ハチドリのブラジル・サンパウロ日記

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2017年 08月 07日

シッセラの人生

言葉も生活習慣も分からないまま日本からブラジルに嫁いできた私は、家族の手厚いサポートを受けたのはもちろんですが、一番身近な存在で、日常生活を何かと手助けしてくれたのが歴代のEmpregada=お手伝いさんたちでした。その数多いお手伝いさんの中でもピカイチだったのはシッセラという名前のブラジル人の女の子でした。30年以上も前に、まだティーンエイジャーだった彼女にバトントワリングを教えていたのが縁で知り合いました。その後家庭の事情で、高校に行きながら働かないといけないから働き口を紹介して欲しいと相談された時、一も二もなく「家に来れば?高校に行きながら子どもたちの面倒と家事手伝いを出来るだけしてくれたら良いから」という条件で我が家に住み込みで入ってもらいました。高校の授業料や交通費、月々のお小遣いなどの必要経費は全て我が家が負担しました。シッセラは一生懸命勉強しながら私立の商業高校に合格、午前中の早い時間からお昼まで学校に行き、帰宅後は一生懸命家事や子守りをしてくれました。高校卒業と同時に、夫が身元引受人となり、大手デパート(現在は倒産)の正社員として働き始めました。その後縁を得て、ある男性と知り合い結婚しました。サンパウロ郊外の自宅で行われた結婚式には、我々も仲人として参加し、幸せそうで可愛らしいシッセラの姿を目を細めて見守ったものでした。シッセラは、当初まるで実家に帰ってくるように頻繁に我が家を訪ねてきました。その後2人の女の子にも恵まれ、昔我が家で覚えた数々の料理の腕を使って、フードトラックを始めました。近くに大きな工場があり、固定客も付き商売は大成功しました。とはいえ、つつましく堅実な暮らしをしながら自宅を購入し、子どもたちに高等教育を受けさせました。特に下の娘は美しく生まれたこともあり、モデルやミュージカル女優へと進む道を選択、忙しい中でも夢ある幸せな生活をしていました。2年前に夫のSが直腸癌に罹り、壮絶な闘病生活をずっと支えましたが、先月残念ながら亡くなってしまいました。
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(お土産①パウミット=ヤシの芽とチーズのタルト)
ここ数年間、商売の忙しさ、夫の闘病生活、子どもの送り迎えなどで多忙を極め、なかなか我が家に来られなかった彼女が、娘のパトちゃんが日本から帰って来ていることもあり、昨日久しぶりに我が家を訪ねて来てくれました。夫を見送ったシッセラは、少し寂しそうな表情の中にも安堵の表情が見られ、ホッとしました。「治療もありとあらゆることを尽くしたけど、残念ながらダメだった・・・」と話してくれた時は、悔しさを滲ませ涙していました。良く頑張った彼女をしっかりと受け止め、労ってあげました。パスタの昼食を挟んで3時間ほど滞在したシッセラの表情は実に晴れやかでした。
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(お土産②イチゴのタルト)
隣に座って、ゆっくりじっくり彼女の話を聞いてあげました。シッセラの綺麗な目が特に印象的で、改めてまだブラジルの生活に慣れていない時に、この心優しい人にたくさん支えてもらったんだなあ~と感謝の気持ちが沸いてきました。5年以上も寝食を共にしたシッセラとのご縁はずっとこれからも切れないことでしょう。今でも朝8時から夜8時までフードトラックで一生懸命仕事を続けている彼女、これからも頑張ってね。人と人のご縁を深く感じた週末のひと時は大変幸せな時間でした。ありがとう、シッセラ!!
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by beijaflorspbr | 2017-08-07 21:39 | 人生


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