ハチドリのブラジル・サンパウロ(時々日本)日記

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2008年 06月 29日

土曜日の巻き寿司

皆さま、毎日たくさんの方にお越し頂き、まことにありがとうございます!ここのところ、連日ページビューがかなりの数になっております。毎日こうして日々の暮らしぶりを綴ることで、例えば、今からサンパウロに赴任をするのに役立ったり、サンパウロ近辺在住の方への情報提供の場になったり、人生を自由に語る場であったりすることを嬉しく思っております。(写真はすずめちゃんから頂いたブログ1周年のプレゼントのチョコレート!)
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*中も写さなきゃ…と思いながらもうほとんどお腹の中です、美味しかったです! すずめちゃん本当にありがとうね~♪これからも時々は脱線してとんでもないことを書いたりするかもしれませんが、応援をよろしくお願いいたします。賑やかな応援、静かな応援、どちらも大歓迎!これからも楽しく盛り上げていけたらいいな、などと思っています。さて・・・前から義姉に所望をされていた「巻き寿司」を朝から作っておりました。中身が今イチですが、あるものを巻いてしまうのが家庭の味!今日の中身は、ホレンソウ・キュウリ・カニカマ・卵焼き・アボカド等などです。ご飯を最初に4合炊いたのですが、足りなくなったのでまた3合、都合7合も炊くことになるなんて!巻き寿司や稲荷寿司って結構ご飯がたくさん詰まるのですねえ。稲荷&巻きのコラボ(って大げさな…)
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こちらはお土産用です。あじゃ~(;一_一)ちゃんと巻けていない!
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この切れっぱしはハチドリかーちゃん用なのに、家族が競って食べちゃった。。。山からもいできたアボカドも入れて、カリフォルニアロール風もこしらえました。
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海苔はこだわりの築地の海苔を使用。これが最後の一袋です。心細いなあ~。これ30枚で1,260円ですよ、とっても美味しい海苔です。
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ところで、こちらは時々頂く「ロボッコ寿司」というものです。その通り、「ロボット」が作るお寿司です。私のより良くできていますねえ~トホホ…。稲荷寿司などパンパンで2個くらいでお腹がいっぱいになってしまいます。
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こちらは握り鮨の部。これもロボットちゃんの作品です。
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次はお弁当の部  R$30.00(約1,900円)の仕出し弁当…ある会合で出されたもの
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R$10,00(約630円)の仕出し弁当…先日の会議の時のお弁当
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お次は「パブ圭」の昼定食。面白いのが半分ずつ注文できること。半醤油ラーメン&半メンチカツ
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半味噌ラーメン&半メンチカツ
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ご覧のとおり、サンパウロに住んでいる限りは、日本とあまり変わらない生活を送ることができます。しかしながら、どう考えても一番美味しいのは家庭で作ったおうちごはんでしょう。ロボットが巻いたお寿司もそれなりに美味しいし美しいですが、やはりこのハチドリ特製の巻きずしには勝てませんでした。家庭料理バンザイ\(^o^)/

by beijaflorspbr | 2008-06-29 03:20 | おうちごはん | Trackback | Comments(25)
2008年 06月 27日

「らーめん和」オープン!!

Liberdade地区、Tomaz Gonzaga通りに、新しくオープンした「らーめん和」のオープニングパーティーに行ってまいりました。この店は、Linerdade東洋人街のど真ん中にあり、大変便利な場所にあります。輸入品を扱う「大和」と仕出し弁当やさんの「ビストロ和」そして日本のみそラーメンの大手チェーンの「トライ」のコラボレーションで生まれたラーメン屋さんです。
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あ、あら・・・・美味しそうな飲み物がすらっと並んでいるではありませぬか~♪
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お店の方もお忙しそうでした。熱気が伝わってきます。
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良い子はまず手を洗います!お手洗いもとっても綺麗です!
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とりあえず、水代りのビールと日本酒を確保&おつまみも…。
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おつまみはひとつひとつ手作りでとっても美味しゅうございました!
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支配人のマウリシオさん。日本に2か月研修に行かれたそうです。
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とってもチャーミングな女性スタッフ
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長い長いご挨拶…誰ですか、挨拶を聞きながら柿の種をポリポリ食べているのは!
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結構お話が楽しくて聞き入ってしまいました、さあ、スタッフの方の動きが慌ただしくなってきました。そろそろラーメンが出るようです。楽しみ~♪今日はオープンの日なので、醤油ラーメンとみそラーメンの二種類です。
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やっと私たちの番がやってきました!みそラーメン
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しょうゆラーメン
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材料は日本からの輸入品で、当然日本と変わらぬ美味しさです。私は幼い頃栄養失調で、唯一食べられるのがラーメンでした。2歳か3歳のころ毎日家を抜け出して近所のラーメン屋さんに通い詰めていたそうです。私の血や肉の一部にはきっとラーメンが含まれているやもしれず、ラーメンを食べるとぽわ~~んと体が暖かくなり幸せになるのです。って誰でもそうでしたっけ?ふふふ…。ともかく、1杯と半ちゃんを軽く頂き、主宰者にお礼を申し上げてここを後にしました。いつも一緒にビールを飲むお友達S女史が司会を担当、いつもバタバタしている彼女が和服のせいか、妙に色っぽく見えました。馬子にも衣装かしらん?(笑)
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ご馳走さまでした! 

by beijaflorspbr | 2008-06-27 04:28 | サンパウロのレストラン | Trackback | Comments(8)
2008年 06月 26日

サンパウロ移民100年祭(サンボードロモ)…最後

随分長く引っ張ってしまって申し訳ありません。今日で最後ですので、もう少しだけお付き合いをお願いいたします。皇太子殿下もご帰国の途につかれたというのに、私は未だ終わっておりません。さて、今回の大会、2つのトレード(シンボル)マークがありました。お馴染みのこのマークと、「チカラ」と「ケイカ」です。ブラジルの人気漫画家が作成。「チカラ」が移民の物語を語ります。
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もう一度盆踊り隊が出てきました。
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先ほどの白い体操服のコーラス隊が真中を開けて両サイドにずらっと並びました。
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「チカラ」による移民の開拓時代のお話が始まります。みんなしんみりしてモニターに見入っていました。開拓当時、奥地を切り開き、コーヒーコロノから自作農に代わっていく移民もたくさんいました。そんな頃に戦争が起こり、移民の「たくさん稼いで日本に錦を飾る」という夢が打ち砕かれ、次第にブラジルに同化し、発展していくというお話でした。今や日系人の働きなしでは考えられない分野は多いのです。
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背の高い人形が出てきました。
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芸者風の人たち、日本人=芸者というイメージは変わらないようです。
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エスコーラ・デ・サンバ「ヴィラ・マリア」のデスフィーレ(行進)が始まりました。
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船は「笠戸丸」を表しているのでしょうか。
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大仏さま!?
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これは教育を表しています。山車の上にはお医者さんや博士が乗っています。日系人は優秀だとの評判だからでしょう。
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移民たちの開拓小屋のようです。
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デカイ人形たち…お相撲さんのイメージなのかな?
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メストレサーラ&ポルタバンデイラ(このチームの象徴です)
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パレードが続く中、花火が盛大に上がり始めました。どちらを見れば良いのやら…上を見たり下を見たりで忙しい…でも気分は高揚します!いよいよフィナーレです。
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私はカーニバルの行進の中でこのバテリア(ドラム隊)が一番好き!お腹に響くリズミカルな音が素晴らしいのです。何故か阿波踊りの方たちとコラボしています。
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やっと終わったのが夜の8時過ぎ、何と楽しいショーだったことでしょう。ついつい乗せられて!?最後まで粘ってしまいました。アニェンビーから娘のお友達の高級車に乗せて頂き、ちょっとお洒落なMoemaのピッツァバー「La Gloria」で食事をしました。まずはこれで乾杯!2杯飲んでやっと落ち着くハチドリ。。。
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なかなか素敵なお店ですが、混んでいて30分待たされました。お腹空いた~(;一_一)
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・・・と言っていたらおつまみが出ました(もちろんお金は取られます)。シャリシャリしていて美味しい~♪
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Pizzaが来ました!お腹が空いていて画像がボケました。。。
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楽しかった一日に感謝!長い間、お付き合い頂きありがとうございました。やっと移民関連行事が終わりました。次は101年102年…200年と歳月を重ねていくごとに、益々日系人の信用度を強固なものにしていけると良いですね。私がこのサンパウロに住んで31年目になりますが、今まで一度もバカにされたり嫌な思いをしたことがないのは、先達の移民の方々が真面目に地道に働いてこられたご努力の賜物だと思います。この歴史を受け継ぎ伝えていくのが私たちの役目だと改めて思わされました。それと、皇太子殿下がわざわざ日本から来られて、色々な慣習を破られ、気さくに人々と触れ合い、とても良い印象をブラジルの人々に植え付けてくださったことに感謝します。普通の人だったらとても耐えられないと思えるハードスケジュールにも文句ひとつ言わず、機嫌の悪い顔や疲れた顔一つせず、いつもニコニコ笑っていた皇太子殿下はやはり素晴らしいなあと皇室びいきではない私も感心してしまいました。これからも健康にご留意され、皇室外交を広く世界に広められますように、できれば伴侶の雅子さまもご一緒に!もちろんこんなメッセージを発しても、皇室の方には届かないかもしれませんが、この南米で静かに見守っている「日本国民」がいることをお忘れなく!心からの応援をいたします。ということで、100周年のレポートを終わらせて頂きます。

by beijaflorspbr | 2008-06-26 05:49 | 移民&日系人 | Trackback | Comments(11)
2008年 06月 25日

サンパウロ移民100年祭(サンボードロモ)…その4及びブログ開設1周年

宴もたけなわ、既に午後6時になった頃、どこからこんな人たちが出てきたんだろう?と言うくらいすごい人があちこちから手を繋ぎながら入場してきました。
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サンパウロ州立交響楽団、OSESPによる生演奏で「サクラ」と「アクアレラ・ド・ブラジル」の大合唱でした。3400人の大合唱です。日系人に交じってブラジル人の方も多く、皆が楽しそうに歌う様に感動しました。
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出場者も観客も一体となって楽しんでいます。まさに老若男女…会場の人も一緒になって歌いノリノリでした…。
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う~ん、まいりました、寒いし疲れたからそろそろ帰りたいと思うのですが、なかなか席を立てない雰囲気です。こうなったら最後の花火まで粘ることにしましょう!やんやの喝采に送られて整然と退場するコーラス隊。この2曲を歌うために1時間以上前から待機していました。頭が下がります。
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お次は、百周年の歌「海を渡って百周年」の踊りです。何故かユニフォームが空手着!?
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沖縄の踊りや…鳥取のしゃんしゃん傘踊りがありました。
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次は和太鼓です。これも凄い人数で大変迫力がありました。
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ここで皇太子殿下が退場されます。まあ何と二時間もいらっしゃったのですね。ここからサンパウロ州知事主宰の夕食会に向かわれます。何と精力的。何度も言いますが、こんな無茶苦茶なスケジュールでは雅子さまは耐えられません。後ろの着物姿の女性は、在サンパウロ総領事夫人です。紅一点花を添えています。
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もう辺りはすっかり暗くなりました。ここからはカーニバル、サンバチーム「ヴィラ・マリア」の登場です。
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次に続きます…。ところで今日でブログを始めて一年になりました。この一年間、ここにお見えになった方の数は80,000人を超えました。ビッグブロガーならぬ、スモールブロガーとしてこれからも精進します。皆さまの温かいご声援に支えられてとても充実した一年を送ることができたような気がします。これからも日々感じたことをそのままお伝えして行けたらいいな、と願っています。肩ひじ張らず、気楽に楽しくを目標にボチボチ頑張ります。今後とも応援をよろしくお願いいたします!皆さま本当にありがとうございます! 

by beijaflorspbr | 2008-06-25 06:49 | 移民&日系人 | Trackback | Comments(19)
2008年 06月 24日

サンパウロ移民100年祭(サンボードロモ)…その3

前の項は皇太子殿下が登場されたところで切れてしまってすみませんでした。
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かなりの至近距離ですが、残念ながら皇太子殿下は右側にお座りでした(T_T)
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連邦警察の護衛車に護られながらゆっくりと会場を一巡されました。この日は午前中にサントスご訪問があったのに、お元気そうです。
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ここからはモニターの画像です。おお、やっとアップに…。笑顔で手を振られています。儀仗隊が直立不動する中、車を降りて軍隊や市長と挨拶を交わされました。
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カサビサンパウロ市長とともに
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とてもカッコイイ軍警アカデミーの生徒たち。今年の4月に移民が出発した神戸から受け継がれた「友情の灯」の点火行事です。最後は1世のご夫婦がお孫さんを伴って点火されました、この優太くんは日系6世です。
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空軍機が2回も会場の空を突きぬけて行きました。
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速いっ!!
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全員起立して国歌斉唱。ブラジル国歌と君が代です。胸が熱くなりました。
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皇太子殿下の「日伯の架け橋になってください」というご挨拶です。最後にMuito Obrigado!となかなか流暢なポルトガル語で締めくくられやんやの喝采。
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だんだん空が暗くなってきました。
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海上自衛隊練習艦隊「かしま」の隊員たちの行進です。美しい!
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雨が上がり、夕日が美しいです。
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お次はブラジルの軍警アカデミーの生徒達の行進です。足が長くてカッコイイ!!将来の幹部を育てる学校だそうです。
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騎馬隊、Nove de Julhoです。正式な式典の時は必ず登場します。
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むむむ…何やら白い体操服を着た集団がわんさかわんさか出てきました。両手には日伯の旗、何が始まるのでしょうか!?
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ここでまた中断、後の項に続きます。午後1時ー8時の長丁場です。気長にお付き合いをお願いいたします。

by beijaflorspbr | 2008-06-24 23:57 | 移民&日系人 | Trackback | Comments(2)
2008年 06月 23日

サンパウロ移民100年祭(サンボードロモ)…その2

雨は時おりパラつくものの、傘をさすような激しい雨はおさまったようです。イベントはまだまだ続きます。外にも売店があり、美味しそうなシュラスコを焼く匂いにそそられますが、1本R$4.00(約250円)という高値に我慢!だってこの値段ってお肉500グラムのお値段に匹敵、主婦は買えません(--〆)とっても楽しいのが物売りのおにーさんたち。ニコニコと笑顔で売りに来るので買いたくなってしまいますが、おまんじゅうもR$10.00と店の倍はやっぱり買えません。洋風弁当まで売りにきました。中身をそっと覗いてみると、パラパラ油ご飯にフェイジョン豆そしてスパゲティーに煮野菜というメニューでした。食べられそうもないのでこれもパス!と言うわけで選んだのは無難なホットドック、これはソーセージ2本入りの上にBatata Palhaと言われるフライドポテトが山ほど乗っかっているものです。このフライドポテト、一口口に含むたびにバラッバラッっと落ちます。雨で地面が濡れていて拾えないのでお掃除のおばちゃん、ごめんなさい…という感じです。
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ユニークな売り子さんたち。お客さんとのやり取りがとっても楽しいのです。
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まだまだ出しものは序ノ口のようで、剣道・長刀・居合、そして盆踊りと続きます。
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地味な盆踊り(炭坑節&ソーラン節)の次は何やら賑やかな民謡団、振袖を着た綺麗どころ!?と楽しみにしていたら・・・
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なにやら「元」綺麗どころ…といった風情でした。着物はとっても綺麗でした!^_^;お次は「和太鼓」グループが通過、これは迫力があり素晴らしかったです。
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沖縄太鼓、かなりの数です。パワーあふれる音に感動しました。
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やっと晴れ間が出て雨もあがった頃…軍警の儀仗隊が静々と入ってきました。いよいよ皇太子殿下が来られるのでしょうか…整列完了です!
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あああーーーーーーーーっ、私たちの「出口」付近から車列が静かに入ってきました。
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前後をPolicia Federal(連邦警察)の護衛車に守られています。ドキドキしてきました!
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もうちょっとアップ。皇太子殿下はまん中のグレーのベンツ(右側)に乗っています。
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大変良いところまできましたが、残念ながら出かける時間となりましたので、続編は後ほど書かせて頂きます。すみません~

by beijaflorspbr | 2008-06-23 23:58 | 移民&日系人 | Trackback | Comments(11)
2008年 06月 22日

サンパウロ移民100年祭(サンボードロモ)…その1

6月21日午後1時からサンパウロ市のサンボードロモ(カーニバル用常設会場)において盛大にお祭り及び皇太子殿下が参加される式典が催されました。観客数は2万5千人、出演者は何万人いたのか定かではありませんが、5万人以上だったことは確かです。日系人だけではなく、非日系人の数も多く、ブラジル国民が共に手を取りこの100周年イベントを祝う気持ちが強かったのは喜ばしいことです。ところで、このイベントは21日(土)22日(日)の二日間同場所で行われますが、皇太子殿下の参列されるのが21日のみ。どうしても21日に観客が集中します。私のやっている「あしあと」のボランティアで頂いたチケットは22日(日)でした。困っていたところに、娘が手に入れてくれたので、席は隅っこであまり良くなかったものの、意を決して21日に行くことにしました。当日午前11時に自宅を出発。天気予報の通り、この日は朝から「親の敵」のような大雨です。。。ラジオで「渋滞情報」を聞きながら道を選んでいきました。パウリスタ方面~リオブランコ通り、カーザヴェルデ~アニェンビーに入るコースを選択。
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覚悟していたとはいえ、空を見上げながら厳しい現実を恨みたくなりました。もちろん会場までの道のりも大雨、Tiete川を渡った途端にひどい渋滞です。地図では川を越えたら2番目の道を右折とあるのに、イベントのために大きく迂回をさせられました。
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クリチーバ(パラナ州)のバスも来ています。会場のサンボードロモは目の前なのになかなか着きません。上空を飛ぶヘリが目印!?
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随分迂回させられた結果、会場よりかなり遠い場所で車を降り、テクテク歩きました。先日ほどではありませんでしたが、4~5キロは歩いたような・・・。会場に着くともう何やら始まっています。10時から色々な催し物が始まっていたそうです。出演者の待機場所です。ここは毎年カーニバル会場になっているために、待機場所も広く取ってあります。会場が広すぎて歩いても歩いても自分の席に辿りつけません。指定のポルトン20に着いたのはアニェンビー会場を出てから15分後くらいのことでした。出入りはとても厳重ですが、カードを通してめでたく入れたらメインスポンサーのBradesco銀行のロゴが付いた風船のようなものを渡してくれます。これで拍手をするのね!フムフム…ポコポコと変な音がしますが…^_^;結局雨で水浸しになっていたので、この風船をお尻に敷いて椅子代りして助かりました。
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階段を上がって会場に入ってみましょう。それにしてもすごい雨。。。
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北海道のヨサコイソーランです。会場に設置されているモニターで見ることができます。私たちはこの時点で会場に入りましたが、それ以前の模様をRede Globoが詳しく中継をしています。3元中継と空からヘリでもニュースを流していました。お次は徳島の「阿波踊り」観ているだけで踊り出したくなりました。お祭りの賑わいが伝わってきます!
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なかなか色っぽい踊りです。大雨の中、頑張って踊っています。
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雨合羽と傘で武装しながらでしたが、楽しいものですねえ~♪
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お次は天理バンドの行進です。
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PLのバンド&バトントワーリングです。もうちょっと頑張ってほしいなあ~のレベル.お次は宗教団体、創価学会は1800名の動員です。この時雨がピークに!とにかく人数が多すぎてなかなかパレードが終わりません。
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日本人駐在員の奥さんたちが出場している「Bloco Arigato」です。遠目だと分かりにくい編成ですが、頑張っています。
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雨のせいか、すぐに引っ込んでしまいました。だって…子どもを抱っこしたお母さんも出ていたのですよ!風邪引いちゃいますものね。4時を過ぎた頃から急に警察官が増えてきました。いよいよ皇太子殿下のおでましも近いのでしょうか?なんだか待ち遠しくなってきました。
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激しい雨も納まり、やっと青空が顔を見せました。もうこれ以上雨が降ったら拭くタオルもありませんでした。雨があがってホッとしました。
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by beijaflorspbr | 2008-06-22 23:47 | 移民&日系人 | Trackback | Comments(10)
2008年 06月 21日

日本ーブラジル文化週間(アニェンビー国際会議場)

今日は、皇太子殿下サンパウロご滞在2日目でした。テレビは一日中そのニュースでもちきりです。皇太子殿下の明るい笑顔に感動をしている老移民の方々の姿が印象的でした、朝の移民史料館ご訪問、老移民との会見では、頭を下げて握手しながらなかなか皇太子殿下の手を離さないお年寄りが映し出されました。昔の移民の方々は、粗末な家にも必ず「天皇皇后両陛下」の写真を飾って朝に夕に手を合わせてたと言います。移民にとって皇室の方は象徴であると同時に、「神」にも似た存在なのかもしれませんね。

それにしても「慣例を破った」移民との触れ合いを積極的にされながらハードスケジュールを実に精力的にこなされる皇太子殿下には本当に頭が下がる思いです。しかしながら一方で思うのは、ああ、もし雅子さまが来られていたら私も多少無理をしてでも出掛けて行ったかもしれないな、ということです。恐らく大混乱になっていたやもしれず、そして雅子さまご自身もぐっと体調を崩していらっしゃったかも…と思うと、これが最良の選択だったと思いたいですね。さて、アニェンビー会場の文化週間は、今週の日曜日まで続きます。まずは会場に飾ってあった折り紙で作られたカーニバル風景は見事でした。
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全長20メートルはあったかと思います。天井には、たなばた飾りやタコがぶら下がっていました。
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少し遅れましたが、先没移住者合同慰霊祭に参列しました。仏教のお坊さんたちの袈裟の色が美しくて見とれてしまいました。お経、お焼香が続きます。
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佐々木 陽明先生のお話は心にしみました。日本人移住者は、農業に一生懸命打ち込んだからこそ、ブラジルの人や土と容易になじむことができた。土を愛し、感謝し、慈しみながら農業をすることでブラジルの人たちと手をつなぎ仲良くすることができた。この我々を温かく包みこむようにして受け入れてくれたブラジルという国に感謝しよう。ただありがとうではなく、感謝をしながら自分には何ができるかを考えよう。というような内容でした。
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今までブラジルで暮らさせて頂いた中で、「ブラジルの国に感謝」という気持ちがなかったなぁと反省しました。私たちを温かく受け入れてくれる国のことをこれからはもっともっと愛していかなくてはいけないなと思いました。法要を終えて、会場を一巡します。ブラジル一有名な、坂本 淳(Jun Sakamoto)氏のワークショップは黒山の人だかり彼の店で食べようと思ったら最低でも2万円は用意しないといけませんから。
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テレビに良く登場するブラジル人女性のお坊さん
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もう午後の3時半、さすがにお腹が空きましたので、軽くコッシーニャをつまみます。
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ごろんと横になれる場所も用意されています。「ラウンジ」だそうです…!?
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さあ、裏千家のお茶室に行ってみましょう。思ったよりも立派!
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お客様が入ってこられました。
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お菓子が運ばれてきました。
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もちろん私たちにも…待ってました!
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椿です!
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お手前がはじまりました。
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私たちもお茶を頂戴いたします。
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お茶を頂いてさらに心が落ち着きました。茶道は日本文化の象徴ですね。私も昔裏千家の流れを引く茶道のお稽古に励んでいた時期もありましたが、すっかり忘れてしまいました。お茶のお稽古=美味しい和菓子という不良生徒でした^_^;次は上原学園という日系の学校が広島の原爆をテーマにした劇をやっていました。可愛い少女が原爆に遭って亡くなるまでの悲話でした。劇は全てポルトガル語です。
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この舞台は毎日和太鼓・詩吟・劇・生演奏・コーラスなど変わります。午後4時からは色々な宗教の平和宣言が行われました。カトリック・福音教会・友の光・世界救世教・生長の家・パーフェクトリバティー教団・仏教・ホリネス教会の代表者が前に出てメッセージを読み上げました。日本語の挨拶にはポルトガル語の字幕が、逆もあります。
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宗派を超えた宣言ができるのもブラジルならではだと思いました。会場を少し歩きます。出口付近にたくさんの生け花が展示されています。お花はやはり美しいですね。私も生け花を習っていましたが、身につくところまではいっていないので、何でも中途半端だなあ~と反省しきりでした。
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会場があまりにも広すぎて全部は撮れませんでした。
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夕陽を眺めながら、今度はバスでメトロの駅までひとっ走りです。
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サンパウロ市内のバスは一律R$2.40(150円)なのです。行きの苦労はどこへやら!?
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朝から良く歩き、良く学び、良く喋った一日でした。日本文化というのは本当に素晴らしいものだと再認識した一日でした。長い長い日記にお付き合い頂き、ありがとうございました。
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いやしかし…この日はもうひとつイベントが控えていました。そのご報告はまたの機会に!

by beijaflorspbr | 2008-06-21 12:52 | 移民&日系人 | Trackback | Comments(4)
2008年 06月 19日

日本ーブラジル文化週間

6月18日は「移民の日」です。特に今年は移民100年祭がブラジル全土に渡って開催されていますので、私も子分のすずめちゃんと会場を巡ってきました。まずは、先日も行ったBanco Realの「私たちひとりひとりの日本」の展示会場です。改めて「あしあとプロジェクト」のモニターの前の人だかりを見て、嬉しくなりました。家に帰ってきちんと先祖の名前を調べて入力すれば、全データが出てくる仕組みになっていますので、皆さんが丁寧にノートに書き留めていました。すずめちゃんもご親戚の方のお名前を入力したら、おじさまのデータは出てきましたということでした。戦後移民のデータ入力はまだ途中段階なので、多少は未完成の部分があります。移民は970年代まで続いたことと、戦後移民は、ほとんどが農業移民だった戦前と違い、商業・工業・宗教・花嫁・自由移民と色々な分野に分かれているため、分類も多岐にわたっています。しかしながら、2年あまりの歳月で約20万人文のデータを入力できたのはひとえに無償ボランティアの努力の賜物だと思います。さて、レアル銀行本店を出た我々は、その並びにある美術館「MASP(Museu de arte de Sao Paulo」に行きました。ここは入場券がR$15,00=900円です。学生や60歳以上は半額です。
MASPについて
パウリスタ大通りのビジネス街の真ん中に位置するこの美術館は、1947年、当時のマスコミ王アシス・シャトーブリアンが、第二次世界大戦後、コーヒー景気をバックに収集したヨーロッパの中世以降の絵画を中心に開館され、1969年、現在地にリナ・ボバルディ設計の地下1階、地上3階のガラス張りの近代的なビルに移転しました。6500点を超える収蔵品を交替で常設展示しており、絵画から彫刻まで貴重なコレクションを持つ世界的に有名な美術館です。

作品には印象派のマネ、セザンヌ、ゴッホ、ゴーギャン、ドガ、ルノアール、ロートレック、後期印象派のユトリロ、マチスほか、ピカソ、モジリアーニ、ゴヤ、レンブラント、ルーベンス、などの傑作が身近に鑑賞できるように展示されています。なお、同美術館は絵画の収集展示だけではなく、音楽、映画などの分野でも活動しています。館内地下に3つの展示室があり、特別展や現代アートが展示されるほか、大小2つの劇場は、内外の映画紹介や音楽会などに広く利用されています。また毎週日曜日の10:00から17:00の間、美術館下のオープンスペースでは、15、16世紀の西欧の調度品からガラクタまで様々な骨董市が開かれます。(JETRO「サンパウロに暮らす」より抜粋)
館内はもちろん撮影禁止ですので、この周辺のご報告は後日するとして、そこから「Anhembi」という国際展示場がある場所にメトロで移動しました。一旦Armenia駅で下車したものの、メトロの係り員さんが親切にも「アニェンビーに行くのは次のチエテ駅が近いよ!」と教えてくださり、タダで通してくれました。こんなところがブラジル人の良いところです。
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Tiete川を渡ります。
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さて、このチエテ駅からは、アニェンビー会場までシャトルバスが出ている、という噂も聞きましたが、健康のために歩こう!と相談がまとまり、歩きました。やっとそれらしき建物が見えてきたものの、大きく迂回させられます。ホリディー・インホテルが見えてきました。でもまだまだです…。
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歩くこと40分強、やっと日本国旗と鯉のぼりが見えてきました!
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GAZETA11チャンネルの中継車も来ています。今回の「移民週間」関連行事は、最大手のRede Globo(5チャンネル)などのマスコミもたくさん取り上げて、毎日のように詳しく報道しています。日系人がブラジル社会に与えた多大な功績と影響力を物語っています。日本というより中国!?なマスコット人形^m^
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やっと会場に入ることができました、大勢の人で賑わっています。入口には鶴で折った折り紙のブラジルー日本の国旗
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少しライトを暗くして洞窟のようになっています。真っ白で絨毯も白なのです。
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会場はテーマに分かれて、色々なブースがあり、ブースごとにワークショップが開催されています。こちらは折り紙、切り絵、タコや墨絵などを教えるところです。
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Popアートというので何かと思えば…萌え~系ですか。。。マンガ文化からきているのでしょうか、流行っているようです。
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切り絵で作られたお花です。何だか温かい気持ちが伝わってくるようです。
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総合案内所や、企業のブースが見えてきました。
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幼稚園生も見学にきています、可愛い!
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サンリオのブース、しかし日本のサンリオと関係あるのでしょうか?置いてある商品がちょっと違います。ブラジルでも「ハローキティー」は人気です。でもでも…どうしても「エロキチー」と聞こえるのですが…(^◇^)
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この日は移民戦没者の合同法要の日でもあり、我々もこれに参加したくてアニェンビーに行ったようなものなのです。会場に入ると、もう既に始まっていました。仏教の法要です。お線香の香り、お経が心にしみます。亡くなられた義両親に手を合わせます…。
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Anhembiの日本週間行事はもう少し続きます…。

by beijaflorspbr | 2008-06-19 20:10 | 移民&日系人 | Trackback | Comments(4)
2008年 06月 18日

日本人ブラジル移民100年の歴史

第一回芥川賞の受賞作となった石川達三の『蒼氓』は、ブラジル移民を扱った物語である。神戸港から旅立つ家族連れはいったん神戸移民収容所に移って、日本での最後の8日間を過ごした。ほとんどは故郷を捨てた農民たち。期待と不安に揺れる思いを抱き、語り合い、やけ気味にふるさとの民謡を唄う。

 <1930年3月8日。神戸港は雨である。…三ノ宮駅から山ノ手に向かう赤土の坂道はどろどろのぬかるみである。この道を朝早くから幾台となく自動車がかけ上がって行く。この道が丘につきあたって行き詰まったところに黄色い無装飾の大きなビルディングが建つている。是が「国立海外移民収容所」である>

 二十四歳の石川は「若気の至り」から、家族移民ならぬ単独移民として、九百五十人の移民団にまじってブラジルに渡った。目にしたその人たちの生活は厳しくも悲しい。「私はこれまでにこんなに巨大な日本の現実を目にしたことはなかった。そしてこの衝撃を、私は書かねばならぬと思った」。


作家石川 達三の文章に象徴されるように、日本の歴史を語るのには「移民」を避けて通ることはできないと思い、私も少しずつ移民の勉強を始めました。

1908年6月18日、第一回目移民781人を乗せた笠戸丸は、ブラジル・サントス港14番埠頭に到着しました。今日で100年という節目を迎えるにあたり、勤勉実直とブラジル人に賞賛された我々の祖先がどのような軌跡を辿り、今日の日系コロニア(社会)を築き上げたのか、自らがまとめた資料をここに掲載させて頂きます。大雑把ですみません。
日本が移民を奨励する理由と背景について
1970年代に至るまで、日本から北米・南米大陸をはじめとする国々へと大規模な移住を促進する政策が存在していたことは、今日、多くの日本人によって忘れられつつある。明治期の近代化は、国内人口に急激な増加をもたらしていたが、1877年の西南戦争以後の経済の大きな混乱によって、地方農村が荒廃すると、人口問題と農村の危機の解決策として、自国民を他国に送出し、現地での就労によって、富を蓄積するよう奨励することを目的とした移民政策が実施されるようになった。1868年にハワイ王国への最初の移民が始まって以降、日本国内の移民会社は増大し、移民促進論が政治的課題として議論されるようになった。しかし、北米を中心に東洋人に対する移民反対論が強まると、多くの人々は、南米を目指すようになる。その最大の受け入れ国は1888年の奴隷制の廃止によって、農業分野における労働力の不足に悩んでいたブラジルであった。
日本移民の導入までの背景 
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「移民の父」と呼ばれた水野龍は、皇国植民会社を設立、1907年11月にサンパウロ州農務長官カーロス・ボテーリョと移民導入の契約を結ぶ。1908年6月18日第1回笠戸丸移民781人を率いてサントス港に上陸した。ブラジルの現地新聞では皆行儀正しい移民と絶賛される。この笠戸丸は、かつてはロシア艦隊の病院船で、日露戦争の時に日本の手に渡ったものである。日本人移住者の多くは、多くの移民船の最終目的地となったサントス港を外港とするブラジル最大の都市であるサンパウロ州周辺のコーヒーなどを生産する農場の雇用農民として農業労働に従事した。ブラジル内陸地での労働は、収穫、収入の面で、政府の支援を受けた移民会社が国内で行っていた広告の謳い文句とは大きくかけ離れたものであり、数年間の貯蓄の後に日本への帰国を目指す「出稼ぎ」を行う予定だった移民たちは食料、住居、医療面で過酷な状況におかれることになった。現在もサンパウロの日本人街、リベルダージを中心とするサンパウロ周辺には日系人が多く住む。
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1920年代に生じた一連の経済危機ー米騒動(1918年)、関東大震災(1923年)、金融恐慌(1927年)、世界大恐慌(1929年)は、日本国内の農村に大きな打撃を与えた。政府は、1925年から、移民の渡航費用を大きく支援し、大規模な移民を奨励した。1908年から1941年までの間に、18万8千人がブラジルへと移民しているが、1925年から1935年までの10年間の間だけでも、13万5千人がブラジルへと送出されている。この時期は、ブラジル日系人たちから「国策移民の時代」と呼ばれている。
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1930-34年まで、毎月移民船が何度も往復し、盛んに移民が受け入れられた。航路は2通りあり、太平洋からパナマ運河を通ってサントス港に入る45日間のコースと、インド洋から南アフリカのケープタウンを経由する60日間のコースがあった。船内では、移民たちを和ませる催し物が開かれ、船内新聞が発行され、初級ポルトガル語を教える学校が開かれた。サントスに上陸すると、移民列車でサンパウロ州立移民収容所へ入り、その後各地のコロノ(殖民集落)へ分かれていった。ブラジルで、日本人コロノ(移民)は、19世紀末にようやく禁止された奴隷に代わる労働力としてみられ、劣悪な労働条件で、最初の3ヶ月はコーヒー農園の草取りをした。下痢やマラリア、赤痢などの病気にやられ落命する人も多かった。朝は鐘の音で起床し、昼食の時間、仕事終了の時間はラッパの音で知らされた。監督が馬で見回った。干し肉を食べたり、小麦粉を団子にしたり、野菜がなかったため雑草を調理したり、コーヒーの芽を番茶代わりにして飲んだ。1920年まではブラジル人経営の所で働いたが、日本人の中には、開拓により農場を持つ者が次第に現れ、1920年頃からは日本人経営の元で働くことも多くなった。
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奥地開拓当初は、周辺の原生林に多くの野生動物や鳥類がいて開拓が困難であった。村の仕事としては、まず日本語学校を建設し、開拓から10年ごとに記念刊行物を発行するなど日本文化を伝えるよう努力した。家の中には、戦前の日本と同じく昭和天皇の写真が飾られ、餅、味噌、醤油、豆腐などが作られた。しかし冠婚葬祭が日本式からブラジル式との混合に変わっていくなど、ブラジルに徐々になじんでいった。移民たちは言葉や習慣に馴染んでいなくとも耕作することで生活することが出来た。しかし次第にブラジル人と共に汗水流し信頼を得る中で、現地に馴染んでくると、砂糖業やサービス業、味噌や醤油の食品工業、旅館、雑貨屋など、商工業経営もするようになった。また金融や貿易、綿などの日本企業が入ってくるようになった。
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ブラジルの都市の発展と共に近郊型農業が創出され、野菜園芸農業がサンパウロ近郊からリオ市などの都市郊外で広まった。じゃがいもから始まり、トマトや蔬菜類、やがて果物や花、養鶏も伸びた。また農協がこれらを足場として成長し、栽培地域が内陸に大きく広がった。サンパウロの卸市場CEASAは南米一の規模となり、ブラジルの採卵、養鶏の70%は日系人の手で行われるようになった。日系人は品種の創出や改良など、農業技術の革新で大きな功績を挙げた。政府の後押しはなく、一人一人の工夫や努力でなされたことに意味がある。広大な土地を持つブラジルでは生産の増加といえば原始林を開いて耕地をふやすことであったが、狭い日本で育った移民たちは、ブラジルに労働集約的な農業をもたらし、野菜や果樹の栽培に養鶏も取り入れた多角農法を発展させた。各国の移民を受け入れコーヒー農業の中心であったサンパウロは、ブラジルで最も早く近代化し、日系人達は1930年ごろから協同組合を組織した。もともと協同組合運動はイギリスから始まり、ドイツ、日本そしてサンパウロへと伝わったものである。
新体制、太平洋戦争、「勝ち組負け組」抗争
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ブラジルへ渡った日本移民たちの中には、1920年代から小作農から自作農になるものも現れ、1910年代以降には、サンパウロ市を中心として都市にも進出していく。1935年ごろから、ナショナリズムの動きが強まるなかで、ブラジルは連合国の側にあり、枢軸国の日本は敵国となったブラジルと日本との外交関係が悪化した。1937年に国家主義者ジェトゥーリオ・ヴァルガス(Getulio Vargas)が大統領に就任し、新体制(Estado Novo)を建設すると、ブラジル政府は日本国政府との国交を断絶、戦時中は日本語新聞の発行が禁止された。真珠湾攻撃が起こった1941年には、日本語学校が閉鎖された。ブラジル国内では家庭外での日本語の使用が禁止されたほか、日本人所有の農場、商店、工場、銀行、病院などの一部が政府により接収された。日本国政府官憲がブラジル国内から撤退すると、日本移民たちは本国との連絡を失い、移民同士の間の情報交換も著しく圧迫された。

この時期の移民たちのおかれた特殊な状況と精神状態は、1945年日本の敗戦以後、愛国団体である臣道聯盟の成員を中心として日本軍の戦勝を信じる「勝ち組」の人々と、日本の敗戦の認識を呼びかける「負け組」の間の分裂、及び一部の過激派による一連の暗殺事件の原因となった。これは日本移民最悪の汚点となってる事件である。しかし、「勝ち組」をブラジル政府が説得して、日本敗戦の事実を認めさせた。これが落ち着くにつれ、移民たちは日本に対する結びつきを次第に希薄化させ、ブラジルを永住の地として考えるようになっていった。
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1950年代半ばより日本政府は、戦後の急激な人口過剰への対策を迫られ、その一環として、外務省移住局、日本海外協会連合を設立し、大規模な移民送り出し政策に乗り出した。その結果、1952年から1973年までの間に約6万人がブラジルへと移民することになった。ブラジルの日系移民コミュニティは、これらの移民の流れの中で新しい構成員を得ながら、発展していった。「我々の祖先は、殆ど誰もがエンシャーダ(enchada 鍬)を手にした」と言われるように、ブラジルにおける日系移民の先駆者たちはそのほとんどが農民であったが、彼らの農業分野での活躍はめざましく、ブラジル経済への重要な貢献を行った。さらに、日系移民とその子孫が独自の労働倫理をもって政治、経済、学術、医療等の分野で顕著な活躍をするようになると、彼らはブラジル社会一般の敬意の対象となった。現在、約140万人にのぼると推定されるれる日系人口は、1億8千600万人(2008年)のブラジル人口においては、1%以下を占めるに過ぎないが、日系移民とその子孫のブラジルにおける存在感は特筆すべきものとなっている。ブラジルはラテンアメリカでもまれにみる親日国でもある。
戦後の移民そして日系ブラジル人の出稼ぎへの流れ  
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サンフランシスコ講和条約締結後の1952年には国交が再開され、海外からの引揚者による増加で失業問題が深刻化していた日本では、1953年から、ブラジルへの移住を再開した。1958年には農業移住がピークに達した。それから後は技術移住が多く、戦後移住者は6万人にも上った。これとならんで、1950年代は、ウジミナスやトヨタなどの大型投資が行われ、60年代の高度成長期には日本企業が多く進出した。1962年までに70社である。日本とブラジルとの関係は、この時期大きく高まった。70年代はブラジルの奇跡と呼ばれ企業の二次進出期でもある。石油ショックが起こり、ブラジルは経済政策を転換し、食料や資源をブラジルに求めた日本はこれに協力、融資した。だが、1980年代初頭、ブラジル経済にひずみが生じ、ちょうどその頃日本は好景気であったため多くの企業が撤退した。1994年には、日系人が育て、ブラジルで指折りの経営規模を誇ったコチア農業協同組合と南米銀行が破綻し、外資に身売りされることになった。これにより農地を放棄せざるを得なくなった日系人も多く、日本への出稼ぎ現象が起こった。これと呼応するように、1990年には日本で定住者の地位が新設され、日系人は日本で比較的容易に労働ができるようになった。2008年には31万人が日本に定住していると言われている。
 
1980年代半ば頃、ブラジル経済の不況にあえいだ日系移民1世や2世たちが就労目的での日本訪問を始めた。1990年に日本の「出入国管理及び難民認定法」の改正に伴って、3世までの海外日系人とその配偶者が「定住ビザ」を得られるようになると、日本での就労を行う移住者が激増した。この流れはかつて日本からブラジルへ渡った人々になぞらえて「デカセギ(dekassegui)」と呼ばれた。現在、日本国内には30万人以上のブラジル国籍者が居住しており、愛知県、静岡県、群馬県の工業地帯を中心に、ポルトガル語話者の集住地域が形成されている。ブラジル日系社会は、家族を中心としてこれらの移住者と強い結びつきを持っており、その子弟の教育支援等が大きな課題となっている。

参考文献:ブラジル日本移民・日系社会史年表
       人文科学研究所編
       移民80年史
       ブラジル日本移民史料館ガイド
       「ブラジルの歴史」佐藤常蔵
       「移民史」半田 知雄ほか

by beijaflorspbr | 2008-06-18 03:23 | 移民&日系人 | Trackback | Comments(19)