ハチドリのブラジル・サンパウロ(時々日本)日記

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カテゴリ:人生( 122 )


2017年 11月 13日

命を繋ぐということ

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久しぶりに再会した友5人で楽しいランチ会をした。前菜・メインと流れるようなサービスを受け、ほんの少量のアルコールの入った我々は饒舌になっていたかもしれない。話が弾むうちに、「亡くなった・・・」というフレーズが耳に入る。「誰が?」「実はね、うちの主人なの。今からちょうど一年前のこんな時期に突然旅立ってしまったの」その前に、私は不用意な発言をしてしまった。「もしも夫が亡くなったら、あの家を売って日本に帰り悠々自適な生活を送りたい、それが私の夢!」と。夫を亡くした人の前で言うことではなかった。いつもはつっけんどんに言っていても、どれほど夫の存在に頼り切って感謝していることか。そんな大黒柱を失ってしまった友の哀しみは如何ばかりだったことだろう。皆とは最後まで笑顔でいたけれど、別れたあと、梅田の商業施設の最上階の庭園に昇り、沈む夕陽をじっと見ているうちに涙がこぼれてきて困ってしまった。「ここは夫と一緒に良く来たのよね・・・」そんな言葉を思い出した。友はもう二度と「夫」と一緒に歩くことはないだろう。永遠の別れをした友を想い、ただただその場で泣いた。。。知らなかったとはいえ、一言のお悔やみも励ましの言葉も言えずに今日まで来てしまったことに腹立たしい思いさえした。夕日が沈み、真っ暗になってしまった空を見上げて、そうか・・・大切な人を失うと言うことはこういうことなのだ。思い出は残っても、二人で共有することが二度とできなくなるんだ。声を聴くことも姿を追うことも相談することも頼ることすらできない悲しみを一生背負って行かねばならないのだ。そう思えたのは友のお蔭かもしれない。今目の前にあるものを大切にしないといけない、と教えられたような気がした。別れは辛く悲しいことだが、遺された家族は生き続けなくてはならない。きっぱりと前だけを見つめている友は逞しくて神々しかった。Aちゃん、遅ればせながら、心からお悔やみを申し上げます。合掌
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by beijaflorspbr | 2017-11-13 22:40 | 人生 | Trackback
2017年 08月 07日

シッセラの人生

言葉も生活習慣も分からないまま日本からブラジルに嫁いできた私は、家族の手厚いサポートを受けたのはもちろんですが、一番身近な存在で、日常生活を何かと手助けしてくれたのが歴代のEmpregada=お手伝いさんたちでした。その数多いお手伝いさんの中でもピカイチだったのはシッセラという名前のブラジル人の女の子でした。30年以上も前に、まだティーンエイジャーだった彼女にバトントワリングを教えていたのが縁で知り合いました。その後家庭の事情で、高校に行きながら働かないといけないから働き口を紹介して欲しいと相談された時、一も二もなく「家に来れば?高校に行きながら子どもたちの面倒と家事手伝いを出来るだけしてくれたら良いから」という条件で我が家に住み込みで入ってもらいました。高校の授業料や交通費、月々のお小遣いなどの必要経費は全て我が家が負担しました。シッセラは一生懸命勉強しながら私立の商業高校に合格、午前中の早い時間からお昼まで学校に行き、帰宅後は一生懸命家事や子守りをしてくれました。高校卒業と同時に、夫が身元引受人となり、大手デパート(現在は倒産)の正社員として働き始めました。その後縁を得て、ある男性と知り合い結婚しました。サンパウロ郊外の自宅で行われた結婚式には、我々も仲人として参加し、幸せそうで可愛らしいシッセラの姿を目を細めて見守ったものでした。シッセラは、当初まるで実家に帰ってくるように頻繁に我が家を訪ねてきました。その後2人の女の子にも恵まれ、昔我が家で覚えた数々の料理の腕を使って、フードトラックを始めました。近くに大きな工場があり、固定客も付き商売は大成功しました。とはいえ、つつましく堅実な暮らしをしながら自宅を購入し、子どもたちに高等教育を受けさせました。特に下の娘は美しく生まれたこともあり、モデルやミュージカル女優へと進む道を選択、忙しい中でも夢ある幸せな生活をしていました。2年前に夫のSが直腸癌に罹り、壮絶な闘病生活をずっと支えましたが、先月残念ながら亡くなってしまいました。
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(お土産①パウミット=ヤシの芽とチーズのタルト)
ここ数年間、商売の忙しさ、夫の闘病生活、子どもの送り迎えなどで多忙を極め、なかなか我が家に来られなかった彼女が、娘のパトちゃんが日本から帰って来ていることもあり、昨日久しぶりに我が家を訪ねて来てくれました。夫を見送ったシッセラは、少し寂しそうな表情の中にも安堵の表情が見られ、ホッとしました。「治療もありとあらゆることを尽くしたけど、残念ながらダメだった・・・」と話してくれた時は、悔しさを滲ませ涙していました。良く頑張った彼女をしっかりと受け止め、労ってあげました。パスタの昼食を挟んで3時間ほど滞在したシッセラの表情は実に晴れやかでした。
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(お土産②イチゴのタルト)
隣に座って、ゆっくりじっくり彼女の話を聞いてあげました。シッセラの綺麗な目が特に印象的で、改めてまだブラジルの生活に慣れていない時に、この心優しい人にたくさん支えてもらったんだなあ~と感謝の気持ちが沸いてきました。5年以上も寝食を共にしたシッセラとのご縁はずっとこれからも切れないことでしょう。今でも朝8時から夜8時までフードトラックで一生懸命仕事を続けている彼女、これからも頑張ってね。人と人のご縁を深く感じた週末のひと時は大変幸せな時間でした。ありがとう、シッセラ!!
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by beijaflorspbr | 2017-08-07 21:39 | 人生 | Trackback
2017年 07月 03日

うーん、こんな日もあるのか!?(謎の投稿)

幸せイッパイの仙台・山形同窓会の帰りの写真を使わせてもらいますが、心ここにあらず…。膨大な画像処理をし、一日中その作業に没頭していました。そんなところに飛び込んできたサプライズニュースに大変動揺しています。
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今すぐどうこうということはないにしても、将来どうなるのかなあ?と不安でいっぱい・・・。
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私自身はとても元気なのですがねえ。。。はぁ~(-_-;)(-_-;)(-_-;)意味不明な投稿で申し訳ございません。私の友人たち、あまり気にしないでね!とだけ言っておこうか。


by beijaflorspbr | 2017-07-03 22:10 | 人生 | Trackback
2017年 06月 11日

優しさに満ちた時間@京都

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あの頃の私は若さに満ち溢れていた
やる気満々の私と、その気迫に押され気味で消極的な教え子との間に
しばしば軋轢が起こったのも事実だ
たった3年と少ししか彼女たちと関わらなかったけれど
それは忘れられないかけがえのない時間だった
あの頃の自分はキラキラと輝きに満ちていた
細い糸を手繰り寄せるようにして
知りあって知り合った教え子との何十年を経た再会はまた格別だ
今週から京都に始まり、九州で旧交を温める旅に出る
愛しい教え子よ、忙しい中時間を作ってくれてありがとう
共に過ぎ去った時間を思い起こしただけでも
泣けてしまう自分がそこにいる
短い期間だったが、全身全霊を賭けた日々…
ああ、あの強かった先生はすっかり泣き虫に変身してしまった
どれほどの思いを教え子たちに伝えたとしても
ちゃんと表現できるかどうか自信がない
でも一つだけ言えることがある
それはあなたたちのことを誰よりも大切に思い
幸せになって欲しいと願っているということ
その確かな姿を確認できた時
初めてあなたと共に私自身も幸福感を共有できるのだと思う

ありがとう!今までもこれからも
2017年6月11日京都にて・・・

*いつも当ブログにいらして頂き、ありがとうございます。ずっと家で術後の療養生活を送っておりましたが、意を決して今週から外に出て行くことにいたしました。先日の哀しかった教え子の訃報に接してからというもの、やはり多少無理をしてでも昔の教え子には会っておきたいという願望が強くなっています。それを片っ端から実行に移すにはある程度纏まった費用と時間がかかるため、地域に分けて少しずつ会えるようにしたいと思っています。まずは九州から…。再会が楽しみです!


by beijaflorspbr | 2017-06-11 23:39 | 人生 | Trackback
2017年 05月 31日

教え子の訃報

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5月31日は特別な日だった。私の人生にとって、とても大切な方の命日だからだ。ずっとSさんへの感謝の気持ちを込めて手を合わせていたその時、突然九州在住の教え子から悲しい知らせが届いた。それは掛け替えのない私の最初の教え子の訃報だった。2年半前に病を得て、容体が思わしくないと聞いたのが先週のこと、それなのに祈る暇もなく突然亡くなっただなんて…。本当にそんなのは勘弁してほしい。彼女たちとは青春を一緒に駆け抜けてきた思い出がたくさんある。辛い時や悲しい時は一緒に涙を流したし、嬉しい時だってやっぱり泣いた。今でもある全国大会でグランプリを勝ち取った時のこぼれるような青春時代の貴重な顔を鮮明に思い浮かべることが出来る。悲しい朝だ・・・・・・。でも今日もリハビリと病院の診察がある。さあ、気持ちを切り替えて出かけてこよう。こんな時はいつも思う。会いたい人には会える時に会っておこう、多少無理をしてでも、そうしなくては…。ITさんの59年の輝かしい人生に心からの敬意を表して。故郷で静かにお眠りください。合掌

by beijaflorspbr | 2017-05-31 10:15 | 人生 | Trackback
2017年 05月 12日

堀江泰子先生とのお別れ

5月9日の午後2時半過ぎに成田国際空港に到着し、大型スーツケースを送った後、真っ直ぐ堀江泰子先生のご自宅のある世田谷区成城に向かいました。予めお嬢さんのひろ子さんと打ち合わせをした通り、ご本宅で亡き泰子先生のお参りをさせて頂いた後、旦那さまと共にひろ子さん宅へ連れて行って頂くということになっていました。いつも弾んだ足取りで歩いてきたこの道も、何となく物足りなく寂しい思いでいっぱいでした。3枚のうち2枚がピンボケでした。
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堀江泰子先生の遺影を拝見し、静かに手を合わせました。その傍では101歳の旦那さまが静かに微笑んで見守ってくださっていました。
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お通夜・告別式併せて1,000人以上のご会葬があったとのことでした。ご家族も、想定していた以上でかなり慌てた・・・と仰っていました。それほど先生と関わりのある方や、恩義を受けた方、生徒さんたちの数が多かったということなのですね。家庭料理の分野で偉大な業績を残された堀江泰子先生の遺影に静かに手を合わせた時、心が落ち着き、だんだん心穏やかになって行くのが分かりました。これで、今回帰国の大きな目的をひとつ果たすことが出来ました。そのままひろ子さんご夫妻のご自宅へ移動しました。満面の笑みでひろ子さん、さわちゃんが迎え入れてくださいました。お嫁さんやお孫さん総勢10人で賑やかな食卓を囲みました。今日はもう遅いので、おうちごはん遍は明日に続けます。


by beijaflorspbr | 2017-05-12 22:16 | 人生 | Trackback
2017年 04月 11日

ありがとう&お疲れさま、浅田真央ちゃん

昨日のニュース速報で、女子フィギュアスケートの浅田真央さんが「自分を支えてきた目標が消え、選手として続ける自分の気力もなくなった」として引退を表明しました。僅か26歳で大きな功績を残した真央ちゃんは、多くの方が口を揃えて言っているように、たくさんの夢と感動を与え続けてくれました。個人的には、2011年に最愛のお母さまを喪った時は、自身の母親を亡くした時の感情とオーバーラップし、随分泣いてしまいました。その僅か2週間後の全日本選手権では見事な演技で優勝を亡きお母さまに捧げたのは立派でした。「一番近くで見ていてくれたと思います」のコメントに心が震えました。ソチオリンピックの伝説のフリー演技も素晴らしいものでしたが、私の中のナンバーワンはこの「愛の夢」です。
2014年ソチオリンピックのフリー演技も、深く印象に残るものでした。真央ちゃんの立派なところは、礼儀正しさでしょうか。常に言葉を選びながら、一言一句を噛み締めるように慎重に話すところが素晴らしかったと思います。まだ若い真央ちゃん、どうかこれからの人生を大いに楽しみ、羽ばたいて行ってください。長い競技人生、本当にお疲れさま、そしてたくさんの感動をありがとうございました。あなたと共に、感動を共有できたことを幸せに思います。これからもご活躍を楽しみに見守ります。
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JAL贔屓と飛行機大好きな私としては、もう一枚どうしても気になる写真がありますので、貼り付けさせて頂きましょう。ソチオリンピックの前年のクリスマスに発表された真央ちゃんジェット特別塗装機、一度で良いから乗りたかったなあ。。。
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華麗に舞う真央ちゃんの姿が美しく描かれたJAL機、何と素敵なんでしょう!!

今浅田真央ちゃんの記者会見をライブ中継で観ました。終始笑顔を絶やさず、「悔いはない」と言い切った強い目に心動かされました。会見を終えた時にふと目を潤ませていたのが一番真央ちゃんらしい本当の姿だと思いました。21年間の競技生活、本当にお疲れさまでした。南米からですが、心からの拍手を贈ります。気が向いたらブラジルにも遊びに来てね〜♪


by beijaflorspbr | 2017-04-11 22:40 | 人生 | Trackback
2017年 03月 30日

永遠の学園・・・

昨夏以降、休部状態だったPL学園高(大阪)野球部が29日、大阪府高校野球連盟を脱退した。22日に脱退届を提出し、この日に受理された(毎日新聞ウェブ版より抜粋)。
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(写真は昨年の春、専用球場で懸命に練習する最後の野球部員たち)
遂に母校野球部の復活は望めなくなったようで、残念で残念でたまりません。私にとっては、8年前に甲子園球場に応援に行ったのが最後になってしまいました。母校が甲子園に出場する(した)時は、いつも異様な熱気に包まれていたような気がします。それだけ母校のファンは多く、廃部を惜しむ声はたくさんあったように思います。今は楽しかった思い出を宝物として大切に胸にしまっておきましょう。母校野球部員OBの皆さん、たくさんの感動をありがとう&お疲れさまでした。


by beijaflorspbr | 2017-03-30 20:00 | 人生 | Trackback
2017年 03月 12日

堀江泰子先生を想う

暑い夏も漸く終わりを告げようとしています。この時期は、街歩きをするには暑く感じるものの、どうしても週1度のリベルダージ東洋人街へのお買い物は避けられません。重い腰をどっこらしょ、と挙げて買い物に出ようとすると…
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毎年この時期になると満開になる「ハナセンナ」(別名アンデスの乙女)が「見て行って~」と言いたげに華を誇っていました。亡き義父が愛情をこめて植えてくださったお花、これを見ると、優しかった義両親の姿を思い出します。人生は色々な方に愛情を頂きながら時が過ぎていくのだと思わされました。
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今頃東京では、堀江泰子先生のお通夜が行われている頃です。あまりにも落ち込み、悲しむ私の姿を見かねてか、夫が「予定を少し早めて帰国して告別式に参列したらどう?」と言ってくれましたが、急に帰って疲れた身体で会いに行っても、泰子先生に叱られるような気がして断念しました。何より、今ここにいて静かに手を合わせて供養することこそが先生が一番望まれていることなのではないか、と思いました。訃報を受けてすぐにお嬢さまのひろ子さん(料理研究家堀江ひろ子先生)と連絡を取りました。「たくさんの方が(お別れに)お見えになってくださると思うので、せめて煮物やちらし寿司、のた芋(宮崎地方の郷土料理)をお弁当箱に詰めてお持ち帰り頂こうかなと思っているの」とのお言葉に、いつも私を温かく包みこんでくださる、堀江家の皆さまの頑張りと深い愛を感じて感涙してしまいました。先生、ずっと離れた地に居ても、先生のことをずっと思っていますよ。


by beijaflorspbr | 2017-03-12 21:59 | 人生 | Trackback
2017年 03月 06日

想い出の引き出し

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スマホで撮った一枚の写真を見ながら色々考えた
この写真の撮影日は、翌日日本とお別れをするという日だった
子どもたちを置いてまた彼の国に戻らなくてはならない
言葉に出来ない寂しさや物足りなさはいつものこと
人生ってこうして出会いと別れを繰り返すのかな
また会えたら良いけれど
もう二度と会えない人もいるんだね
色々考え始めると眠れなくなる日々・・・
それでも前に進まないと厳しめだったあの人に叱られてしまうかな
さあ、前だけを見て進もう!


by beijaflorspbr | 2017-03-06 21:00 | 人生 | Trackback