ハチドリのブラジル・サンパウロ(時々日本)日記

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カテゴリ:人生( 123 )


2017年 05月 16日

13年ぶりの入院&手術

帰国前から計画していた通り、今週の月曜日に地元の総合病院に行き、外科担当医師の診察を受けてきました。今回の胆嚢を取る手術の方法や時間、予想される合併症などの説明も詳しく受けました。手術の内容は「単孔式腹腔鏡下胆嚢摘出術」です。初対面でしたが、とても信頼できる先生で、安心して手術を受けられそうです。私と前後して、その先生の診察室から出てくる患者さんは、100%入院→手術を受ける模様で、同じような説明を飽きることなく丁寧に説明する看護師さんには感心してしまいました。外科はそういった患者さんばかりなのでしょうね。13年ぶりに外科に入院することになって、ちょっと楽しみでもあります(変人か!?)前回は深刻な病いのため開腹手術だったので、当然症状も重く、3週間も入院をしたことを思えば今回は3日目くらいで退院できるようなので、ちょっと楽観しています。
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健康状態は長旅の疲れもなく、まあ良好なので、あっという間に傷が回復して元気になりそうな予感がします。17日(水)午前中に入院、18日(木)に手術を受けます。今回は腹腔鏡による手術なので、所要時間は約1時間半(麻酔~手術~醒めるまで)と聞いています。与えられた運命に逆らわず、全てを素直に受け入れ、先生を信頼し手術を成功に導き、前向きに闘病生活を楽しみたいと思っています。応援して頂けましたら嬉しいです。いつもハチドリブログにお越しいただき、ありがとうございます。


by beijaflorspbr | 2017-05-16 20:38 | 人生 | Trackback | Comments(4)
2017年 05月 12日

堀江泰子先生とのお別れ

5月9日の午後2時半過ぎに成田国際空港に到着し、大型スーツケースを送った後、真っ直ぐ堀江泰子先生のご自宅のある世田谷区成城に向かいました。予めお嬢さんのひろ子さんと打ち合わせをした通り、ご本宅で亡き泰子先生のお参りをさせて頂いた後、旦那さまと共にひろ子さん宅へ連れて行って頂くということになっていました。いつも弾んだ足取りで歩いてきたこの道も、何となく物足りなく寂しい思いでいっぱいでした。3枚のうち2枚がピンボケでした。
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堀江泰子先生の遺影を拝見し、静かに手を合わせました。その傍では101歳の旦那さまが静かに微笑んで見守ってくださっていました。
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お通夜・告別式併せて1,000人以上のご会葬があったとのことでした。ご家族も、想定していた以上でかなり慌てた・・・と仰っていました。それほど先生と関わりのある方や、恩義を受けた方、生徒さんたちの数が多かったということなのですね。家庭料理の分野で偉大な業績を残された堀江泰子先生の遺影に静かに手を合わせた時、心が落ち着き、だんだん心穏やかになって行くのが分かりました。これで、今回帰国の大きな目的をひとつ果たすことが出来ました。そのままひろ子さんご夫妻のご自宅へ移動しました。満面の笑みでひろ子さん、さわちゃんが迎え入れてくださいました。お嫁さんやお孫さん総勢10人で賑やかな食卓を囲みました。今日はもう遅いので、おうちごはん遍は明日に続けます。


by beijaflorspbr | 2017-05-12 22:16 | 人生 | Trackback
2017年 04月 11日

ありがとう&お疲れさま、浅田真央ちゃん

昨日のニュース速報で、女子フィギュアスケートの浅田真央さんが「自分を支えてきた目標が消え、選手として続ける自分の気力もなくなった」として引退を表明しました。僅か26歳で大きな功績を残した真央ちゃんは、多くの方が口を揃えて言っているように、たくさんの夢と感動を与え続けてくれました。個人的には、2011年に最愛のお母さまを喪った時は、自身の母親を亡くした時の感情とオーバーラップし、随分泣いてしまいました。その僅か2週間後の全日本選手権では見事な演技で優勝を亡きお母さまに捧げたのは立派でした。「一番近くで見ていてくれたと思います」のコメントに心が震えました。ソチオリンピックの伝説のフリー演技も素晴らしいものでしたが、私の中のナンバーワンはこの「愛の夢」です。
2014年ソチオリンピックのフリー演技も、深く印象に残るものでした。真央ちゃんの立派なところは、礼儀正しさでしょうか。常に言葉を選びながら、一言一句を噛み締めるように慎重に話すところが素晴らしかったと思います。まだ若い真央ちゃん、どうかこれからの人生を大いに楽しみ、羽ばたいて行ってください。長い競技人生、本当にお疲れさま、そしてたくさんの感動をありがとうございました。あなたと共に、感動を共有できたことを幸せに思います。これからもご活躍を楽しみに見守ります。
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JAL贔屓と飛行機大好きな私としては、もう一枚どうしても気になる写真がありますので、貼り付けさせて頂きましょう。ソチオリンピックの前年のクリスマスに発表された真央ちゃんジェット特別塗装機、一度で良いから乗りたかったなあ。。。
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華麗に舞う真央ちゃんの姿が美しく描かれたJAL機、何と素敵なんでしょう!!

今浅田真央ちゃんの記者会見をライブ中継で観ました。終始笑顔を絶やさず、「悔いはない」と言い切った強い目に心動かされました。会見を終えた時にふと目を潤ませていたのが一番真央ちゃんらしい本当の姿だと思いました。21年間の競技生活、本当にお疲れさまでした。南米からですが、心からの拍手を贈ります。気が向いたらブラジルにも遊びに来てね〜♪


by beijaflorspbr | 2017-04-11 22:40 | 人生 | Trackback
2017年 03月 30日

永遠の学園・・・

昨夏以降、休部状態だったPL学園高(大阪)野球部が29日、大阪府高校野球連盟を脱退した。22日に脱退届を提出し、この日に受理された(毎日新聞ウェブ版より抜粋)。
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(写真は昨年の春、専用球場で懸命に練習する最後の野球部員たち)
遂に母校野球部の復活は望めなくなったようで、残念で残念でたまりません。私にとっては、8年前に甲子園球場に応援に行ったのが最後になってしまいました。母校が甲子園に出場する(した)時は、いつも異様な熱気に包まれていたような気がします。それだけ母校のファンは多く、廃部を惜しむ声はたくさんあったように思います。今は楽しかった思い出を宝物として大切に胸にしまっておきましょう。母校野球部員OBの皆さん、たくさんの感動をありがとう&お疲れさまでした。


by beijaflorspbr | 2017-03-30 20:00 | 人生 | Trackback
2017年 03月 12日

堀江泰子先生を想う

暑い夏も漸く終わりを告げようとしています。この時期は、街歩きをするには暑く感じるものの、どうしても週1度のリベルダージ東洋人街へのお買い物は避けられません。重い腰をどっこらしょ、と挙げて買い物に出ようとすると…
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毎年この時期になると満開になる「ハナセンナ」(別名アンデスの乙女)が「見て行って~」と言いたげに華を誇っていました。亡き義父が愛情をこめて植えてくださったお花、これを見ると、優しかった義両親の姿を思い出します。人生は色々な方に愛情を頂きながら時が過ぎていくのだと思わされました。
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今頃東京では、堀江泰子先生のお通夜が行われている頃です。あまりにも落ち込み、悲しむ私の姿を見かねてか、夫が「予定を少し早めて帰国して告別式に参列したらどう?」と言ってくれましたが、急に帰って疲れた身体で会いに行っても、泰子先生に叱られるような気がして断念しました。何より、今ここにいて静かに手を合わせて供養することこそが先生が一番望まれていることなのではないか、と思いました。訃報を受けてすぐにお嬢さまのひろ子さん(料理研究家堀江ひろ子先生)と連絡を取りました。「たくさんの方が(お別れに)お見えになってくださると思うので、せめて煮物やちらし寿司、のた芋(宮崎地方の郷土料理)をお弁当箱に詰めてお持ち帰り頂こうかなと思っているの」とのお言葉に、いつも私を温かく包みこんでくださる、堀江家の皆さまの頑張りと深い愛を感じて感涙してしまいました。先生、ずっと離れた地に居ても、先生のことをずっと思っていますよ。


by beijaflorspbr | 2017-03-12 21:59 | 人生 | Trackback
2017年 03月 06日

想い出の引き出し

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スマホで撮った一枚の写真を見ながら色々考えた
この写真の撮影日は、翌日日本とお別れをするという日だった
子どもたちを置いてまた彼の国に戻らなくてはならない
言葉に出来ない寂しさや物足りなさはいつものこと
人生ってこうして出会いと別れを繰り返すのかな
また会えたら良いけれど
もう二度と会えない人もいるんだね
色々考え始めると眠れなくなる日々・・・
それでも前に進まないと厳しめだったあの人に叱られてしまうかな
さあ、前だけを見て進もう!


by beijaflorspbr | 2017-03-06 21:00 | 人生 | Trackback
2017年 03月 04日

追悼:料理研究家 堀江泰子先生

※昨日の午後、料理研究家の堀江泰子先生が亡くなられたことは、ご逝去直後に堀江家からお知らせを受けて知っておりました。ただ、堀江先生は料理界の草分け的存在で有名人でもあられるため、マスコミ発表を待ってからこの記事を書こうと決意していました。

昨日の午前中、一通の悲しいお知らせが移動中の私のスマフォに届きました。発信元は孫のさわちゃん(料理研究家ほりえさわこさん)でした。「ひな祭りの日に旅立つ紫姫(紫色が大好きな先生のニックネーム)なんてカッコイイよね~」の通り、誰もが決して忘れらない日に旅立たれてしまった堀江泰子先生。ずっと恐れていた、この日が遂に来てしまいました。94歳ですし、晩年はご病弱でいらしたのでこの日が来ることは誰もが覚悟の上だったことでしょう。しかし…何でしょうか、この言葉に出来ないほどのたまらない寂しさは…。先生の存在は、私にとっては恩人以上の重みがあったように思います。少しだけ泰子先生との思い出を語らせてください。
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(堀江家の珠玉のレシピばかりが掲載されている貴重な一冊)

堀江泰子先生とのご縁を頂いたのは、今から46年前の私がまだ18歳の時でした。東京の短期大学2年生の時、ある事情から突然下宿を出なくてはならなくなり、友人の紹介で学業の合間に家事を手伝ってくれるなら、という好条件で堀江家に1年間居候をさせて頂くことになりました。当時はまだ右も左も分からずに、ポンと堀江家に入り戸惑うことばかりでした。当時の堀江家は、旦那さまが地方に単身赴任中で、泰子先生やご家族は東京に住んでおられました。私の役割は先生の身の回りの世話係も兼ねていましたので、先生ご夫妻のお部屋で先生と一緒にお布団を並べて毎晩寝ていました。後で良く先生に言われたのは「旦那さま以外の人と布団を並べて寝たのはハチドリちゃんだけね」と。泰子先生は、年々テレビや雑誌や料理講習会などのお仕事が忙しくなってきて、早朝から深夜まで実に良く働かれていました。娘さんのひろ子さんもその頃から次第に名前が出て、助手として大活躍をされていましたが、何と言ってもこの時代に中心となって活躍されていたのは泰子先生でした。今思えば当時40代後半の働き盛りでいらしたのですね。先生はご家族やお弟子さんたちにも妥協せず、常に厳しく接しておられました。一番下っ端の気弱な私は、叱られて良く物陰で泣いていたものでした。それまでの甘く緩い生活からいきなり厳しい生活への変化を受け止められず、真剣に堀江家を出ようかと悩んだ時期もありました。そんな切迫した状況の私を変わらず優しく支えてくださったのが、泰子先生のお母さま、静江おばあちゃまでした。静江おばあちゃまは、毎朝6時に階下から「ハチドリちゃん、おはよう。起きている?」と優しく起こしてくださり、広い家中のお掃除が終わった頃、滋養ある朝食を整えて待っていてくださいました。今もその時の朝食の味は忘れたことがありません。堀江家においてのおばあちゃまの存在は実に大きいものでした。次々に孫が生まれると、80代を超えた静江おばあちゃまが面倒を見ていた時期もありました。「ぼやっとしていると、泰子に怒られるから。。。」と堀江家ではこのように、何歳になってもそれぞれの役割分担があり、「疲れたから」とか「もう年だから」などという甘えは一切許されませんでした。堀江家で実に刺激的な1年を終え、社会人になって初めて堀江家での一年間は何ものにも代えがたい貴重な日々だったのだということが分かりました。お料理の補助作業や下準備だけではなく、買い物の仕方、電話の応対、お客様のお接待、気配りや身の回りのこと、庭の手入れまで。若干20歳前の私が到底得られない貴重な基本知識を学ばせて頂いたのも堀江家でした。堀江家は、私にとっての原点といっても過言ではありません。堀江泰子先生ご自身も、厳しいだけではなく気配りを欠かさぬ優しい先生だと分かるまでに、そんなに時間を要しませんでした。堀江泰子先生は、人にも厳しい分、自分にも高い目標を常に課しておられました。
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(泰子先生直伝のお赤飯は今や十八番に)

私が縁あってブラジルに嫁いでからも、堀江家との深いご縁はずっと続きました。堀江先生の旦那様が国会議員になられてからの海外視察旅行で一度、プライベートで一度、ブラジルにも来てくださいました。大好物の「たねや」さんの最中を携えて、わざわざ会いに来てくださった時は、本当に嬉しかったです。私たちが気に入っていた高級ポルトガル料理のレストランにご案内すると、飲めないワインを少しだけ嗜んで、上機嫌で頬を赤くされた泰子先生の笑顔を今でもはっきり思い浮かべることが出来ます。その時、ほんの少しだけ親孝行の真似事ができたかな?と思った瞬間でした。私が帰国した時は、可能な限り成城のお宅に会いに行くようにしていました。
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(堀江先生に教えて頂いた我が家のおうちごはんの数々)

最後にお目にかかったのは、昨年の12月2日のことでした。ここ数年、会いに行ってもご入院中だったこともありましたが、そんな時は病院までひろ子さんに連れて行って頂き、無事にお会いすることが出来ました。12月2日はご自宅で旦那さまと二人揃って笑顔で迎えてくださいました。「ハチドリちゃん、私はね、死ぬことは怖くないけれど最期まで堀江泰子として立派に生きたいの」とびっくりするくらい力強く仰ったのは忘れることができません。「料理研究家1代目は堀江泰子、2代目は堀江ひろ子、3代目はほりえさわこ。そう決めたの」とも。4代目は?とお聞きすると「もえ(さわこちゃんの長女)かな?」と。料理研究家として有名な先生ですが、弟子の私から言わせると、「常に努力を惜しまない方」だったように思います。あれは80歳を悠に過ぎた頃だったか、机に本を置いて真剣なお顔をされていました。「先生、何をしていらっしゃるのですか?」と訊く私に「ハチドリちゃん、お料理というのはね、もうこれで良いということはないの。レシピもどんどん研究をして改良して行かないといけないのよ」と。既に完成されたように思っていた堀江家のレシピも、こうした日々の研鑽によって作りあげられていることを初めて知ったように思いました。とにかく当たり前のようですが、堀江家のお料理は全てが美味しいのです。そんな陰に、こうした先生やひろ子さんたちのたゆまぬご努力があったのだと知りました。晩年は、お料理教室をひろ子さん、さわちゃんに任せて奥におられることが多くなりましたが、お味見の時は旦那様と共に生徒さんの前に顔を出して、笑顔で見守っておられました。最後にお会いした昨年の12月2日も、しっかりクリスマス用のお料理を美味しそうに召し上がっておられました。家庭料理を人に教えるという世界では草分け的な堀江泰子先生ですが、元々娘時代はお料理が全く出来ずに、困り果ててお知り合いの料理研究家のところに通い詰めた、というご経歴の通り、元々秘めた才能とやる気のある方だったのだと思わされます。「家族のために、人のために美味しいお料理を作って喜んで頂くのは家庭料理から…」との揺るぎない方針で、多くの方々を指導された堀江泰子先生の94年の生涯に、心からの拍手を贈らせて頂きます。

天国に昇られた泰子先生へ
遂にお別れの日が来てしまいました。先生は「ハチドリちゃん、お葬式には来なくて良いけれど、生きているうちに私にたくさん会いに来て!」と仰いました。私はちゃんとそのお約束を守って、帰国時には最優先して何度も先生に会いに行きましたよね。これが最後になるかもしれない、なんていうことは一度も思ったことはありませんが、12月2日が本当に最後になってしまったのですね。でもね先生、私は先生の教えの通り、今もお料理が大好きで、得意で、たくさんの方に喜んで頂いていますよ。先生が広く伝えてこられた「家庭料理こそ一番の宝物」という精神は、これからもずっと私の心の中に生き続けると思うのです。堀江泰子という私が尊敬してやまない一人の偉大な女性とのご縁を頂けたことを誇りに思っています。泰子先生が、辛いご闘病生活から漸く開放されて、痛みや苦しみのない世界へと旅立たれたことに、ほんの少しだけの安らぎを感じています。残念ながら告別式には参列できませんが、次の帰国の際に真っ先にお参りに行かせて頂きます。今頃静江おばあちゃまや妹さんと久々の再会を果たされているのですね。静江おばあちゃまも喜んでおられるでしょう。どうか、安らかにお眠りください。遠くブラジル・サンパウロより、心からのご冥福をお祈りしております。
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(昨年12月2日最後に撮影した泰子先生のお写真です…涙)
泰子先生、46年間の長きに渡り、本当にお世話になりました。ありがとうございました!


by beijaflorspbr | 2017-03-04 21:18 | 人生 | Trackback
2017年 02月 08日

Kさんのおじいちゃん、さようなら

長らく闘病をしていたKさんのおじいちゃんが息を引き取った。享年101歳。Kおじいちゃんは、19歳の時、家族と一緒に愛知県からブラジルに移民をした。多くの日本人移民と同じように最初はコーヒー園で働き、農業に従事した。それまで日本で学生生活を送っており、農業は未経験だったそうだ。未経験のうえ、奥地での慣れない熱帯の地、ブラジルでの過酷な労働には大変ご苦労をされたそうだ。物がない、食べ物も合わない、きつい労働に低賃金。それでも歯を食いしばって未来を見つめ貯金に励んだという。契約農業を経て、家族と共に独立農へと新しい道を歩み始めた頃、同じ移住地で女性と知り合い結婚をした。Kさんは結婚を機に独立し、色々な事業を手掛けるようになったという。「色々やってみたけど、一番成功したのは不動産業だったよ」その頃、未開の地を二束三文で手に入れたKさんは、初期費用をかけて整地し、少しずつ土地を売り出してみたところ、面白いくらいに売れて纏まったお金を手にすることが出来たそうだ。その頃、次々と生まれた子どもたちの教育のために、サンパウロ近郊の街に住み着くようになった。経済的にも安定し、老後は蘭の栽培などをして余生を送った。そんな頃、ずっと人生を共にした妻を突然の病で失くしてしまう。失意の中、子どもに頼ることをせず、自らの意思で特別養護老人ホームに入居した。何年かは、そこで快適な生活を送っていたものの、病を得て入院してしまう。ずっと父親の面倒を看ると言って聞かなかった末の娘がKさんを自宅に引き取った。男ばかりの子どもの中での唯一の女性、それが義弟の妻であるJさんだ。Jは晩年のKさんの面倒を一生懸命看ている姿をちょこちょこ目にした。親を早く亡くしてしまった私は、そんな光景を羨ましく、微笑ましく見ていたものだった。Jの家に行くと、良くKさんとお話をしたものだった。日本人である私には、色々な苦労話を打ち明けてくださった。そのKさんが昨晩息を引き取られたという。葬儀と埋葬は我が家の近くの巨大な墓地。亡くなってから翌日には埋葬されてしまうという、この国の習慣に未だ馴染むことができない。ステキなスーツ姿のKおじいちゃんは、安らかなお顔をされていてちょっと安堵する。夫のトリオさんとともにまずはお悔やみに駆け付けた。家族が墓地に到着する前に色々二人で話をした。トリオさんは火葬は嫌だ、と突然言い出した。「ブラジルではね、火葬すると、骨が残らないで灰になってしまうんだよ、それはちょっと嫌だな・・・」私「私は火葬してその灰を撒いて欲しいな、それか土に還して欲しいと思っている」などという話をしているうちに、彼の弟家族が到着した。お香典をお渡しし、お悔やみを言ったら、父親を亡くしたばかりのJがずっとずっと号泣していた。今は余裕がなくて声のかけようもないけれど、いつか本当に頑張ったことを褒めてあげたいと思う。色々な旅立ちがあるけれど、101歳という天寿を全うされたKさんの人生は、お見事だったと思う。Kさんの希望通り「ブラジルの土に還られた」Kさんの101年の人生に心より敬意を表したい。
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Kさん、遠い親戚の私にまで数々の優しい言葉をかけてくださってありがとうございました。奥さまの待つ天国でゆっくりなさってくださいね。ご冥福を心よりお祈りしております。この墓地には、義両親と義兄が既に眠っています。いずれは分骨するにしても、私の将来ここに住むことになるかもしれません。墓地にいる時間は2時間ほどでしたが、ここだったら良いかな?とちょっと思った時間でした。残りの人生を精一杯生きなくては、と思うのはこうして身近な方の訃報に接した時です。


by beijaflorspbr | 2017-02-08 20:00 | 人生 | Trackback
2017年 01月 18日

2016年秋日本日記@堀江泰子先生のお宅へ②

堀江泰子先生のお宅、午後の部です(はい、長居しております←笑)さわちゃんの専門分野である、韓国料理のお教室が始まりました。堀江先生のお料理教室の基本は、昔から下ごしらえを丁寧にすること、きっちり分量を測ることでした。もやしの髭も、面倒くさいけど丁寧に取ってね!とさわこ先生から指示が飛びます。
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予め味を染み込ませて置いたお肉なども揚げ、材料を合わせて…
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仕上げにかかります。スペアリブの唐揚げ、麻辣ナッツかけが完成!
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ちぢみはふわっと焼くのよ~♪
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春菊のチヂミの出来上がり!!美味しそうな香りがふわ~~っと広がります。
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コンナムクッパもさわちゃんが丁寧に仕上げてくださいました。
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おいしぃ~~~~~~~(^^)/
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デザートは何と、カルピスミントシャーベットでスッキリサッパリ。。。
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この後の楽しみもあるのに、またお腹いっぱい食べちゃった。。。まずいぞ。エルの診療所用に、さわちゃんの離乳食の本を頂きました。
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お稽古でバタバタしている中、101歳の旦那さまは、ひたすら書き物をされておられました。ひとつひとつ丁寧に辞書を引きながら。。。旦那さまは、喪中はがき一通一通にも必ずお悔やみのお返事を出されるそうです。こういったところからも、人生の勉強をさせて頂いています。
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「堀江家は私の原点」と胸を張って言えるのは、こうした旦那さまの変わらぬものに向き合う姿勢と、泰子先生が長年ご苦労をされて研究して来られた堀江家の味や、故郷宮崎の郷土食を子・孫に忠実に伝えて来られたお姿を間近に見せて頂いているからだと思います。既に両親は亡くなっているので、お二人から学ばせて頂くことが多い堀江家は、私にとっての宝物でもあります。これからも宜しくお願いいたします。

by beijaflorspbr | 2017-01-18 20:40 | 人生 | Trackback
2017年 01月 17日

2016年秋日本日記@堀江泰子先生のお宅へ

もう一度日本日記に戻ります。この日は、東京のお友達のお宅から成城の堀江先生のお宅に向かいました。先生とは18歳の時にご縁を頂き、現在まで変わらず気にかけて頂いており、ずっとお付き合いが続いています。もし日本にずっといられるのであれば、堀江家の年中行事である旦那さまや先生のお誕生日のお祝いや、ひな祭り、餅つきやお節料理などを頂く機会があったのにと思うと残念でなりません。それ故、帰国した時は必ず何を置いてでも訪問するように心がけています。堀江先生とのご縁を書いた「スタートは18歳から」で詳しくいきさつを書いたように、先生とのご縁は既に45年前から始まっていました。旦那さま101歳、泰子先生94歳の冬…。成城の街並みは昔とちっとも変わりません。
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先生宅に近付くと、とっても賑やかな声が聞こえてきました。この日はお稽古日で、特別にクリスマスメニューの日でした。たくさんの生徒さんが一生懸命メモを取りながらお料理をされていましたが、私は久しぶりにお目にかかる旦那さまや先生と積もり積もったお話をするのに夢中になっていました。先生は私のことが良く分かって、「良く来てくれたわねえ~」とか「いつまでも頭しっかり元気でいなくちゃ」と自分自身に気合を入れておられる姿に、ちょっと安心しました。ご高齢のお二人を拝見していると、しんどいとか年取ったなあ~なんて決して弱音を吐けません。お料理が出来上がって、旦那様、先生と共に食卓に着かせて頂きました。生徒さんも、「ああ、ブラジルのハチドリさんですね!」なんて、結構知名度が上がっているのには驚きました。クリスマスのメニューだけあって、ビックリするくらい豪華な一品一品、もちろん肝心なレシピも頂きました。後でおさらいをしなくてはいけませんね。
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泰子先生の食事介助をするのに、「口に入っているのに入れない!」なんて叱られながら(笑)楽しく試食を終えました。いつも感心するのは盛り付けの美しさと味の良さ、家庭料理は日常的に口に入るものなので美味しくなくては…という泰子先生のお考えを、ひろ子先生、さわちゃんがしっかりと引き継いでいます。
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皆が試食している横で、さわちゃん(料理研究家・ほりえさわこさん)がケーキの仕上げを黙々としていました。
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最終的にお星さまの形に仕上がって、真ん中はヨーグルトにフルーツ
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しっとりしていて本当に美味しいケーキでした。泰子先生もたくさん召し上がられて、ホッとしました。午前の部の生徒さんがお帰りになるのと入れ替わりに、午後からの生徒さんが来られて益々賑やかに…。何度もお邪魔しているので、何度もお目にかかったことのあるベテラン生徒さんもおられました。続きます。

by beijaflorspbr | 2017-01-17 23:11 | 人生 | Trackback