も分からずに、ポンと堀江家に入り戸惑うことばかりでした。当時の堀江家は、旦那さまが地方に単身赴任中で、泰子先生やご家族は東京に住んでおられました。私の役割は先生の身の回りの世話係も兼ねていましたので、先生ご夫妻のお部屋で先生と一緒にお布団を並べて毎晩寝ていました。後で良く先生に言われたのは「旦那さま以外の人と布団を並べて寝たのはハチドリちゃんだけね」と。泰子先生は、年々テレビや雑誌や料理講習会などのお仕事が忙しくなってきて、早朝から深夜まで実に良く働かれていました。娘さんのひろ子さんもその頃から次第に名前が出て、助手として大活躍をされていましたが、何と言ってもこの時代に中心となって活躍されていたのは泰子先生でした。今思えば当時40代後半の働き盛りでいらしたのですね。先生はご家族やお弟子さんたちにも妥協せず、常に厳しく接しておられました。一番下っ端の気弱な私は、叱られて良く物陰で泣いていたものでした。それまでの甘く緩い生活からいきなり厳しい生活への変化を受け止められず、真剣に堀江家を出ようかと悩んだ時期もありました。そんな切迫した状況の私を変わらず優しく支えてくださったのが、泰子先生のお母さま、静江おばあちゃまでした。静江おばあちゃまは、毎朝6時に階下から「ハチドリちゃん、おはよう。起きている?」と優しく起こしてくださり、広い家中のお掃除が終わった頃、滋養ある朝食を整えて待っていてくださいました。今もその時の朝食の味は忘れたことがありません。堀江家においてのおばあちゃまの存在は実に大きいものでした。次々に孫が生まれると、80代を超えた静江おばあちゃまが面倒を見ていた時期もありました。「ぼやっとしていると、泰子に怒られるから。。。」と堀江家ではこのように、何歳になってもそれぞれの役割分担があり、「疲れたから」とか「もう年だから」などという甘えは一切許されませんでした。堀江家で実に刺激的な1年を終え、社会人になって初めて堀江家での一年間は何ものにも代えがたい貴重な日々だったのだということが分かりました。お料理の補助作業や下準備だけではなく、買い物の仕方、電話の応対、お客様のお接待、気配りや身の回りのこと、庭の手入れまで。若干20歳前の私が到底得られない貴重な基本知識を学ばせて頂いたのも堀江家でした。堀江家は、私にとっての原点といっても過言ではありません。堀江泰子先生ご自身も、厳しいだけではなく気配りを欠かさぬ優しい先生だと分かるまでに、そんなに時間を要しませんでした。堀江泰子先生は、人にも厳しい分、自分にも高い目標を常に課しておられました。
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(泰子先生直伝のお赤飯は今や十八番に)

私が縁あってブラジルに嫁いでからも、堀江家との深いご縁はずっと続きました。堀江先生の旦那様が国会議員になられてからの海外視察旅行で一度、プライベートで一度、ブラジルにも来てくださいました。大好物の「たねや」さんの最中を携えて、わざわざ会いに来てくださった時は、本当に嬉しかったです。私たちが気に入っていた高級ポルトガル料理のレストランにご案内すると、飲めないワインを少しだけ嗜んで、上機嫌で頬を赤くされた泰子先生の笑顔を今でもはっきり思い浮かべることが出来ます。その時、ほんの少しだけ親孝行の真似事ができたかな?と思った瞬間でした。私が帰国した時は、可能な限り成城のお宅に会いに行くようにしていました。
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(堀江先生に教えて頂いた我が家のおうちごはんの数々)

最後にお目にかかったのは、昨年の12月2日のことでした。ここ数年、会いに行ってもご入院中だったこともありましたが、そんな時は病院までひろ子さんに連れて行って頂き、無事にお会いすることが出来ました。12月2日はご自宅で旦那さまと二人揃って笑顔で迎えてくださいました。「ハチドリちゃん、私はね、死ぬことは怖くないけれど最期まで堀江泰子として立派に生きたいの」とびっくりするくらい力強く仰ったのは忘れることができません。「料理研究家1代目は堀江泰子、2代目は堀江ひろ子、3代目はほりえさわこ。そう決めたの」とも。4代目は?とお聞きすると「もえ(さわこちゃんの長女)かな?」と。料理研究家として有名な先生ですが、弟子の私から言わせると、「常に努力を惜しまない方」だったように思います。あれは80歳を悠に過ぎた頃だったか、机に本を置いて真剣なお顔をされていました。「先生、何をしていらっしゃるのですか?」と訊く私に「ハチドリちゃん、お料理というのはね、もうこれで良いということはないの。レシピもどんどん研究をして改良して行かないといけないのよ」と。既に完成されたように思っていた堀江家のレシピも、こうした日々の研鑽によって作りあげられていることを初めて知ったように思いました。とにかく当たり前のようですが、堀江家のお料理は全てが美味しいのです。そんな陰に、こうした先生やひろ子さんたちのたゆまぬご努力があったのだと知りました。晩年は、お料理教室をひろ子さん、さわちゃんに任せて奥におられることが多くなりましたが、お味見の時は旦那様と共に生徒さんの前に顔を出して、笑顔で見守っておられました。最後にお会いした昨年の12月2日も、しっかりクリスマス用のお料理を美味しそうに召し上がっておられました。家庭料理を人に教えるという世界では草分け的な堀江泰子先生ですが、元々娘時代はお料理が全く出来ずに、困り果ててお知り合いの料理研究家のところに通い詰めた、というご経歴の通り、元々秘めた才能とやる気のある方だったのだと思わされます。「家族のために、人のために美味しいお料理を作って喜んで頂くのは家庭料理から…」との揺るぎない方針で、多くの方々を指導された堀江泰子先生の94年の生涯に、心からの拍手を贈らせて頂きます。

天国に昇られた泰子先生へ
遂にお別れの日が来てしまいました。先生は「ハチドリちゃん、お葬式には来なくて良いけれど、生きているうちに私にたくさん会いに来て!」と仰いました。私はちゃんとそのお約束を守って、帰国時には最優先して何度も先生に会いに行きましたよね。これが最後になるかもしれない、なんていうことは一度も思ったことはありませんが、12月2日が本当に最後になってしまったのですね。でもね先生、私は先生の教えの通り、今もお料理が大好きで、得意で、たくさんの方に喜んで頂いていますよ。先生が広く伝えてこられた「家庭料理こそ一番の宝物」という精神は、これからもずっと私の心の中に生き続けると思うのです。堀江泰子という私が尊敬してやまない一人の偉大な女性とのご縁を頂けたことを誇りに思っています。泰子先生が、辛いご闘病生活から漸く開放されて、痛みや苦しみのない世界へと旅立たれたことに、ほんの少しだけの安らぎを感じています。残念ながら告別式には参列できませんが、次の帰国の際に真っ先にお参りに行かせて頂きます。今頃静江おばあちゃまや妹さんと久々の再会を果たされているのですね。静江おばあちゃまも喜んでおられるでしょう。どうか、安らかにお眠りください。遠くブラジル・サンパウロより、心からのご冥福をお祈りしております。
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(昨年12月2日最後に撮影した泰子先生のお写真です…涙)
泰子先生、46年間の長きに渡り、本当にお世話になりました。ありがとうございました!


# by beijaflorspbr | 2017-03-04 21:18 | 人生 | Trackback