ハチドリのブラジル・サンパウロ日記

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2017年 01月 11日

JALサンパウロ線直行便の再開を願って・・・プロローグ

最近あるグループに入れて頂きました。私が大好きなJALの飛行機やその他JALに関する情報を交換し合うグループで、非公開というのも気に入っています。まずは管理人さんに承認して頂き、挨拶がてら書き込みをさせて頂いているうちに、今は運休となったJALサンパウロ線に関して思い出したことがたくさんありましたので、これも備忘録として加えさせて頂こうかと思います。飛行機に興味のない方すみません。

①JALサンパウロ線の経路や使用機材について
1978年くらいから試験的にJALが南米と日本を結び始めたと記憶しているのですが、最初はDC10という小型機でした。座席は3-3の配列で、今のグァルーリョス国際空港ではなく、サンパウロ市からは100キロ離れたカンピーナス市のヴィラコッポス国際空港から発着していました。この飛行機に乗ろうと思うと、かなり早くから自宅を出発して夜中に帰宅すると言う大変な苦労を伴うものでした。1985年頃には、最新鋭のジャンボ機Boeing747-400が投入されるようになり、一気に大量輸送が実現しました。サンパウロ線が運休した2010年9月まではこのジャンボ機を変わらず飛ばし続けていました。途中リオのガレオン(=アントニオカルロスジョビン)国際空港を発着地としていた時期もあったように記憶しています。サンパウロからは市内専用のコンゴニャス空港から小型機でリオのガレオン空港まで飛び、JALの大型機に乗り換えて米国経由で帰国していました。最終的には、サンパウロ・グァルーリョス空港ーニューヨークJFK空港ー成田国際空港が定着していました。米国の経由地は、かなり長い間、ロスアンゼルス国際空港でしたので、私も2-3回はトランジットでロスに降り立ったこともありました。9.11事件からは、毎回米国への入国と通関義務が生じ、入国管理場の混雑の影響でしばしば出発便に遅延が発生したこともありました。9.11事件より随分前には、同じ飛行機で最終目的地まで向かうためか、貴重品以外は全部機内に置いていって良いことになっており、子連れの私にはとても楽でした。但し手荷物は全て棚へ収納しなくてはいけませんでしたが、今ではとても信じられない夢のようなお話です。トランジットカードを受け取って、専用の待合室で待つのも結構楽しかった記憶があります。小さな売店で子どもたちが欲しがるものを色々買ってあげたり、亀の置物で遊んだり、あまり広くないトランジットエリアを走り回ったりしているうちに、待ち時間はあっと言う間に過ぎました。空港の関係で、一時はサーカス小屋のようなトランジットスペースで待ったこともありました。あれはLAXだったかなあ?トランジットの際、一度息子が遊びに夢中でお漏らしをしてしまい、着替えを機内に置き忘れたため、大きなTシャツを買って着せた覚えがあります。

②JALサンパウロ線に乗る人たち
時代の流れとともに、搭乗客も変化を遂げたように思いますが、中心となったのは、日本企業の駐在員とその家族と出張者、移民や移住でブラジルに来られた方々と家族、そして私たちのような現地在住者とその家族、日系人とその家族で、それに加え少数のブラジル人や、アジア系の方々も乗っておられました。1989年の出入国管理法改正により、一気に出稼ぎの流れが勢いを増し、出稼ぎを目的として、片道チケットで乗る人たちが多くなったのも大変革でした。空港にスーツケースを持って行き、空席待ちをかけて待機している人も長い行列を作っていましたが、大体は満席で毎便飛び立っていた記憶があります。後に、米国の入国管理が義務付けられた後の日系人は、ビザ取得の難しい米国経由を避け、欧州や中東経由で日本へ移動することが多くなったようです。また在住者の日本在住の家族や親戚の呼び寄せも多く、我が家も呼び寄せチケットで両親にブラジルまで来てもらっていました。私が最高人数で乗った数は両親・私・子ども3人の6名でしたが、3人の子どもたちが二重国籍なので、パスポートが合計9冊という添乗員並みのボリュームで大変でした。この直行便には、ブラジル国内だけではなく、他の南米各国からの乗り継ぎ客も大変多く、いつかアルゼンチン在住の知人3人が真後ろの席に座っていた時は、お互いに笑ってしまいました。誰もが長い間故郷である日本を想い、日本に憧れて、「乗ったそこから日本」を体感したくて日本航空を選んで乗ったのだと思います。当時は、子どもたちの学校の関係もあり、今のように季節を選んで帰国すると言うことは許されませんでしたし、他にもVARIGブラジル航空など直行便を飛ばしている会社もありましたので、選択肢は色々でした。「今度は何で帰るの?」が我々の挨拶代わりでしたが、当時我が家もVARIGや旅行代理店に伝手があったため、たまには浮気をしてVARIGの格安航空券で帰国したこともありました。チェックインの際に、良く子どもの同級生や家族に会ったり、知り合いや友達にも会いました。さながら学校がそのまま移動してきたような騒ぎとなることもありました。当然春・夏・冬の休み前が大変混み合い、その時期に座席を抑えるのがとても難しくなってしまいました。ブラジルはサッカー大国ですから、たまにはブラジルの有名サッカー選手が団体で乗っていて、運が良ければそれに遭遇することもありました。当時サッカー少年だった息子が、選手の輪の中に入って喜んでいたので「なんていう名前の選手?」と訊くと「知らない、でもテレビでは観たことある」なんていい加減な答え方をしていましたっけ。トヨタカップに行くサンパウロFCの選手たちでしたが、名前を知らないとは!!本当にたまにですが、エコノミーからビジネスクラスにインボラアップグレードをしてくださることもありました。見送りの家族が「どうだった?」と訊かれるまでもなく、顔で分かろうと言うものです。その他、サンパウロ線は長距離のため、たくさんマイルも貯まるので、マイルやアップグレード券を使って、この最長路線では結構贅沢をさせてもらった想い出がありました。家族と過ごした貴重な時間を今目を瞑っても鮮明に思い出すことが出来ます。昔は喫煙席も設けられており、父が愛煙家だったため、それが嫌でたまらなかったものです。一つ思い出すともう一つ…想い出の引き出しがどれだけあるかはわかりませんが、しばらく語らせてくださいませ。
JALサンパウロ線直行便の再開を願って・・・プロローグ_f0146587_22270512.jpg
・・・昔の思い出話をするとキリがありませんが、またこの続きは明日書かせて頂きます。年を取ったのかなあ?昔が懐かしい。。。


by beijaflorspbr | 2017-01-11 23:38 | 飛行機 | Comments(14)
Commented by えんどう at 2017-01-12 05:22 x
おそばせながらあけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いします。
フェイスブックの投稿拝見しました もしかしてハチドリさん?と思いましたが
やはりそうだったんですね。一つ本件で提案があるのですがこのあいだのJAPANRAILPASSで
使われたchange.orgを使って署名を集めてJALと国土交通省に提案してみませんか?
まあどれくらいインパクトがあるかわかりませんが、少なくとも何らかの進展があるかと思います。
もしご自分でページを立ち上げることに抵抗がございましたら私が立ち上げ活動を行いますので
逆に私のほとんど知り合いがいないブラジルの皆様に署名協力お願いできたら幸いです。
Commented by beijaflorspbr at 2017-01-12 23:15
★えんどうさん、あけましておめでとうございます。
こちらこそ、ご挨拶が遅くなり申し訳ございません。
えんどうさんも、グループに入られていたのですね。
非公開のため、投稿内容を確認できなかったので、不安でしたが色々な写真も見られて楽しいです。

Change.orgの件、良いアイデアですね。
でも私だと力不足のような気がするのですが、立ち上げ活動を担ってくださるというのであれば
是非お願いしたいと存じます。こちらは宣伝活動だけで良いのですね?
今もアメリカンとの乗り継ぎに苦労が付きまとっているので、
死ぬまでにJALの翼が戻って来てくれないかなと日々願っている次第です。
これからも宜しくお願いいたします。
Commented by えんどう at 2017-01-12 23:43 x
了解しました。やりましょう。
私はポルトガル語ができないので募集の文言などを日本語と合わせてポルトガル語の
文章を作って頂ければありがたいです。詳細についてはフェイスブックにメッセージいたします。

本日のJALでの経験を拝読し、あまりのANAとの違いに驚いたのと同時に
私が羽田発着や直行便という利便性からANAを使っていてホスピタリティーのなさや
感じていた違和感の正体がようやくわかりました。ですのでJALをもっと応援するしかないですね。
今後ともよろしくお願いします。
Commented by みかづき at 2017-01-13 15:43 x
はじめまして。昨年からハチドリさんのブログ楽しく拝見しております。私は昔々1979年にアチバイアの親戚宅を訪問したことがあります。個人で行きましたが、行きはツニブラのツアーの後ろにくっついて、パンナムでロス(一泊)翌日マイアミ経由でリオ、VASPでコンゴニャスでした。帰りはJALで一っ跳び、といってもサンファン・ニューヨーク・アンカレッジを経由して29時間近くかかったように思います。そうそうヴィラコッポスから飛び立ちました。懐かしいです。
直行便は本当に便利でしたね。一昨年親戚はエティハド航空アブダビ経由でやって来ました。アブダビの空港があまりにも広く、足が悪い親戚は大変で、帰りは車椅子を予約して来たと言っていました。ブラジルを訪問した時のこと色々思い出してみます。
Commented by beijaflorspbr at 2017-01-15 22:11
★えんどうさん、いつもありがとうございます。
ポルトガル語は自信がありませんので、近くにいる人に手伝って頂きましょう。
もし実現したら、本当にいつ死んでもいいなあ~なんて今日の文章を書きながら思いました。
結構思い入れが強かったんですね。
記憶を呼び覚ましてくださり、感謝です。
Commented by beijaflorspbr at 2017-01-15 22:16
★みかづきさん、初めまして。
随分前にメッセージを頂いていましたのに、お返事が遅くなり申し訳ございませんでした。
パンナムは、1977年に羽田からサンパウロに帰って来る時に使ったことがあります。懐かしいです!
JALもサンファン・ニューヨーク・アンカレッジなんて本当に懐かしくて涙が出そうです。
エティハドも比較的安くて評判が良いようですが、一度も乗ったことがありません。
今は中東情勢もなかなか安定していないので、ちょっと不安ではあります。
アブダビの空港も、ドバイ・ドーハもとてつもなく広くて、独特の雰囲気があり、私は苦手でした。
今も米国経由で苦難が付きまとってはいますが、これでひたすら我慢するしかないでしょうね。
また色々想い出を語ってくださいね。これからもどうぞ宜しくお願いいたします。
Commented by みかづき at 2017-01-17 14:32 x
寒い寒い日本ですが、今日は少し暖かです。
さっそくですが、サンパウロ周辺の治安は1979年頃と比べて今はどうでしょう。親戚は日本から誰も訪ねて来ない、と言って嘆いています。治安が悪いと聞くので怖いと言って兄妹一度も来ないのだそうです。私はちっとも怖い目にあわず楽しかったので、随分前に行くことを勧めたのですが、もしかすると今のほうが心配なのから・・・とも思います。
といえば、昔この時期は新聞広告にリオのカーニバルに行くツアーが載っていたのに、最近全然見ないような気がします。
これは治安ではなく、やはり直行便がなくなったのと不景気のせいかもしれませんけれど。
長引く風邪と叔父様の訃報で参ってしまわないように、元気を出してください。
私も両親や親しくしてきた親戚が、だんだん遠くへ行ってしまって心細いです。たまには昔のようにお喋りしたいですよね。
Commented by beijaflorspbr at 2017-01-17 23:30
★みかづきさん、続けてのコメント恐れ入ります。
治安は相変わらず良くないですよ。決して油断できないと言った方が相応しい表現かもしれません。
親戚や兄妹が来ない、というのは大げさかもしれません。
サンパウロはそこまではひどくないのです。
もちろん犯罪はあちこちで起こっていますが、ある程度の緊張感といくつかのポイントを抑えれば
生きていけるレベルではあります。
リオのカーニバルのツァーは、大々的には宣伝していないかもしれませんが、
私が昨年行った時も、リオの市内やニテロイなどで、日本人観光客の団体さんに会いましたよ。
一緒に行った娘が「皆お金持ちそうねえ~」なんて言っていましたが、一つのツァーに
ビックリするくらいの添乗員がいて、目を光らせていました。
リオとサンパウロでは事情が違いますしね。
風邪は少しずつ快方に向かっています。ご心配をお掛けしました。
Commented by bamukerotwo at 2017-01-28 18:31 x
ハチドリ様 はじめまして。
今週のはじめから、息子がブラジル人の友人を頼りに、ブラジリアン柔術の本場で学びたいとサンパウロへ1ヵ月の予定で旅立ちました。
両替所での殺人事件のニュースが流れる真っ最中のことでしたが、まだ20歳の当の本人は以前から計画していたこともあり、親の心配をよそに
行ってしまいました。貪るようにサンパウロに関する情報を探していたところ、ハチドリさんのブログに出会えました。
少しでも息子のそばに行けたような気持ちになり、楽しく拝見させていただいています。そして、息子にもこのブログの事を、困ったら相談しなさいと伝えました。その時はどうぞよろしくお願い致します。
幸い、道場の方たちには家族のようにしてもらっていると、フェイスブックにありました。
そこで、お忙しいところ申し訳ありませんが、「該当の両替所」とはどこのことなのか、教えていただけたら幸いです。私たちには、その情報がありません。
息子がご縁を作ってくれた、ブラジルへいつか私たち夫婦も訪れてみたいと思っています。
これからも楽しみに愛読させていただきますのでどうぞよろしくお願いいたします。
徳島県よりお便りさせていただきました。
Commented by beijaflorspbr at 2017-01-28 20:33
★bamukerotwoさま、初めまして。
息子さんが満を持してサンパウロに来られたのですね。
ご心配なお気持ちお察しいたします。
私も息子がおり、既に大きくなっているのに年中心配ばかりしています。
20歳でしたら、余計にご不安になられることでしょう。
是非頼ってください。
私でお役に立てることがありましたら、させて頂きますので。
困ったことがあったら、直接メールでお問い合わせくださいませ。
このブログのトップページにも書いてありますが、メールアドレスはコチラ
beijaflorspbr●excite.co.jp(●を@に置き換えてください)
です。
該当の旅行会社についても、個人的にお教えさせて頂きます。
お手数ですが、上記のブログ専用アドレス、またはこのコメント欄の「非公開コメント」
にチェックを入れてアドレスをお教えくださいませ。
メールを頂きましたら、個人情報を含めお知らせいたしますので…。
私たち在住者が出来ることは、そんなことくらいですので。
今後ともどうぞ宜しくお願いいたします。
徳島は、昨年11月に初めてまいりました。
鳴門を中心に子どもたちと回りましたが、とっても楽しかったです!
Commented at 2017-01-29 10:52 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by beijaflorspbr at 2017-01-29 22:02
★鍵コメat 2017-01-29 10:52さま
ご返信をありがとうございます。
メールさせて頂きますね。
宜しくお願いいたします!
Commented at 2017-01-30 21:31 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by beijaflorspbr at 2017-01-31 19:55
★鍵コメat 2017-01-30 21:31さま
非公開メッセージを拝読させて頂きました。
お忙しいところをご丁寧にありがとうございます。
どうぞ、遠慮なさらずに連絡をして頂くよう、お伝えくださいね。
今後とも宜しくお願いいたします。
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