ハチドリのブラジル・サンパウロ(時々日本)日記

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2016年 03月 11日

あの日から5年(東日本大震災)

今日3月11日、午後2時46分(ブラジル時間午前2時46分)、私は一人で東日本大震災で犠牲になられた2万人余の御霊に静かに手を合わせていた…。あれから5年、もう5年。まだまだ完全復興には程遠い被災地に思いを馳せつつ、テレビで流れる式典をそっと見守る。久しぶりに日本国歌を歌うと、じーんとくるものがあった。忘れもしない5年前のあの日、私は東京に居た。突然の激しい揺れに、冷静にならなければと思えば思うほど「一体どうしたら良いんだろう?」と途方に暮れたのも事実。携帯電話は持っていたものの、こちらから一切発信できなかった。携帯電話も混線していたのか、私のD社の携帯電話がS社の呼び出し表示に変わったりして、首を傾げたものだ。下手に携帯電話を操作をすると、バッテリーばかり減ってしまうので、電話連絡を取ることは早々に諦めた(外出先に充電器は持ち合わせていなかった)。唯一の頼みである公衆電話の前も長蛇の列。何もかも不安でたまらない夜だった。たまたま思いついた幼馴染のMちゃんが近くに住んでいることを思い出して、そこへ逃げ込んで危うく帰宅難民にならずに済む。但し、広めの和室に布団を敷いて頂き、たまたま集まった3人は見ず知らずの人ばかり。リビングでは一晩中、震災の報道が続く…。それは時間を経れば経るほど被害状況が拡大していく恐怖。街を歩いて逃げていた時は、映像を目にすることもなかったものの、Mちゃん家族と一緒にずっとテレビを観ているだけで恐怖感が我が身を襲った。真夜中には電話の受信状況が改善されたのか、親しい友人やサンパウロの自宅から電話やメールが次々に入って来た。結局絶え間なく襲う余震でほとんど寝られなかったので、午前5時少し前に友人宅を出て、動き始めた電車で、泊まらせて頂いていた友人宅に向かい、シャワーをお借りし、荷物を持って出た。そこから、知人宅に寄って羽田空港に向かい、無事帰阪することができた。自分の人生で一番長い一日だったように思う。大阪に落ち着いてからは、東北に住む色々な人に関する不安な情報が次々に入ってきた。とても心配だった陸前高田の同級生は、九死に一生を得て奇跡的に助かった。今だからこそ、改めて彼女の体験談を伝えたい。 

『私と娘は大震災があった後、家の方づけをしていました。あちこちから物が落ち、壊れたものもあったため、それらを片付けることが急務のように思われたからです。地震と津波がどうしても結びつかず、まさかその後に大津波がくるなどとは夢にも思いませんでした。災害緊急放送は家の中に篭っていたせいか、全く聞こえませんでした。ただ周りが妙に静かだったことは良く覚えています。そうこうしているうちに、川の向こうから真黒い壁が迫って来るのが見えました。「もしかしたら津波かな?」慌てて娘と車に乗りました。その瞬間に大津波に流されてしまいました。流されつつもふと気が付くと車が一瞬ふわっと水の中から浮き上がりました。既に車の中に水が大量に入り込んできたため、常備している非常用のハンマー(彼女はもしものことがあった場合にと常に携帯していたそうです)でガラスを叩き割り、二人で車から脱出した時に、導かれるように1本の電信柱が目に入り、無我夢中でそれに飛び移りました。電信柱を上ったところに、大きな工場の屋根があり、そこに乗り移ってただただ津波が引くのを待ちました。一番辛かったのが厳しい寒さと車から出た時に負った全身の傷の痛みでした。寒いのになかなか血が止まらないのには参りました。その後津波が引き、救助隊の方たちが助けに来てくれた時は、安堵のあまり足も体も硬直して動かず、なかなか梯子で下に降りることが出来ませんでした。その夜は、被災を逃れた方の家に避難し、暖かい部屋で一晩過ごしました。一連のことから、自分はいかに運が良かったかということを思い知らされました。まず津波が来た時に、自宅裏の山の裾野に沿って流されたこと(もし海側に連れていかれたら絶望的だったかも)、車内にハンマーを常備していたこと、流され車から脱出した先に電信柱があったこと、その先にも大きな工場の屋根があったこと、いち早く助け出されたこと・・・。』
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今この最後まで生きることを諦めなかった勇敢な友人は、震災後もスタッフと共にボランティア活動に精を出していた。震災後、同じ岩手県でも内陸に家を建て、元気に仕事に励んでいる。「ハチドリありがとう、私は生きてるよ!もう一度もらった命、どう生きようか、楽しみ」と震災直後にメールをくれた時は泣きに泣いた。。。但し、彼女の弟夫婦は残念ながら津波の犠牲に遭ってしまった。彼女の家の周辺の人たちもほぼ全滅と訊く。むごいことだ!被災地の皆さまのご苦労を思うと、適切な言葉も見つからないが、私たちは決してこの大震災の悲劇を忘れないことと思う。出来れば、これからもどんどん東北が元気になっていくよう、微力でも協力していきたい。

Yahoo Japanでは今年も「3.11、検索は応援になる
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震災で亡くなられた方々のご冥福を心よりお祈りいたします。


by beijaflorspbr | 2016-03-11 22:39 | その他 | Trackback
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