2011年 01月 24日
2004年4月中旬、私は某病院外科病棟に癌の摘出手術を受けるために入院した。 病室は総室で6人部屋だった。 何故か眼科の入院患者もいて、白内障の手術を受ける人は特に食事制限もなく元気に歩きまわっていた。 6人のうち4人が外科に所属している癌患者だった。 Cさんは初期の乳がん、私より2歳年上 Uさんは乳がんからの骨転移癌 Aさんは咽頭がん、既に全身転移し、声も出なかった。 そして私は直腸がん(病理検査の結果、Ⅰ期と診断される) 1番に退院したのはCさん、そして私が次に退院した。 退院する時に、Uさん、Aさんがエレベーターのところまで見送ってくだった。 私は退院後も、何度も病棟にお見舞いに行った。 メール交換もしていたUさんは残念ながら2006年7月7日に天に召された。享年63歳 Aさんはその後「最期」を迎えるために京都のホスピスへ転院した。 病後、2年経って偶然外科で定期検診に来ていたCさんと会って再会を喜び合った。 「良かったねえ、早期発見で治していただいて有難かったわ」 「本当にそうよねえ、私たちはまだまだ若いんだもん、家族のためにも頑張らなくてはね」 ・・・あれから6年半、癌完治説から言えば二人とも『完治』したはずだった。 昨日の食事会で「最近不幸が続くよねえ・・・」 「誰か亡くなられたの?」 「うん、Cさんも気の毒だったね」 「え?Cさんって言った?今」 それは間違いなく私の最後の癌友のCさんに間違いなかった。 あのCさんが・・・年末に…。ショックで皆さんが帰られてから泣いた。ひとりで泣いた。。。 まだ若かったのに。まだまだ家族に必要とされていた人だったのに。 何故か病室で、私の娘エルの差し入れのお煎餅をポリポリ良い音をさせて 食べていた「ポリポリ・・・」という音が耳に残った。 癌って怖い病気なんだな。改めてそう思った。 「とても元気だったのに、急変したみたい。癌は既に全身に転移していたそうよ」 今日一緒にごはんを食べた親戚のNちゃんにCさんの壮絶な最期を知らされた。 いよいよ亡くなるその日に綺麗にお布団を畳み、身辺の片付けを済ませ、身支度をしてから亡くなられたそうだ。 自分で死期を悟ったのかもしれない。 自分の時はどうなのだろう?悲観的になっても仕方がないけれど、今は死ぬことなど全く考えられないけれど、いつ自分の病気が再発しようともうろたえないだけの強い精神力を持ちたい。 Cさんのご冥福を心よりお祈りいたします!
by beijaflorspbr
| 2011-01-24 22:45
| 癌と闘う
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