ハチドリのブラジル・サンパウロ(時々日本)日記

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2015年 06月 19日

2015年5月鉄道旅日記⑤山形・東根温泉にて

S叔母さんの家にお参りに来ました。2006年母を失くした時に、やり場のない悲しみを抱えたまま、逃げるようにしてこの山形の叔母を頼って遊びに(休みに)来た時、両手を一杯に広げて大歓迎してくれた温かいあの時間を思い出していました。叔母は聡明で優しい人なのに、表現が直截的で良く従妹とぶつかっていました。でも私は本当の叔母の優しさを知っていました。早くに夫を亡くし、女一人で生きていかなければならなかった叔母は、どうしても強い表現力と実行力と決断力を必要としたのかもしれません。その後も、自分の子どもたちや周りの人ともしばしば軋轢を生み、誤解された部分も多かったのかもしれません。でも私にとってはすごく懐かしい場所。そして、大好きな叔母ちゃんでした。叔母と一緒に休んだ部屋、叔母が用意してくれた滋味あふれる朝食、世界一美味しい白菜漬け…。思い出すと胸がいっぱいになってしまいました。祭壇に静かに手を合わせて、ゆっくり休んで頂くよう、叔母に心の中で話しかけました。折しも母の日、従妹のMちゃんが「白いカーネーションはあまりにも悲し過ぎる…」と叔母が好きだった華やかな色のカーネーションを供えてあげました。
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私の父の兄弟は全部で9人、本当は10人でしたが、幼い頃に1人亡くなっています。今存命しているのは、9人兄弟のうち4人になってしまいました。明治・大正・昭和の激動の時代を生き抜いた私に繋がる立派な人たち。とても感慨深いものがありました。
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Mちゃんが「母がね、ずっと付けていた10年日記なの、読むのは辛いけど、もう少し落ち着いたら少しずつ読んで見ようかな?」と。
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几帳面な字でぎっしり書かれた日記は、叔母ちゃんの生きてきた確かな証。
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1時間以上もゆっくり叔母の家でMちゃんと語り合いました。Mちゃんにとっては激動の1週間、本当に良く頑張ったね!と労ってあげました。Mちゃんのところも、我が家と同じように、唯一の弟は米国在住なので、お葬式を済ませたらすぐに帰ってしまったそうです。もう一度さくらんぼ畑の横を通って旅館に帰りました。
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長い廊下を通ってお部屋まで…。
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浴衣に着替えて温泉へ浸かりに行きました。そう言えば、この温泉は良くS叔母ちゃんと一緒に入ったな。。。「あんたは熱さに弱いのねえ~」と冷やかされたっけ。
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じっくり温泉に浸かって叔母さんを偲びました。上手には言えないけれど、叔母さんと今も一緒にいるようなしみじみとした癒し時間となりました。

by beijaflorspbr | 2015-06-19 23:25 | 日本国内旅行 | Trackback
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