ハチドリのブラジル・サンパウロ日記

beijaflors.exblog.jp
ブログトップ | ログイン
2013年 11月 16日

1976年11月16日

今からちょうど37年前、23歳の私は何も知らないままにブラジル・サンパウロに渡りました。その頃のサンパウロは今と同じ都会でしたが、ちょっと残念な都会とでも言えば良いのでしょうか。何もかもが便利な日本から行くと、思っていたよりも物がなく、機械も一昔前のもので壊れやすくて、少し不自由な生活をしていたような気がします。当時はもちろん車の運転もできず、道すら分からず、何より言葉の壁が厚くて、ブラジル生活は困難に次ぐ困難で自信を失いかけていたこともありました。ポルトガル語による電話の応対にも慣れなくて自分の能力のなさに良く落ち込んだものでした。
1976年11月16日_f0146587_22595466.jpg
(写真はサントス海岸)
子どもが次々に生まれてからは、必要に応じてどんどん逞しくなっていったような気がします。子どもが幼稚園ー学校へのステップを踏むたびに、私も運転を始め子どもを送り迎えするうちに自然に道を覚え、交通ルールや決して譲り合いなどではない、難しくスリルあるブラジルの運転にもだんだん慣れて行きました。縦列駐車は得意中の得意になったのもこの頃からです。無我夢中で暮らしてきて、もう37年が経ってしまいました。明日からは38年目です。プロフィールを書き換えて、新しい気持ちで38年目の第一歩を踏み出しましょう。
1976年11月16日_f0146587_23002057.jpg
毎日随分色々なことがあり、少しまた慌ただし日々を送っています。ここのところ、子どもがTOEICの試験に挑戦するのもあって、答え合わせのお手伝いなどもしています。目がちかちか、肩はパンパンに凝っていますが、全ては子どものため。何も知らないただの若かっただけの私がこんな逞しいおばちゃんに成長した38年、バンザイ!!何も分からず右往左往していた私をずっと支えてくれたトリオさんに感謝!


by beijaflorspbr | 2013-11-16 22:58 | 人生


<< 友と歩く嵐山ー天龍寺へ      友と歩く嵐山 >>