ハチドリのブラジル・サンパウロ(時々日本)日記

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2011年 03月 31日

友旅2011年3月23日(水)

この日は朝から新幹線に乗ってお出かけをしました。この日お会いしたお友達はM子さん。子どもたちがまだ小さい時にサンパウロでお友達になった方です。聡明で研究熱心なM子さんとはいつも「自主料理研究会」と称して一緒にお料理をしたものです。お互いの子どもたちも行ったり来たり預けたり預かったりしながら大きくなりました。M子さんの上のお嬢さんが小学校に上がる頃、駐在期間が終わって帰国してしまいました。私の家族も今住んでいる一軒家を建てて移り住んだのもちょうどその頃でした。M子さんの前任者のE子さんとも親しくしていて、別れが辛かったので、いずれ日本に帰ってしまう駐妻(日本人駐在員の妻)さんとはお付き合いしたくないと思ったものですが、その後その考えは間違っていたことに気づきます。

賑やかで活気のある新大阪駅から、ガラガラの新幹線「ひかり」に乗って東京へと移動しました。東京駅に着くといつも「眩しい!」と感じる照明がこの日は計画停電の影響で真っ暗・・・と言っても良いくらい消灯されている部分があちこちにあり、改めて驚きました。山手線ホームに上ると、照明はゼロでした。今までが必要以上に明るすぎたのかもしれません。電気が付いていなくても結構ちゃんと見えます。今回の福島の原発事故がなければ、こんなに電気を大切にする思いは湧かなかったかもしれません。いつかサンパウロでも電気消費量が制限され、ある一定の使用量を超えると電気を切られるというお触れが出たことがあります。その時にほとんど全ての家庭や会社が、白熱球から省エネタイプの電球に替えたことがありました。PCをいつまでもやっていられないので、「今夜はこの辺でお休みなさい」などと書いて電源を切った覚えがあります。あの時は、パラグアイから来る送電線が切れて、送られてくる電気の量が限られていた時だったと記憶しています。真っ暗の中、毎晩階段の手すりを頼りに階段を上った覚えがあります。今の首都圏も電気に関しては当時のブラジルと良く似ていますね。一旦このようなことがあると、節電に対する考え方がガラッと変わってきます。あの徹底した節電はとてもためになりました。あの時ほど毎月の電気代に神経を尖らせたことはありませんでした。当然エスカレーターのほとんどが動いていませんが、「グランスタ」の真ん中のエスカレーターのみ動いているのを発見し、そこから上に上がりました。
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青森新幹線も折角開通したのに、すぐに地震で不通になってしまいました。実はレールパスを使って今回は是非とも「東北新幹線で青森まで」と「九州新幹線で鹿児島」まで行くことを目標にしていました。結果的には両方とも叶いませんでしたが。
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有楽町で下車して、銀座まで歩きます。そうか・・・卒業シーズンなのですね。華やかな女子学生の袴姿。
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待ち合わせ場所は三越のライオンさんの前です。
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和光のショーウィンドウも消灯されていて何となく寂しい。
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5分ほど待っていたら大きなマスクをしたM子さんが現れました。マスクをしているのは酷い花粉症とのこと。ああ、懐かしい!!じつはM子さんのご主人さまは10月の初旬にご病気で亡くなられたのです。闘病の間はなかなか声が掛けにくくて彼是5年ほどお会いしていませんでした。本当は、地震があった翌日の12日にお会いするはずでしたが、あの騒ぎでこの日に延期しました。まだお店を再開していないところもあったので、敢えて予約しないで行ってみたところ、ガラガラでした。結局個室仕様の静かなお店でじっくりお話を伺うことができました。
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綺麗なお料理だったのですが、ほとんど話に集中していたので、味もあまり覚えていないほどでした。ご主人は4年前に発症されて何度かの手術と厳しい治療を得て、最期にご家族で看取るまでのお話は、涙なしでは聞けませんでした。愛情深いM子さんに守られたご主人さまは最期まで幸せだったんだなと思いました。家族の絆の大切さ、これからの彼女自身の生き方、医者になった子どもたちの未来などなどを淡々と話す落ち着きを取り戻した前のままのM子さんを見て、とても嬉しくまた安心しました。まだまだご主人さまの遺されたものなどは手付かずでそのまま置いてあるそうです。「もう少し経ってから手を付けようかなと思って…」「急ぐことはないんじゃない」「そうよね、全部が主人の思い出に繋がるものばかりだから」
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「あのね、3人(ご夫妻とワンコ)で定年になったら桜前線を追いかけて旅しようね、って約束していたの」その話は前に聞いていました。10月の通夜の日に、「大人のさくら旅」という本が祭壇に飾られてありましたもの。2回のサンパウロ駐在をされたご主人の愛したブラジル、ボサノヴァ・・・。あの悲しかった日の明るいボサノヴァの音楽が思い出されて涙。。。「いつかサンパウロにおいでよ!」「そうね、主人が大好きだった街だもの。私も歩ける日が来ると良いな」「待っているからね!」

その後、銀座中央通りを新橋方面に向かって歩きブラジルの香りたっぷりの「カフェーパウリスタ」でコーヒーを飲みました。二人で静かに昔を懐かしんだり、ご主人さまの面影を追ったりしていたらあっという間に時間が経ちました。ご主人を亡くされて長い間家に篭っていたM子さんが最初に会う友達に選んでくれたのが私だったことを光栄に思います。
「お陰さまでハチドリさんから元気をいっぱいもらったわ!」
最初に会った時の悲壮な感じが少し和らぎ、優しい目になっていたのに救われました。一緒に三越で「今半」のお弁当を買い
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再会を期してお別れしました。ああ、会えて良かった。M子さんはちっとも変わっていない。幼い子どもたちを遊ばせながら、何度も何度も語り合ったあのM子さん、銀座まで出かけて来てくれて本当にありがとう!という気持ちでいっぱいでした。そこから御徒町に行き、職人さんと打ち合わせをした後、東京駅に戻りました。大丸の婦人小物売り場コーナーには臨時で、米・水・カップラーメンなどの売店ができていて、長蛇の列ができていました。東京の方も大変だなあ~と思いながら東京を後にしました。
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人生は出会いと別れの繰り返しですが、一旦出会った方とは一生大切にお付き合いして行きたいと思います。子どもたちの思い出にも繋がるM子さんのこれからの幸せを祈り続けたいと思います。M子さんに会っている間は割にしっかりと聞き役に回っていたものの、新幹線に乗ってからがもうダメ。涙が後から後から溢れ出てきました。それはこんな言葉が思い出されたからかもしれません。
「夕方はいつも悲しみで心がいっぱいになって泣いてしまうの。パパが今にも帰ってきそうだから」
夫を亡くしたM子さんの悲しみが思い起こされて涙がなかなか止まりませんでした。不幸を跳ね飛ばす強さがM子さんにはあると思います。これからも頑張って!私たちは一生友達だからね。

涙が治まってから「今半」のお弁当を頂きました。
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美味しかった。。。生きると言うことはこういうことなのかもしれません。

by beijaflorspbr | 2011-03-31 17:34 | 友達 | Trackback
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