ハチドリのブラジル・サンパウロ日記

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2010年 11月 04日

ドトールR・T、初七日ミサ

パリ旅行記の途中ではありますが、昨日のR・Tさんの初七日のミサについて書かせて頂きます。

大尊敬する我々の仲人さん、現役のサンパウロ州選出の上院議員(2名のみ)でもあられた亡きR・Tさんの初七日のミサがSao Judas do Tadeu教会であることを新聞で知りました。トリオさんもエルも残念ながらお仕事なので、私が家族代表で参列させて頂きました。教会の大よその位置は知ってはいたものの、カトリック教会とは普段から無縁なので、道を歩く人に聞きながら行きました。しかし教会付近に近づくと、すぐにそこだと分かる厳重な警察の車がずらっと並んでいます。物々しい警備体制は、やがて訪れる政府要人の警備だということが窺えます。或いは、故人の生前の功績に対する尊敬の念からくるものなのかも知れません。故人はブラジル連邦政府保安局のトップでもあった時期がありますので。もちろん、テレビ局の取材班も入っていて騒然としていました。
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広々とした教会内は既に大勢の人でいっぱい。私も前方の片隅に座って、遠くからご遺族を見守っていました。故人は、奥様のZさんと男の子4人。子どもはそれぞれ立派な仕事をされています。ミサの中で、長男が聖書の一部を朗読、そして次男、末っ子がお父さんへのメッセージを涙ながらに語りました。「ひとりの公人である前に、家族の長としての責任を存分に果たし、愛情深く私たちを守ってくれた。今すぐに会えないのが本当に辛い、Papai,Saudade de Voce!」という言葉にはあちこちからすすり泣きが漏れました。それぞれの関わり合いの中で、このTさんご一家との思い出と、ドトールR・Tに対する尊敬の念を抱いていたのではないでしょうか。
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R・Tさんと言えば、とても懐かしく思い出すのは、昔Centroに仕事に向かう途中、隣でブーブー煩くクラクションを鳴らす人がいました。あまりにもしつこいので、睨みつけると、窓を開け笑顔のR・Tさんが、「ハチドリ、私だよ、R(ファーストネームで)だよ!逃げなくてもいいだろぅ?元気?家族は?」と短い信号待ちの間に隣同士でゲラゲラ笑いながら話した思い出があります。誰に対しても気さくに話しかけてくださいました。その頃もとても偉くなられていたと思いますが、街で見かけた私にまで声をかけて頂けて恐縮したのを覚えています。R・Tさんはそういう方でした。ゆえに誰からも好かれていたのです。ミサが終わった後、随分待って妻のZさんや息子さんたちにご挨拶ができました。一回り小さくなったZ夫人を抱きしめたら今にも壊れそうでまた泣けました。。。Z夫人の母親の100歳になるDona,Vさんもとってもお元気で「あなたたち、私を見捨てた訳じゃないわよね?気軽にウチに遊びにきなさいね」と気さくに話しかけてくださいました。挨拶の輪の中にはTVで良く見かける有名な政治家もたくさん混じっていました。最後は政治の世界で光を放って来られたR・Tさんに改めて尊敬の念が湧いてきました。
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アラブ系の2世として生まれて、Vinte e Cinco de Marco(サンパウロの問屋街)で家業の生地屋さんを手伝っていた若者がブラジル社会で頂点近くまで上り詰めたブラジリアンドリームを地で行くようなR・Tさん、天国で静かにお休みください。そしてご家族を守ってあげてくださいね。79年間お疲れさまでした、そしてありがとうございました!
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by beijaflorspbr | 2010-11-04 20:41 | | Trackback


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