ハチドリのブラジル・サンパウロ(時々日本)日記

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カテゴリ:癌と闘う( 46 )


2017年 04月 10日

癌という病について…

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こんな夕暮れを眺めていると、どうしてもこの時期に経験した自身の大きな病と向き合う時間が訪れる。13年前の今頃、私はある総合病院の外科病棟のベッドに力なく横たわっていた。その時に眺めていた夕日とリンクするからだ。その2週間前に突然宣告された「直腸癌」という聞きなれない病名。何度かくじけそうになったり絶望的になったりもしたが、周りの方々の力強いサポートにより、ちゃんと正しく闘って行こう!と前向きに受け止められるようになった。お蔭で今私はちゃんと立ち直り、13年経った今も元気で生きている。生きているのではなく、神さまがお許しくださり、生かされていることを実感している。私の愛する教え子が、今日無事に還暦を迎えた。「無事に」という言葉に違和感を感じる方も多いかと思うが、4年前、彼女に告げられた病名は「癌」だった。定期健診を受ける段階で、既に癌が転移しており、抗がん剤と放射線治療が必要なことを担当医に告げられた。そんな経緯でも、彼女は常に前向きに戦い続けている。地方都市でちょっと有名な彼女は、多くの仕事仲間や友人を得て盛大に誕生祝をしてもらったようだ。はち切れそうな彼女の笑顔が溢れた写真に涙した。誰もが彼女を必要とし、温かく優しく包み込むように寄り添ってくれている。こんなにも遠く離れているけれど、私もずっと見守っている。病気を得て、初めてそんな当たり前のことに気が付く。Mちゃん、お誕生日おめでとう、近日中に会えますように!人はその漢字の通り、お互いに支え合って行かないと生きていけないのだと思ったMの誕生日。しみじみ日本に思いを馳せた時間だった。命を大切に守ろう、それは周りの人たちをたくさんの幸せで包み込むことになるのだから…。

by beijaflorspbr | 2017-04-10 21:48 | 癌と闘う | Trackback
2016年 09月 13日

忘れられない自身の病歴

つい先日ある集まりがあり、ひょんなことから自分自身が罹った病気の話になりました。その前後に、ウェブサイトで病気に関する興味深い記事を見つけましたので、今日はそのお話を少しだけさせて頂きます。毎日新聞ウェブ版に出た下記記事のタイトルに当然のことながら過剰反応をしてしまいました。
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つまり、大腸の右側と左側は器官が作られる過程が異なるほか、発がんにかかる遺伝子にも違いがあり、悪性度が高いがん関連遺伝子は右側に多い。
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全くの偶然かもしれませんが、私の腸に出来た癌は「左側」でした。この研究は、手術ができない患者を対象に調査したデータの発表ですので、私のように「初期~進行」の間で手術を受けて摘出した者には当て嵌まらないかもしれません。私の場合は、定期健診(人間ドック)の際に、便潜血反応で2回とも【+3】という結果が出たため、再検査(注腸・大腸内視鏡)を受けて病気が発見されました。医師から「直腸癌です」とはっきりと言われた時は、流石に大きなショックを受けました。そのショックから抜け出すと、家族に何と説明すればいいんだろう?と途方に暮れました。当時父は長期入院中で身体が随分弱っていましたし、母は足が不自由で、誰かの助けがないと生活が成り立たない状態でした。唯一動くことができる私が、定期的にブラジルと日本とを行ったり来たりして生活を支えている状況でした。もし私に何かあれば総倒れという厳しい状況の中、何が何でも「生きなくちゃ!!」という力強い気持ちがあったのも事実です。社会生活を送る中で、それぞれの立場で色々な役割がありますが、当時を振り返っても周りの皆から全面的に頼りにされている立場を理解していたのもこの私でした。色々あった中で、入院ー手術ー5年間の経過観察(精密検査)を経て、めでたく無罪放免となったのが2009年4月。

あれから時々風邪を引いたり、腸の不具合こそありますが、周りの人たちからは「いつも元気ですね~」なんて褒めて頂いています。前向きに生きること、誰かの役に立つこと、いつも何かを学ぶこと、考えることを心がけていますが、まだまだ足りないのかもしれないと思っています。今は昔に比べて果敢に挑戦するという気持ちが欠落しているようにも思いますが、年相応に無理なきよう神様から頂いた命を大切に慈しんでいきたいと願っています。もしこれから周りに「癌」宣告を受けるような方がいらしたら、私の例を話して差し上げてください。「サンパウロにね、癌を克服して妙に元気なおば(あ)ちゃんがいるよ!だからきっと大丈夫だよー」と(笑)今日は駄文&独り言ですみません。
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(家族とお友達に作った週末弁当のテーマは「ヘルシー」)


by beijaflorspbr | 2016-09-13 22:10 | 癌と闘う | Trackback
2016年 06月 09日

癌という病気(自らの闘病を振り返る)

市川海老蔵さんの奥さまである麻央さんの突然の進行がんに関する報道で、思うことがありましたので、自身の病気のことと重ね合わせて少し書かせて頂きたいと思います。どうしても自分自身も12年前に癌に罹った元患者としての自覚が今でもあり、麻央さんの突然の報道は到底他人事では済まされません。海老蔵さんが言葉を選びながらも慎重に発するお言葉一言一言を真剣に聞かせて頂きました。それが気になって(ブラジル時間)真夜中の午前3時からのライブ中継やニュース速報をしっかりチェック。それにしても、レポーターの質問の仕方には少し疑問が残りました。ここがこの病気を経験した人としていない人の大きな違いではないか、と思いました。ともかく30分に渡る全ての会見が終わってから、自分自身の頭の中で話の内容をまとめてみました。麻央さんの33歳という若さ、既に闘病1年8か月という期間、進行スピードが速い、(病気の)深刻な状況、抗がん剤治療のために入退院を繰り返している、子どもたちの大切な成長期に傍にいてあげられないことで申し訳ないという気持ちが強い…。どの言葉も心が痛みます。果たして自分自身の時はどうだったんだろう?記憶を2004年当時に戻してみたいと思います。

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【定期健診後異常が見つかる】(2004年3月)
子どもの受験で、半年遅れの定期健診(人間ドック)を受けた結果、便潜血反応が2回とも+3で胃か大腸にポリープがある可能性ありと診断される。この時点で自覚症状は全くなかった。
※健康に自信があった訳ではないのと、子ども3人の母親の責任として、35歳から毎年人間ドック検査を受けていた。

【次々に指定された精密検査を受ける】(2004年4月)
注腸検査と胃カメラ、大腸内視鏡検査、血液検査、レントゲン検査を受ける。検査発注用紙に書かれた『至急』という二文字にただ事ではない気配を察し焦る。この時点で、自分の病状が「たいしたことない」では済まされないことを察した。注腸検査で、大腸に比較的大きなポリープがあるのが分かり、大腸内視鏡では採ることが出来ず、そのまま帰宅する。
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【検査の結果、主治医から癌宣告を受ける】(2004年4月桜満開の頃)
「検査結果を申し上げます、お一人で聞かれますか?ご家族の方に同席してもらいますか?」
「はい、一人で大丈夫です」
「病名は『直腸癌』初期~進行癌と思われます。開腹手術で悪性腫瘍を含む大腸切除術を行いましょう。
入院期間は約3週間、病理検査の結果では更なる治療(抗がん剤)が必要になることもあります。」
「分かりました、こうなったからには前向きに病気と闘いますので、宜しくお願いいたします」
「私たちも一生懸命取り組みますので、こちらこそ宜しくお願いします」

【3時間に渡る開腹手術を受ける】(2004年4月13日)
診断から1週間後に入院。丸一日の絶食後、麻酔をして手術を受けた。回復室で目を覚ますまではもちろん記憶はない。家族(娘)が、執刀医に呼ばれて、手術後に切り取ったばかりの腫瘍を(腸をメスで切って)見せてくれたそうだ。娘は医療従事者なので、実際の腫瘍を見せられても冷静でいられたそうだ。後で2,5センチの悪性腫瘍が写った写真を執刀医からもらった。悪いものを早めに採ってもらえて良かった…。その時の正直な感想だった。手術と同時に14個のリンパ節も切除して検査に回した結果、一つも転移なし、ステージで言えば「Ⅰ期(=初期)」と診断され、抗がん剤治療は受けなかった。入院中はただただ術後の傷が回復するのを待つだけだった。1週間の辛い絶食を経て、無事食事が摂れるようになった時は、本当に嬉しかった。

【退院】(2004年5月上旬)
お腹に開けた管の傷の治りが遅く膿んでやきもきしたが、ようやく乾いたので、予定より1日早い20日目に退院した。退屈な入院生活の中で、たくさんの親しい友人たちが日本全国からお見舞いに駆け付けてくれたのは大きな励みになった。家族や友人の有難さ、祈りのお蔭で何とか元気に退院することが出来た。余談だが、この闘病中に8キロ体重を減らすことが出来たのは今でも忘れられない。

【24時間のフライトで日本からブラジルに帰る】(2004年5月下旬)
まだ完全に傷は癒えていなかったものの、娘に伴われてブラジルに帰ることを決めた。事前に日本航空にビジネスクラスへのアップグレードと全行程での車椅子の手配をお願いした。生々しい傷と、術後の後遺症を抱えてのフライトは、これまでで一番厳しく、一生忘れられない辛いフライトとなった。サンパウロの家に帰ると、家族が階段を上らずに生活できるように階下の部屋にベッドを入れてそこだけで生活できるように環境を整えてくれていた。帰った時期が秋だったので、足腰が冷えないよう炬燵が置いてあって感激した。腸が詰まらないように、野菜や果物を中心とした食生活を管理してくれたのも家族だった。その頃はまだ術後の傷や、腸がこすれるのか、お腹が痛く怠い日が続いた。筋力が極度に落ちて、車の運転や歩くことがなかなか上手に出来なくなっていた。この頃、子どもに手を引かれて歩いていたのを覚えている。

【3か月後検査のために再帰国】(2004年7月)
術後3か月置きに精密検査を受けるよう、病院から言われたため、7月末に帰国することにした。念のためビジネスクラスを予約したのが良かったのか、経由地のニューヨークでエンジンタンク故障のため、ストップオーバーをするというアクシデント発生。ニューヨークのホテルに宿泊すると決まった時も、優先的にホテルにチェックイン出来た。ここで思いがけず親友のMちゃんご夫妻と再会が叶った。ニューヨーク市内を車でドライブし、ブルックリンからマンハッタン島を眺めたり、ブロードウェイも車窓から見せてもらった。美味しいお鮨をご馳走になり、SOHOでDJによるミュージックショーも経験することが出来た。翌朝午前5時ホテルのロビーに集合して、バスでJFK空港へと向かい、23時間遅れでニューヨーク発成田行きのJAL便は出発した。この時の機長による丁寧なアナウンスも忘れることが出来ない誠意あるものだった。客室乗務員の皆さんも大変親切だったのが印象的だった。

【帰国後、検査漬け】(2004年7月)
帰国後、すぐに病院に行って腹部~骨盤CT造影検査・胸部レントゲン検査・血液検査を受けた結果、全て異常なし。その頃、入院していた父の容体があまり良くなくて、毎日病院に看病に通った。

【直ぐに日本に戻ろうと10月にブラジルに帰ることにする】
父の容体が一進一退だったその頃、サンパウロでも解決事項を抱えていたため、一旦帰ることに決めた。12月中に日本に戻ることにし、ブラジル行きの飛行機に飛び乗った。病床の父には「直ぐに帰ってきますからね、元気でいてね~」と冷たい手を握って別れた。これが永遠の別れになるなどと思いもしなかった。

【父が亡くなる】(2004年11月29日)
サンパウロはその日、快晴だった。小鳥のピヨピヨという可愛い声が庭園から聞こえてきた。「ああ、平和だなあ~」などと思っていると、当時フランス在住だった兄から「どうもお父さんの容体が急変したようだ」と告げられる。第一報から3度目くらいの電話で父が息を引き取ったことを告げられる。そのショックは計り知れない。父の看病に本腰を入れるためにブラジルの用事を済ませに来たのに、勝手に旅立ってしまうなんて…。翌朝朝1番で旅行代理店に行き、日本行きのフライトを一番早い便に変更してもらい緊急帰国する。12月3日お通夜、4日葬儀とあっという間に父と別れを告げた。翌5日は、私の誕生日だった。

【2度目の精密検査】(2004年12月)
1度目と同じ腹部~骨盤CT造影検査・血液検査・レントゲン検査に加えて、大腸内視鏡検査を受け、ポリープを切除したものの、良性腫瘍と診断され安堵する。
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私自身にとって波乱万丈の2004年を過ごし、2005年以降発症から5年目の2009年春まで全ての精密検査をクリアし、担当医から「規定で言えばこれ以上の(癌の)精密検査は受けなくて結構です。但し、1年に一度の健康診断だけは欠かさず受けるように!」と厳命され、長い癌との闘いから解放されました。

「進行癌かもしれない」と言われながらも比較的早期で発見されたものだったので、その後の後遺症を克服しながらもこうして日々元気でいられるのかもしれません。この間、たくさん私と同じ病と闘って、天国に召された方も多くおられました。今や癌は二人に一人が罹り、三人に一人は命を落とす深刻な病です。食べ物の欧米化、家系によるもの、病歴、ストレス、生活環境の変化、どれが原因かは分かりかねますが、病気の克服には『早期発見・早期治療』を置いて他にはないのではないでしょうか。自覚症状がないうちに見つかった癌の方が治癒率が高いと聞きます。私自身も、自覚症状が全くないまま「直腸癌」と言われました。

麻央さんも、恐らく日本最先端の医療技術と優秀な医師団と共に病気と闘っておられることと思いますが、どうか治療が功を奏し、一日も早く可愛いお子さんたちの元へ元気で帰ることが出来ますように、と祈るばかりです。何より、マスコミの行き過ぎた取材は本当に控えて静かに見守って頂けたらと願います。「祈り」の力は大きな応援となると思うのです。私がこうして元気でいられるのはたくさんの方々の祈りのお蔭と思っています。長々と書きましたが、人それぞれの病気との戦い方があるので、静かに見守り回復を信じようと思います。海老蔵さんの為に、小さなお子さんたちのためにも…。もう一度元癌患者からのお願いがあります。

一年に一度は必ず定期健診を受けてください!


by beijaflorspbr | 2016-06-09 23:24 | 癌と闘う | Trackback
2016年 04月 13日

12年目の手術記念日に・・・

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毎日のようにここにお寄り頂いている皆さま、私ども日本に帰国をして約3週間が経ちましたが、日々大変慌ただしく過ごしており、時にはブログをお休みしてしまうこともあることをお許しください。特に、4月8日からは、急な用事で東京・横浜・千葉を走り回り、その後姫路へ行ったり、大阪市内での仲間内のオフ会に参加した翌日には、身内のお誕生祝の準備に追われていました。年齢的なこともあり、かなり疲れ気味です。夜にならないとなかなか自分の時間が取れないのですが、その夜になるとパソコンを開ける気力も残っていないというありさまがずっと続いていました。傍で見ている子どもたちは、ハラハラしっぱなしで、時には怒るように「もう寝なさいよ、早くベッドに入ってよ、お願いだから。。。」と懇願までされる始末です。それもこれも皆、12年前に大病を克服したということに気付かされます。

12年前の今日、2004年4月13日に私は某総合病院で「直腸癌」との診断を受け、開腹手術を受けた手術記念日です。3時間に渡る手術は成功し、他臓器への転移もなく、九死に一生を得て現在に至っています。本当はこんな大病をしたのだし、無理をしてはいけないのかもしれませんが、あれからずっと前のめりの忙しい人生を送ってきたように思います。あの2004年にもう来年の桜は見られないのかもしれない、と思った絶望感は今でもしっかり頭に焼き付いています。今忙しくても充実した日々を送らせて頂けるのも、皆生きているからこそ。桜の季節を見る度に、何となく複雑な思いになる私です。明日からはまた元気にブログに復帰します。いつも応援ありがとうございます。日本での残りの日々を大切に過ごしていこうと思っています。今回は、初の〇〇も経験できるので、楽しみなんですよ~~~♪


by beijaflorspbr | 2016-04-13 21:49 | 癌と闘う | Trackback
2015年 11月 21日

今年の健康診断も無事終了!!

今回帰国した大きな理由の一つが、1年に1度の人間ドックでした。この病院の検診はいつも大変混み合うので、サンパウロに居る時からネットで予約をしておきました。10月10日に帰国後、同窓会があるからたくさん食べるだろうなぁ~食べたらタダでは済まないから2週間くらい置かなくては…なんて一生懸命考えて割り出したのがこの日でした。担当医師も優しそうな先生が良いし、産婦人科の担当医も従弟のKちゃんじゃない日にして欲しい、などと案外条件が厳しい(笑)幸い(と言って良いのか)潜血反応はマイナスでセーフ、胃のレントゲンは案の定「慢性胃炎」との診断でした。後は尿酸値が高いのと、善玉コレステロールが高いとのことでした。昨年から「石持ち」になってしまった上ポリープもありますよ、と言われました。全ては10キロ減らすことで改善できるんですよ!と言われましたが、無理です(-"-)
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ほぼヤケクソになって頂いた食券で食べたのはヒレカツでした。検査までは我慢をしていた揚げ物も、心おきなく食べられます。アツアツで美味しいこと!
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自宅に戻ると、パトちゃんが凄く心配して待っていました。我が家の子どもたちは、未だに11年前の私が大病をした時のトラウマが残っているようです。牛乳が余っていたので、即海老やイカを入れたグラタンを作りました。
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二つ目は餃子、野菜をたくさん入れました。1回に10個ずつくらい食べるので、1回に100個は纏めて作るようにしています。
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この日は息子が、デパートから有名なお店のみたらし団子を買ってきてくれました。まだ温かくて美味しかったぁ!美味しいものばかりの日本で「太るな!」と言う方が無理です。サンパウロに帰ってからダイエットしようかなあ~♪
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少々疲れましたが、何よりほぼ異常なしと言われたことが嬉しくて、何となくいつまでも寝付けない夜でした。当たり前に検査をクリアすることって本当に難しいんですよね。今年はこれで終わったので、10キロ痩せて来年また検査にきます。なーんちゃって♪(v^_^)v

by beijaflorspbr | 2015-11-21 12:00 | 癌と闘う | Trackback
2015年 09月 28日

前を向いて!

私の周りには大切な人がたくさんいます。家族は一番大切なものですが、大切な人たちの中でも取り分けお世話になり、長年ビジネスパートナーとして私を支えてくださった職人のSさんという方がおられます。お年は70歳手前、10代の後半から半世紀の間、ずっと宝石職人の仕事一筋でやってこられました。その腕は確かで、その何よりの証拠が日本の老舗百貨店の商品や大手宝飾専門店の仕事も引き受けておられたことです。Sさんが作るものは、見た目が美しいのと、何よりその装着感の良さは秀逸でした。大きな仕事、小さな仕事、ちょっとした修理なども分け隔てなく完璧に仕上げてくださました。次の写真は、古い3本の指輪を2本に加工し直したものです。余った地金も全部再利用したので、大変お客さまには喜ばれました。
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そんなSさん、3年前に癌を宣告されました。当時東京でバリバリお仕事をされていたSさんは、奥さまと共に子どもたちの住むブラジルに戻って来られました。「パパイ、これからはブラジルでゆっくり暮らしてよ。僕たちもアジューダ(手伝う)するから・・・」その言葉に従い、こちらのご自宅でゆっくり仕事をこなす日々でした。ところが、そのSさんの病気が再発してしまったというのです。その知らせを聞いた途端に、ドーンと重たいものが上から落ちてくるような暗い気持ちになりました。現在Sさんは入院して抗癌剤治療を受けられているそうです。Sさんの仕事ぶりを認めている業者の人はたくさんいるので、ほんの軽い気持ちで「半年くらい日本でお仕事をされたら皆さん喜ぶのではないでしょうか」なんて言ってしまいましたが、もしかしたらその頃から体調が良くなかったのかもしれません。「うーん、そうだね。でも日本のあの忙しいリズムには到底付いて行けないよ。年中安くしろ、速くしろとせっつかれて、年中酷いストレスを感じていたもの」頑としてブラジルから動こうとしなかったSさん。今思えば…。どうか抗がん剤が効き、復活を果たして頂けることを心よりお祈りしております。今日は心に貯まった重たいものを吐き出させて頂くだけの記事ですみません。改めて癌は怖い病気だと思いました。


by beijaflorspbr | 2015-09-28 21:04 | 癌と闘う | Trackback
2015年 09月 25日

元癌患者が思うこと、お願いしたいこと

最近芸能ニュースの速報などで、癌に罹った方、癌で亡くなられた方のニュースが頻繁に流されています。名前をここに書くと、検索ワードなどで引っかかってしまうので、敢えて書きません。私自身も11年前、紛れもなく癌宣告された一人であり、担当医の的確な診断と素早い処置(外科手術)により、無事生還を果たしました。自分が「癌」に罹るかもしれないなどと思う人は果たしているでしょうか。もちろん遺伝や持病など先天的な要因がある人は「もしかしたら!?」と思うかもしれませんが、日々の生活の中で、癌を疑うというのはそんなに現実的なことではありません。私の場合も、毎年受けている定期検診(短時間人間ドック)の検査で直腸癌が見つかりました。あの時はまるでキツネにつままれたような他人事のような不思議な感覚でした。でも、一旦病を宣告されたのであれば、その病気を受け止め果敢に闘うしかありません。忘れもしない主治医の「これからどうされますか?」「もちろん前向きに闘います。癌に勝ちます!」と宣言したのは良く覚えています。両親や家族の心配をよそに、どこまでも気丈に振る舞う自分がいました。何となくなのですが、その時私自身は病気に負けるような気が全然しませんでした。そして次に考えたのが、私を知る周りの人全てに自分が癌であることを告白しました。病気の経緯、治療方針、今後の見通しなどを詳しく説明した上で、みんなの祈りの力を結集して私の命を救ってもらおうと考えました。癌告知→家族や友人へ病気を知らせる→祈ってもらう、という構図がすぐに頭に浮かび、それを迷いなく実行しました。それまで無神論者だった友人も、神社やお寺や教会の前を素通りすることが出来なくなったと言いました。「あなたのために一生懸命祈ったんだよ、だから絶対良くなってよ!」そんな声に励まされ、無事手術は成功しました。肝心の悪性腫瘍は直径2,5センチ、腫瘍は腸の粘膜を少し突き破り浸潤していたものの、リンパ節転移はゼロということで、九死に一生を得て3週間後無事退院することができました。また初期癌ということで、抗癌剤投与も免れました。
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あれからもう11年半の歳月が経ちました。私は「癌に勝った」と思っています。それもこれもみんな家族や周りの偉大なる友人のお蔭です。2人に1人は癌に罹る時代と言われています。これから癌宣告を受ける方はたくさんおられると思いますが、その時は苦しい胸の内を曝け出し、皆に助けてもらいましょう。楽しい時ばかりが友情じゃありません。苦しい時だって辛い時だって痛い時だって支え合いながら生きていかなければ…。自分が経験してみてつくづくそう思っています。先ほど元プロレスラーで乳がんの手術を受けられた女性のブログ記事を目にしました。彼女は強い精神力と、冷静な判断でこの困難を乗り切ろうとされています。力強い文章の中にも、家族への優しさがこめられていて、読んでいるうちに涙腺が緩んでしまいました。私の時も、子どもたちのためにまだ絶対に死んじゃいけない、と強く強く思いましたもの。人間である前に母親なんだな、と。それが母性本能というものなのでしょうか。是非是非打ち勝ってください。生きること、生かされていること、みんな当たり前ではないのですね。だからこそ命を大切にして行きたいと心から思う今日この頃です。

《皆さまへお願いがあります》

いつ誰が癌に罹ってもおかしくない時代です
癌は自覚症状が出たら手遅れとも言われています
私自身も自覚症状がないまま直腸癌と宣告されました
『早期発見』は大切な命を救うキーワードです
だからこそ声を大にして
一年に一度は必ず健康診断を受けてください!!
元癌患者からのささやかなお願いです


by beijaflorspbr | 2015-09-25 09:57 | 癌と闘う | Trackback
2015年 04月 15日

京都・円山公園にまつわる思い出

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今年も元気で円山公園の枝垂れ桜を観ることが出来ました。11年前の4月13日は。私自身が生き返った日でもあります。3時間に渡る手術の末、癌を含む腫瘍を無事摘出して頂いた日だからです。健康が当たり前と思っていた自分に大きな試練が訪れたのは2004年4月のことでした。検査結果がおもわしくなく、追加検査をした後「直腸癌」と診断された時の衝撃は今でも忘れることが出来ません。診断を受けた後、母が私を元気づけようと「子どもたちを連れて京都にでも行って美味しいものをたくさん食べてきなさい」とお小遣いをたっぷりくれました。あの時の母の優しく慈愛に満ちた顔と、反対に不安でいっぱいだった子どもたちの顔は今でもはっきりと思い浮かべることが出来ます。あの11年前に子どもたちと観た枝垂れ桜は何だか寂しい思い出でした。今年は教え子と一緒に元気な姿で観られたので、とても幸せでした。先日の同窓会でも「こうしてここに来られただけでも私たちって幸せなんだよねえ。。。」と語り合ったのは、過去のお花見に参加してくれた同級生の何人かが、もう二度と参加できない世界に旅立ってしまったからです。それを良く知っているからこそ、今を精一杯生きなくてはいけないと決意を新たにする桜満開の春は、私に勇気と希望を与えてくれる季節でもあるのです。春にありがとう、そして今元気で生きていることに感謝!!少々忙しくても頑張らなくてはいけませんよね!

by beijaflorspbr | 2015-04-15 00:01 | 癌と闘う | Trackback
2014年 06月 27日

ある方へのメッセージ

Tさんが自覚症状もないまま突然の癌宣告を受けた。
それはまさに青天の霹靂だったことと思う。
私も思い起こせば2004年4月に、突然の癌宣告を受けた。医師の
「直腸癌ですね、初期~進行癌と思われます。来週入院し、開腹手術をしましょう」
淡々と話すその傍で、私はひとり絶望の淵にいた。
当時、病弱な両親、まだ学齢期の子ども3人の世話が全て私の肩にかかっていたからだ。
こうなったらありとあらゆる神様に頼ってしまおう。
神社仏閣、教会、通りかかったところ全てに手を合わせ頭を下げてお願いした。
「どうか、私の命を助けてください。回復した暁には世のため人のために精一杯働きます」

3時間に渡る手術は無事成功し、癌細胞を含む大腸を14センチ切り取って手術は終わった。
術後の痛みもそれは辛かったものの、最大の試練は術後の結果を聞く時だった。
幸い(いやこの結果辛い治療を受けなくてはならなかった可能性もあったから)他臓器への転移はゼロ、抗がん剤も服用しなくて済んだ。

元々元気だったので、傷口の回復と同時にどんどん元気を取り戻した。
とはいえ、全身麻酔の3時間に渡る手術を受けた身、そして切った部分は大腸だったので、その後遺症たるやすさまじいものがあった。
それでも「絶対に治る、治す!」と宣言し、家族や友人たちの力を借りながら乗りきることが出来た。
あれから10年、私は病後の後遺症も全くなく、本当に元気いっぱいの日々だ。
病気になって何が変わったんだろう?

それは何にでも感謝できるようになったこと、
家族の温かさをたくさん感じたこと、
友だちとの交流もたくさんできたこと、
何に対しても「ありがたい、ありがたい」と思えるようになったこと。
空が綺麗、花が咲いたね、ああ今日はこんな親切な人に出会えた、
生きているからこそ、得られる喜びを満喫する日々だ。
何より命の尊さ、重さを痛いほど感じることができた。
生きていることは当たり前かもしれないけれど、素晴らしいことなんだ、それは偽りのない実感だった。
術後5年目に、一応『完治宣言』をしてから今日まで恩返しの日々が続いている。
恐らくこれからもずっと続くことだろう。

病気になって失ったものは、得たものに比べたらほんのちっぽけなものだ。
命を守ることに全力を尽くした自身の心は実に清々しい。
だから、Yさんも果敢に闘って欲しいと思う。
きっと治る、きっと元気になる、そう言いたい。
頑張ってください!!!
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奇しくも今日は息子の誕生日、私が病気になった時の彼の不安そうな目が忘れられない。
母はずっと元気でいて、あんたたちをこれからもずっと守って見せる!
誕生日おめでとう~、良い人生を歩んでね。


by beijaflorspbr | 2014-06-27 22:19 | 癌と闘う | Trackback
2014年 04月 01日

手術後10年を迎えました!

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いつも元気に走り回る私を見て、ちょうど10年前大病を宣告された人間と思う方はいらっしゃるでしょうか。このブログにも「癌と闘う」というカテゴリーに全ての記録が残っていてご存知の方もおられるかと思いますが、10年前の今頃桜が満開の時期に、突然の「がん宣告」を受けました。まさにそれは晴天の霹靂のような大事件であり、私にとって最大の試練でもありました。いつもの定期検診(人間ドック)の結果に異常値が見られ、再検査をしたところ「直腸癌」との診断を受けたのは3月末のことでした。その後3時間強に渡る手術を受け、色々あったものの無事に10年目を迎えることができました。5年前に書いた記事「5年目の春に感謝! 」に頂いた多くの温かいコメントは何度読み返しても涙が出て困ります。もし皆さんの周りの身近なご家族、お友達が私と同じ病気に罹ったとしても、是非私の例をお話して励まして差しあげてください。今や2人に1人が癌に罹り、3人に1人が亡くなると言われる時代です。ただ、癌は早期発見できれば治る病気とも言われています。癌に罹ったとしても、「治る可能性が大いにある」ということも頭に入れて、希望を捨てないでください。癌に罹って手術を受けた大切な時期に、ずっと次女のエルが付き添ってくれていました。彼女の口癖は「大丈夫!大丈夫!」でした。それを何度も聞いているうちに「大丈夫なんじゃないか・・・」とまるで催眠術にかけられたように「大丈夫!」という軽い気持ちに変わりました。病気をして、何事にも感謝できるようにもなりました。今こうして生きていること、生かされていることに心から感謝し、この10年目の日をささやかに祝いたいと思います。いつも拙いブログをお読み頂き、ありがとうございます。

あの10年前の宣告を受けた時に、完治を信じ祈ってくれた家族やたくさんの友人に、改めて心からお礼を申し上げます!


by beijaflorspbr | 2014-04-01 21:15 | 癌と闘う | Trackback