カテゴリ:思うこと( 26 )


2017年 02月 03日

24時間オフラインになったら?

昨日のお昼過ぎから我が家のネットがダウン。いつか来るだろうと、のんびり構えていると、今朝になっても全く復旧の兆しなし。スマフォは持っているけれど、まだこちらのSIMカードを手に入れていないので、24時間完全にシャットダウン状態でした。サンパウロは、ここのところ雨続きで、あっちこちに不具合が起こっています。道路は穴だらけ、信号は故障だらけ、道路は大渋滞、ああもう!イライラするけど、そんな国に住んでいるんだから仕方がないのかな。午前中にパウリスタ方面で買い物と、旅行代理店、リベルダージをグルッと回り、漸く帰宅しました。あーー疲れた、歩いたことじゃなく、ネットがオフラインになってしまったことにほとほと疲れ果ててしまいました。今日は美味しい鯛のお刺身でも食べて機嫌を直しましょうっと。というわけで、日付け変わりそうな時間になんとか記事を書き終えました!明日から気を取り直して再出発だー‼️いつも見に来て頂きありがとうございます。

by beijaflorspbr | 2017-02-03 23:58 | 思うこと | Trackback
2016年 08月 23日

ブラジルは…という言い方

オリンピックが開催されていたこの17日間に『リオ』や『ブラジル』というキーワードが世界中を頻繁に飛び交いました。さて、『リオ』はこの場合、日本の約23倍の国土であるほんの一部を占めるリオデジャネイロ州の中にあるリオデジャネイロ市のことを指します。そんなブラジルの一部で行われた世界的なスポーツの祭典であるオリンピックでした。犯罪率は日本の〇〇〇倍もあるので、注意が必要です、と外務省から注意喚起された危険都市でもあります。犯罪の多さは、ファヴェーラと呼ばれるスラム街の多さも影響をしています。「リオ」のことなのに、いつのまにやら「ブラジル」と代名詞がすり替わり、かなり酷いことを書かれるのは、私のような同じブラジルの中でも何不自由なく生活が送ることのできるサンパウロ市に住む住人はかなり不快な思いをしているのも事実です。昔聞いたピアーダ(ジョーク)でも、サンパウロの稼ぎをカリオカが食べちゃう…、とかカリオカは一日中プライア(海)で泳いで遊んでいるんだよなど、本当かどうかは分かりませんが、サンパウロに住む人の多くは仕事最優先で、どんな時でも手を休めることなく真面目に働きます。日本人の真面目な資質に合うのか、移住してきた日系人が一番多く住むのもサンパウロ州です。今回の世界的イベントのオリンピックは、あくまでも他都市で行われたイベントということで、サンパウロはそれほど影響は受けませんでした。一部サッカーの試合がサンパウロ市のコリンチャンスアリーナで行われた他は、全てリオ市のオリンピック施設で行われました。17日間で、私の知り合いもかなりリオ五輪観戦に行かれましたが、長期で滞在した人はほぼいなくて、行っても1泊2日か日帰りや車中泊(バス)という方が多かったようです。治安面の不安はもちろんですが、高騰するリオのホテル代問題他、ブラジル人の中にはリオ五輪そのものが前大統領ルラのほぼ強引な誘致によるものであることへの反発心や嫌悪感、五輪施設建設もルラやジウマ(停職処分中の大統領)の息のかかった建設会社が手掛けていること、拡大する債務から、ブラジルの現状を鑑みて「行かない!」というより「とてもじゃないけど行けないよ」と思ったブラジル国民も多かったようです。賑わうリオのオリンピックパークなどをTVで見ていると、私も行けばよかったかなあ~と少しは思いましたが、実現しませんでした。
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(リオデジャネイロ・イパネマ海岸の風景)
日本のオリンピックに関する報道の中には「ブラジルは…」とリオのことを指して同じことにしている報道にはちょっと違和感を感じました。ブラジルと言う国土の大きさから州によって外国のように違う事情があるのをもう少し理解してもらいたいと思いました。日本人である私がこんなことを「日本語」でいくら主張しても何の説得力もないかと思いますが…。サンパウロの働き者さんたちは、オリンピックに惑わされることなく、ずっと真面目にコツコツ働き続けました。オリンピックだからと、なにひとつ影響を受けず休業することなく、公共施設も商店もちゃんと通常営業されていました。大いに盛り上がったオリンピックの舞台でもあるリオ市は、財政面などでかなり無理に無理を重ねているので、この先どうなっていくのやら…。小池東京都知事と並んだパエス市長には野次が飛ばされていましたし、観客席には「Fora Temer!(テメル臨時大統領は出て行け!)などのメッセージが多く見られました。社会経済治安の3重苦をこれから『リオ』はどう解決していくのか、少し心配でもあります。じゃサンパウロはどうなんだ、と言われると恐らくサンパウロは今まで通りのサンパウロであり続けることと思います。例えばアテネのように、リオ市がオリンピックのせいで経済的に困難な状況に陥ったとしても、経済都市サンパウロが付いている限り、ブラジルは大丈夫だと信じます。リオの風光明媚な地の特性を活かして、これからも魅力溢れる観光地で有り続けてもらいたいと願っています。世界ところ変われば・・・それぞれ事情は変わりますよね。


by beijaflorspbr | 2016-08-23 22:52 | 思うこと | Trackback
2016年 03月 07日

ブラジルについて(私の考え…)

今朝のNHKワールドプレミアム「リオ五輪間近!ブラジルの光と影(後半)」をご覧になられましたでしょうか?前半はリオが舞台でしたが、後半はサンパウロや首都ブラジリアに移りました。パウリスタ大通り、問屋街の25 de Março、東洋人街のリベルダージなど私自身も普段からフラフラ歩き回っている地区の他、リオ五輪のマスコットをデザインした日系人の事務所、日本人も多く宿泊するホテル、明るく前向きに戦うパラリンピックのスター選手、そして人工都市ブラジリアの建築物などを細かく取材していました。ブラジルの国土が広すぎるせいか、テーマがあまりにも漠然とし過ぎていて、結局は何が言いたかったのだろう?と在住者としてほんの少しの疑問が残りました。しかしその中で印象に残った心に残る言葉がいくつかありましたので、書き留めてみました。
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多民族の集合体であるブラジル人の国民性の中で「良いものは良いと認める寛容性(小野リサさん)」「ブラジルはミックスサラダであり、ドレッシングによって味わいも変わる(セルジオ越後さん)「(ブラジル人は)素晴らしいものを素晴らしいと素直に言える人たち」「人を惹きつける人たちが多い」「反応が良い」「交わり方が自然」等々…。人種の坩堝であるが故に、人を容易に受け入れる度量の広さを持ち合わせているのがブラジル人の長所だと思います。私自身が40年この国に住んでみて日々思うのは、上記の点ももちろん素直に認めますが、オリンピックやワールドカップなどの国際試合で注目を浴びるか浴びないかに関わらず、この『未来の大国』の姿勢はほぼ一貫して変わっていないということです。今は政権の不安定さによる未曽有の経済不況で国民は苦しみ抜いていますが、過去1980年~94年にかけて一時的に3,000パーセントという信じられないほどのハイパーインフレを記録した時期があったことも事実です。その当時、朝と夕方の商品の値段が明らかに違って貼りかえられていたことは忘れることができません。今のようにインターネットも普及していない頃でしたし、家族も多かった時期なのでノートに値段を書き留めて値上がりしないうちにと、スーパーに買い物に走ったものでした。その頃でしたか、人々があまりに大量の買い占めをする為、いつもスーパーのカートが足りなくて困ったり、長いレジに並んで辟易したのは…。通貨を3ケタ切り捨てるデノミも何度も経験しており、通貨切り替え直後は小切手を書き間違えそうになったこともありました。だって、1000円が一晩で1円に変わるのですよ、無理もありません…。1994年に導入された現在の通貨REAL(レアル)プランで、その激しいインフレも漸く収まりましたが、同時に急激な物価高とドル安を経験しています。あれからもう22年、じわじわとインフレも激しくなってきており、外貨の価値も上がっているので、昔のブラジルに戻っているような感覚です。「何もかも高いねえ!」という愚痴こそこぼすものの、反面「しょうがないや」という諦めと、じっと我慢をすることもこの国の人はしっかり身に付けているのも事実。「今はじっーと我慢」が自然に実行できるというのも逞しいことです。
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私が日本に帰った時に色々な人から
「ブラジル(経済が)大変らしいねえ~」
「インフレが激しいんでしょう?」
「生活は大丈夫?」
「犯罪に巻き込まれることはないの?」

等と我がことのようにご心配を頂いていますが、ここは生まれ故郷の日本ではなく、あくまでも日本人にとっては「外地」です。その国に住むにはその国の風習や習慣に馴染まないと到底快適な暮らしは出来ません。日本の「郷に入っては郷に従え」や「臨機応変」などという言葉は、我々外国に住む者の為にあるのかしら?などとしばしば思ってしまいます。例えば、昔あった小さな出来事なのですが、バスに乗っている時、最寄りのポントで降車しそびれてしまい、人っ子一人居なさそうな終点へと連れて行かれました。その当時言葉も道も分からず困っていたところ、一人の親切な運転手さんが近付いて来て「どうしたの?どこに行きたいの?(と聞いてくれたような…)「○○(大通りの名前と地区)に行きたいんだけど…」「ああそう、じゃあこのバスに乗って待っていなさい。近づいたら必ず教えてあげるから」と言ってまだ乗車案内が始まる前に座席に座らせてくれました。その運転手さんの言った通り、ちゃんと自宅付近の停留所に近付くと「次だよ、次で降りなさいよ」と大声で教えてくれた上、無事にバスから降りた私に親指を立てて笑顔で挨拶してくれました。あの経験から、ああきっと私はこの国(この街サンパウロ)でも安心して暮らせるんだろうなあ~と妙な自信を持ったのを覚えています。公共交通機関で快く席を譲ってもらう、道を教えてもうらうなど、ブラジル人に親切にしてもらった経験は数えきれないくらいあり、ここに全部を書くことは不可能です。ブラジルでは、例え失敗したとしてもそこから這い上がる可能性や勇気やチャンスを与えてくれる国のような気がしています。ブラジルに来て今年の11月で40年の節目の年になりますが、多分この先この国がどれほど経済的に不安定になったとしても、暮らし続ける自信はあるような気がします。少しの「我慢」と「忍耐」は必要ですが…。

ブラジルに関する表面的な報道を目にするだけで「怖そうな国だねえ」とか「物価が高そうだねえ…」などと言わず、これからこの国に暮らすことになる全ての方へ「ブラジル人は底抜けに良い人ばかりですよ。警戒心さえ怠らないのと、ある程度の犯罪を回避するルールを守ることが出来るならばほぼ安全に暮らせます」と言いたいです。「未来の国ブラジル」と言われて久しいものの、2-3年前の新興国BRICSの派手な取り上げられ方も我々在住者には、妙な違和感しか覚えませんでした。今まで生活に困窮していた層の人たちが急に纏まったお金を手にして車や家電を買い漁るという光景は、明らかに異常でした。ほとんどのブラジルの国民は、大変勤勉であり真面目に働く人たちばかりです。そんな姿勢に触れると、この国はきっと回復に時間がかかったとしても、少しずつ良くなっていくんだろうな、と信じている自分がいます。最後にトリオさんに「ブラジルをどう思う?これからどうなって行くと思う?」と訊いてみました。
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多分、今のルラ(元大統領)の汚職問題が片付き、ジウマ(現大統領)が辞任したらいくらか経済は持ち直すだろう。だって、ルラの横領事件が明るみになり、詳しい捜査が始まった途端に、株が上がり、為替が下がったんだよ。但しこのままPT(労働党)の政権が続くようであれば、当分ブラジル経済が蘇ることはかなり難しいかもしれないとのことでした。ふとここで思ったのは、こうして何とか日々何不自由なく暮らして行けるのは、トリオさんが長年真面目に働いてくれたから、ということに思い至りました。3月13日(日)にはブラジル全土でジウマ大統領の辞任要求の大規模デモが行われる予定です。今後の政権の流れがどうなるか?これからも見守って行くことにしましょう。

※蛇足…私が日本からブラジルに来た当時は、日本とブラジルを何かにつけ比べてガッカリしていたものでした。そんな中苦労をしながら無我夢中で子育てをしてきました。早朝から夜までハンドルを握り、送り迎えをし、学校の面談も試験もと色々こなすうちにどんどん逞しくなっていった自分に気付きました。そうしているうちに子どもたちはすっかり大きくなっていて、今は急に静かになってしまった暮らしに少しの物足りなさを感じているのも事実です。その「物足りなさ」について言えば、長年ここでの暮らしにも「ほんの少しの物足りなさ」を感じ続けてきたのかもしれません。しかし、物足りなかったからこそ、人や物の有難味をより感じることが出来るようになったのも事実。何もかも手に入る日本、物によっては決して手に入らないブラジル、どちらの暮らしも私にとっては必要なものです。これからも感謝の気持ちを忘れず日々平和に暮らして行きたいと思っております。自分なりの快適さを感じながら…。超長文失礼いたしました!!


by beijaflorspbr | 2016-03-07 23:28 | 思うこと | Trackback | Comments(2)
2015年 11月 22日

人間の奥底に潜む闇

今新大阪から西に向かう新幹線の中です。先ほど、軽く朝食を済ませ、在来線から新幹線乗り場へと移動をしていました。恐ろしい出来事は、その直後に起きました。とは言え、日常的には大したことではないかもしれませんが、私にとってはかつて経験したことのない大事件でした。

JR在来線から新幹線中央改札に向かう途中の通路には、お土産屋さんやコンビニエンスストア、パン屋の他、関西ならではのたこ焼屋さんなどがズラッと並んでいます。

話は遡りますが、今朝方自宅を午前6時10分過ぎに出発したので寝惚けていたのか、お化粧の最終段階のグロスを唇に塗るのを忘れてしまったのです。何となく唇がパサパサしているような気がして気持ち悪かったので、新大阪でグロスを買おう、とあるコンビニに入りました。すると、年格好50代から60代の見知らぬ女性が突然私を真っ直ぐ凝視して大声で何やら言い始めました。

「あんたなぁ、何私の財布の中味見てんねん。私はな、ちゃんと生きてんねんで、保険金かてちゃんと払っとるわ。。」

その後も大声で何やら捲し立てていましたが、怖くて怖くてスーッと逃げるように走り去りました。もうグロスどころじゃあなくなりました。あきらかに因縁をつけられたとしか思えません。気が付くと心臓はドキドキし、脂汗が出てゾーッとしました。(何も悪いことをしていないのに)追いかけられたら恐いので、咄嗟に目で交番か警官を探しましたが、見つからず…。足早に改札に入って後方を振り返っても、追いかけてきていない模様。その女は、確かにまともな格好をし、財布とスマフォを手に持っていました。何だかほんの1分にも満たない小さなアクシデントだったのに、ショックは未だ続いています。普段の生活の中で、「心折れる」などということのない私。ああそうか、これがそうなんだ!なんて新幹線に乗った今、心折れることについて考えています。

今朝方、パトちゃんが「私凄く恐い夢を見たの。ママがお金の入ったバッグを引ったくられる夢。くれぐれも気を付けてね!」と。正に神の啓示だったかもしれません。我が身を守るのは自分しかいない、と強く感じています。この文章を書いているうちに、随分落ち着きを取り戻し、立ち直ってきました。回りを見回すと、旅を楽しむ中高年層の団体客で新幹線はほぼ満席です。私の乗った新幹線の向かい側ホームには、団体専用列車で次々と乗り込むのもやはり中高年の方々が多かったように思います。豊かな日本を改めて実感しています。折角期間限定の日本にいるのですもの、これからは楽しいことだけを考えて生きていきたいものです。長々と読みにくくてすみません。今日も良い一日でありますように!!(祈)

by beijaflorspbr | 2015-11-22 09:01 | 思うこと
2015年 11月 13日

このブログの問い合わせについて決意したこと

このブログを書き始めて約8年5カ月が経ちました。このブログを読みに来てくださっている方には決して見えない部分があり、しばしばそのことが私の心を乱す時があります。それは、ブログ専用アドレスへの問い合わせ内容についてです。これからサンパウロで生活することについての相談は日常茶飯事として親切にお答えするのは全く問題ないのですが、大きな問題はその他の問い合わせに関してです。昔から大変多かったのが、テレビやラジオ番組などのマスコミからの画像使用許可に関するものです。「〇〇の記事の何枚目の写真を使用させて頂けますか?」「〇〇に関して、ブラジル・サンパウロでは面白い話題やそれに関する画像などはお持ちですか?」「××について、短いインタビューをさせて頂くことは可能ですか?」
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出来るだけご要望にはお応えしたいと思い、ほぼ100%の確率でOKをし、画像を使って頂くようにしていますし、必要とあらば原版(元の大きいサイズ)の画像も積極的に提供するようにしています。ところが、ほとんどの方からの事後報告は皆無ですし、酷い場合にはこちらが快い返事をしても「いえ、もう画像は必要なくなりました。使いません」などと言ってきっぱり断りのメールで返事が来ると、何だかガックリ来てしまうのです。だったら最初から声なんて掛けなければいいのに。
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そこで思いました。これから基本的にマスコミの問い合わせに対しては、力不足という理由から応じることは難しいとお返事しようと思っています。一見こちらに誠意がないようにも見えますが、過去の番組を観ても、画像を提供して本当に良かった、役に立てて何よりだったという実感を得ることが出来ませんでした。バラエティー番組を全否定するわけではありませんが、こと私の地域情報ブログに関しては全く役に立たないものであると判断せざるを得ません。
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大したブログじゃないし、私個人の出来事を延々綴っている駄文の繰り返しのブログだから、そんな宣言をわざわざしなくてもいいんじゃないの?構えなくてもいいんじゃないの?と思われる方も居るかもしれませんが、私だって人間です。傷つくんです。顔は見えずとも、相手の気持ちがわかるくらいの年齢は重ねています。サンパウロ生活相談などは、今までのようにきちんと個別に受けさせて頂きますので、遠慮なくお問い合わせください。その際には、ニックネームではなく、本名とメールアドレスを必ず明記して頂けますよう、お願いいたします。今後とも地域情報としてのハチドリブログを宜しくお願いいたします。
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最後に・・・私の大切なお友達へ。
今回たくさんのお友達にお会いすることが出来ました。その多くのお友達が、私のブログ記事を通してちゃんと優しく見守ってくれていることを知りました。「一日休むとどうしちゃったんだろう?3日休むと心配でたまらなくなる・・・」と言ってくれた友達がいました。そんなに気にかけてもらっている私は本当に幸せです。これからも食べ過ぎに気を付け(笑)前に前にどんどん進んでいけるように頑張ります!!


by beijaflorspbr | 2015-11-13 23:55 | 思うこと | Trackback
2015年 10月 31日

最近思うこと…

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サンパウロでも比較的非文化的生活をしている私ですが、ここ日本の地元では車がないため、大変不自由な生活を送っています。と言うのは、徒歩5分と自宅からは至近距離にあった大手スーパーのDが閉店してしまったからです。まさかあんなに大きな4階建ての総合スーパーが閉店する日がくるとは…びっくりな出来事でした。それの代替策としてDを買収した同じ系列のイ〇ングループのスーパーが、シャトルバスを一日に何本も出してくれることになり、今はそのバスでせっせとスーパーに通っています。それでもどうしても時間の制限があり、精神的に余裕がないのが専らの悩み。シャトルバスを待って、そそくさと買い物を済ませ、さっさと帰ってくる。そんな生活にちょっと疲れ気味なのも事実。それでも、子どもたちには美味しいものをたくさん食べさせたくてせっせと買い物に行っています。日本の地方都市は皆こんな感じで少しの不自由さを感じる生活形態なのかもしれません。ずっと日本に住むのであれば、以前のように車を所有するのも悪くないかもしれませんが、1年のほんの少しが日本、ほとんどがブラジルという二重生活であれば、車は無駄だと思うのです。近くにカーシェアリングでもあればよいのですが、それもなし。さすが地方都市!現実は厳しい…実感する今日この頃です。今日で帰国して3週間が経ってしまいました。そして10月の最終日、後の11月12月は駆け足のように去って行きそうな気もします。外気も日に日に冷たくなって来ており、冬の到来も目の前なのでしょうか。体調管理には気を配りつつ、元気で霜月・師走を乗り切ろうと思っています。

寒い時期のお別れは辛いな。。。

by beijaflorspbr | 2015-10-31 23:26 | 思うこと | Trackback
2015年 10月 07日

ひきこもり・・・

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3日前から熱を出してウンウン唸っていました。喉は痛くて胸苦しい最悪の体調でした。何でこんなに大事な時期に寝込むかなあ?自己嫌悪です。。。今日になって漸く熱が外に排出されるようになったせいか、汗が出だしました。回復までにはもう一息というところ。自室から見る外の風景は眩しいばかり。否が応でも明日からはまた外に出ていかねばなりません。「休養」という貯金をたくさん貯めて英気を養います。いつも応援をありがとうございます!

by beijaflorspbr | 2015-10-07 23:51 | 思うこと | Trackback
2015年 01月 22日

しずかさんのかき揚げうどんとお漬物(思い出)

昨日の地元新聞に出ていた訃報を見て、溢れるように懐かしい思い出が湧きあがってきた。
サンパウロ、東洋人街の一角Tomas Ginzaga通りにあった「スナックしずか」今、しずかさんの跡地には、「ラーメン和」が営業している。
ママさんの宿屋しずかさんは、スナックのママさんだったけれど、毎日お昼もお店を開けてくれていた。
メニューは至ってシンプルな「かき揚げうどん」お漬物付きというものだった。
かき揚げには海老などは入っておらず、野菜だけのシンプルなものだった。
暗いスナックの店内に入るのは大変勇気が必要だったが、うどん好きの血が騒ぎ、しばしば通ったものだった。
しずかママは必要なこと以外無駄なお喋りは一切しないが、淡々と与えられた業務をこなす、スーパーウーマン。
確か、時々息子も手伝っていた記憶がある。その息子が頼りないのか、客の前でも結構小言を言っていたっけ(まるで私みたい)。
肝心のかき揚げうどんだが、それがこれ以上ないほど丁寧に作られた絶品だったのだ。
こちら製の腰のないブヨブヨのおうどんを、良くぞあんなに美味しく作られたものだ。
彼女は、注文を受けてからその都度かき揚げを丁寧に揚げて仕上げる。
出汁が力強く、関東風でも関西風でもない「しずか風」の味を生み出していた。
うどんも美味しいのだが、それ以上の大きな楽しみが自家製のお漬物。
白菜、きゅうりは塩漬け、大根は甘酢漬けで山ほど出してくださるうえ、お替りもOK!
ある日、寡黙なしずかママに勇気を出して尋ねてみた。
「この大根のお漬物はどうやって作るのですか?」
「簡単よ、軽く塩で揉んでから驚くほどたくさんのお砂糖と酢を入れるの」
「へぇ~それだけですか」
「そう、それだけ」
早速自宅で試してみた。
こちらには日本のように瑞々しい大根は時期を選ばないといけないのだが、しずかママ風にまねっこしてみると、家族の評判は上々だった。
「私はね、お漬物くらいしか特技がないのよ」
ママの口癖だった。
「ママこのお漬物売れますよ!」
「そんなことないわよ~」
大根のお漬物の話から、ポツポツ話をするようになった、とはいえ相変わらず寡黙なママだったが。。。
そのうちに楽しみにしていたしずかママのかき揚げうどんとお漬物は閉店のため食べられなくなってしまう。
ほどなく、大々的に「ラーメン和」がオープンしたのは2008年6月のことだった。
しばらく会っていなかったママに会えたのは、ママがラーメン和のスタッフとしてバリバリ働いておられたからだった。
「ああ、ママお久しぶりです!お元気ですか?」
「ええ、何とかね。私もまだまだ頑張らなくちゃ。。。」
そんな会話をした憶えがある。
あれから6年の歳月が流れた。
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そんな時にママの訃報に接した。
お店を閉めた時点でもう二度とママの作った美味しいかき揚げうどんとお漬けものは食べられないのは分かっていたけれど、何だかとても悲しいお知らせだった。
何度も通った大好きなお店だったのに、もちろん写真は一枚もない。
ママの清楚な顔と優しい目、そして手慣れた手付きでうどんを作る美しい手を頭に思い浮かべるだけだ。
湯気の上がったカウンター、カウンターの後ろのお酒、そしてママのキビキビした美しい姿。。。
ママと過ごした静かな時間は私の胸の中にそっとしまっておこう。
人間の命は儚いんだなあ、、こんな時しみじみ思う。
自分は人さまに何かを与えられる人間なんだろうか?
一杯のおうどんで人を幸せにしていたしずかママのようになれるのだろうか?

しずかママ、美味しいかき揚げうどんとお漬物をありがとうございました!
どうぞ、安らかにお眠りください。。。。。。。

*サンパウロには、雨後の筍のように和食レストランがオープンしていますが、しずかさんのお店のように、街の片隅にひっそり建っているようなお店はもう一店もないのではないでしょうか。そんな意味では貴重な経験をさせてもらったと思っています。


by beijaflorspbr | 2015-01-22 20:29 | 思うこと | Trackback
2014年 05月 05日

Santo Grão Caféでひとやすみ

昔住んでいた懐かしいJardinsをお散歩中の我々母子、ぐるぐる懐かしい場所をピンポイントで回り、知っている人には挨拶をしているうちにやっとOscar Freireにやってきました。オスカール・フレイレは、私が住んでいた30年前は、閑散としていて今のようなオシャレなブティックなどはあまりありませんでした。その後大規模な再開発をし、電線を地下に埋め、遊歩道を整備する工事を何年もかけて行ってからは(ブラジル発)のブランド店の相次ぐ出店などにより、サンパウロ有数のファッションの発信地になりました。そんな通りにあるSanto Grão Café、昔住んでいたCasa Brancaの住まいからは徒歩5分というところに位置します。
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他のカフェに入らずここまで我慢しても入りたいのがSanto Grão Caféです。南米に居ながらにして欧州の雰囲気をちょっぴり感じることが出来るオシャレカフェがお気に入り。娘のパトちゃんの希望で、ここまでやってきました。
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時間が時間だけに空席もチラホラありましたが、すぐ後ろから聞こえるのは英語。英会話の先生をやっているパトちゃん「随分訛っていて聞きづらい英語だねえ…ブラジル人独特の発音だわ」と(-_-;)「でも一生懸命相手に伝えようとしているから偉いね!」という労りも忘れない彼女。心優しい彼女は私にとっても癒しです。
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今日はごく普通のSanto Grão特選コーヒー(ミルク入り)をお願いしました。
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ゆったりと流れる時間を二人で愉しみました。若い彼女は冷たくて甘いコーヒー、とっても美味しかったそうです。良かった!
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お会計を済ませて次の場所へ…。
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あら・・・突然激しい雨が降り出してしまいました。。。
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by beijaflorspbr | 2014-05-05 22:58 | 思い出 | Trackback
2013年 03月 07日

ポルトガル料理の名店Antiquariusが閉店

先日、久しぶりにJardinsを車で流していた時、ふと昔から馴染みだったお店Antiquariusがあった場所を見ると、大きな文字で「Aluga-Se(借家)」と書かれた文字が!大変ショックを受けました。A bela Sintraを現在までの規模に育て上げたSenhor Carlosがマネージャーとして大活躍していたお店でした。決して大きくないこじんまりしたお店の中には、名前の通り絵や置物などのアンティークや豪華なシャンデリアがさりげなく飾られていました。そのお値段ときたらとても手が出ない高価なものばかり…。頻繁にこのお店に行っていた頃にはブログを書いていなかったため、画像をいくら探しても出てきませんので、ウェブ上の写真をお借りしてきました。残念ながらこのステキな名店は今はもう存在しません。
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店内はオレンジ色を多用しているため、私のお友達は「日本の神社みたい」と言って笑いながら手を合わせて拝んだものでした。前菜のCouvert(コウヴェール)は、大体アベラシントラと同じ。それにニンニクパンが加わり、私はこれが大好物でした。お料理の質も内容もレベルが高く、全てに於いて完璧なお店でした。アンチクアリウスのポルトガル人オーナーは、リオ本店を自分が、サンパウロ支店は娘さんに任せていました。ところが、その一粒種の娘さんがご病気になって亡くなられてしまいます。その後を引き継いだご主人(社長から見るとお婿さん)は銀行マンで計算はとても上手だけれど、人付き合いが苦手ということで、残念ながら客離れが進みました。特にマネージャーだったカルロスさんがこの店をクビになった後は経営状態が大変苦しくなったそうです。レストランで一番大切なのは、「味」と「人間」なのかもしれません。ここのお店で働いていたベテラン従業員やシェフなどの大多数はカルロスさんがアベラシントラをオープンする時に付いていきました。その後も、アンチクアリウスを辞めたギャルソンやコックたちがどんどんアベラシントラに移りました。働きたい人は断らず、全員を喜んで受け入れ採用したカルロスという人の心の大きさが分かろうというものです。
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サンパウロの飲食業界はまさに生きるか死ぬか、というくらい必要淘汰が進んでいます。流行や伝統や格式だけでは客は付いていきません。この老舗とてこのような運命を辿るなど誰が想像したでしょうか。今もアンチクアリウスで頂いたお料理の数々の想い出は私の舌にしっかりと残っています。良く大切なお客さまをお連れして喜んで頂きました。両親を含め、あの方この方の懐かしいお顔も思い浮かびます。このお店が今後どのようなお店に生まれ変わるのか、少し楽しみでもあり少し不安でもあります。今でもあのきびきびしたギャルソンの動きや、気配り、真っ白いクロスに座り心地の良いソファーとクッション、食事後は2階のゆったりしたソファでデザートとコーヒーをゆっくりと味わう贅沢。至福の時を何度も過ごさせて頂きました。レストランはただ単に美味しいものを食べる場所ではなく、大切な思い出作りの場所でもあることを教えてくれた大切なお店Antiquariusよ、ありがとう。
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(私が病み付きになった絶品バカリャウ料理、未だここを越える味には出会えておりません。恐らく世界一美味しいバカリャウだと言っても過言ではありません)

by beijaflorspbr | 2013-03-07 10:52 | 思い出 | Trackback