ハチドリのブラジル・サンパウロ(時々日本)日記

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カテゴリ:人生( 126 )


2017年 07月 03日

うーん、こんな日もあるのか!?(謎の投稿)

幸せイッパイの仙台・山形同窓会の帰りの写真を使わせてもらいますが、心ここにあらず…。膨大な画像処理をし、一日中その作業に没頭していました。そんなところに飛び込んできたサプライズニュースに大変動揺しています。
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今すぐどうこうということはないにしても、将来どうなるのかなあ?と不安でいっぱい・・・。
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私自身はとても元気なのですがねえ。。。はぁ~(-_-;)(-_-;)(-_-;)意味不明な投稿で申し訳ございません。私の友人たち、あまり気にしないでね!とだけ言っておこうか。


by beijaflorspbr | 2017-07-03 22:10 | 人生 | Trackback
2017年 07月 02日

6月もたくさんのアクセスをありがとうございました。

日本で過ごした6月は、あっという間に過ぎ去った感じがします。碌にブログを更新する時間が取れず、書くタイミングと気持ちが何となく噛み合わなかった1か月でした。膨大な写真を整理し、その一部しか載せられないかもしれませんが、少しずつ記録してまいります。
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今月7月は、私自身の国際線移動と、娘の里帰りがあり、また家族で大移動をしなくてはならず、少し気が重いことです。所属する会のイベントもあり、また皆さまのご協力を頂くことがあるかもしれませんが、その節はどうぞ宜しくお願いいたします。

1娘の帰国便が決まる!5.04 %296
22週間でブラジルのパスポートが届く4.05 %238
3東海道新幹線立ち往生に遭遇する!!3.47 %204
4教え子の訃報3.32 %195
5耐え難い悲しみ2.95 %173
6胆嚢摘出手術②入院二日目 手術当日2.86 %168
72017年春サンパウロ→日本へ帰る旅⑤...2.69 %158
8手術後の食事について2.35 %138
9ブログ開設10年、ありがとうございます。2.28 %134
105月もたくさんのアクセスを頂き、ありがと...2.09 %123
11胆嚢摘出手術③入院3日目2.09 %123
12胆嚢摘出手術①診察~入院一日目2.08 %122
13【地域情報】 ブラジル出入国カードの書き...2.06 %121
14胆嚢摘出手術⑥入院6日目 退院2.01 %118
152017年春サンパウロ→日本へ帰る旅④J...1.99 %117
16胆嚢摘出手術④入院4日目 ほぼ回復したも...1.94 %114
17おうちごはん@ふーさんのお誕生祝1.87 %110
18優しさに満ちた時間@京都1.86 %109
19中之島散歩②1.79 %105
20胆嚢摘出手術⑤入院5日目 疲れるまで歩...1.67 %98
21中之島散歩①1.65 %97
22日本からブラジルに荷物を送ることについて...1.63 %96
23大阪ー東京ー仙台ー山形ー仙台ー東京ー大阪1.53 %90
24ザ・ラーメン1.48 %87
252017年春サンパウロ→日本へ帰る旅②...1.40 %82
26愛弟子と歩く新緑の京都路①京都府立植物園1.29 %76
27【地域情報】海外(サンパウロ)生活を始め...1.28 %75
28中之島散歩③大阪天満宮へ1.26 %74
29苦労したブラジルのパスポート申請1.24 %73
30愛弟子と歩く新緑の京都路⑥ゆば泉で湯葉...1.17 %69
7月も慌ただしいことが続きますが、どうぞ宜しくお願いいたします。

by beijaflorspbr | 2017-07-02 18:00 | 人生 | Trackback
2017年 06月 11日

優しさに満ちた時間@京都

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あの頃の私は若さに満ち溢れていた
やる気満々の私と、その気迫に押され気味で消極的な教え子との間に
しばしば軋轢が起こったのも事実だ
たった3年と少ししか彼女たちと関わらなかったけれど
それは忘れられないかけがえのない時間だった
あの頃の自分はキラキラと輝きに満ちていた
細い糸を手繰り寄せるようにして
知りあって知り合った教え子との何十年を経た再会はまた格別だ
今週から京都に始まり、九州で旧交を温める旅に出る
愛しい教え子よ、忙しい中時間を作ってくれてありがとう
共に過ぎ去った時間を思い起こしただけでも
泣けてしまう自分がそこにいる
短い期間だったが、全身全霊を賭けた日々…
ああ、あの強かった先生はすっかり泣き虫に変身してしまった
どれほどの思いを教え子たちに伝えたとしても
ちゃんと表現できるかどうか自信がない
でも一つだけ言えることがある
それはあなたたちのことを誰よりも大切に思い
幸せになって欲しいと願っているということ
その確かな姿を確認できた時
初めてあなたと共に私自身も幸福感を共有できるのだと思う

ありがとう!今までもこれからも
2017年6月11日京都にて・・・

*いつも当ブログにいらして頂き、ありがとうございます。ずっと家で術後の療養生活を送っておりましたが、意を決して今週から外に出て行くことにいたしました。先日の哀しかった教え子の訃報に接してからというもの、やはり多少無理をしてでも昔の教え子には会っておきたいという願望が強くなっています。それを片っ端から実行に移すにはある程度纏まった費用と時間がかかるため、地域に分けて少しずつ会えるようにしたいと思っています。まずは九州から…。再会が楽しみです!


by beijaflorspbr | 2017-06-11 23:39 | 人生 | Trackback
2017年 05月 31日

教え子の訃報

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5月31日は特別な日だった。私の人生にとって、とても大切な方の命日だからだ。ずっとSさんへの感謝の気持ちを込めて手を合わせていたその時、突然九州在住の教え子から悲しい知らせが届いた。それは掛け替えのない私の最初の教え子の訃報だった。2年半前に病を得て、容体が思わしくないと聞いたのが先週のこと、それなのに祈る暇もなく突然亡くなっただなんて…。本当にそんなのは勘弁してほしい。彼女たちとは青春を一緒に駆け抜けてきた思い出がたくさんある。辛い時や悲しい時は一緒に涙を流したし、嬉しい時だってやっぱり泣いた。今でもある全国大会でグランプリを勝ち取った時のこぼれるような青春時代の貴重な顔を鮮明に思い浮かべることが出来る。悲しい朝だ・・・・・・。でも今日もリハビリと病院の診察がある。さあ、気持ちを切り替えて出かけてこよう。こんな時はいつも思う。会いたい人には会える時に会っておこう、多少無理をしてでも、そうしなくては…。ITさんの59年の輝かしい人生に心からの敬意を表して。故郷で静かにお眠りください。合掌

by beijaflorspbr | 2017-05-31 10:15 | 人生 | Trackback
2017年 05月 12日

堀江泰子先生とのお別れ

5月9日の午後2時半過ぎに成田国際空港に到着し、大型スーツケースを送った後、真っ直ぐ堀江泰子先生のご自宅のある世田谷区成城に向かいました。予めお嬢さんのひろ子さんと打ち合わせをした通り、ご本宅で亡き泰子先生のお参りをさせて頂いた後、旦那さまと共にひろ子さん宅へ連れて行って頂くということになっていました。いつも弾んだ足取りで歩いてきたこの道も、何となく物足りなく寂しい思いでいっぱいでした。3枚のうち2枚がピンボケでした。
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堀江泰子先生の遺影を拝見し、静かに手を合わせました。その傍では101歳の旦那さまが静かに微笑んで見守ってくださっていました。
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お通夜・告別式併せて1,000人以上のご会葬があったとのことでした。ご家族も、想定していた以上でかなり慌てた・・・と仰っていました。それほど先生と関わりのある方や、恩義を受けた方、生徒さんたちの数が多かったということなのですね。家庭料理の分野で偉大な業績を残された堀江泰子先生の遺影に静かに手を合わせた時、心が落ち着き、だんだん心穏やかになって行くのが分かりました。これで、今回帰国の大きな目的をひとつ果たすことが出来ました。そのままひろ子さんご夫妻のご自宅へ移動しました。満面の笑みでひろ子さん、さわちゃんが迎え入れてくださいました。お嫁さんやお孫さん総勢10人で賑やかな食卓を囲みました。今日はもう遅いので、おうちごはん遍は明日に続けます。


by beijaflorspbr | 2017-05-12 22:16 | 人生 | Trackback
2017年 04月 11日

ありがとう&お疲れさま、浅田真央ちゃん

昨日のニュース速報で、女子フィギュアスケートの浅田真央さんが「自分を支えてきた目標が消え、選手として続ける自分の気力もなくなった」として引退を表明しました。僅か26歳で大きな功績を残した真央ちゃんは、多くの方が口を揃えて言っているように、たくさんの夢と感動を与え続けてくれました。個人的には、2011年に最愛のお母さまを喪った時は、自身の母親を亡くした時の感情とオーバーラップし、随分泣いてしまいました。その僅か2週間後の全日本選手権では見事な演技で優勝を亡きお母さまに捧げたのは立派でした。「一番近くで見ていてくれたと思います」のコメントに心が震えました。ソチオリンピックの伝説のフリー演技も素晴らしいものでしたが、私の中のナンバーワンはこの「愛の夢」です。
2014年ソチオリンピックのフリー演技も、深く印象に残るものでした。真央ちゃんの立派なところは、礼儀正しさでしょうか。常に言葉を選びながら、一言一句を噛み締めるように慎重に話すところが素晴らしかったと思います。まだ若い真央ちゃん、どうかこれからの人生を大いに楽しみ、羽ばたいて行ってください。長い競技人生、本当にお疲れさま、そしてたくさんの感動をありがとうございました。あなたと共に、感動を共有できたことを幸せに思います。これからもご活躍を楽しみに見守ります。
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JAL贔屓と飛行機大好きな私としては、もう一枚どうしても気になる写真がありますので、貼り付けさせて頂きましょう。ソチオリンピックの前年のクリスマスに発表された真央ちゃんジェット特別塗装機、一度で良いから乗りたかったなあ。。。
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華麗に舞う真央ちゃんの姿が美しく描かれたJAL機、何と素敵なんでしょう!!

今浅田真央ちゃんの記者会見をライブ中継で観ました。終始笑顔を絶やさず、「悔いはない」と言い切った強い目に心動かされました。会見を終えた時にふと目を潤ませていたのが一番真央ちゃんらしい本当の姿だと思いました。21年間の競技生活、本当にお疲れさまでした。南米からですが、心からの拍手を贈ります。気が向いたらブラジルにも遊びに来てね〜♪


by beijaflorspbr | 2017-04-11 22:40 | 人生 | Trackback
2017年 03月 30日

永遠の学園・・・

昨夏以降、休部状態だったPL学園高(大阪)野球部が29日、大阪府高校野球連盟を脱退した。22日に脱退届を提出し、この日に受理された(毎日新聞ウェブ版より抜粋)。
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(写真は昨年の春、専用球場で懸命に練習する最後の野球部員たち)
遂に母校野球部の復活は望めなくなったようで、残念で残念でたまりません。私にとっては、8年前に甲子園球場に応援に行ったのが最後になってしまいました。母校が甲子園に出場する(した)時は、いつも異様な熱気に包まれていたような気がします。それだけ母校のファンは多く、廃部を惜しむ声はたくさんあったように思います。今は楽しかった思い出を宝物として大切に胸にしまっておきましょう。母校野球部員OBの皆さん、たくさんの感動をありがとう&お疲れさまでした。


by beijaflorspbr | 2017-03-30 20:00 | 人生 | Trackback
2017年 03月 12日

堀江泰子先生を想う

暑い夏も漸く終わりを告げようとしています。この時期は、街歩きをするには暑く感じるものの、どうしても週1度のリベルダージ東洋人街へのお買い物は避けられません。重い腰をどっこらしょ、と挙げて買い物に出ようとすると…
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毎年この時期になると満開になる「ハナセンナ」(別名アンデスの乙女)が「見て行って~」と言いたげに華を誇っていました。亡き義父が愛情をこめて植えてくださったお花、これを見ると、優しかった義両親の姿を思い出します。人生は色々な方に愛情を頂きながら時が過ぎていくのだと思わされました。
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今頃東京では、堀江泰子先生のお通夜が行われている頃です。あまりにも落ち込み、悲しむ私の姿を見かねてか、夫が「予定を少し早めて帰国して告別式に参列したらどう?」と言ってくれましたが、急に帰って疲れた身体で会いに行っても、泰子先生に叱られるような気がして断念しました。何より、今ここにいて静かに手を合わせて供養することこそが先生が一番望まれていることなのではないか、と思いました。訃報を受けてすぐにお嬢さまのひろ子さん(料理研究家堀江ひろ子先生)と連絡を取りました。「たくさんの方が(お別れに)お見えになってくださると思うので、せめて煮物やちらし寿司、のた芋(宮崎地方の郷土料理)をお弁当箱に詰めてお持ち帰り頂こうかなと思っているの」とのお言葉に、いつも私を温かく包みこんでくださる、堀江家の皆さまの頑張りと深い愛を感じて感涙してしまいました。先生、ずっと離れた地に居ても、先生のことをずっと思っていますよ。


by beijaflorspbr | 2017-03-12 21:59 | 人生 | Trackback
2017年 03月 06日

想い出の引き出し

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スマホで撮った一枚の写真を見ながら色々考えた
この写真の撮影日は、翌日日本とお別れをするという日だった
子どもたちを置いてまた彼の国に戻らなくてはならない
言葉に出来ない寂しさや物足りなさはいつものこと
人生ってこうして出会いと別れを繰り返すのかな
また会えたら良いけれど
もう二度と会えない人もいるんだね
色々考え始めると眠れなくなる日々・・・
それでも前に進まないと厳しめだったあの人に叱られてしまうかな
さあ、前だけを見て進もう!


by beijaflorspbr | 2017-03-06 21:00 | 人生 | Trackback
2017年 03月 04日

追悼:料理研究家 堀江泰子先生

※昨日の午後、料理研究家の堀江泰子先生が亡くなられたことは、ご逝去直後に堀江家からお知らせを受けて知っておりました。ただ、堀江先生は料理界の草分け的存在で有名人でもあられるため、マスコミ発表を待ってからこの記事を書こうと決意していました。

昨日の午前中、一通の悲しいお知らせが移動中の私のスマフォに届きました。発信元は孫のさわちゃん(料理研究家ほりえさわこさん)でした。「ひな祭りの日に旅立つ紫姫(紫色が大好きな先生のニックネーム)なんてカッコイイよね~」の通り、誰もが決して忘れらない日に旅立たれてしまった堀江泰子先生。ずっと恐れていた、この日が遂に来てしまいました。94歳ですし、晩年はご病弱でいらしたのでこの日が来ることは誰もが覚悟の上だったことでしょう。しかし…何でしょうか、この言葉に出来ないほどのたまらない寂しさは…。先生の存在は、私にとっては恩人以上の重みがあったように思います。少しだけ泰子先生との思い出を語らせてください。
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(堀江家の珠玉のレシピばかりが掲載されている貴重な一冊)

堀江泰子先生とのご縁を頂いたのは、今から46年前の私がまだ18歳の時でした。東京の短期大学2年生の時、ある事情から突然下宿を出なくてはならなくなり、友人の紹介で学業の合間に家事を手伝ってくれるなら、という好条件で堀江家に1年間居候をさせて頂くことになりました。当時はまだ右も左も分からずに、ポンと堀江家に入り戸惑うことばかりでした。当時の堀江家は、旦那さまが地方に単身赴任中で、泰子先生やご家族は東京に住んでおられました。私の役割は先生の身の回りの世話係も兼ねていましたので、先生ご夫妻のお部屋で先生と一緒にお布団を並べて毎晩寝ていました。後で良く先生に言われたのは「旦那さま以外の人と布団を並べて寝たのはハチドリちゃんだけね」と。泰子先生は、年々テレビや雑誌や料理講習会などのお仕事が忙しくなってきて、早朝から深夜まで実に良く働かれていました。娘さんのひろ子さんもその頃から次第に名前が出て、助手として大活躍をされていましたが、何と言ってもこの時代に中心となって活躍されていたのは泰子先生でした。今思えば当時40代後半の働き盛りでいらしたのですね。先生はご家族やお弟子さんたちにも妥協せず、常に厳しく接しておられました。一番下っ端の気弱な私は、叱られて良く物陰で泣いていたものでした。それまでの甘く緩い生活からいきなり厳しい生活への変化を受け止められず、真剣に堀江家を出ようかと悩んだ時期もありました。そんな切迫した状況の私を変わらず優しく支えてくださったのが、泰子先生のお母さま、静江おばあちゃまでした。静江おばあちゃまは、毎朝6時に階下から「ハチドリちゃん、おはよう。起きている?」と優しく起こしてくださり、広い家中のお掃除が終わった頃、滋養ある朝食を整えて待っていてくださいました。今もその時の朝食の味は忘れたことがありません。堀江家においてのおばあちゃまの存在は実に大きいものでした。次々に孫が生まれると、80代を超えた静江おばあちゃまが面倒を見ていた時期もありました。「ぼやっとしていると、泰子に怒られるから。。。」と堀江家ではこのように、何歳になってもそれぞれの役割分担があり、「疲れたから」とか「もう年だから」などという甘えは一切許されませんでした。堀江家で実に刺激的な1年を終え、社会人になって初めて堀江家での一年間は何ものにも代えがたい貴重な日々だったのだということが分かりました。お料理の補助作業や下準備だけではなく、買い物の仕方、電話の応対、お客様のお接待、気配りや身の回りのこと、庭の手入れまで。若干20歳前の私が到底得られない貴重な基本知識を学ばせて頂いたのも堀江家でした。堀江家は、私にとっての原点といっても過言ではありません。堀江泰子先生ご自身も、厳しいだけではなく気配りを欠かさぬ優しい先生だと分かるまでに、そんなに時間を要しませんでした。堀江泰子先生は、人にも厳しい分、自分にも高い目標を常に課しておられました。
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(泰子先生直伝のお赤飯は今や十八番に)

私が縁あってブラジルに嫁いでからも、堀江家との深いご縁はずっと続きました。堀江先生の旦那様が国会議員になられてからの海外視察旅行で一度、プライベートで一度、ブラジルにも来てくださいました。大好物の「たねや」さんの最中を携えて、わざわざ会いに来てくださった時は、本当に嬉しかったです。私たちが気に入っていた高級ポルトガル料理のレストランにご案内すると、飲めないワインを少しだけ嗜んで、上機嫌で頬を赤くされた泰子先生の笑顔を今でもはっきり思い浮かべることが出来ます。その時、ほんの少しだけ親孝行の真似事ができたかな?と思った瞬間でした。私が帰国した時は、可能な限り成城のお宅に会いに行くようにしていました。
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(堀江先生に教えて頂いた我が家のおうちごはんの数々)

最後にお目にかかったのは、昨年の12月2日のことでした。ここ数年、会いに行ってもご入院中だったこともありましたが、そんな時は病院までひろ子さんに連れて行って頂き、無事にお会いすることが出来ました。12月2日はご自宅で旦那さまと二人揃って笑顔で迎えてくださいました。「ハチドリちゃん、私はね、死ぬことは怖くないけれど最期まで堀江泰子として立派に生きたいの」とびっくりするくらい力強く仰ったのは忘れることができません。「料理研究家1代目は堀江泰子、2代目は堀江ひろ子、3代目はほりえさわこ。そう決めたの」とも。4代目は?とお聞きすると「もえ(さわこちゃんの長女)かな?」と。料理研究家として有名な先生ですが、弟子の私から言わせると、「常に努力を惜しまない方」だったように思います。あれは80歳を悠に過ぎた頃だったか、机に本を置いて真剣なお顔をされていました。「先生、何をしていらっしゃるのですか?」と訊く私に「ハチドリちゃん、お料理というのはね、もうこれで良いということはないの。レシピもどんどん研究をして改良して行かないといけないのよ」と。既に完成されたように思っていた堀江家のレシピも、こうした日々の研鑽によって作りあげられていることを初めて知ったように思いました。とにかく当たり前のようですが、堀江家のお料理は全てが美味しいのです。そんな陰に、こうした先生やひろ子さんたちのたゆまぬご努力があったのだと知りました。晩年は、お料理教室をひろ子さん、さわちゃんに任せて奥におられることが多くなりましたが、お味見の時は旦那様と共に生徒さんの前に顔を出して、笑顔で見守っておられました。最後にお会いした昨年の12月2日も、しっかりクリスマス用のお料理を美味しそうに召し上がっておられました。家庭料理を人に教えるという世界では草分け的な堀江泰子先生ですが、元々娘時代はお料理が全く出来ずに、困り果ててお知り合いの料理研究家のところに通い詰めた、というご経歴の通り、元々秘めた才能とやる気のある方だったのだと思わされます。「家族のために、人のために美味しいお料理を作って喜んで頂くのは家庭料理から…」との揺るぎない方針で、多くの方々を指導された堀江泰子先生の94年の生涯に、心からの拍手を贈らせて頂きます。

天国に昇られた泰子先生へ
遂にお別れの日が来てしまいました。先生は「ハチドリちゃん、お葬式には来なくて良いけれど、生きているうちに私にたくさん会いに来て!」と仰いました。私はちゃんとそのお約束を守って、帰国時には最優先して何度も先生に会いに行きましたよね。これが最後になるかもしれない、なんていうことは一度も思ったことはありませんが、12月2日が本当に最後になってしまったのですね。でもね先生、私は先生の教えの通り、今もお料理が大好きで、得意で、たくさんの方に喜んで頂いていますよ。先生が広く伝えてこられた「家庭料理こそ一番の宝物」という精神は、これからもずっと私の心の中に生き続けると思うのです。堀江泰子という私が尊敬してやまない一人の偉大な女性とのご縁を頂けたことを誇りに思っています。泰子先生が、辛いご闘病生活から漸く開放されて、痛みや苦しみのない世界へと旅立たれたことに、ほんの少しだけの安らぎを感じています。残念ながら告別式には参列できませんが、次の帰国の際に真っ先にお参りに行かせて頂きます。今頃静江おばあちゃまや妹さんと久々の再会を果たされているのですね。静江おばあちゃまも喜んでおられるでしょう。どうか、安らかにお眠りください。遠くブラジル・サンパウロより、心からのご冥福をお祈りしております。
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(昨年12月2日最後に撮影した泰子先生のお写真です…涙)
泰子先生、46年間の長きに渡り、本当にお世話になりました。ありがとうございました!


by beijaflorspbr | 2017-03-04 21:18 | 人生 | Trackback